7月26日 −4−

「ところで先輩、さっき話していた秘密兵器って言うのは?」

「ああ、そういえばそうだった!」


 優里先輩はすっかり忘れていたと言わんばかりにポンと手を打った。


「ちょっと待ってろ」


 そのまますいと立ち上がると、さっき僕が気にしていたドアとは反対方向のドアに消え、またすぐに現れる。


「これだ」


 見れば、ハイエンドビデオカメラ風の黒々とした機器を重そうに構えていた。


「ビデオカメラ?」

「違う。サーモグラフィーだ。対象物の表面温度が液晶ディスプレイに色分けされて表示される。ほら」


 そう言って向けられた液晶画面の中では、部屋の様子が赤から紫までの七色に色分けされ、抽象画のようなレインボーの風景に変換されていた。


「あのー……」

「何だ?」

「前にも聞きましたけど、何でこんな変な物を持ってるんですか?」

「趣味だ」

「でも、凄く高いんじゃないですか?」

「どうだろう? 慰謝料の一部だからな。特に気にしたことはない」

「い、慰謝料?」

「それよりこれの使い方を教える。一度しか言わないからちゃんと覚えて帰れ」


 先輩はそこには触れたくないようで、不機嫌な表情になると強引に話題をすり替えた。


「職員室の窓に使われている網入りのガラスは、ステンレス網とガラスの膨張率や熱伝導率の差から、部分的に極端な温度差があるとヒビが入る。これはよく知られた現象で、俗に〝熱割れ〟と呼ばれる」

「え?」

「実のところ、それほど珍しい現象じゃないんだよ」

「そうなんですかっ!?」


 僕は怪奇現象だとばかり思っていたので、あっさり種明かしされて逆に拍子抜けした。


「今回の場合、ここ数日の極端な暑さと西日でガラスが屋外側から熱せられていた。普通なら太陽光とその熱はガラスを素通りして室内に抜けるが、ガラスに何かが貼ってあると、そこで反射してガラスの内部に過剰に熱がこもる」

「でも……」

「ああ、普通はその程度で破壊にまで至ることはない。だが、室内でガンガンにエアコンを効かせているせいで、ガラスを支えているアルミの枠は結露するほどに冷えている。ほら見ろ」


 先輩は僕のカメラを再び持ち上げると、さっきスタバで凝視していた画像を拡大して見せた。


「当然、サッシ枠そばのガラスと、内部のステンレス網も冷やされる」

「なるほど。ガラスの中央部分は熱いのに周辺や中のステンレスが冷たい、なんて部分があると……」

「そう、割れる。このグニャグニャしたヒビは熱割れに特有の現象なんだよ」


 指さす先には、サッシの縁から始まり、木の根っこのように不規則に曲がりながら枝分かれするヒビがくっきりと映し出されていた。


「ということは……」

「ああ、元凶は西日を避けるためにガラスに貼られた断熱材やもろもろの紙製品だな」

「……そうだったんですね」


 僕は背もたれにどっと倒れ込んだ。


「まあ、他にも、硬い物がぶつかったときの放射的な割れ方と今回のそれは見た目がまったく違うだろ? このサーモグラフィーでガラスの温度分布を可視化して、ヒビ割れの見た目の違いを指摘してやれば野球部の疑いは晴れるだろう。というわけで、サーモグラフィーの使い方だ」

「やっぱり僕がやるんですか?」

「当たり前だ。しっかり頭に叩き込め」


 先輩は淡々と機器の使用方法を僕に伝え、何度か操作させて僕が覚えたのを確認すると、自分で自分の肩を揉みながらふうと息をつく。


「悪いが、少し疲れた。君を信用してないわけではないが、密室に二人きりというのは予想以上に気疲れする。今日は帰ってくれないか」


 もちろん僕にいやはない。僕は食事の礼を述べると、早々に先輩の家を後にした。


◆◆


 翌日も雲一つない晴天だった。

 朝から気温はぐんぐん上がり、正午前に三十度をあっさり突破した。

 僕はいくら説明しても信用しない熊元先生に職員室の内側から例の黒色スチレンペーパーを貼ってもらい、エアコンの冷風(なんと職員室の温度設定は二十三度だった)を室内側から窓に直撃させた。

 そうしておいて、吉見先生と熊元先生の目の前でサーモグラフィーを操作する。西日に照らされたガラスの真ん中と周辺部で二十度近い極端な温度差が生じていることがくっきり表示され、頑固な熊元もそこには文句をつけなかった。

 そして、そのまま待つこと一時間と少し。


「わっ!」


 気を抜いて雑談していた僕と吉見先生は見逃したが、親のかたきのように腕組みをしてガラスを睨みつけていた熊元先生はまさにヒビが生じたその瞬間を目撃したらしい。


「どうです? これで信用してもらえましたか?」


 熊元先生は悔しそうな表情をしていたが、さっきまでの勢いはどこへやら、無言で立ち上がるとそのままどこかへ行ってしまった。


「しかし……これは今後も同じことが起きる可能性がありますよね?」


 吉見先生はヒビに指を這わせながら困ったような表情を浮かべた。


「まあ、半分自然現象のようなもんですから」


 僕も頷く。


「とりあえず、ガラスの内側には何も貼らないこと、空調の風向きを窓に向けないことを徹底するしかありませんね」

「……カーテンでもぶらさげましょうか。それに、この前みたいに防犯アラームをかけている時にこんなことになると困りますし」

「あ、そう言えば今日は鳴りませんね? 確か最初の時も……」

「ええ、普通は下校時間を過ぎるとタイマーで自動的にセットされます」

「ああ、初日はもっと早い時間だったか……」

「ええ、恐らく。ちなみに今回は実験すると言ってあらかじめ切ってもらいました。あれが作動すると警備会社が飛んでくるから色々面倒なんです」


 吉見先生は悩ましげにこめかみに指を当てた。


「ヒビの入ったガラスもこのままというわけにはいきませんし、本当に頭が痛いです。とりあえず校長に相談します。四持も今日はご苦労様」


 そう言って吉見先生は僕を解放した。

 職員室の外では石渡をはじめ野球部の面々が僕が出てくるのを待っていて、そのまま腕を掴まれてグランドの端にある用具室に連行された。


「四持! ありがとう! お前のおかげで疑いが晴れた。本当に助かったよ!!」


 取り囲まれ、まるで神様のように拝まれて口々に礼を言われるのは実のところかなり気分が良かった。だが、いつまでたっても話が終わらないので、他にも報告するところがあるからと言い訳してその場を逃げ出す。


『説明が終わりました。無事再現実験もできました』


 優里先輩宛にLAIMで短いメッセージを送ると、本当に珍しいことにすぐ返事が来た。


『詳しい経緯を聞きたい。今日は来れるか?』

『食事をおごるよ』


 優里先輩に託された探偵役を無事に果たし終え、その上自宅に誘われてなんだか嬉しかった。

 色んなことが急にうまく回りはじめ、なんだか熱に浮かされたようなふわふわした気分のまま、僕は夕暮れの街を桜木町に向かって歩き出した。


 だが、事件はそこで終わらなかった。

 

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