9月10日 −10−
「なるほど。事情は良くわかった」
延田の話を聞き終わると、先輩は大きく頷き、僕に向き直って首を小さく傾ける。
「で、四持、君は一体どうしたいんだ?」
「僕が生徒会長に依頼されたのは優勝旗の発見です。犯人探しまでは含まれていません」
「……詭弁だな。前回はわざわざ身の危険をかえりみず犯人を糾弾したくせに、今度は見逃すのかい?」
耳に痛い諫言を先輩は厭わない。
「はい」
「それは
「僕はそもそも正義の味方なんかじゃありません」
「確かにそうだが……それに、前にも感じたが君は直感に頼り過ぎだ。冤罪の危険性だってあるんだぞ」
先輩の説教はいちいちもっともだ。だが、それでも僕の決心は変わらなかった。
「自分の利益のために不法行為を働くのと、愛すべき他者のために自分のできることを模索するのは違う——」
「四持!」
延田が急に大声を出した。
「四持、それは良くない!」
いつもおちゃらけた軽い話し方をする延田らしくない、低く芯の通った声だった。
「お前が言うなって話だし、四持がかばってくれるのは嬉しい。けど、あーし、自分のやったことが悪いことだというのはちゃんとわかってる。閉会式までに、ちゃんと自分で戻しに行く。だから、四持まで悪者にならないで!」
そのままじっと見つめられ、僕は何も答えられずに延田から目をそらした。
「……でも、できることなら、僕は延田の叔母さんの名誉回復をしたいんです」
「……はあ、なるほど、わかったよ」
じっと僕の目をのぞき込んだ先輩は、大きなため息をついてモニターに向き直る。そして積み上げていたビデオテープの最後の一巻を抜き出し、延田に向かって差し出した。
「ボクが見ても君の叔母さんは見分けがつかない。君が自分の目で確かめろ」
そう言うと、ブースを明け渡して半ば無理やり延田を座らせる。
「え? でも、あーし使い方が……」
「教える。それほど難しくない」
そのまま延田の背中に張り付くようにして手を取り、機械の右端にあるダイヤルに添わせる。
「ダイヤルの表面にある三角マークが再生、四角が停止、ダイヤルを右にひねれば早送り、逆が巻き戻し、そしてこの小さいボタンが一時停止。な、簡単だろう?」
まさに手取り足取りといった感じで、これまで優里先輩を毛嫌いしていた延田はすっかり毒気を抜かれてなすがままになっていた。
「君の叔母さんは最終種目のアンカーなんだろ? だったら一旦全部早送りして、逆再生をかけたほうが早いかもな」
延田は言われるがままに操作し、すぐに目的の場面にたどり着いた。
「うっわ、叔母さん若い!」
古いビデオテープ特有のにじんだ映像でも、延田の叔母さんだというのはすぐにわかった。画面の中の彼女は化粧もしてないし髪色も普通だが、目鼻立ちが延田にとてもよく似ているのだ。
「さて、ここからはスロー再生でいこう」
先輩は延田の手を上から包むようにして操作を補助する。
モニターの中で、叔母さんは一気に先行走者に追いつき、ゴール間際では確かに横並びだった。
コマ送りで一歩、一歩ゴールラインに近づく選手達。
「ここだな」
先輩の声と共に選手の動きが止まった。
ライバルの緑陵高選手がゴール直前で右手を前に突き出すように身体をひねり、その手にゴールテープをつかんでいる。だが、上半身を前方に投げ出すようにフィニッシュした延田叔母の方が身体はわずかに先行していた。
「ボクは陸上競技には詳しくないが、着順は確かランナーの胴体がフィニッシュラインに触れた瞬間で決まるはずだ」
その基準で言えば、右手の先がゴールテープに触れたライバルより、延田叔母の方が先にゴールしている。
「ゴールテープをつかむパフォーマンスに惑わされたんだな。ボクもその場にいたらそう判断すると思う」
「……良かった。叔母さんは間違ってなかった」
延田はポツリとつぶやき、顔をくしゃくしゃにしてポロポロと涙をこぼした。
「ボクの考える正義は君のそれとは違う。でも、人を本当に救うのは君みたいなやつなのかもしれない」
声もあげず涙を流す延田を見つめながら、先輩がこぼした感想が不思議に耳に残った。
◆◆
会長に生徒会室まで来てもらい、僕と比楽坂先輩も立ち会った上で、延田は優勝旗を差し出して会長の前で深々と頭を下げた。
午後の競技も残すところあと三つ。閉会式まではすでに一時間を切っていた。
僕が代表して経緯を説明し、三十年前の〝緑陵〟のコピーと、ゴールの瞬間の静止画のプリントアウトも机の上に並べた。
「……あなたのしたことは決して無罪放免できるようなことじゃないわ。何らかの処分は覚悟しておいて」
腕組みをして説明を聞いていた会長は、しばらく無言で考えた末、冷たい声で延田に告げた。
「ですが、あなたがそのような心情に至った経緯については理解しました。そのことは、今日の話とはまた別の問題として対応を生徒会内で協議します。それでよろしいですね」
無言で殊勝に頭を下げる延田。会長は小さくため息をつくと、組んでいた腕を解いて机の上に下ろし、左手の親指を反対の手で揉むような仕草を見せる。何ごとか頭を廻らせるときの彼女の癖だ。
「じゃあ、とりあえず今日はもういいわ。あなたは応援席に戻りなさい」
その声が合図だったように延田はもう一度深々と頭を下げ、生徒会室を出て行った。
「さて、四持」
「はい!」
会長の鋭い視線にさらされ、僕は無意識に背筋を伸ばす。
「まずは礼を言います。無事に優勝旗を見つけ出してくれてありがとう。それに比楽坂も。いつも協力に感謝するわ」
「ボクは四持の頼りないお尻を後ろから蹴っているだけだよ。特に礼を言われるようなことは何もしていない」
優里先輩は平然とそう言い放ってニヤリと笑う。
「それでも、よ。貴女がまた現世に興味を持ってくれて何より。これからも四持を助けてあげて」
「ま、まあ、そのくらいなら……」
照れくさそうに顔をそむける優里先輩。その親しげな様子に、僕は一つの疑問を持った。
「あの、会長と優里先輩ってもともと知り合いなんですか?」
「ああ、比楽坂は話してないのですか? もともとこの子は都内の女子高の生徒会で活躍していました。今のあなたみたいな感じで校内外のトラブルに関わってて、それなりに有名でした。この子が引きこもる前に最後に会ったのは、例のドラッグ騒ぎの——」
「会長、その話はやめよう」
先輩の制止に、会長は「しまった」といった風に手を口に当てた。
「ごめんなさい……ところで、比楽坂は生徒会に所属するつもりはないかしら? せっかく同じ学校の生徒になれたんだし」
「興味はないな。それに君は四持を下僕として使ってるじゃないか。ボクはその後ろから見張ってるくらいの距離感がちょうどいいんだ」
「その、下僕って言い方は悪意があるわね。ちゃんと、有能な協力者だと思ってるわよ」
「それはどうだか」
会長と先輩はかなり気安そうで、さっきまで氷のように冷たく張り詰めていた部屋の空気はすっかり緩んでいた。
今なら聞けそうな気がしたので、僕はさっき会長の言った〝対応〟という言葉の意味を訊ねてみる。
「ええ、過去にさかのぼって訂正するつもりです。とりあえず、優勝旗のペナントはすぐにでも書き換えましょう。幸い今年分の予備もあるし……」
会長は傍らの賞状盆に用意されている無地のペナントを見つめながらそう断言した。
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