6月3日

「ボクは二年の比楽坂だ。今日は助手の四持が無理を言って済まなかったね」


 おかしい。無理を言ったのは優里先輩のはずなのに、気がつくとなぜか僕が悪者にされている。


「それほど時間を取らせるつもりはない、現場を見せて欲しいだけだ」


 そう言いながらも、先輩はなぜか部室棟の前にずらりと並んだプランターの方にチラチラと目を取られている。どうやら園芸部が花を育てているようだが、すでに盛りを過ぎ、白い花は萎れて半ば枯れ始めている。


「先輩、ほら行きますよ」


 僕は頷いて歩き始めた古平先輩を追って、優里先輩の肩を軽く叩いて促した。彼女は高さ四十センチ、縦横二十五センチほどのジュラルミンケースを大事そうに抱えてよたよたと歩く。そこそこ重そうなので代わりに持とうと何度も提案したのだが、鼻息一つで断られた。

 古平先輩は時々立ち止まりながら、そんな僕らを交互に見て小さくほほ笑みながら先導する。だが、この前と同じように鍵穴にカギを差し込み、続いてシャッターを跳ね上げようと手を掛けたところで優里先輩が大声を上げた。


「ストップ!! そのまま動くな!!」

「な!」


 優里先輩は驚いて固まった古平先輩を押しのけるようにシャッターの正面に立ち、その場で四つん這いになって滑らかな頬を地面に押しつけた。


「先輩! 何をしてるんです!?」


 驚く僕らに、彼女はその姿勢のまま勝ち誇ったように言った。


「ほら! やっぱり!」

「何がやっぱりなんですか!?」


 優里先輩は慌てて駆け寄る僕の腕を引っ張って同じように跪かせると、ぐいぐいと頭を地面に押しつける。見れば、シャッターの底部とコンクリート床との間に五ミリほどの隙間があった。


「ほら、見たまえ、地面とシャッターの間、こんなに隙間が空いてる」

「そりゃ隙間くらいあるでしょうよ! それより痛いからやめてください!」


 先輩の手を強引に振りほどいてどうにか顔を上げる。とっさの出来事に目を丸くしている古平先輩の視線を痛いほど感じながらひざの砂を払い、優里先輩の手を引いて立ち上がらせた。案の定、先輩の白い頬は砂埃で汚れている。


「先輩、これを」


 ポケットからハンカチを取り出して手渡そうとするが、先輩は受け取ろうとはせず、ただ子供のようにぐいと頬を突き出した。


「自分じゃ判らない」

「ったく、仕方のない人ですね」


 僕は呆れ口調で先輩の頬を丁寧にぬぐい、ついでにスカートの裾とひざの砂もはらってやる。


「これでボクの仮説がより信憑性を増した。さあ、シャッターを開けてくれたまえ」


 なんだかとても嬉しそうだが、古平先輩は訳がわからずひたすら困惑している。僕も思いは同じだが、一応優里先輩の助手的な立ち位置なので、そんな気持ちはおくびにも出さず、すまして先輩の背後に立つ。


「どうぞ」


 シャッターが開くと同時に先輩はよたよたドタドタとロッカーの前に走り寄り、ジュラルミンケースを開いて大量のガラスのシャーレとピンセットを取り出した。


「そんな物持ってきたんですか!」


 毎回の奇行から薄々予想はしていたが、続いて顕微鏡まで出てきたのはさすがに驚いた。


「何ですかそれ!」

「見てわかんないか? 実体顕微鏡だ」

「じゃなくて、どうしてそんな物が……」

「ああ、仮説を証明するために必要だからな」

「話がズレてますね。僕が呆れてるのは持ち込んだ理由じゃなくて、毎回どこからそんな特殊へんなな物を見つけて来るんですか、と言う純粋な疑問なんですが?」

「はあ? 私物に決まってるだろ? 愚問をほざいてないで、早くこれでロッカーの底の埃を集めたまえ」

「えー」

「文句を言わない。ボクは君の目に期待してるんだ。他に取り柄もないんだから少しは役に立ちたまえ」

「ひどい。こんなガラクタに囲まれてるから性格まで歪むんですよ。まったく。一度見てみたいもんですね。先輩のガラクタ屋敷」

「うるさい。無駄口を叩くな」


 初対面の時はここまで無遠慮じゃなかったはずだが……と思ったところでしょうがない。口の悪いのはお互い様だ。僕は渡された手のひらほどのミニチリトリとほうきでロッカーの埃をせっせと集め、それぞれのシャーレにロッカーひとつ分づつの砂埃を取り分けた。


「わー、キモい。これなんか虫の死骸まで――」

「何!!」


 だが、先輩は、むしろ嬉しそうに目を輝かせ、僕の手からシャーレを奪い取った。


「あの?」


 控えめに呼びかけられてはっと思い出す。シャッターを開けてからここまで、古平先輩の存在はまったくの空気だった。

 優里先輩の意識が埃入りのシャーレに移ったところで僕は立ち上がり、放置されたままの古平先輩に気になっていたことを確かめる。


「古平先輩、その後新しい手紙は?」

「いいえ。気をつけて、毎日朝昼晩三回は部室を覗くようにしてるんですが……」

「……そうですか」

「手がかりが……」

「途絶えてしまいましたか」


 僕らは顔を見合わせて小さくため息をついた。だが、相変わらず顕微鏡を覗き込んだまま、優里先輩は変なことを口走った。


「恐らく、演劇部に手紙が届くことはもうないぞ」

「え、なんでそんなことが言い切れるんですか?」

「届くのは演劇部に、じゃない。役者に届くんだ」

「「役者?」」


 古平先輩と僕の声がきれいにハモった。


「当たり前だ。役者のあてもなしに君達は一体どうやって劇を成り立たせるつもりなんだい?」

「え、でも……」

「ここで見つかった手紙にも書かれていただろ? 衣装は演じる者の所に現れる的な」

「確かに書いてありました、が……?」


 疑問がグルグル渦巻いている僕らを無視して、優里先輩はピンセットを器用に操りながら顕微鏡をのぞき続ける。やがて満足したのか、仕分けの終わったシャーレを手に僕らを呼び寄せた。


「ほら、これ」


 ぐいと突き出されたシャーレには、ごま粒大の極小のコガネムシや、さらに小さい糸くずのような芋虫の死がいばかりが選り分けられていた。案の定、古平先輩の顔からは血の気が引いているが、優里先輩は気にする気配もない。


「ほら、のぞいてみろ」


 先輩に促され、僕は生まれて初めて顕微鏡の接眼レンズに目を寄せる。ただ、普段カメラのファインダーをのぞき慣れているせいか、視野が四角でなくて丸い以外の違和感はなかった。


「わかるだろ?」

「って、虫の死がいですよね」

「コメントがきわめて凡庸だな。もう少し気の利いた感想はないのか?」

「といっても、この虫、名前は何だろう、とか、何でこんな変な所で死んでんだろう、くらいしか思いつきません」

「それでいいんだよ。あ、古平も見るかい?」


 ほとんど倉庫の入口まで後退してさらに青い顔をした古平先輩が無言でふるふると首を横に振る。


「まず、この虫は、ヒメマルカツオブシムシという」

「……はあ」

「ちっ! 反応が薄いな。つまらんぞ」

「そんなこと言ったって、なんなんです? 鰹節が好物なんですか?」

「まあ確かにそうなんだが、コイツは白い花も大好きなんだ。外に並んでるプランターにマーガレットがたくさん植わってただろ?」

「ああ、だから気にしてたんですか。そこから隙間伝いに倉庫に入り込んで来ちゃったと?」

「ああ、だが、コイツはもう少しやっかいな性格もあってね」


 先輩はそこで一旦言葉を切り、人差し指を立てて仰々しく切り出した。


「ヒメマルカツオブシムシは代表的な衣類害虫だ。服に虫食い穴を作る元凶だよ」

「ふえっ!!」


 途端に古平先輩が反応した。


「も、もしかして! ここの衣装はっ!?」

「ああ、全部のロッカーで成虫の死がいと幼虫の死がい両方を確認した。ついでに言っておくと、ロッカーの隅に溜まっている埃な、あれ、たぶんほとんどが幼虫が衣装を食い荒らした後の糞だぞ」

「ひ、ひ、ひえっ!!」


 古平先輩はそのまま白目を剥いてその場に崩れ落ちた。


◆◆


「先輩があまり無遠慮なこと言うからですよ」

「そんなこと言われたって、事実は事実だ。取り繕ったって始まらないだろう?」


 僕らは、一向に目を覚まさない古平部長を担いですぐ隣の演劇部室に移動していた。

 パイプ椅子を並べて即席のベッドを作り、なぜか備え付けられていた封筒型の寝袋を開いて掛布代わりに古平先輩の身体を覆う。枕は敷かず、本棚から抜き取った本を適当に重ねて脚を上げている。この処置も全て優里先輩が僕に命令した。


「先輩、やっぱり保健室に連れて行った方がいいんじゃ?」

「必要ない。頭も打ってないし、ただの血管迷走神経反射だ」

「血管迷走?」

「ちょっとした精神的ショックだってこと。脳血流が回復したらすぐに目覚める」

「でも、僕の時はちゃんと連れてってくれたじゃないですか」

「ハチ毒のアナフィラキシーショックは命に関わるからね。でも、あの一件でボクは校医先生に相当睨まれてるんだよ。正直言って二度と保健室には近づきたくない」

「素人が勝手な判断をするからですよ」

「うるさい! 命の恩人に向かって何て言い草だ。ああ、そう言えばあの時の礼をまだ受け取ってないぞ。〝命を救ってくれたお礼に、一生ドレイとして尽くします〟っていうのがいいな」

「先輩、さすがに人としてどうかと思います。ドン引きです」


 部室の扉を開け放ったままそんなやりとりを続けていたせいか、気付くと見知らぬ男子生徒が興味深げに部屋をのぞき込んでいた。


「誰だ? これは見世物じゃないぞ」


 目ざとくそれを見つけた優里先輩が鋭く誰何する。


「いえ、実は、この服と一緒に手紙が届いたんで……」


 そう言って紙袋を掲げる男子の右手には、水色の洋封筒が握られていた。

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