9月29日

 ウザ絡みナースの安住さんが予言したとおり、深夜に痛みが強くなり、僕は恥を忍んでお尻に痛み止めの座薬を入れてもらった。

 でも、よくよく考えてみれば、意識不明で病院に担ぎ込まれた時点で僕は裸に剥かれているはずだ。それにこの一週間、毎日オムツを交換してくれたのは多分安住さんだ。今さら恥ずかしがったところで手遅れなのかもしれないけど。


「さあ、今日から面会が解禁だよ〜。午後一時からだからね〜、覚悟しておくように」


 翌朝。個室に移された僕を安住さんはうれしそうに脅す。どうもこの人はS気質らしく、僕が困ったり悩んだりするのを見て本気で喜んでいる……ような気がする。

 屈辱のオムツと尿道カテーテルを外し、ドレーンも抜去してもらう。点滴は当分必要だが、両腕に刺さっていたものが片手だけになって、ようやくベッドを離れることができるようになった。


「でも、まだ歩いちゃ駄目。動くときは車椅子でね。食事は許可が出てないから、買い食いは厳禁だよ」

「僕は中学生ですか!」

「でも、これで安心して面会できるね? オムツを履いたまんまじゃさすがにイヤだったでしょ?」

「……安住さん、そうやって患者をいたぶってばかりだとそのうち地獄に落ちますからね」

「地獄? ノンノン、私は白衣の天使、医療神アスクレピオスの使いで~す。 ほら、頭の上に輪っかが見えない?」

「まったく見えません。アホ毛が立ってるだけ」

「も~」


 ウザい無駄口を叩きながらも手は止めず、蒸しタオルで丁寧に身体を拭いてくれる。


「あとはそうねぇ、髪も洗っとく? せっかく彼女とご対面って時にベタついた髪じゃ嫌でしょ?」

「……彼女? いませんけど?」

「またまた〜、本命は誰かな? よく来てた猫っぽい無口な子? それともワンコっぽい方? 口調がギャルの清楚系?」

「誰でもありません!」


 さすがにウザくなってきたので適当に追い払う。それに、煽られているうちにだんだん不安になってきた。


「……先輩は怒るだろうな」


 一人になった病室で僕はつぶやいた。

 メールの仕掛けでSOSを出したのは確かに先輩だ。

 でも、あれほどの強硬手段むちゃを褒めてはくれないだろう。恐らく、もっとスマートなやり方を望んでいたはずだ。

 会長も延田も、あんなバクチみたいな突入方法には最後まで反対していた。

 あれは、完全に僕のワガママだ。

 過去、誘拐されてひどい目にあった先輩が、似た状況でパニックにならないか、僕はそれが本当に心配だった。一分一秒でも早く、僕は先輩の無事な姿をこの目で見たかったのだ。

 だが、それは単なる杞憂だった。

 監禁されても先輩は冷静だった。一緒に閉じ込められている延田の友達の体調を気づかう余裕さえあった。


「結局、先輩のことを一番信頼してなかったのは僕なんだ」


 一番近くにいたはずなのに、僕は彼女の何を見ていたんだろう。そのことを自覚して結構凹んだ。


◆◆


 点滴で栄養補給をされていると食事の時間がないので時間間隔が曖昧になる。ぼーっと窓の外を眺めていた僕は、控えめなノックの音でふと我に返った。


「あ! はい。どうぞ!」


 返事を返したが扉の向こうの気配に動きはない。聞こえなかったかともう一度口を開きかけたところで、ゆっくりと扉がスライドし、警戒する猫そっくりの表情で先輩がひょこっと顔をのぞかせた。


「優里先輩!」


 僕の胸に大きな安堵が広がった。それは向こうも同じだったようで、むっとした表情がふっと緩む。だが、先輩は緩みかけた表情をどうにか引き締め、いかめしい表情で大股に僕のそばまでやって来た。


「四持、君は、自分がいかに無謀で危険なことをしたのか、ちゃんと理解しているね」

「……はい」


 やっぱり怒ってた。

 僕は目を合わせられず、思わず下を向く。

 その途端、先輩が息を吸い、右手を大きく振り上げたのが気配でわかった。僕は平手打ちのショックに備え、歯を食いしばって目をつぶる。

 だが、衝撃はいつまで待っても来なかった。


(あれ?)


 僕は上目遣いに薄目をあけ、先輩の様子を盗み見て衝撃を受ける。

 先輩は泣いていた。

 大きな瞳からポロポロと涙をこぼし、声をあげないように必死に唇を噛み締め、振り上げた右手を震わせながら。


「先輩?」

「君は……本当に……」


 それ以上はまともに声にならなかった。

 先輩は振り上げた右手で僕の頭をひしと自分の胸に抱き寄せ、嗚咽混じりの声をもらす。


「無事で……死んでしまわずに……本当に良かった……ありがとう……四持……太陽」


 その後は言葉にならなかった。

 彼女は両腕でぎゅうぎゅうと僕の身体にしがみつき、ガウンの肩を涙で濡らす。


「……優里先輩」


 嗚咽で小刻みに肩を揺らす先輩の背後に、おっかなびっくり点滴のない左手をまわし、落ち着かせるようにゆっくりと背中を撫でる。

 一瞬、先輩の肩がピクリと跳ねる。だが、拒絶はなかった。

 そうして何度も撫でているうちに、先輩の嗚咽はゆっくりとおさまっていった。


 「太陽」


 どれくらいそうしていただろうか。

 やがて、先輩は甘えるような優しい声で僕の名を呼び、まだ涙に濡れた目で僕の目をじっと見つめた。


「優里……先輩」


 それ以上言葉は要らなかった。

 僕らの顔は次第に近づき、やがて一点で交差……

 するかと思った瞬間、個室の扉がガラリと開いた。


「ヨモッシー、来たよー!」

「太陽君!」


 声と共に部屋になだれ込んできた二人は、距離が近すぎる僕らを見て一斉に抗議の声を上げた。


「えー! 比楽坂先輩、抜け駆けはなしって言いましたよね!」

「わー、四持がいっちょ前に色気づいてる! ウケるー!」


 途端に騒がしくなった病室の空気に、先輩は不満そうにフンと鼻を鳴らして僕から離れてしまった。

 

◆◆


「見舞いなのに僕が食べられないのは理不尽だと思わない?」

「いーからいーから。堅いことはなしって」


 個室のミニキッチンで岩崎さんが紅茶を淹れ、延田の持ち込んだ見舞いのクッキーを女子三人が仲良く頬張ったところで、僕はようやくあの日の顛末を知ることができた。


「結局さ、相手がヘタレだったんよ」


 延田曰く、延田の友達と先輩を監禁した男……本人には拉致監禁というほどの意識はなかった……は、短い懲役を終え、しばらくぶりにシャバに戻って昔の女に声をかけ、知り合いの部屋に連れ込んでクスリをキメたところで突然優里先輩の襲撃を受け、部屋の主と二人がかりで慌てて閉じ込めた……という状況だったらしい。

 

「まあ、あの子はもうクスリで意識がもうろうとしていたし、さすがにボクも単独で男二人に逆らうだけの力はなかった。結果、逃亡防止に服を奪われ、あの部屋に閉じ込められたんだ」


 先輩は何でもないことのようにさらりと言うが、最悪の場合、先輩にもクスリを盛られ、二人の慰みものにされた可能性だってあったのだ。

 現に、正常な判断を失った男は僕に刃物を向けた。


「その点は大丈夫だと思ったんだよ。たいよ……四持も知る通りだ。ボクの醜い身体に欲情する男はいないだろうし、いずれ君が援軍を連れてくることはみじんも疑っていなかった。まさか、二日も経たずに突っ込んでくるとは思わなかったけど」


 数日がかりで男の部屋を突き止めると、突入の直前、最悪の事態を想定し、あらかじめ翌日指定で僕宛にメールを打ったのだと言う。


「でも、何であんな暗号じみた……」

「尾行して突き止めたアジトだったから、住所はわからないし、スマホを取り上げられてメールを見られる可能性もあった」


「でも、だったらどうして最初から僕に相談してくれなかったんですか?」


 僕は半分不貞腐れながら聞くが、先輩は僕と岩崎さんを等分に見て、寂しそうな表情でため息をつく。


「ボクなんかよりお似合いだと思ったんだよ。ボクの個人的事情にこれ以上巻き込みたくなかった。君は普通の高校生だし、ボクみたいな欠陥品といつまでも付き合うより、同じ趣味を持つ健康な女子と健全な――」

「ちょっと待って下さい」


 僕は先輩の言葉をさえぎった。


「僕の意思はどこにあるんです?」


 その言葉に、三人は互いに顔を見合わせ、仕方ないね、とでも言いたげに肩をすくめた。


「君が入院して、何度も顔を合わせるうちにお互い話す機会があってね。最終的にこの三人で協定を結ぶことにした」

「協定? 何の、ですか?」

「四持の意思を尊重してフェアにやろうってこと」

「だから――」


 まだ状況が飲み込めない僕に、延田がニッコリと笑いかける。


「誰がヨモッシーのパートナーの座を射止めるかってこと」

「は? ちょっと待て。岩崎さんからは後夜祭で聞いたけど――」

「あーしもあの日、借り物競走で四持を借りたっしょ? 覚えてる?」


 言いながら延田は神社のおみくじのように小さく畳まれた紙片を照れくさそうに開いて見せる。借り物競争のお題クジだ。

 そこには〝意中の相手〟と書かれていた。


「え、マジか! どうして?」

「だって、バイト先も同じだし、普通に一番仲良くない?」

「でも、僕は陰キャだし……」

「ま……確かに四持は陽キャって感じじゃないけど、すごい奴だってのはみんな認めてる。それにさ……」


 延田は言葉を切るとじっと僕の顔を見た。


「あーしも、岩っちの事件の時、同じ車両にいたんだよ」

「「え?」」


 僕と岩崎さんの声がかぶった。


「あーしより小さい男子がカメラ一つと口だけでイカツイ顔のおっさんをホームに引きずり出したっしょ? ああ、すごいなー、あんなちっちゃいのにって――」

「ちっちゃいは余計だ」


 僕は口をとがらせてそっぽを向く。だが、延田は僕の頬を挟んで強引に優里先輩の方に向けた。


「ほら、センパイからも話があるって」


 突然話を振られた優里先輩の顔は引きつっていた。先輩は顔を真っ赤にしてすぐにうつむき、ボソボソと言い訳をする。


「……自分から勝手に身を引くなと二人から釘を差されたんだ。ちゃんと闘えと……つまり、つまりだな……」


 そこまで前置きすると、先輩は意を決したように顔を上げ、朱に染まった顔でじっと僕を見据えると、


「ボクも、君のことが好きなんだ」


 そう、はっきりと告白した。


 

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