7月28日 −2−

「下らなねえ言いがかりだな一年、おめえ、覚悟はあるんだろうな?」


 思った通り、栗山先輩は僕を脅してきた。


「先輩、物理化学部の柳原先輩と仲がいいらしいですね」


 先輩の反応を伺いながら、僕も負けじと手持ちの札を切っていく。


「はあ? それがどうした。おめえにゴチャゴチャ言われる筋合いはねぇよ」


 先輩は右手で拳を作り、今にも殴りかかって来そうな気配を漂わせながらゆらりと立ち上がる。

 僕は、最初から殴られる腹をくくっていた。優里先輩の壮絶な体験に比べれば、このくらい、蚊に刺されたようなものだ、と自分に言い聞かせながら。


「そういえば先輩、物理化学部に生徒会の監査が入るらしいですよ。何でも、文化祭の予算の使い道にいくらか不明な点があるとか。どうですか? 柳原先輩は最後までヘタれずに応対できますかね?」


 これはまったくのでまかせだった。いくら僕が生徒会にひんぱんに出入りしてるといっても、会長も吉見先生も、そんな重要情報を部外者に漏らすほどガバガバではない。

 実際、今回吉見先生が手を貸してくれたのは、二年四組の鍵を貸りることと栗山先輩を呼び出ししたことだけだ。

 だが、このハッタリで先輩は顔色を変えた。自分が吉見先生経由で呼び出されたことに今さら思い当たったんだろう。


「おめえ……他に誰が動いている?」

「今のところは僕だけですね。だからこうして、他に誰もいない場所でこっそり持ちかけたんです。どうです? 自首しませんか?」


 栗山先輩は突然動いた。

 いきなり僕が首から下げていたカメラをストラップごと鷲づかみにすると、そのまま僕を吊り上げるように窓際まで一気に押しやった。


「おい、このまま突き落としてやろうか?」


 栗山先輩の目はギラギラと血走っていた。カメラを窓の外に放り投げるようにして外壁に叩きつけ、つかみ直したストラップで僕を首吊りのように窓枠に引きずり上げる。僕のつま先が床を離れ、喉が詰まる。

 地上でガシャリと何かが砕ける音がした。多分、はじけ飛んだレンズが粉々になった音だろう。


(ああ、カメラはダメになっちゃったなぁ)


 残念に思いながらも後悔はない。そう、ここで男を見せなくてどうする。


「ここは三階だ、落ちれば良くて手足骨折、首の骨が折れれば死ぬかもな? お前が黙っていると言うならこれで許してやってもいい。だが、もし誰かにこのことをチクるなら——」

「……先輩、想像力なさ過ぎです」

「はあ!?」


 のどがぐいぐいと締め付けられ、目の前がだんだんチカチカしてくるのを感じながら、僕は必死に声を絞り出す。


「一年の僕が簡単に気付いたようなことを、他の人が気付かないなんてことがあると思います? 例えば、当代の生徒会長はなかなかの切れ者ですよ。それに、先輩も噂くらい聞いたことがあるでしょう? 二年四組の人工知能アンドロイドこと——」

「……おま……まさか!!」

『そのまさかだよ!』


 栗山先輩はぎくりと振り向いた。

 教室最後尾に設けられたカメラには、いつの間にか赤いアクセスランプが点灯している。その隣にはスピーカーがあり、声はそこから再生されていた。


『君の所業は全部見ていた。建造物侵入はともかく、今のやりとりだけでも充分傷害罪や脅迫で訴えられるレベルだ。栗山、これ以上罪を重ねれば推薦どころか卒業すらも危うくなるぞ!』


「はぁ? 引きこもりがカメラの向こうで吠えたところで何の——」

「そこまでだ栗山!」


 その時、教室に乗り込んできた生徒会執行部の面々によって栗山先輩は取り押さえられた。


◆◆


「本当に申し訳ありません!!」


 生徒会室の床に正座した僕は、腕組みをして僕を睨みつける会長に向かって深々と頭を下げた。


「四持、我々が物理化学部の不正経理調査で動いていること、君は知ってたんでしょう?」

「いえ、それはまったく。本当にたまたまです。たまたま」


 今回の隠れた黒幕、吉見先生が部屋の隅で口に人差し指を当てているのを横目で見ながら僕はペコペコと頭を下げる。


「野球部の一年から栗山先輩の名前を聞き出して、そこから物理化学部に行き着いたんです。ホントに偶然です」

「でも、何の確証もなかった訳よね? それでよくもまあ、あそこまでのハッタリを……君、やることがむちゃくちゃです。相手が自滅したから良かったようなものの、あれじゃ言いがかりをつけてるのと何ら変わらないじゃないですか」

「おっしゃるとおりです。本当にご迷惑をおかけしました」


 生徒会に迷惑をかけるのは最初からわかっていた。だから言い訳はしない。とにかくひたすら頭を下げる。


「でもまあ、追求の手間が省けたのは事実だし、一応礼を言っておきます。それに、君を叱るのはどうやら私の役目じゃないようだし」


 廊下を駆けてくる足音に気づいてニヤリと笑う会長の視線の先で、扉がバンと音を立てて開いた。

 現れたのは汗だくで真っ赤な顔をした優里先輩だ。ハァハァと肩で息をしながら部屋に入ってきた先輩は、僕の顔を見た途端安堵と怒りがないまぜになった複雑な表情を見せ、次の瞬間、右手を大きく振りかぶる。

 パァーン!!

 部屋中に響く破裂音。

 僕の頬がカッと熱を持ち、先輩の目からポタポタと涙がこぼれた。


「君は……どうして君は……」


 先輩はまるで過呼吸のようにゼイゼイと喉を鳴らし、やっとの様子で声を絞り出した。


「どうしてあんな……」

「すいません」


 僕は赤く腫れた頬をそのままに、ただ頭を下げる。


「僕はただ、先輩に見ていて欲しかっただけなんです。他人の危害が及ばない絶対に安全な場所で……僕だって、少しは役に立つところを――」

「だから君はバカだっていうんだ! ボクが、離れた場所で……君が危険にさらされているのになんの手助けもできない場所で、自分だけ安全で……そんなことを望むとでも思ったのかい?」

「でも先輩は昔のトラウマが……」

「だから言ったじゃないか! ボクだって、いつまでも閉じこもってばかりじゃダメなことくらい理解してる。だからリハビリを手伝ってくれって……それなのに、パートナーが一人であんな危険な……」

「パートナー……?」

「ああそうだ!」


 先輩は、ストラップで締め付けられて醜いあざになった僕の首筋にやさしく指を這わせながら、らしくない大声を出した。


「自分でも説明なんてつかないし理解もできない。でも、一緒の空間にいても緊張せずにいられるのは、話をして楽しいと思えるのは、唯一君だけなんだ。少しは……じゃないんだ。君は今でも十分ボクの役に立っている。だから、自分を卑下して、これ以上粗雑に扱わないでくれ!!」


 その後はもう言葉にならなかった。

 優里先輩は僕にしがみついてまるで幼女のようにわんわんと泣き出してしまい……そして僕はといえば、生徒会役員の生暖かい視線にさらされながら、ただひたすら居心地が悪かった。

 


 

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