9月10日 −2−

 両校合わせて二千人もの生徒が参加した開会式は大きなトラブルもなく進行し、優勝旗は一年ぶりに昨年優勝校である古沼高校の生徒会から校長に返還される。その後、生徒会役員の手によって本部テントの隅に置かれた専用のスタンドにおさめられた。

 激闘の末、夕刻に優勝旗を授けられるのはウチか、それとも古沼高だろうか。

 ところで僕は、といえば、校舎の屋上からグラウンド全体を視界におさめ、五百ミリというごっつい望遠ズームレンズで指揮台に入れ替わり立ち替わり立つ関係者の撮影に忙しかった。


『四持、開会式が終わったら、次はゴールライン前で待機ね、よろし?』


 タイムキーパーを務める書記の二年生から無線が入る。


『四持です。了解しました』


 短く答えてトランシーバーを腰のポーチに戻し、ずっと前屈みの姿勢でこわばった背中ををうーんと伸ばす。

 そのまま屈伸運動ついでにグラウンドを何となく俯瞰するが、二千名という生徒数はさすがに壮観で、いつもはだだっ広く感じるグラウンドも今日ばかりはかなり、いや相当に狭く感じた。


「ん? あれ、延田か?」


 気付くと、スカイブルーのクラスTシャツを着て、本部テントの近くでクラス旗を持って右往左往している明るい髪色の少女がいた。あのTシャツは僕らのクラスで、彼女はクラス旗の旗手を務めた延田だ。

 確か、クラス旗は開会式の後一度どこかに集められ、まとめて撮影してからそれぞれの応援席に戻される手はずだったはずだ。

 もしかしたらよく知らないのかも知れない。

 僕は階段を降りながらお尻のポケットから撮影要項を取り出し、延田のスマホにLAIMでメッセージを送る。


『クラス旗は本部テントじゃなくて体育館前に集めるらしいぞ』


 すぐに既読が付き、〝かたじけない〟の吹き出し付きで侍が頭を下げている妙なスタンプが戻ってきた。おまけに、『どこから見てるのよ、のび太さんのエッチ!』ときた。

 こっちは親切のつもりなのに、まったく何てヤツだ。

 昇降口にたどり着いたところでどう返してやろうかとスマホを睨みつけていると、運の悪いことに会長が通りかかる。


「四持、何をやっている? 最初の競技、すぐに始まるぞ!!」

「はいっ!」


 このタイミングで二千名の生徒全員が一斉にそれぞれの応援席に戻り、競技者がそれぞれの集合場所に集まるのだ。誘導員が足りていない。役員も本部テントでのんびり椅子を暖めているヒマはないというわけだ。

 僕は見るからにいらついている会長にこれ以上叱られないうち、逃げるようにゴール前に走った。

 どうやら、今日は一日中この慌ただしさが続くらしい。

 下僕はつらい。憂うつだ。


◆◆


 最初の競技を終えると、カメラマンも交代で休憩を取ることになった。まだまだ体育祭は始まったばかりだが、今日は快晴、しかも長丁場だ。休める時に休んでないと最後まで体力が続かない。


「お疲れ様、どうぞ」


 平沼高の写真部員が僕に氷の浮かんだ紙コップを差し出してきた。確か、マネージャーの……名前は何だったか。

 明るい栗色のショートカット。そして柴犬のような黒目がちな丸い瞳が印象的なボーイッシュな子で、どことなく猫っぽい比楽坂先輩とはまた別系統の美人だ。


「岩崎です。改めて今日はよろしく」

「あ、四持よもつ太陽です」

「太陽君ね。ねえ、四持って名字、珍しくない?」


 いきなりの名前呼びに少し驚く。どうやらだいぶ人なつっこい性格らしい。


「どうですかね。確かに同じ姓の人に出会ったことはありませんが」


 古沼の写真部は大所帯で、機材の管理や撮影に付随するもろもろの調整業務が彼女の役目らしい。


「太陽君はさ、どうして古沼ウチに来なかったの? 写真部ならこの辺じゃウチが一番有名だと思うんだけど……」

「そうですね……」


 古沼高の写真部がいろんなコンクールで賞を取りまくっていることは有名だ。だが同時に、体育系写真部と噂されていることも知っている。文化系なのにマネージャーがいるあたり、何だかお察しという感じだ。

 僕自身はそこまでコンクール受賞に興味はない。もう少しのんびりと、自分の感性任せに写真を撮りたいと思ってウチを選んだ。まさか入部しようと思った矢先に廃部になるなんてその時は思いも寄らなかったのだ。

 あげく、自業自得とはいえ生徒会の下僕にまで成り下がるなんて。


「でも、緑陵には写真部ないんでしょ?」

「ええ、入る直前に廃部になっちゃって……」

「なるほど。だから今は生徒会のお手伝いをして復活を狙っていると?」

「……」


 どうやらこの人、頭も相当切れるらしい。僕の浅はかな思いつきを一発で見抜いた。

 僕が二の句を告げられずに戸惑っていると、本部テントの方が何だか騒がしくなってきた。


「あれ、何だろうね?」


 腰を浮かす岩崎さんに合わせて僕も立ち上がる。そろそろ次のシフトに入らなくちゃいけない。これ以上のんびりしていたらまた会長にどやされそうだ。


「ね、ちょっと行ってみよう!」


 だが、岩崎さんは構わず僕の腕を引いた。好奇心の強さももまた人並み以上らしい。

 僕は彼女に引きずられるように本部テントに向かい、その場の全員が取り囲んでいる物を見て目を丸くした。


「あれ? 優勝旗は?」


 そこに優勝旗はなく、たった一枚のペナントだけが残された旗竿だけが、ぽつんとスタンドに残されていた。

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