6月3日 −4−

 狭く薄暗い閉架書庫で活字を追うことにいつしか没頭していた僕は、背後のかすかな物音でふと我に返った。


「先輩、遅かったですね。今度は僕が……」


 言いかけて、何となく先輩とは違う気配を感じて振り返る。


「比楽坂さんじゃないわ。調べ物の邪魔をしてごめんなさいね」

「あ、先生……」


 とはいえ、司書先生とは新年度に手伝わされた職員紹介のカメラマンとして短く話したことがあるきりで、まだ名前すら知らない。


「あなた……」

「あ、四持よもつです。一年生です」

「四持君ね。あなた、比楽坂さんとは長いの?」

「いえ全然、まだ知り合って二週間ちょっとです」

「……へえ。そうなの? その割には……」


 司書先生は感心してるのか言いよどんでいるのか判らない間をはさみ、不意に真剣な表情で切り出した。


「四持君、比楽坂さんのこと、どんな風に思っているのかしら?」

「どんな風に?」


 ずいぶんとあいまいな聞き方をされて返答に迷う。


「うーん、どうですかね。とりあえず普通、としか。先輩には個人的に興味がありますし、命の恩人ですからそれなりに恩義も感じてます。でもまあ、人使いが荒い人だな、とは思いますね」

「命の恩人?」

「ええ、ハチに刺されてショックで失神したところを助けてもらいました」

「……そうなの!」


 先生は目を丸くしてしばらく言いよどみ、再びポツリと問う。


「じゃあ、もしも……あの子が何か困難に陥ったとき、あなたなら——」

「そりゃもちろん助けますよ」


 僕は即答した。

 

「さっきも言いましたけど僕はあの人に大きな恩があるんです。それに、僕の抱えた問題を手伝ってくれましたし。口は悪いですが性格が悪い人じゃないことはわかりますから」

「そうなのね。できれば、この先もそうであってくれることを願うわ」

「はあ」

「……あの子にはもう一度、信頼できる仲間が必要だと思うから」


 先生はまるで謎かけのようなセリフを最後に、「お邪魔してごめんなさいね」と言い残してそそくさと書庫を出て行った。

 できれば先生にはもう少し色々聞いてみたかった。だが、先生はなぜか僕を少し警戒している雰囲気で、それ以上の話を切り出すのがはばかられたのだ。

 それに、先輩のいないところで、先輩について色々話すのもなんだか違う気がした。


「あれ?」


 頭を振り、気持ちを切り替えて次の年度に取りかかった所で、僕は気になる記述にぶつかった。


◆◆


 それから二十分ほどしてようやく戻ってきた先輩に誘われて、僕は図書館に併設された飲食コーナーに移動した。


「ほれ」


 椅子に腰を落ち着けた途端にコンビニ袋を放られる。中にはパック飲料とBLTサンドが入っていた。


「あ、ありがとうございます」

「で、首尾は?」


 短く問う先輩に、僕はある年の〝緑陵〟を示す。一応司書先生に断り、図書館から持ち出さないことを条件に書庫から持ってきたものだ。


「今から十五年ほど前か」

「ええ、ここですね。演劇部の活動記録ですが、途中で途切れてるんですよね」


 そこには、その年のコンクール参加状況が記されていた。

〝地区大会最優秀賞、県大会進出〟とまでは書かれているのだが、その先、県大会の結果がどこにもない。そして次の行、その年の冬に気になる記載があった。


「部活動停止?」

「ええ、この年は十一月を最後に演劇部の活動は終わってます。そして、こっちが翌年の分ですが……」


 僕はもう一冊、翌年度の〝緑陵〟を取り出して部活動のページを開く。


「演劇部の活動は……完全に空欄か。何だこれ? 廃部か?」

「いえ、廃部とかだったらこんな風に……ほら」


 僕は内心にかすかな痛みを感じながらページの先頭を示す。そこには、

〝【廃部】前衛ダンス部、弁論部〟と記されている。

 恐らく今年の〝緑陵〟にも、〝【廃部】写真部〟と書かれるのだろう。そう思いながら。


「つまり、部は存続したが、活動がまったく行われなかった。そういうことだよな?」

「たぶん。で、この二つを比べてみると、変なことがもう一つ」


 僕は二冊の演劇部員名簿のページを左右に並べて先輩に示す。


「活動休止になった年には二年生が三人、翌年は三年生になるはずだが……二人足りないな」

「ええ、男女一人ずつが部を抜けています」

「部員名簿は確か年度初めのメンバーで決まるんだ。部費算定の根拠になるからな。つまり、前年度中に二名が退部し、同年は十一月で活動休止、翌年は活動が停滞した、そう読み取れるわけだ」


 先輩はつぶやくように言い、翌年度に唯一残った三年生女子部員の氏名に指を這わせながら遠い目をする。


「……ふむ」


 さらに目を戻し、前年度の名簿、退部したであろう男子生徒の姓と、同じく退部した女子生徒の名を指でなぞり、最後に大きなため息をついた。


「四持、やっぱりここで止めないか?」

「どうしてですか?」

「仮にボクの推測が間違ってなければ、あまりすっきりした結末にはならないよ。十五年前の出来事は現在進行形で醜く尾を引いている」

「でも、ここまで関わっておいて、途中で止めるのは……」

「謎のパトロンが古平を助け、衣装は役者と共に再び演劇部に戻る。文化祭の公演は成功して部は無事に存続。みんなでハッピー。それで良くないか?」


 僕は先輩が辛そうな顔をするのがいやだった。それを目の前で見ながら、何もできないでいる自分がもっといやだった。


「先輩。もっと僕を巻き込んで下さいよ。先輩が一人でモヤモヤを抱え込んだまま幕引きってのはちょっと。それじゃ僕があんまり役立たずだ。せめて僕にも半分抱えさせてくれませんか?」


 先輩は僕の目をのぞき込み、悔しそうな、それでいてなぜか少し嬉しそうにも見える表情を浮かべて再びため息をついた。


「わかったよ。じゃ、まずはばあさんの所へ行こう」


 

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