9月28日
あの晩の記憶はそこで途切れている。
気がつくと、僕は病室で白い天井を見上げていた。
枕元ではいくつもの機械がまるでセッションのように周期的なシグナルを響かせていた。天井からはいくつもの輸液バッグがぶら下げられ、両腕にそれぞれチューブが伸びている。腹部の違和感にモゾモゾ身じろぎしてみると、下腹部にも何本ものチューブがつながっていた。
「なんだこりゃ」
小さくつぶやいてみて、とても声が出しにくいのに気づく。腹に力が入らず、ずいぶん長い間言葉を発したことがないような変な感じだった。
「誰かいますか?」
蚊の鳴くような声で呼びかけると、突然枕元のスピーカーから声が出た。
『おっ! お目覚めになりましたね? すぐに参りま〜す!』
すぐにパタパタと足音が近づき、若い
「やっと目が覚めましたね〜、この色男さん」
「色男? 誰のことです?」
かすれ声で聞いた途端、指先で鼻をつつかれる。
「こ・こ・に、いるじゃないですか〜。毎日毎日、入れ替わり立ち替わりかわいい女の子が見舞いに来てましたよ〜。面会できませんからお帰り頂きましたけど。一体これまで何人の女の子を泣かせてきたんですか〜?」
「は?」
看護師は僕のしかめっ面を無視して枕元のクリップボードに何か書き込むと、明るい声で、
「とりあえず、先生をお呼びしますね〜」
と言いながらあっという間に行ってしまった。
枕元に様々な機器が埋め込まれていること、インターフォンや電話のベル、看護師達の話し声がそれほど遠くないあたりから響いてくるところからして、
そんなことを考えていると、キュキュッとバスケットシューズのような足音を軽快に響かせながら若い医師がやって来た。
「おー、君、自分の名前は言える? これ、何本に見える? 僕の手、触ってみて」
立て続けに質問や指示をして、僕の反応にいちいち頷く。
「じゃ、おなか見るよー」
すぐに看護師がガウンをはだけ、おなかのあちこちを揃えた指先でリズミカルに触っていく。傷口を覆っていたパッドが剥がされ、僕はようやく自分の腹にムカデのような大きな縫い目があることを知る。
「うん、認知にも運動にも大きな問題はないみたいだね。まあ、おなかからドレーンチューブが抜けるまではベッドから離れられないけど、恐らくもうそれほどの心配はないでしょう」
そう結論づけてにっこりと笑顔を見せる。
「あの、質問いいですか?」
「どうぞどうぞ」
「僕、どうなったんですか? それに今日は……」
「ああ、今日は九月二十八日だよ。君は一週間以上意識不明の重体だった。ここに運ばれてきたときには肝臓にダメージがあってね、大出血で血圧が危険値まで下がってたし、実際心臓は一回止まった」
あっさりショッキングな告知をされて血の気が引く。
「ということは……」
「ああ、詳しくは後で警察に聞いてもらうとして、君は右の脇腹を刺されたんだ。幸い腸は破れてないけど、まあ出血がひどくてね。今だから言うけど最初は助からないかもなーって思ったよ」
そう、医師としてあるまじき発言をさらりと口にしてニッと笑う。
「それにしても君、よく頑張ったな」
若い医師はそれだけ言い残すと、ポンと肩を叩いて去って行った。
◆◆
午後になると今度は二人の刑事がやってきた。まるでテレビドラマに出てくるような中年と若手の二人組で、名刺を差し出してきたので少し驚いた。
「こういう時って普通、警察手帳じゃないんですか?」
「あ、手帳? やっぱり見たい?」
若手の刑事は思ったよりもノリが良く、上司らしき中年刑事と二人並んで手帳を提示してくれた。
「ま、色々聞きたいこともあるし、後で連絡したいこともあるだろうから。とりあえず持っててよ」
中年刑事はそう言うと、枕元にどっかり座り込んで使い込んだ手帳を広げた。途端に表情がぴしりと引き締まる。
「さて、じゃあ、まずは事実関係の確認から行こうか。君が今回の件に関わったきっかけから……」
僕は、メールを受け取ってから場所を特定するまでの経緯、そして突入を決めた理由、そして突入してからの顛末を順に話す。
延田や会長の関わりは省いて、だったけど。
もしかしたらそのあたりはもうすっかり調べ済みなのかも知れないが、刑事はふんふんと聞くばかりで、肯定も否定もされないのでわからない。
「それじゃ、とりあえず今日はこの辺で」
どうやら時間制限があるらしく、後ろで例のウザ絡みするナースが睨んでいるのに気づいて彼は腰を上げた。
「すいません! 一つだけ教えて下さい。僕以外の怪我人はどこに入院しているんでしょう?」
引き留める僕の声に、中年刑事は少しだけ表情を緩ませた。
「現時点、君以外の入院患者はいない。みんなひと晩程度の経過観察で退院してるよ。安心したまえ」
刑事が行ってしまうと、あとはひたすら検査、検査の連続だった。
点滴もそのまま、ストレッチャーに寝かされたままで病院内を行ったり来たりして、すべての検査が終わったのはもう夕方、病室棟の廊下に食欲をそそる匂いが漂いはじめるころだった。
「君はまだ食事の許可が出てないから、匂いだけ
ウザ絡みナースは(胸のネームプレートには
「先生の指示で鎮痛薬を止めたからね。夜中に少し痛みが出るかも知んない。辛かったらいつでも呼んでね〜」
「痛いって……どのくらい?」
「まだ肝臓が少し腫れてるから、けっこうクルと思うよ」
「え!」
「大丈夫、私がズバッと座薬入れてあげるから」
彼女は力こぶを作ってみせ、顔をひきつらせる僕を見てニッヒッヒと笑いながら出て行った。
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