7月28日
翌朝、僕は体調を尋ねる短いメッセージを優里先輩に送った。既読はすぐに付いたが、相変わらず返事は返ってこない。
「まあ、元気そうで良かった」
ある意味いつも通りの反応に、僕は苦笑しながらもほっと胸をなでおろした。
優里先輩が校長の依頼を断って事件から手を引いた理由は、一昨日の彼女の告白を聞いた今となってはよくわかる。恐らく彼女は、事件にこれ以上深入りするのを恐れたのだ。
過去の辛い経験が、彼女をことさらに人から遠ざけ、臆病にしている。
「でも、もったいないよな」
僕は、最近になって学校内のどの教室にも備えられるようになったカメラを振り返りながら思った。
二年生の教室にもあのカメラはあり、優里先輩はただ一人、自宅からあのカメラを通じて授業に参加している。今年になって始まったオンライン
「
吉見先生は、僕の質問に対してそう説明した。
「何より難しいのは、先行事例として抜きん出た成果が最初から約束できる生徒をどう確保できるか、という点でした。失敗は許されませんからね」
先生はそこで一息つき、狡い大人の事情ですが、と複雑な笑顔を見せた。
「その点比楽坂さんには他校でもトップスリーに入る成績の持ち主でしたし、不幸な事件のため、人前に出ることに対して強いトラウマがあるというのも……これは大変不謹慎な言い方になりますが、被験者の選定理由として最適だったんです」
あの晩、先輩の家から帰宅して、僕は一睡もせずに考えた。
校長がポロリとこぼしたセリフ、そして先輩のこれまでの言動から考えて、優里先輩は何か特殊な立場の学生で、教室で、ではなく何か特別な方法で授業を受けていると見当をつけた僕は、翌朝一番で吉見先生にぶつかってみることにしたのだ。
結果はビンゴだった。
そこまでたどり着いた僕に、先生はもう隠そうとはしなかった。
入院で留年、さらに退学を強いられた先輩は、都内を離れてウチの学校に編入した。しかし、教室での授業にどうしてもなじめず、昨年度中はほとんど図書室登校だったそうだ。
そこにたまたま学校が先進的教育実践校としての指定を受け、遠隔授業トライアルの被験者として自宅授業を受けることになったのだという。
「しかし、四持が彼女の自宅に出入りを許されるほどの間柄になっていたとは予想外でした。怯えた山猫みたいなあの子が、この短期間によくあなたを受け入れましたね」
吉見先生はしきりに首をひねりながら、それでも少しだけ嬉しそうに言う。
僕もそれは不思議だった。先輩が僕のどこをそれほど気にいってくれたのか、自分でも良くわからない。
「四持、お願いです。あの子の信頼を裏切るようなことだけはしないで下さい」
「もちろんです。このことは他人に言いふらすこともしません。このまま墓場まで持って行く覚悟です」
「いえ、そこまでは望みませんが……」
吉見先生は苦笑気味に頷くと、
「彼女は、あの若さで人の醜い面を見すぎています。せめてこの学校での残りの学生生活は人並み以上に穏やかであって欲しいと思っています」
そう、祈るようにつぶやいた。
◆◆
生徒会室を出た僕は、吉見先生から預かった鍵を使って二年四組の教室に入った。名簿上は優里先輩もこのクラスの生徒で、先輩の机は最後尾の真ん中だと聞いた。だが、先輩は一度もこの席に座ったことはない。
僕は先輩の机をさらりと撫でると窓際に向かう。
先輩が実際にこの教室から外の景色を眺める日はいつか来るだろうか。そう思いながら。
「それにしても暑いな……」
教室にこもった熱気に耐えかねて窓をいくつか開け放つが、吹き込んでくる風もまた熱気をはらんでいて、結局それほど涼しくならなかった。
だが、それほど長く耐える必要もなかった。
「おまえか? 俺を呼び出したのは?」
グラウンドの土で汚れたユニフォーム姿。三年の栗山先輩がのっそりと教室に入ってきた。
「はい、練習中にわざわざお時間を頂きましてありがとうございます。少しお伺いしたいことがありまして。あ、僕は一年の四持です」
生徒会の名前を使って彼を呼び出したのは吉見先生だが、先生がこの場に立ち会うことはない。
「四持? ああ、ウチの石渡の疑いを晴らしてくれたのはお前だったのか。あれは助かったよ。野球部を代表して礼を言う」
いぶかしげな表情を崩して、栗山先輩は手近な机に腰を下ろした。
僕は彼の斜め後ろの席に同じように腰かけ、彼の顔をじっと見つめた。
「で、何の用だ? これから下級生の指導があるんだ。手短に頼む」
「では単刀直入に。先輩、自首しませんか?」
「はぁ!? いきなり何を言い出しやがる!」
栗山先輩は途端に目を吊り上げて大声で僕を威嚇した。
「いえ、心当たりはあると思うんですが? 職員室に侵入したでしょう? 探していたのは一体何です? 休み明けに行われる実力テストの問題用紙ですか?」
「ふざけんな一年! くだらねえ言いがかりをつけてんじゃねえ!」
普段から大声を出し慣れている野球部員の恫喝は、覚悟していても結構堪える。だが、僕は一歩もひるまなかった。
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