6月3日 −6−

「君は、演劇部の部室の前にプランターが十個以上も固め置きされているのを見て変に思わなかったか?」


 先輩は予想外の質問を僕に投げてきた。 


「へ? 園芸部の活動では?」

「そうなんだが、何であんな人気のないところに花を飾る?」

「確かに邪魔でしたね。先輩危うく転びかけてましたし」

「む、転んでなんかいないぞ!」


 とたんにぷくっと頬をふくらませる先輩。


「そうじゃない、あそこは部室棟の一番端。演劇部とその備品倉庫しかない。完全に行き止まりだ」

「それが何か?」

「あのなあ、部活動である以上、実績が求められるだろう。君が入りたかった写真部が潰れたのはなぜだ?」


 言われてドキッとした。確かに、僕だって実績はなるべく目立つように積み重ねる。そうでなくては写真部復活に向けた評価に繋がらない。


「園芸部だって同じだ。部費に限りがある以上、あんな誰も見ないようなどん詰まりにいくつもプランターを置くのは意味がない。校門からの園路とか、中庭とか、花を置いた方が映えそうな目立つ場所はいくらでもあるんだ。なぜそこは放っておいてなぜあの場所なんだ?」

「確かに……何ででしょうね?」


 僕が首をひねっているのを見て先輩は口を尖らせた。


「そこがボクの一番気にいらない部分なんだ。あのプランターに植えられていたのはマーガレット。最初からあの場所に特定の虫を呼び寄せるために配置されたんだよ」

「え!?」


 瞬間、僕の背筋に寒気が走った。


「と、いうことは……」

「ああ、演劇部の衣装がヒメマルカツオブシムシの幼虫に食い荒らされたのは単なる偶然じゃない。何年もかけて、そうなるように仕向けた人物がいるんだ」


 僕は広報誌に目を落とし、赤丸で囲まれた顔写真を改めて凝視する。

 にこやかに笑うベテラン英語教師、宮本明日美は〝園芸部〟顧問だ。


「まさか、そんな……」


 僕がショックを受けているのを見て、先輩はますます機嫌が悪そうな顔になる、が、話はやめない。


「イヤな話はまだある。ウチの演劇部は名門だ。かつては部室に入りきれないほど部員がいた。だが、ここ数年入部者が絶えた。仮にいても夏までに辞める。なぜここまで凋落したと思う?」

「え?」

「演劇部の大会は毎年秋に行われる。十月が地区大会、十一月が県大会。だが、この時期、もう一つ生徒全員が参加を義務づけられている重要な必修行事があるな」

「あ、英検ですね」


 先輩は大きく頷いた。


「生徒の英語力向上という名目で始まった特別補習と英検の受験。どちらも参加しないと成績評定に大きく響く。しかも補習日や英検受験日は担当の教師が決めるんだ。これが毎年絶妙に演劇部の重要な大会にかぶる。果たして偶然だと思うか?」

「まさか、そんな!」


 僕は、特に大きな権力もない一教師の冷たい悪意が、まったくそれと悟られることなく、これほど執拗に一つの目標に向けられるものなのだと知って愕然とした。


「あ、念のため付け加えておくけど、どちらも証拠はない。ボクの単なる妄想かもしれない。それはふまえて——」

「でも、そんな偶然、あり得ない」


 先輩の説明は理路整然としていた。

 動機が不明だというただ一点だけを別にすれば。


「でもね、彼女をいくら追求しても、単なる偶然の一言でいくらでも言い抜けられるよ。表向き、彼女は何も悪いことをしていないんだ」


 先輩はまるで苦いものでも口にしたように顔をしかめる。


「ボクら生徒がヒエラルキー上位の教師を糾弾するにはあまりに決め手に欠ける。いや、同じ立場の教師でも彼女を追い詰めることは恐らく無理だったんだ。だから、彼女は実力行使に出たんだよ」

「彼女?」

「そう、国語科教諭、吉見あずさ、だ」


 先輩は迷いのない口調でそう言い切った。


「興味深いお話ですね」


 突然背後から呼びかけられてドキッとした。

 振り返ってよく見てみれば、相変わらず広い閲覧室に利用者は皆無で、そんな中にぽつんと立っているのは若い女性だった。


「あ、あの、先生?」


 来訪者は全体的に地味、かつメリハリの少ない細身の体型だった。英語教師宮本の、明るくはつらつとした印象とはある意味対局に位置する。


「おかしいな」


 僕は職員全員の写真を撮ったはずなのに、この先生にはなぜか印象がない。


「三年生の現国を主に担当しています、吉見あずさです」


 ぺこりと頭を下げる彼女の姿に、僕は目を丸くした。恐らく髪型を少しいじってメガネをかけていないだけなのだが、職員写真のそれとはまるっきり別人に見える。


「お、待っていたよ吉見先生。さあ、どうぞ」


 相変わらず先輩は先生を先生とも思わず、まるで我が家のリビングに招くように吉見先生をカウンター内に誘った。吉見先生もまた、先輩の態度を咎めもせず、ぬるりカウンターに入ってきて司書先生の隣に座る。ちょうど僕らと対面する位置取りだ。


「比楽坂さんがまだこのようなことに関わっているとは意外です」

「ボクの案件じゃない。この……」


 と、先輩は僕を軽く小突くようにして苦笑いを浮かべた。どうやら先輩は吉見先生とも何かしら因縁があるらしい。


「四持が持ち込んできた面倒だ。ボクは手伝っているだけだ」

「それでも、聞いた話では——」

「今ボクのことはいい。今日はあなたの話だよ吉見先生。演劇部の倉庫から衣装を持ち出したのはあなただね?」


 いきなりズバリと核心を切り出した先輩に、吉見先生はまったく気負いのない態度であっさり「ええ」と答えた。


「え……先生?」

「緊急避難のつもりでした。あのままでは早晩そうばん全ての衣装が虫のエサに成り果ててしまう。かつてあの衣装の一部を手がけた者として、それは避けたかったのです」


 吉見先生は淡々と言葉を紡ぐ。

 

「せ、先生が、作った?」

「ええ、一から作った物ももちろんありますし、それ以外でも、あの三分の一程度は何らかの形で私の手が入ってます」

「三分の一! ……せ、先生、何者ですか?」

「ああ……」


 吉見先生は照れくさそうに笑うと、ポケットからスマホを取り出して僕らに差し出した。


「見ての通り。私、自作系コスプレーヤーなんですよ」


◆◆


「先輩は、最初から先生が犯人だと目星がついていたんですか?」


 司書先生の「さて、そろそろお三時おやつにしましょう」のかけ声で、僕らは一旦休憩することにした。どこからともなくクッキーの缶が出現し、紅茶が再び全員に振る舞われる。


「ああ、キーボックスの貸出簿には記録がなかったんだろ? だったら、そんなことが許されるのは教職員だけだ。わからなかったのは、誰が、の個人名と、なぜか、の部分だ」

「だったら、出し惜しみせずに早く教えてくれればいいのに」


 ブチブチ文句を言う僕に先輩は苦笑する。


「そんなことしたら、君はきっと一直線に職員室に突っ走っただろう?」

「でも……」


 さらに食い下がる僕に、先輩は遠くを見るような目つきになってポツリとこぼす。


「本当は、人のイヤな部分を君に知って欲しくなかったんだよ。教師だろうが人には違いない。そこにはいさかいもあればねたみもそねみもある。希望を抱えて高校ウチに入ったのに、入学早々教育者のダメな部分を見ることもないだろう?」

「まるで比楽坂さん自身が教師のようなことを言いますね」


 クッキーをパクつきながら、吉見先生が半ば呆れたような感想を漏らす。

 

「うるさいな、そもそもあんたが情けないからこうなるんだろ! あんた達はどうして揉めてるんだ? 十五年前に一体何があったんだ?」

「ああ、つまらない話です。あの子が吉見に恋慕して、相手にされないもんだから、ある日自分で制服の襟元を乱して職員室に駆け込んだんですよ」

「え? 何で?」

「さあ、気を引きたかったんじゃないでしょうか」


 吉見先生は他人事のようにさらりと言った。


「吉見が何を言おうと女性の肩を持つ人は多いですし、当時は今ほど生徒の交際に大らかじゃなかったですからね。即刻部活動停止、大会の出場は辞退、と、トントン拍子にことが進みまして」


 当時を思い出してか、苦笑する吉見先生。


「疑いが晴れたときには何もかも手遅れでした。吉見と私はあまりの理不尽に嫌気がさして部を辞めましたが、あの子は私達さえいなくなれば部を自分のいいように操れると思ったんでしょう。結果はご存知の通り。どうです? ご想像と合ってましたか?」


 クスリと笑ってマジシャンの種明かしのように両手を広げて見せる吉見先生。

 僕は先輩と顔を見合わせた。


「じゃあ……」


 口を開きかけたものの、何と言っていいのかわからなかった。


「私がこの学校で生徒会の顧問についたのは、もう二度とあの頃のような理不尽を生徒達に感じて欲しくないからです。思いは比楽坂さん、あなたと同じですよ」


 吉見先生はするりと立ち上がると、まるで謎かけのようにそれだけを言い残して図書室を出て行った。


◆◆


 それから三週間。

 演劇部の文化祭特別公演は人気を博し、人気投票で二位になった。結果、生徒会は約束通り演劇部の活動から〝暫定〟の制限を取り払った。

 僕らのクラスの〝アリスカフェ〟はもちろん大盛況で、延田のアリスコスはもちろん、あの妖怪のようなチェシャ猫も大好評で、どちらもツーショット待ちが列を成した。

 僕は入店者に頼まれスマホのシャッター係をつとめながら、なんだか釈然としない気持ちを抑えることができなかった。

 そして。

 学校中が浮かれたお祭り騒ぎに包まれる中、そこに優里先輩の姿はなかった。

 

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