9月10日 −6−

 通話では明らかに気乗りしない様子だったけど、僕がマンションのドアを開けると、玄関の上がり框には、初めて袖を通したらしい学校指定ジャージ姿の優里先輩が座り込んで僕を待っていた。


「へえぇ」

「何だ?」

「いえ、制服以外の服装を初めて見ました。けっこう似合ってますよ」

「何を言い出すんだ。前にもここで部屋着とか色々見てるじゃないか」

「それはそれ、これはこれです」

「ふん!」


 先輩はわずかに顔を赤らめる。むっとした表情で抱えていたジュラルミン製のトランクを僕に押しつけると、すいと立ち上がり、真新しいトレーニングシューズの爪先でトントンと土間のタイルを突いた。


「あれ、そんな靴、持ってましたっけ?」

「うるさいなあ君は。そんな細かいことどうでもいいだろう?」


 ますます顔を赤くしてそっぽを向いてしまったので、これ以上からかうのはやめておく。


「タクシー、待たせてますからどうぞ」


 仏頂面はそのままだが、それを聞いた先輩は少しだけホッとした様子で僕を押しのけるように表に出た。


「何をしてるんだ? 早く行くぞ」


 玄関を出るまでにひと悶着あるもんだと内心覚悟していた僕は、素直に出てきた先輩に拍子抜けする。


「何だ?」

「いえ。意外だな、と。先輩は引きこもりですから、相当手間がかかるだろうと思ってました」

「さっきから色々と鬱陶しいぞ君は。ボクはとっとと事件を解決して、とっとと戻って来たいだけだ。ほら、どこだタクシーは?」


 肩をいからせてエレベーターに向かう先輩を追いかけながら、迎えに来て本当に良かったと思った。


「ところで先輩、先輩はもう犯人の見当がついていたりするんですか?


 タクシーの車内。窓枠に肘をついてつまらなそうにしていた先輩は、僕に向き直ると小さく首を振る。


「さあ、どうだろうな。ただ、ボクは、優勝旗自体は結構あっさり見つかるんじゃないかと思ってる」

「え? どうしてです?」

「犯人にとって負担にしかならないからだよ。優勝旗、名前は仰々しいが、実体は特定の用途にしか使えない古ぼけた布切れだ。古物商に持ち込むこともネットオークションに出すこともできない」

「どうしてですか?」

「そんなことをすれば足がつくからだよ。それに、旗竿に一本だけ残っていたペナント、これはどう考えても犯人からのメッセージだ。犯人は優勝旗を盗むのが目的なのではなく、ペナントに残されていた〝第三回緑古戦〟について何か言いたいことがあるんだ」

「ああ、だから記録を調べろ、と?」

「そう。司書先生ばあさんが石頭なのには困ったもんだが、まさかプレーヤーを持ち込むなとまでは言わないだろう」

「ああ、これのことですね」


 僕は膝の上に載せたジュラルミンのトランクをポンと叩く。


「ああ、ビデオに一体何が映ってるのか、楽しみだよ」


◆◆


「太陽君、待ってました!」


 タクシーを降りると、すぐに岩崎さんが駆け寄ってきた。ところが、僕の後に降りてきた優里先輩を見てかすかに表情を曇らせる。


「太陽君?」

「あ、遅くなってごめん。こちら比楽坂先輩」

「あ、あの……」


 岩崎さんは気後れしたようにわずかに後ずさった。


「どうした? それより、目撃者は?」

「いえ、それが残念ながら……犯人はよほど慎重にタイミングを選んだようで……」

「僕の方も全然だったよ。とりあえずこれ以上目撃者捜しに時間を費やすのは時間のムダだと思う」

「……ですが……」

「図書館に行くぞ!」


 その時、突然優里先輩が口を挟んだ。


「犯人は何か目的いいたいことがあって優勝旗を盗んだ。だったら、こちらが意図をくんでアクションを起こせばいいんだよ。そうすれば、黙っていてもそのうち向こうから姿をあらわすさ」

「そう簡単にいくものでしょうか?」


 岩崎さんは疑うような目つきで先輩を睨む。


「岩崎さん、とりあえず先輩の策に乗ってみようよ。僕らは目撃者を見つけられず、このままでは手詰まりだ」

「確かにそうですが……」


 目の前のやりとりを聞きながら、僕は岩崎さんが先輩を見る目つきが何となく気になっていた。

 言葉使いは丁寧だ。それなのになんだかけんか腰に見える。その理由が良くわからない。


「時間が惜しい。四持、行くぞ」


 イライラと貧乏ゆすりをしていた先輩は、もう我慢しきれないといった様子でさっと身を翻す。慌てて後を追う僕を見やる岩崎さんの表情は何だか恨めしげに見えた。


「太陽君、助手なら私がいますのに、なぜ比楽坂先輩を呼ばれたんですか?」


 階段を駆け上がりながら、先を行く先輩に聞こえない程の小声で問われて面食らう。


「え? 助手? 違うよ。むしろ僕が先輩の助手なんだ。小間使いみたいなもんだよ」

「小間使い?」

「あ、えーっと、アシスタントって言えばわかる? ごめんね、ウチの両親は言葉遣いが古風なんで移っちゃうんだ」

「違います。私は太陽君が凄い人だと知っています。会長さんだってそう言ってたじゃないですか。なぜ自分から自分の価値を下げるような言動をされるんですか?」

「へ?」

「ひゃっ!」


 僕は思わず足を止め、後ろから来た岩崎さんが背中にぶつかって悲鳴をあげた。


「どういうこと、それ? 岩崎さんって、今回が初対面じゃないの?」


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