第4話 獅子の夢

 マイアミ国際空港を出た俺達はホテルに戻るため歩いて行く。道行く道路では徐々に人が多くなりつつあるようだ。空港で飛行機の離陸を待っていた人達が事態に気付いて俺達と同じように出てきているということか。

「──今のうちにやっておくか。お前ら、所持金は最低限だ。20ドル紙幣5枚を残してあとは全部俺に預けろ。ここら辺は特に治安が悪そうだからな。今後もそういう場所を通る可能性もあるし、先に準備しておくぞ」

 人混みへの周辺警戒をしながらマイクが俺達に命令する。

「了解だ。そこの木陰で良いか?」

「おう、手早くな」

 人の流れが切れるタイミングを見計らって、そそくさと皆で移動する。

 二泊三日の旅の最中慣れないチップ文化で多めに渡すこともあってかなり少なくはなったが、最初に米軍から渡された金額がかなりデカかったので財布の中にはまだ大金が残っている。戦時下であろうと、貨幣は強力な武器だという事を実感できた。だからこそ、その武器を適切に配分するという作戦でもあるのだ。

 言われた通りに20ドルを紙幣の束から選り分けながら、マイクにどんどん渡していく。

「ねえ、残りの5枚はどこに隠せば良いのかしら?」

「そうだな。靴の中敷きに挟んだり服の中ってのが定番だぜ。つっても、プリンセス達は大丈夫さ。子供キッズは身長が小さいからスるのが難しいし、動きも読めないし変に見抜いて来るから敬遠するだろうよ。だから普通に財布の中でも良いぞ」

 マイクの解説になるほどなと思いつつ、二十歳近い自分の事も聞いてみる。

「じゃあ俺はどうするんだ。四人の中で一番狙われやすくないか? 外国人アジアンでもあるしさ」

 そう懸念する俺だが、マイクはガハハハッと笑う。

「シンドウも妙な威圧感があるから無理だ。目ざとい奴からすりゃ軍人感が漏れてるのがわかるから一発だぜ。まあ、不安なら小さく折り畳んで拳銃の中にでも入れときな」

「わかった。そうするよ」

 屋外じゃ完全分解は出来ないので銃身のスライドを外してその中に一枚だけ忍ばせておく。

 あのゾディアック・スコーピオンにも撃ったSFP9拳銃。あの時は瀕死の身体を動かすために撃ち尽くした後は投げ捨ててしまったが、その後友軍に回収されて手元に帰って来たのだ。

 粗末な扱い方をしてしまったのを詫びて、丹念にメンテナンスを行い再度俺の専用装備となった訳である。戦闘中、最後の砦である拳銃は使い慣れているやつの方が絶対良いからな。

 ただ、残念なことが一つある。マイリンゲン空軍基地でアスムリンから貰ったあの特殊小銃だが、やはり壊れてしまっていた。凱旋門崩落の時に瓦礫に潰されてしまったのだ。修理で直るレベルを超えていたので、止む無く廃棄処分となった。あまり使うことが出来ずに壊れてしまったので申し訳ない。

 辺りに散らばっていた抗魔小銃弾と、小銃本体の残骸は回収されたが情報流出阻止のため破棄する必要があった。最終使用者として立ち会うことが出来たものの、専用の薬品で少しずつ溶けて壊されていく様子を見るのはかなり辛いものではあった。武器であっても、大きな仕事を果たせずに散って行く様は悲しい。今度は大切に使うことにしようとあの時決めたのを拳銃を分解していて思い出す。

 アーリントン国立墓地に入る時などのセキュリティチェックでは、金属センサーに反応して騒ぎになる前に特佐の階級手帳──パッと見で軍人関係者だとわかるものを提示して何とか拳銃装備を死守したのも今や懐かしい。この拳銃は、何度も命を救ってくれた唯一無二の相棒なのだ。

 今回も、お金を隠すという大事な任務を任せるぞと心で呟いて、最後のパーツを元に戻す。

 動作に干渉しない場所に差し込んだので発砲に問題は無いだろう。頼むぞ、相棒。


 大金を狙っている輩にバレないよう警戒しながら甲斐もあったのか、何事もなくホテルに到着した俺達は部屋の確保を行うことにした。ここマイアミで戦闘が始まるかもしれない以上、ホテル全体が貸切だから四人四部屋で豪勢に、などと言った安易な部屋割りは許されない。万が一、こちらの居場所が漏れていた場合、襲撃される可能性だってある。

「さて、部屋割りだがどうするよ。ここはひとつ、我らがリーダーであるレナ様に意見をお聞かせいただこうか」

「そうねえ。人数とメンバー振り分けはともかく、部屋数は2部屋が適当かしら。3部屋以上だと1部屋だけ襲撃された時に他のどの部屋に集まれば良いのかの判断が難しくなるわ。部屋を増やせばその分同時攻撃のリスクも減るけれど、人数も減ってしまう。隣同士の部屋は分ける意味が無くなっちゃうから遠い位置関係にする必要があるわ。即時の連携が難しいことも留意する必要があるわね」

「うん、俺も2部屋が良いと思う。それで、一番離れた部屋同士にしよう。と言っても、そこまでホテル自体も大きくは無いけどな」

「私も賛成です。あんまり離れすぎても集まるのが大変ですからね。そういう意味でも、ここは拠点として優れていると思います」

 三人の考えを聞いたマイクも頷く。

「よし、良いだろう。部屋は2つだ。問題はメンバー分けだな。これ次第で人数も変わるぞ」

「うーん、俺としては男女ペアが魔導防壁持ちを均等に分けられるから良いと思うんだが、レナとアリサが嫌に思うかもしれない。その点はどうだ?」

「別に、今更問題ないわよ。車も建物中に置けるからってモーテル取ったのに設備が酷すぎて結局全員車中泊になった昨日の事件で男性と一緒に寝ることに慣れたわ」

「私も大丈夫ですよ。一人になるよりは皆で一緒に居る方が安心です」

「そうか。ならそれにするか?」

 マイクに確認を取るも、手で静止される。

「──いや、俺が一人で別の部屋にしよう。お前ら三人で一部屋に泊まるんだ」

「なんでだよ。それじゃ危険じゃないか」

「良いんだ。どっちみち、戦闘になった時にはプリンセス達が魔力で戦うことになる。その場合、俺が足手まといになるのは確実だ。それよりかは、俺一人が別行動で避難する方が好都合だぜ」

 マイクの考えは、わからなくもない。俺は魔力耐性があるから戦闘状態のフィーラと共に行動できるが、マイクは急性魔力中毒で満足に動けなくなるかもしれない。だが、やはり危険に思える。

「レナさんはどう思いますか」

 アリサがレナに聞く。冷静な視点で物事を見定められるレナの意見次第だ。

「……そうしましょう。救援に行って魔力を巻き散らせばそれでマイクを殺してしまうかもしれないわ。マイクには別で離脱して貰う方が良いわよ。襲撃されれば即、戦闘状態に移行するのだから最初から戦闘チームに分かれた方が良いわ。アスクと男性同士ペアでも良いけれど、二人で逃げるのはそれだけリスクも増えるし、一人分なら戦闘になってもカバーできるからアスクはこっちで預かるわ。アリサ、任せるわよ」

「はい、レナさん。わかりました」

 フィーラ二人でそれぞれの役割を確認し合う。マイクもそれに続く。

「おう、頼むぞお前ら。シンドウも、これで良いな?」

 ……レナとマイク、二人の意見を遮ってまで反抗できるほどの考えは俺には思いつかない。マイクの事は心配だが、何とか逃げてくれると信じるしかないな。

「……ああ、わかった」

 蘇るは卒業訓練の記憶。彼らを置き去りにして一人逃げ出した光景。人数差は逆なものの、作戦のため仕方ないから仲間と離れる恐怖は、今も耐えがたい。だが、合理的な判断なのは──確かだ。

 心の奥の苦みを味わいながら、何とか言葉を絞り出したのだった。


 少し気まずくなった空気を変える目的で、遅くなってしまった昼食を済ませることとなった。

 食事はルームサービスで部屋に持ってきて貰うことにした。小さめの高級ホテルなので元から食堂は無かったが、俺達にとっては都合が良い。アスムリン関係者が使うホテルとはいえ、従業員は一般人でしかない。あまり人目にはつきたくないからな。

 既に空港の混乱は相当なものとなっており、地元の周波数しか入らないテレビでも戸惑う民衆の様子が映し出されている。早めに拠点に戻っておいて正解だった。

 マイクの部屋として用意された部屋はかなり広い。まさしく高級ホテルの内装そのもので家具も立派なものばかりだ。

 部屋の中央に鎮座した大きなダイニングテーブルを四人で囲んで、用意された食事をどんどん食べ進めていく。いくら高級ホテルといっても戦時下なので豪華絢爛なメニューという訳ではない。だが、料理人の確かな腕が質素な食材を素晴らしいものに変えてくれている。

 スペイン料理の文化があるキューバや、メキシコに近い地理なのもあってそういう料理が多い。この点は日本を意識しているから和食という安直な発想ではなく、逆に日本からやって来た観光客相手に地元の料理を提供しているということだろう。事実、俺もその一人のようなものなので嬉しかった。

 今回いただいた料理はコース料理の簡易版といった感じだったが、どれもとても美味しかった。白身魚を丁寧にソテーして柑橘類を添えた料理や、ロブスターの姿焼きなどの魚料理を始め、煮込んだ牛肉をほぐしてターメリックライスと一緒に食べる料理など多種多様な料理で新鮮だった。食後のデザートとして出されたドラゴンフルーツも初めて食べたがこれも美味かった。


 食事を終えて、午後のゆったりとした空気が流れる。そこで、今直面している事態の情報について色々と話すぞ、とマイクが言ってきた。話そうと思えば食事中にでも言えたはずだが、それを回避したということもあって少々厄介な話題なのだろう。だが情報共有は戦う上で必要だ。ここでは土地勘も無いのだし、意欲を持って学ぶことにしよう。

「──まず、『ナルコス』の話だな。飛行機から降りた時にも言ったが、あいつらは手を付けられない存在にまで膨れ上がった麻薬カルテルさ。構成人員数も大規模だが、一番厄介なのはその高い技術力だな」

「技術力か。具体的にどういう点が優れているんだ?」

「全体的に高水準だが、特にヤバいのは武力に関するものだな。違法組織ってのはどんなに合法組織に見せかけていても結局は暴力で戦い、支配することになる。鎮圧軍から抵抗するためにも必要だな。ナルコスは、軍隊顔負けの戦術・作戦・戦略で戦い続け、さらにそれらを達成するための兵器運用に力を入れているらしい。横流しされた既存の兵器を改良してアメリカ軍やメキシコ軍相手と互角以上に戦っているんだからそれはもう相当なもんなんだろう」

「兵器の改良ね……ある意味でマイクのライバルかしら」

 レナの評価にマイクが苦笑いで対応する。

「あ~そうだな。そうかもしれねえ。だが、ヤクの利権だけで成り上がったアウトローには根っこの所で情熱がねえんだ。そこが俺とナルコスの技術員の違いさ」

「そうですね。マイクさんはとても誠実な方です。先程も守ってくださってありがとうございます。勿論、アスクさんも」

「いや、俺は……。余計に酷くする所だった。あれで収まったのはマイクのおかげだ。そして、本当に申し訳ない、皆。彼らが最初に踏み込んだのはそうだが、俺も対応を間違えた。深く反省している」

 座ったままではあるが、頭を大きく下げる。戦う技能ばかりが重要ではないのだ。力ある者故の責任感と心構えが足りなかった。今の俺に足りない大きな課題だ。

「もういいわよ別に。それに、立ち向かう姿勢は立派だったわ」

「まったく、シンドウがあそこまで気合い入れてタイマン張るとは思ってなかったぜ。だがまあ、暴力で解決するのは簡単さ。一番の理想は言葉でことだぜ」

「どっちが先に論破ノックアウトされるかって話ね」

「おう。──だが、世間には何を言っても通じねえ奴らも居る。そいつらの信念が強すぎてこっちの話を聞かないのさ。これからぶつかるかもしれねえ奴らはそういうタイプの人間だぞ。説得は無意味だから重々承知しておけよお前ら」

 マイクのこの言葉は……躊躇しないで戦えということだ。レナやアリサも人と殺し合いになった経験は無いだろう。いざという時に迷わず戦う事こそが、自分だけでなく仲間を守ることに繋がることはわかっている。

 機内では焦りからか勢い余っての行動になってしまったが、今後は冷静に戦うことを意識しよう。彼女達が危険な状態に陥ってしまったとしても……平静を保ってあらゆる手段を考えて対応するんだ。最悪の時は、引き金を引くことも手札として持っておくことも……。

「ナルコスに関しては俺も詳しくはわかってねえ。装備とか出張って来る人数とかな。だが、普通の軍隊と変わらないつもりで戦えば十分だ。下手に対ゲリラの想定で行くよりも正規軍の方が性質としては近いはずだからな」

「了解よ。でも本当に私達フィーラと戦うつもりなのかしらね。いくら反フィーラ過激派がナルコス組織内に居たり、利害一致で攻撃してきたりするにしても戦力の差は歴然だと思うけど」

「俺も同感だ。レナやアリサの実力を知らない訳ではあるまい。あのゾディアックと同等なんだぞ」

「それぐらいは奴らも考えているはずさ。同時に、こう考えている面もある。『魔獣やゾディアックと戦ってばかりだから、人間を相手にすることにビビッて戦えないだろう』ってな」

「あら、随分と甘く見ているのね。こっちだってやる時はやるわよ」

 毅然とした態度で脅威に立ち向かうレナ。しかし、アリサは少し自信が無さげだ。

「……私は、もしかしたら戦えないかもです。でも、フォートレスで守るぐらいは絶対にできますので皆さんの安全は保障しますよ……!」

 レナは心配いらないだろう。自分が危険ならすぐさま決断できるはずだ。

 一方で、アリサにはやはり懸念が残るか。防戦に関しては現在の世界で右に出る者は居ない。だが、時には攻勢に出なくては対処不可能な状況も出てくるかもしれない。そういう時に、俺やレナのサポートが無い時はどうすべきか……。難しい課題だ。

「……無理しなくて良いぞアリサ」

「そうだぞ嬢ちゃん。なーに、馬鹿正直に戦う必要はねえのさ。俺達の勝利目標は最終目的地のネバダ州にあるに辿り着くことだからな。──ああ、だから、もし俺が途中でくたばってもお前らだけで何とか辿り着けよ」

「縁起でもないこと言うなよマイク。あんたが力尽きる未来は見えないぜ。それこそ飲酒運転でもしない限りな」

「はっ、シンドウも言うようになったじゃねえか。そんなお前も明日から活躍できるぞ、もうちょい待ってろ」

「明日からって、何かの予言か? メカニックでオカルトに頼るなんてらしくない」

「ちげーよ。まあ、その時が来るまでのお楽しみさ。さあ、今日はもうやることはねえ。このままマジで飛べないってならロードトリップを再開してサウスボーダーを通り抜けなくちゃならんからな。夜襲にも気をつけなきゃならんし、それらに備えての体力温存だ。夕飯までグダグダして、食ったら寝るぞ。だからここらで解散だ。俺は野暮用があるから部屋ここに籠らせてもらうぜ」

「ああ、わかった。じゃあ俺達は部屋に行くか」

「ええ、そうね。また会いましょうマイク」

「何かお聞きしたいことがある時は伺いますね」

「おう、また夜に会おうぜ」

 マイクがこの部屋で何をするかは不明だが、語らなかった以上あまり言いたくないものなのだろう。何かの機密事項に触れる作業をするのかもしれないし、これが彼の仕事なのだろうから俺達は素早く退散するのであった。


 俺とレナとアリサの三人は用意された部屋に向かう。廊下には誰一人居ないし、通り過ぎていく部屋にも人の気配は無い。勿論、貸し切り状態だからだ。従業員の人達もあまり表には出てこない方が良いとして裏側バックヤードに下がって貰っている。また、俺達が襲撃されなくても街全体でナルコスの戦いに巻き込まれる可能性もあるので避難できる人はそうして貰っている。結果、このホテル内には俺達含めて十人弱の人員しか居ないのだ。これはこれで物悲しいなあと思いながらもマイクの部屋から遠く離れた部屋に辿り着く。

 扉を開けて部屋の中を確認する。内装自体はさほど変わらないが、少しサイズダウンした感じがする。だが、手狭という訳ではない。一人では流石に広すぎなので恐らく二人部屋ということだろう。だが大人一名と子供二名ならちょうど良いサイズ感の部屋だ。あまり広くても逆に落ち着かないし、俺はこれで満足だ。

「さて、グダグダするか。と言っても、どうしようか二人とも」

「そうねえ……アリサは何かある?」

「私は、特に希望は無いですよ」

「オーケー。じゃあもうお風呂入っちゃいましょうか。早めに済ませておきましょう。アスクからで良い?」

「ああ。じゃあ先に入らせて貰うよ」

「ごゆっくりなさってくださいね」

「ありがとうアリサ」

 レナの言う通り、いつ戦いになるかわからないからな。昨日は車中泊だったしお言葉に甘えて先に入らせてもらおう。烏の行水とまではいかないが、早めに上がるつもりだ。

 脱衣室すら豪華な内装で少し苦笑してしまう。着替えは持ってきているので、それを持ち込みつつ服を脱いでいく。少女達に対して扉一枚越しにこの格好はマズいのでさっさと浴室に入る。

 ある意味で想像通りの風呂場に良い意味でのため息が零れる。ナショナル空港のVIPルームにあったジェットバスも凄かったが、やはりホテル設備はレベルが違うな。

 自衛校時代から長風呂は控えるよう言われてきたのでそれが染みついているのだが、日本人のさがが目覚めたのかずっと入りたい欲求が出てくる。だが、俺ばかりが恩恵にあずかる訳にはいかない。レナとアリサの方がよっぽど大事なのだ。順番を譲られたのだから早く済ませよう。

 備え付けのシャンプーの匂いにもいちいち驚きつつ、サッと頭と身体を洗って湯船につかる。海外ではシャワーが基本で、高級ホテルでも一回入るごとにお湯を張り直すジャグジーだが、このホテルでは日本式ということもあってそのままのようだ。だが、清潔なお湯になるよう常に新しいお湯が上から流れ続ける仕組みだ。溢れた分はそのままなので勿体無く思ってしまうも、どこかで熱エネルギーの回収がされて建物の保温等に使われていると思うことにしよう。

 節約と真逆の贅沢を楽しみながら、今までの状況と考えを整理する。

 今回の目的はネバダ州のアスムリン研究所に辿り着くこと。本来の予定ではマイアミ国際空港から空路で西海岸のどこか──恐らくロサンゼルスかサンフランシスコ等の主要都市──に向かってからネバダ州に到着するはずだった。それが、ナルコスという麻薬カルテルの抗争が始まりかねないということで空路が封鎖。ここマイアミも戦火に巻き込まれる可能性がある。場合によっては無理矢理飛行機を離陸させて出発するつもりだが、そうすると情報を巻き散らすことになるのでナルコスや反フィーラ過激派との戦いは避けられない。だが陸路に変更となると相当に困難な旅になるだろう。東海岸は順調に二泊三日で到着できたが、ここから西海岸ともなると一カ月以上はかかるかもしれない。そうなればアメリカ軍に頼っての空路の方がよっぽど良いと思うのだが、軍内部に内通者が居る可能性が高いと思われるのであまり頼りたくはない。アスムリンの秘密兵器に頼るというのは最終手段であり、研究所まで辿り着けるだろうが派手な輸送になる以上戦闘は避けられないとの話だ。

 ──まったく、色々とこんがらがってややこしい事態だな……と思いつつもこれがフィーラの置かれている現状なのだと考える。いや、現状ではなく今までもずっとそうだったのだ。大変な立ち位置に置かれてもなお、彼女達は戦い続けたのだ。

 それが、人類への貢献であり──魔獣とは違うということを証明するためだと行動で示している。だが、戦争が好転しなければずっとこのまま酷い扱いを受け続ける。たとえ、戦争に勝ったとしても魔力の危険性が残るのであれば人類社会から隔離……排除されるかもしれない。

 そうなったときに、俺も同じか近い運命は辿る可能性はある。レベル5魔力耐性なんてもの何故俺が持っているのかはわからないがそれが事実であり現実だ。受け入れるしかない。だが、彼女達が幸福でない世界は受け入れないぞ。

 俺は俺の為すべきことをするだけなのだ。それが、彼女達の幸福に繋がると信じるのだった。


 考え事をしていたら想定以上に長くなってしまったので慌ててタオルで水気を拭きながら自分で用意していた服装に着替える。勿論、リラックスできる部屋着ではない。いつでも外に出れて激しく動く時も問題にならない程度の普通の服だ。防弾ジャケットは向こうの部屋に置きっぱなしなので早く手元に置いておこう。

 ハンドタオルで頭を拭きながら脱衣室を出る。レナとアリサは少し離れた場所に居て、持ち込んだ荷物の整理をしているようだ。作業を任せてしまって申し訳ないな。

「上がったぞレナ、アリサ。後は俺がやっておくよ。任せて悪いな」

「今終わったところよ。一応、確認だけしてもらえるかしら?」

「そうか。ありがとう二人とも。確認しておこう。二人もすぐ次入るか?」

「ええ。行きましょうアリサ」

「はい、レナさん」

「──アスク、私達は髪洗ったりで多分長くなっちゃうから適当にくつろいでいてね。久しぶりのお風呂だし、今後チャンスも無さそうだから一時間以上入っちゃうかも。何ならマイクの所でも行ってて良いわよ」

「ああ、わかった。ごゆっくりどうぞ」

 女の子だからか、流石にこのレベルの風呂に入るのは楽しみなようだ。機嫌良く、二人して脱衣室に入っていく。あの広さであれば子供二人ぐらいなら大丈夫だろう。俺から言う事は何もない。

 ある程度拭いたタオルを置いて、ベッドの上に展開されている荷物の確認を始める。だが、わかりやすく並べていてくれたので一見して終わりだ。これで俺の仕事は無くなってしまった。

 さて、何をして待っていようか……と部屋の中を見渡す。

 そして、憂慮すべき事態に気付いてしまった。

「……あー……これはマズいな」

 思わず声に出てしまったが、それぐらい大変な事態だ。

 何がマズイかと言うと、この部屋はベッドが二つしかない。

 じゃあ俺はソファかどこかで寝るよ、とか言うとあの二人は絶対遠慮してしまうだろう。辿る道は配慮の押し付け合いになりかねない。そうなると、どちらかと一緒のベッドで……? 何を考えているんだ俺よ。

 いや別に俺とのペアを作る必要は無い。心苦しいが、レナとアリサのガールズペアで寝て貰う方が二人分での体積の占有率が一番小さくなる。……いや、やはりそれは申し訳ないな。俺だけ快適に一人で寝るのはダメだ。

 そもそも二人で寝れるサイズなのかと思って再度確認するも幸か不幸かダブルサイズだ。たとえ俺とのペアでも余裕でいける。

 クソッ、部屋を変えるべきか……? だがここが位置的に一番外部からの攻撃を受けにくい場所としてホテルの人と相談して決めたのだ。これを変えるとなると戦闘面で不利になってしまう。その点は問題解決出来たが、ベッドが二つしかないってのは見落としていたな……ホテルの人も俺達が戦闘、戦闘と連呼していたからそっちに気を取られてしまったのかもしれない。もしくは、どちらか二人で一緒に寝るんだろうと考えてしまったのか。

 どちらにせよ、レナとアリサに不快な思いをさせたくはない。

 …………案外、二人とも優しいし俺と一緒に寝ることを受け入れてくれるかもしれないが俺の方が俺自身を許せない。何か打開策を見つける必要があるぞ。

 とりあえず部屋を出て考えよう。ホテルの人にも相談すれば何か解決策があるかもしれないし、別に何かアイデアが転がってるかもしれない。

 尤も、今一番回避すべきはエタンプでのレナとの出会い頭の事故の再現だ。扉で隔たりがあるとはいえ、同じ空間に居ることが一番危険である。セキュリティ的には高級ホテルということで万全なので男の俺が居ても居なくても関係ないし、他のお客さんも居ないからな。彼女達に精神的ダメージを与える可能性が一番あるのは俺だ。だから退散しよう。

 そう現実逃避するための言い訳を考えながら俺は部屋を後にした。


 緊急事態の援軍要請としてまずどこに行くべきか。最終的な答えはホテルの従業員に相談することだろう。だが、まずこちら側の人間と相談しようか。

 迷惑で申し訳ないが、頼れる先輩は一人だけ。角が多い長い廊下を歩いて到着した部屋の扉をノックする。

誰だWho?」

俺だI'm Shindo

「おう、入っていいぞ」

 扉越しでも良く通る声で滞在主マイクからの許可が出たので渡されていたカードキーで部屋に入る。

 やはりこちらの方が広いな……と思いながら中を見渡すもマイクが見当たらない。

 俺達の部屋とは違い、この部屋は日本様式ということで普通のホテルのような開け放たれた連続空間ではなく、いくつかの小部屋に扉がついていて空間的に断絶されている日本人の心理パーソナルスペースを考えられた普通のマンションかアパートのような感じだ。

 そして、その内の一つの部屋──玄関近くの部屋の扉が閉まっている。先程食事をしていた奥の大広間には居なさそうだし、この部屋で何かしているようだな。

「開けるぞ?」

「おう」

 再度許可を貰って扉を慎重に開ける。

 そこには驚きの光景が広がっていた。

「これは……一体何なんだ」

 部屋の電気を消して、遮光カーテンで完全に締め切って隙間も漏れなく塞いだ暗黒の部屋と化した空間に、何本かのレーザー光線が複雑に絡み合っている。その中央で、光るゴーグルと手袋を装着したマイクらしき人影が忙しなく動き回っているのだ。ゴーグルも目元を完全に覆う程かなり大きいものだし、緑色の明かりがあることからイメージとしては溶接現場に近いかもしれない。

「これ見て何かわかる奴はアスムリン関係者か、スパイだろうな」

 そう笑い飛ばしながら一切の身体の動きを止めずに何かの作業を続けていく。

「……何か……作っているのか……?」

 自衛校時代の武器科コースのメカニックと似た雰囲気からそう答えてみる。

「へえ、よくお分かりで。実はスパイだったのかお前?」

「何となく思っただけだよ。それにスパイならわざわざばらすようなことを言わんだろうし、それを見越しての『素人のフリビギナーフェイク』をやるほど優秀な人間じゃないってのはマイクもわかってるだろ」

「本気になるなよちょっとした冗談ジョークさ。コレをしていると苦ではないが人恋しくなるからな。すまんすまん」

「いや、俺も気が立っていた。──それで、これは何なんだ? さっき言っていた野暮用ってやつなのはわかるが」

「文字通り作っているのさ。これが本当の3DCADだぜ」

 そう言ってグローブの手の甲にあるボタンを押すとある意味で幻想的な光景が広がった。

「これは……なんだ、鎧か?」

 そう形容できるぐらいにはそうとしか言えない、全身甲冑のようなものが空間に鎮座していた。もう少しコミカルな雰囲気だったら落ち武者の幽霊のようにも思えただろうが、顔面がロボットマスクのように無骨な平面となっており、どことなく西洋鎧の方が近いので何とも言い難いデザインの全身鎧だろう。個人的にはカッコイイとは思う。機動する人型戦士モービルスーツのアニメが好きだった同期の小林が目にすれば感涙するかもしれない。

「そうだ。これは強化外骨格パワードスーツだな。詳細は言えないが、アスムリン製なのはまあ何となくわかるだろう」

「どうもそうっぽいな。これを……イチから作っているのか?」

「俺はそこまで設計に関われるレベルじゃねえよ。最後の最後、最終調整段階の一つを任せてもらっているのさ。予め余裕がある設計サイズのいじれる箇所を調整している最中だ」

 グローブを付けた手を開けたり閉じたりの操作すると、パワードスーツも同様にズームしたり遠く離れたりと呼応するようにレーザー光線が絶え間なく動く。

「本来はPCのソフトの中でこういう設計はするんだが、アスムリンは金に物を言わせて実際にサイズ感がわかるようこんなレーザーで設計図を投影しているのさ。光線照射装置を持ってくるのが面倒だけどな。まあこうやって空間的に作業するとなるとゴーグルに搭載した『ナノコンピュータ』の補助としてレーザー光線の目安があった方が楽らしいぜ。パッと見ての全体確認も出来るからな。つっても実証段階でデータ取ってるだけだからこうやって作業している奴は俺以外に数名って程度だ。まったく、押し付けやがってよ上層部の野郎」

 文句を言いながらも語る顔は笑顔のそれだ。数名の中に選ばれているのもあって、適性があるんだろうし上層部からも認められているのだろう。新技術を扱うことも一つの楽しめる要素なのかもしれない。

 俺は素人なのでマイクの説明でも理解が追いつかないが、凄い技術なのはわかる。どういう仕組みで直線光線の集合体をこうも詳細にカーブ等の複雑な曲線を描くことが出来るのだろうか……。

 最初は面食らった光景だが、段々と何かのアート作品を見ているような気分になる。だが、これは趣味の芸術作品ではなくマイクの重要な仕事だ。かなり集中する作業だろうし早めに話を済まそう。

「作業中に悪いな。ちょっと相談したいことがあるんだ」

 そう俺が言うと、マイクは露出した口元でニッと嗤ってレーザー光線を消す。パチン、と指を鳴らすと途端に部屋の照明がつく。

「まあそんなことだろうと思ったぜ。どっちのプリンセスとって話だろ?」

 グローブとゴーグルを外しながら嫌味な言い方で軽口を放つマイク。クソッ、最初からわかってたのか。

「そんな下品な言い方をするな。彼女達はまだ子供だぞあり得ん。──だが、その話だ」

「何だよ、何にも思ってないなら一緒にお眠りしたって良いじゃねえか。意識してるからビビってんだろ?」

 こちらの心の奥底を見透かされたようで、不愉快な気持ちになるよりも先行してその感情があるかもしれないことに気付いて自分でも驚愕する。だが、それをグッと飲み込んで代わりに脳から降りて来た考え言い訳で弁明する。

「そういうのじゃない。兄妹きょうだいでもあるまいし、いくら仲間とは言え一般常識で考えてダメだろそれは」

「だが、お前一人で占領して寝るっていうのも嫌なんだろ? だったらどっちかとしかねえじゃねえか」

 ──やけにこの解決法ルートでゴリ押してくるじゃないか。

 マイクの話しぶりからして、何か別の目的があるんじゃないかと推理する。

「……マイク、お前…………いや、わかったぞ。アリサか」

「やっとわかったか。俺がワシントンで言ったこと思い出したか? シンドウとアリサ嬢ちゃん、お前らは今後一緒に居る様にしろってな。なのにお前らたいしてくっ付いていなかったじゃないか。それが気に喰わねえからお膳立てセッティングしてやったんだよ」

 マイクの考えがわかったことで一つ安心するも、話は続く。

「意識はしていたぞ。ちゃんとアリサの動きを見ていた。だが、昨日までの二泊三日で特に危険な状況にはならなかったし、少しでも危なそうな場所だったらレナもマイクも四人で一緒に互いをカバーしていたじゃないか。下手にあれ以上俺とアリサで意識して行動したら警戒の連携が崩れかねんかった」

「まあな、お前は正しい。だがなァ……」

 奥にあった椅子に逆向きで腰かけて、背もたれに顎を載せる。急に歯切れが悪くなった。何か言いにくいことに続くのか。

「なんだよ」

「シンドウ、そしてアリサ嬢ちゃん。レナ嬢もそうだが、お前らは遠慮がちなのさ。消極的じゃあなく、他人への配慮が大きいんだよ」

「……俺とアリサはそうかもしれないがレナは違うだろ。レナはかなり自分の信念があるだろ」

「アリサ嬢ちゃんは自分からレナ嬢の『従者フォロワー』として、ボディーガードとして付き合ってきたからそれはそう言動で出ているのは承知している。だが、シンドウにはそこまで我を出していないんじゃないか?」

 マイクからの指摘に、そんなことは無いだろうと思い返すも…………どうだろうか、微妙な所だ。

「俺は……わからないな。傍から見ればそうなのか?」

「いや、何とも言えないがアンサーだ。お前らの行動レポートでもそういう分析結果になっている。まァ、まだ付き合って数か月なんだし少女と思春期を脱したか微妙の青年のセットなんだから不思議じゃねえさ。問題なのは、アリサ嬢ちゃんの方だよ」

 レポート……クロイツさんも持っていたあれか。彼も俺達と別れる時最後に言っていたがそんなにアリサが皆気になるのか。ずっと見ている俺からすればフランスに居た時と同じく何も変わっていない……ただの優しい少女にしか思えないのだが。

「クロイツさんは認められたって言ってたぞ。何がダメなんだ」

「OKサインを出した後もテストだぜ。言われて以降の僅かな身じろぎや微細な脈拍の変化からも精神分析している。追加レポートアディショナルで、懸念点が明確になった。……いや、なっちまったと言うべきか。──とにかく、お前にも言ってやるよ。アリサ・エルゼンは、何らかのになっている。だがそれを隠している。数年前から、ずっと──」

 マイクのカミングアウトに動揺を隠せない。あのアリサが、心の中では辛い気持ちになっているってのか。それも数年単位でだと!?

「なんでそれを早く言わなかったんだよ、おい。何がストレスなんだ。戦うことなら今すぐ普通の生活をさせてやれないのかよ!」

 ここで彼に言っても何も意味が無い、ただの八つ当たりじゃないかと冷静な思考が頭に差し込んでくるも、それでも怒りは止まらない。正反対に、マイクの方は俺の怒声にじっと落ち着いている。だが、その目つきは俺と同様に堪えて居るように思える。

「……わかっただろ。アスムリンは、ブラックだって。……悪かったなぁ、三人部屋スリーベッドにしてやれなくて。だが、これはアリサをなのさ。人間ってのは、寝る時に色々と考えちまう奴も居るだろ? そういう時に自分以外の信頼できる人肌があればリラックスできると俺は思う。だから、今回はお前に任せたんだ」

 マイクの本音に、流石に反論は出来ない。それならそうと言ってくれれば良かったのだが……自分で気付いて欲しかったのか。

 だが、アリサがそこまで深刻なストレス状態になっていたのはわからなかった。俺が鈍感だった……のとアリサが隠すのが上手かった……が、とにかく、気付けなかった俺が悪い。もっと注意深く見て考察するべきだった。深く、深く反省する。

 そして、そういう分析結果が出ているのにそのままネバダの研究所に呼び出して、さらにゾディアック・アリエス討伐作戦に参加させようとしているアスムリンには大きく怒りを込める。元々、子供フィーラを戦わせていた組織だ。特殊兵器の他に、フィーラのことも研究しているのだとレナ達にあってから今までの話で感づいていたが、やはり非人道的な行為もずっと行ってきたのだろう。

 子供ではなく成人男性なら良いのか、って話じゃない。フィーラをモルモットのようにしか見ていないような思想が間接的な話からも透けて見えるのが酷く不愉快なのだ。

 ──だが、これはただの推測だ。頭の中の考えだ。実態を見ないことには最終判断が出来ない。

 現地に行ってアスムリンがどういう組織なのかってのをしっかり見る。その上で、判断する。俺が具体的にに移せるかは別として、一つ考えの軸は定めるんだ。

 ──全部で十二人居るフィーラ。まだその内の三人にしか会っていない。

 彼女達は人間なのだ。ゾディアックの能力を持つと言えど、その精神性は普通の人間──まだ9歳の子供だ。同年代の一般の少女よりも比較的大人びているのは確かだが、それはそう成長しないとやっていけない環境下だったからなのは容易に想像つく。つまり、歪んだ生き方の人生を歩んできてしまっているのだ……。

 その子達を守るために、俺は、戦う。

 何度意識したかわからない誓いだが、今漸く実感できた。現在進行形で苦しんでいるとわかれば今までの本気をさらに超えて行動しなくてはならなくなった。

「──よくわかったよマイク。俺も悪かった。ここに来た時も、さっきも、声を荒げてしまって申し訳ない。だが、一緒に寝る提案に関してはアリサは一人の方が良いと思う。昨日、車中泊で寝顔の様子を見ていたが、身体に包んだ柔らかい毛布の感触で安らいでいた……と俺は思うんだ。寝相で、毛布を手にギュッと持って顔に擦り付けていた時もあったからな……。だから、人肌の温もりよりも、手触りの良い高級毛布やシーツの方が快適に寝やすいはずだ。多分、アリサはそういうタイプなんじゃないかな。──俺も同じように昔、親に言われてたから、さ」

 俺の考察を静かに聞いていたマイクが──頷いた。

「そうか。シンドウがそう判断するなら俺は異論はない。……じゃあレナ嬢とペアだな?」

 そして、真剣な顔を変えて卑しく嗤う。結局そっちの話に戻るか。

「いや、実を言うとだな。今も、俺は一人で寝る方が心地良いんだ。ただの我儘だけど、な。だから何か第三のベッドの案は無いか?」

 子供染みていて恥ずかしかったがついに公開した俺のカミングアウトに、しょうがねえなあとマイクがついに降参する。

「わかったわかった。なら、ホテルの人に言えば解決すると思うぜ。多分、簡易ベッドの一つや二つ出てくるだろうよ」

 ──勿論、俺の寝入り癖を認めてくれた訳じゃない。恐らく、俺がアリサへの意識を改めて考えるようになれば解決策を提示するつもりだったんだ。結局、マイクの次に伺おうと思っていたホテルの人頼りになってしまったが、実際に予備があるのだろう。それならそれで良い。

「了解だ。聞いてみるよ。作業中に押しかけてしまって悪かったな。失礼するよ」

 そう言って部屋を後にしようとする。が、マイクが手で静止する。

「あー待て。まだ話がある」

 そう話す顔はシリアスに戻っている。まだ何かあるのか。

「話って、レナとアリサの話は済んだんじゃないのか」

「お前のことだよ、シンドウ」

 重く放たれた言葉がグッと刺さる。思い当たるフシがあるからだ。自衛校時代にアキラに付き合わされていた『ヤンチャ』を教官に叱られる時を思い出して腹の奥に冷えた感触がじんわりと広がって、消えていく。

「……わかっては、いるさ。機内での事件だろ」

「そうだ。お前、衛生兵の勉強してたんだろう。それなのに、あの眼は人をマジで殺しかねない眼だった。正当防衛とはいえ、人間にとって禁忌の一つだぜ」

 ……自分でも、今まで積み重ねてきた自分という信念を壊してしまう程の事件だったのは重々承知している。思い返せば、日本で護衛艦くらまに乗る時に考えていたことと矛盾する話だ。

 だけど……

「……本当に、わからないんだ。俺も、自分がやろうとしたことなのに今になって受け入れがたい。なんで、あそこまで過激になっちまったんだって……」

 言わば『親フィーラ過激派』だ。結局、戦いを引き起こすのであれば俺は彼女達の前から消え去るべきなのか。先の誓いから一転して、ここまで考えないようにしてきた俺の問題に直面する。

「──俺から一つ言っておくぜシンドウ。お前がもし誰かを手にかけるんなら、その理由はわかる。自分以外の誰かを助ける時さ。誰かがヤバい時に、すぐさま引き金を引ける決断力があるんだよ。それは、戦う者としては適性があると言えるかもしれないが、時にはお前自信を苦しめることもあるだろうさ。そして、お前が助けた、救ったはずの奴も傷つけるかもしれねえ。そうならないようにする方法がある」

 マイクからの金言を聞き逃さないように直立不動の体勢を取る。

「──教えてくれ」

 マイクはじっと俺の両目を見ながら、静かに語った。

「──何か、自分自身を助ける方法や考え方を持っておくことだな。自分を救えない奴が、他人を救える訳がねえ。勿論、その自分への救いが助けようとしている人のためだ、っていうのもアリだろうよ。とにかく、そういうのを見つけることだな。それまでは、あの時のような『殺すか、死ぬか』なんて考え方は封印だ。嬢ちゃん達の教育にも悪すぎるぜ」

「……わかった。マイク、あの時、俺を止めてくれて本当にありがとう」

「おう。理由があるから殺して良いなんて俺は間違ってると思うぜ。に何も感じない奴はそれはそれで才能なんだろうが、お前は違う。一人でも殺ったら、後々になって自分のことも殺すタイプだ」

 ──確かに責任感は強い方だと自覚している。それで悩んでその後のパフォーマンスを落とすぐらいなら、今後は何が何でも別の方法であのような緊迫した事態を解決しなくちゃな。

「心に刻んでおくよ。……マイクは何か、そういう考え方に精通しているのか……?」

 メカニック専攻にしては心理学のような範囲の考えを持っていることもあって少し気になる所だ。人生の先輩として、聞いておきたい。

「──全部、学生時代の師匠の受け売りだ。……まァ、俺も今のお前と同じぐらいに波乱万丈の青年時代だったのさ。程度の差はあれ、今の時代に生きている奴らは大体同じだろうがな」

「まったくだ。そんな世界、さっさと救ってしまおう」

「ちげえねえ。任せたぜ、英雄様ヒーロー

 最後は共に、この理不尽な世界を笑い飛ばして拳を突き合わせるのだった。


 その後、受付に行って従業員に相談したところ、奥の倉庫から布団セットを持ち出して来てくれた。日本様式の一つということで布団の文化を検討していたオーナーが残していったものらしい。一応の緊急時兼予備としてベッドに頼らない寝具を確保していたようだ。追加で薄いマットレスも貰ったので、これなら床でも寝れるようになれる。普通のホテルならあまり床で寝たくないが、ここは高級ホテルだ。それに、土足厳禁である。俺達の部屋にも、大型テレビの前にある清潔な毛布のカーペットが展開されている部分があったので、そこなら広さも清潔さも問題ないだろう。何とか、一件落着だ。

 真空パック詰めとはいえ、毛布や掛け布団等全てセットになっているのでかなり大きいし重い。それも二つ分だ。フカフカの布団なのだからどう詰めても一つに収まりきらないから仕方ない。鍛えられている俺でも片手でギリギリ持てるぐらいだ。もう片方の手には別の部屋から従業員が取って来た枕もあるので両手に荷物を抱えての移動はちょっとキツイ。だが、これも俺の我儘を解決するためだ。代償として苦労しなくてはな。

 何とか部屋の前まで戻り、僅かに自由な指先でカードキーを当てて解錠する。

 ドアノブを掴んで重たい扉を身体で開けながら部屋に入る。

「あら、随分と大きな荷物ね」

「アスクさんお帰りなさい。持ちますね」

 風呂から上がったレナとアリサがお出迎えだ。マイクとの会話から従業員さんとの寝具探しまで一時間はかかっていないはずだが大体そんなもんか。

「ありがとうアリサ。いや、ベッドの数の問題がな。俺の分はこれで確保できたから二人はベッドを心置きなく使ってくれ」

 アリサに軽い方の布団セットを渡しながら、長い髪をタオルで丁寧に拭いているレナにも一緒に話す。

「そう? ならそうさせて貰うわ。私達もどうしようか迷っていた所なのよ。それでちょっとだけ早めに上がったの。でも、アスクが何とかしてくれて良かったわ」

「ありがとうございますアスクさん。お布団はどこに敷きますか?」

「ああ、そこのカーペットで寝ようと思ってる。広げるのはまだで良いから、そこに置いておいてくれ。悪いな、重いだろう」

「大丈夫ですよ、へっちゃらです! カーペットの近くに邪魔にならないよう置いておきますね」

「ありがとう、助かるよ」

 レナとアリサの方に近づきながら、俺も荷物を置きに行く。

 ここで、匂いに気付く。とても良い匂いだ。名前はわからないが、何かとても素晴らしい、花のような匂い。

 芳香アロマを辿ると、二人の少女からだ。多分、風呂場にあった高級シャンプーとリンスが彼女達に透明のドレスを纏わせているのだ。特にレナは髪が長いのもあって殊更に際立つ。肩にかかるぐらいのアリサでも、負けず劣らずの至高のヴェールだ。

 あまりこういう女の子の良い匂いに触れてこなかったのもあって少しドギマギしてしまう。これは、シャンプーとかが全てじゃないのか……!? 俺だってさっき似たようなものを使ったんだ。確かにそれも良い匂いだったが、文字通り格が違う。

 レナやアリサ本来の──少し不適切だがフェロモンとかも混ざってこうなってるのか。いや、医学雑誌の何かの記事で見たが人間のフェロモンの研究は明確な研究結果が出ていなかったはず…………そうだな、人体の神秘ということにしておこう。

 別に神秘だからって感激して深呼吸なんてしないが、不意打ちで未経験の攻撃を喰らった俺は健全な思考の流れに戻す。いやしかし、これで一緒に寝たらマジで寝れなかったな。アロマが良い意味でクラクラしてしまい、逆に目が覚めてしまう。慣れている人からすればリラックスできる匂いなのかもしれないが、今の俺には自衛校の催涙ガス訓練で喰らった催涙線香のガスよりもキツイ。だが良い匂いだな…………

 ──という話は全て心の奥底に仕舞って、平静を保つ。催涙線香は慣れていても涙や鼻水が出続けるものだったが、今回はそういう心配も無いので楽な方だ。

 人を殺す話とアロマの話がごっちゃになって秘密として封印されているのも中々にカオスだなと客観視して思考を切り上げる。

 さて、これから夕方という時間帯だ。少し、二人と談笑してからマイクと合流後、夕食代わりに軽食をつまんで寝るとするか。食事を取ってから時間を置かずに寝るのはあまり良くないが、夜襲に備えるならそれしかない。だが、事前のエネルギー確保として戦闘前──運動時にあまり食べ過ぎても逆効果だ。ちょうどいい塩梅の量とメニューを後で従業員の方と一緒に考えよう。

 そんなことを思いながら俺はレナとアリサに向き合い、声をかける。

 マイクと交わした、誓いを忘れないようにしながら……いつも通りの俺を心掛けるのであった。


 暗い闇の中。

 一人、誰かが居る気配。

「ん……誰だ……?」

 眠りの魔の手から僅かに逃れた意識。眼は閉じたままだ。口だけ、僅かに動かして訊ねる。

「……ねえアスク……良いかしら……?」

 小さなレナの声。聞こえたと同時に有無を言わせず身体を布団に潜り込ませて来る。俺の手と彼女の手が絡まる。サラサラと滑る長い髪が俺の身体に触れる。

「……? …………ん? え?」

 脳が混乱している。あれ、可笑しいな。何だこれ。

 そう逡巡して、漸く悟る。ああそうか。この感触はそうだ。畜生、夢だこれ。ふざけるな、馬鹿げた夢を見せるんじゃない。あの機内の事件の時よりもショッキングだ。幻滅したぞ俺。ある意味この夢に辿り着く伏線フラグが現実世界で張られていたとはいえ、あんまりにも直球で自分の煩悩に悲しく思う。

 だが、間違いなく夢と判断できる。俺はあまり夢を見ないで熟睡できる──ノンレム睡眠の王とまで称された逸材だ。衛生兵コースの教官にも簡易的な実験の結果、お墨付きを貰っている。だからこそ脳も身体もの一般的な睡眠より休ませられることで同期の中では比較的良好な体調と体力を維持できたのだが、まれに見る夢ではほぼ100%の確率で夢の中だと自覚できる。だからこれもそうだ。

 夢の中とはいえ、レナの事を傷つけるようなことはしたくない。潜り込んできたその華奢な身体を払いのけずに──身体を動かさずに受け入れつつも言葉では押し返す。

「いや……レナ、悪いけど俺は……」

 俺がそうごねると、柔らかな微笑と共に顔を近づけてくる。

「……わかってるわよ。すぐ出るわ」

 そうは言っても、密着体勢のまま。だがどこか。肌を触れ合って彼女から感じられるのはインモラルな雰囲気ではなく……もっと獰猛な。それこそ、野生のライオンのような……。

 なーにを考えているんだ。ライオンって……。喰われるのかい。と冷静な思考でツッコミを入れる。だが変な思考になるほど眠気は異常だ。ここまで眠い夢とは珍しい。それほどまでに夢の中でも熟睡できるほど布団が優れているんだな。

「一個だけ、言っておくわね……」

 眠気に抗えず、レナにも抗えず、結局押し返せないまま三分ほど経った辺りで、レナが小さな声で零す。

 だが続く一言は明確なボリュームで、はっきりと、痛いほど耳に響いた。

「アリサのことは、任せるわよ」

 

「──ッ!!」

 布団を跳ね除けてバッと飛び起きる。

 なんかいきなりホラーっぽくなって終わったなこの夢。普段怖い夢なんて見ないから最悪だ。

 だが、夢の中でさえレナは正しいことを言うんだなと少し笑って、そして真剣な顔に戻る。やはり、アリサが懸念の対象だ。今後、彼女の動向を良く気を付ける必要がある。

 ちらりと二人が居るベッドの方に目線を向ける。リビングルームと寝室は扉が無いので空間的には繋がっているものの、ここからは角度の問題で二人の様子は見えない。だが、特に動きは無い。静かに眠っている様だ。だから、やはりさっきのあれは夢だった。

 蓄光機能がある腕時計──自衛校時代から使っていたもの──を見ると時刻は夜中の3時。厚い壁があるのでわからないが、外も怖いぐらいに静まっているだろう。

 ……変な夢を見てしまったのでもうひと眠りでもするか。

 さっき飛び起きたのが馬鹿らしくなって、恥ずかしくなってもう一度布団を被って横になる。

 静寂が数秒──僅かな違和感。

 振動だ。小さな揺れ。地震か。さっきの変な夢はP波に身体が反応して見せたんだろうな。

 …………いや、違う。ここマイアミじゃ地震はほとんど無いはずだ。地震なんて起きないぞ。

 そう思った束の間、地を突き破るような、爆発音。

「──ッッ!!!」

 二度目にはなるが、すぐさま布団を跳ね除けて片膝立ちになっての臨戦態勢。さらに続けて連続した爆発音。ここから近くは無いが、明らかな異常事態。事故じゃない、これは、

 ──攻撃だ。ナルコスの夜襲が、始まった。

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