6月3日 −3−

 授業が休みということもあり、午前中の図書館には人気がなかった。

 優里先輩は図書委員でもないのにまるで気にすることなく無造作に貸出カウンターを通り越し、その奧で事務作業をしている司書先生の元へ直行した。


「あら、比楽坂さん、久しいわね」


 どうやら二人は顔見知りらしい。司書先生は顔を上げると、老眼鏡をずらしてにっこりと顔をほころばせた。


「毎日のようにここに逃げ込んできてたのに最近どうしたのかと思ったら、今度は本格的に引きこもりになっちゃったらしいわね」

「違う! 引きこもってなんかないぞ。こうしてたまには学校にも来るし、ちゃんと毎日授業は受けている」

「でも、教室で、ではないでしょ? まあ、あんなことがあった後だから仕方ないとは思うけど——」

「そんなことは今どうでもいいだろ! それよりも閉架書庫のカギを貸して欲しい。調べたいものがあるんだ」


 先輩は顔を赤らめ、チラチラと僕の方を気にしながら早口でまくし立てる。


「あら、私が持ってきてあげるわよ。何が見たいのかしら?」

「いい、あいつに手伝わせる。ばあさんに力仕事はさせられないよ」


 ねぎらっているんだかけなしてるんだか良く判らないセリフを吐きながら僕にあごをしゃくる先輩の視線を追って、司書先生はようやく僕を認識したらしい。一瞬驚いたように目を見開くと、僕に向かってにこりと微笑んだ。


「ようやく他人を身近に置けるようになったのね。多少は改善してると見ていいのかしら?」

「い・い・か・ら! とっととそのよく回る口を閉じてカギをくれ。後はこっちでやるから!」


 どうやら、二人はそうとうに気安い仲のようだ。先輩は司書先生から鍵束を奪い取ると、手のひらを上に向けて僕をちょいちょいと呼び寄せた。僕がおっかなびっくりカウンター内を仕切る腰までの高さのスイングドアを通り抜けると、先輩は司書先生が僕に話しかける暇を一切与えず、腕をつかんで閉架書庫に引きずり込む。


「いいかい、あのばあさんの言ったことは無視しろ、いや、記憶から完全に抹消しろ」

「えー、僕としては——」

「強制的に忘れさせてもいいんだぞ! この話題には一生触れるな! いいね!」


 僕としてはむしろもっと詳しく、根掘り葉掘り聞きたい話題だったが、先輩の血の気の引いた頬や異様にすわった目つきがとても怖い。口をつぐまざるを得なかった。


「ところで、先輩はここで何をするつもりなんですか?」


 仕方ないので、とりあえず話題を変える。


「ああ、ウチの学校は創立以来ずっと生徒会が発行している〝緑陵〟って名前の年報誌があるんだ。一年分の学校行事、各クラブ活動や委員会活動の詳細な記録に加えて、各委員会やクラブの名簿まで網羅されている」

「え! それって、プライバシーの……」

「そう。さすがにその手の問題があって何年か前から名簿は載せなくなったが、過去の発行分を勝手に処分するわけにもいかないからな。人目に触れないようにこうして閉架書庫で管理されている」


 先輩は説明を続けながらずんずん歩き、やがて奥まった一角で立ち止まった。


「これだ」


 見れば、背の高いスチールラック一面分が全て同じ字体、同じタイトルの本で埋められていた。

 毎年発行された〝緑陵〟が発行順にずらりと並び、背表紙の黄ばみがきれいなグラデーションを描いている。


「バックナンバーをあたれば過去学校で何があったのか詳細にわかる。そうだな。とりあえず過去三十年くらい前から、演劇部絡みで何か変わったことがないか調べるんだ」

「え? 犯人の目星は?」

「だからそれを調べるんだろ? じゃあ私は昼食をとってくるから。せいぜい頑張りたまえ」


 そう言い残すと、先輩は逃げ出すかのように、僕を置いてさっさとどこかにいなくなってしまった。


「なんだ、流れ的に一緒に調べてくれるんじゃないの?」


 僕は大きなため息をつくと、とりあえず十冊ほどの〝緑陵〟を棚から抜き取り、書庫の隅にある小さな閲覧机に積み上げた。

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