第20話 エトワール凱旋門

「なんでアスクが一緒じゃなきゃいけないのよ!!」

 レナの怒号が作戦会議室に響き渡る。

「新藤特佐の実戦能力は君も承知の所だろう、エアレンデル特佐」

 アーノルド中将の落ち着いた声が静かに包み込むも、レナが止まる様子はない。

 彼女がここまで激昂している理由は、ついに正式作戦が発表されたゾディアック・スコーピオン討伐作戦の説明で、俺が引き続きレナ達フィーラと混じって精鋭部隊としてスコーピオンと戦う作戦内容だったからだ。

「いくらアスクが兵士として優れていたって、ゾディアック相手に戦えるとは到底思えないわ!」

「君達フィーラと一緒に戦うわけではない、後方遠距離からの援護が彼の役割だ」

「私達と一緒にパリに入った時点でそこは最前線よ!」

 中将が必死に説き伏せようとするも、引き下がる様子は全く見せない。

 レナがそこまでして、俺を最前線に出したくない理由か……。正直言って俺自身でも足手まといにしかならないとは自覚している。だが、中将がそれを理解していないとも思えない。確実に何か別の理由があるはずだ。レナもそれを知りたいのだろう。

「すでに新藤特佐の投入は決定されている。今更覆すことはできない。これが事実だ」

 中将も断固たる構えだ。もっと上の判断で俺の作戦参加が決められたのだろう。国連軍トップか、或いはどこかからの圧力か。

「そう……なら、私はこの作戦から降りるわ。フィーラ以外の人間が対ゾディアック戦についていける訳が無いもの。そんなことすらわかっていない作戦案で戦いたくはないわね」

 レナの発言によって会議室中に緊張が走る。ともすれば敵前逃亡とも、上官への反逆とも捉えかねない発言だからだ。これには、リッタもアリサも口を噤む。もう、余計な一言が言えない状況となった。

 そんな状況であっても、中将はいつも通りの雰囲気で一言、呟く。

「……では、彼が『フィーラ』であるならばどうだろうか?」

「何ですって? 言っておくけど間違いなく彼は人間よ。今まで一緒に行動してきて私達と同じような兆候は見られなかったわ」

 当然のレナの反応に、だが中将はポーカーフェイスで言い放つ。

「いいや、彼は

 意味深に告げられた一言。俺としてもまったく意味がわからず、自分自身が槍玉に上がっているのに口を挟めない。レナも真意がわからないようで、疑問の表情を浮かべている。

「良いかね? 彼の魔力耐性はレベル5級だ。新藤特佐、君も理解しているだろう?」

 質問を振られたので仕方なく答えるしかない。

「──はい、閣下。以前、私にレベル4の魔力耐性があると閣下が仰っていましたが、その後自身の体験を持ってしてレベル5魔力耐性であると自覚しました」

 中将に初めて会った時、マイリンゲンでそんなことを言われたがあの後色々と考えていく内にそれ以上のものではないかと密かに思っていた。そして、昨日仕上げた戦闘報告書であるエピソードを書いている内にそれが確信に変わった。

「その体験を聞かせて貰おうか?」

「はい、閣下。先のオルレアン包囲突破戦にて、アリサ……フィーラ・アリエスの展開したフォートレスに体をうずめることがありました。その時に、レベル5魔力構造物に接触しても体調に一切の変化が無かったことから、そうであると判断しました」

「結構。君も漸く自覚したか。では一つ、新藤特佐にもエアレンデル特佐にも言っておくことがある」

 レベル5魔力耐性を持っているという事実が何に影響を及ぼすのか。俺とレナがじっと中将の言葉を待つ。

「新藤特佐のように魔力耐性を持つ人間というものは他にも確認されている。が、それはレベル4までの話だ。現状の定義では、レベル5魔力耐性を持っている者は、人間とは認められていない。これは、単なる倫理定義の整備不足であるが、重要な問題になる。──つまりだね、新藤特佐は現状の解釈では人間ではなく、同じくレベル5魔力を浴びても死なない『フィーラ』に該当するということだ」

 ……そういうことか、と静かに俺は納得する。最後まで中将は濁したが、要は俺が魔獣かゾディアックの手先である疑いが晴れていないのだ。言い方は悪いが、フィーラを最前線に送り込んで戦わせるということも人間に反抗するかもしれない恐れからの処置だろう。その図式を俺にも当てはめようとしている。

 フィーラのようにゾディアックの能力や魔導攻撃を使えないのに、フィーラのようにレベル5魔力耐性を持っているというあやふやな存在である俺。この奇妙な存在を戦いに出させて、正体を見極めようという訳か……。

「新藤特佐は13人目のフィーラである──と仮定して、フィーラ合計4人をもってしてゾディアック・スコーピオンを討伐しようという作戦案だ。──エアレンデル特佐、ここは軍だ。上からの命令に従わなければ君の処遇はそれ相応のものとなるが、理解しているかね?」

 フィーラに理解があると思っていた中将にしてはキツイ言葉。中間管理職故の板挟みの重圧を纏った言葉で、レナを脅す。

 レナの表情はポーカーフェイスを維持している。が、これ以上口答えをしても俺の前線投入は変えられないと悟ったのだろう。一つ、静かに溜息をついて中将に謝罪する。

「……理解しているわ。……さっきの発言は訂正します。大変失礼致しました中将閣下」

 口では受け入れた様子だが、内心では納得していないだろう。このままでは現場で勝手な動きをするかもしれない。

 だが、中将もこれ以上話をごった返したくは無いようで、その謝罪を受け入れる。 

「──結構だ、エアレンデル特佐」

 なんとか、戦いの流れは去ったようで内心で一息つく。他の人達も同様で、会議室に漂う嫌な空気を消そうとリラックスしたムードを無理矢理出していくが、目の前で知り合い同士の衝突を見せつけられた俺は動揺を隠すしかない。

 どこか空回りしたような、演劇のような会議は順調に進んで行った。


 作戦会議が終わり、後は各々で細部を詰めようということになって皆が解散する。俺達精鋭部隊は担当員からの詳細説明があるとのことでそのまま待機だ。

 すると、先程出て行ったアーノルド中将が部屋に入って来る。

「さっきは済まないね諸君。特にレナ君には不快な思いをさせてしまった」

 カジュアルな雰囲気で言いながら腰を掛ける中将。レナへの脅しは本意ではなかったらしい。

「大丈夫よ中将。何となく演技のような気がしてたから、悪役ヒールとしては十分でしょ?」

「ああ、十分すぎる働きだった。あれなら、彼らも納得してくれるだろう」

 どうやら、中将とレナの衝突はお芝居だったようだ。つまり、俺が本当に最前線で戦うという訳ではないのか。

 安心感と無力感が胸中に襲来するも、ひとまずは二人の関係が悪化しなくて良かったと思うことにする。

「結論から言おう新藤特佐。君はゾディアック・スコーピオンと会敵次第、予定だ。そのため、特殊作戦班が急行して新藤特佐を回収。後方に搬送することになっている。勿論、このシナリオは私が考えたものだ。私としてもこの作戦には懐疑的でね、気に食わない上からの命令に対してそれ相応の抵抗はさせて貰うつもりだよ。この流れで構わないかね?」

「──了解です、閣下。手際よく負傷することに努めます」

「はっはっは、それで結構だ」

 当然、自傷行為をする訳ではない。そういう態にして、俺は後方に下げるということだ。先の会議では俺を投入しなくてはならないという強固な姿勢だったのに、今は俺の生存が最優先という風に言ってくれている。まったく、高級将校と言うものは嘘が上手で厄介だ。

 流れが良い方向に傾いてきたというのもあって、会議中ずっと沈黙していたリッタとアリサも口を開く。

「本ッ当に、あの時は肝が冷えましたわよレナさん!」

「私も、どうしようかと思ってしまいました」

「悪いわねあなた達。ちょっと本気になっちゃったわ」

 小さく舌を出してテヘっと悪戯な笑顔を見せるレナ。小馬鹿にした様子にリッタが少しキレそうになるも、中将の目の前とあって自制する。その配慮に気付いたか、中将もさっさと始めようと言わんばかりに秘書官に何かを指示する。

「よし、では本命の本命の話が終わったところで、本命の話を始めようか」

 合図を受けた秘書官が、一枚の小さな写真を取り出す。

 全員で顔を寄せ合って見てみると、どこにでもあるような古い一軒家が写っている。勿論、その外観は海外っぽい建築様式だが、豪華絢爛ではなく普通の一般市民が住むようなこじんまりとした家だ。

「諸君、これから共有する情報は記録が許されていない情報だ。この写真もすぐに焼却処分される。君達の脳内だけに記憶して欲しい」

 それほどまでの厳重な機密事項。一体この家に何が眠っているのだろうか。

「了解です閣下……それで、この家がスコーピオン戦にどう関係があるのですか?」

「うむ。この家がある場所はパリ外周手前のアルクイユという所にあるのだがね。実は、家の地下にパリに通ずる地下道があるのだよ。直線距離にしておよそ8km、実際は曲がりくねっている道なので数倍になるだろうが、ともかく進んで行けばパリ市街地には出られることになっている」

「地下道、ですか。そんなものがあるとは」

「シンドウ様、実はパリの地下はフロマージュチーズのように穴だらけなのですわ。ローマ時代、大聖堂や建築物を造る際にパリ地下の石を切り出したため採石場跡の洞窟が町の至る所で発見されているんですの。このような秘密の地下空間が、現代に作られた水道管や地下鉄メトロよりも深い場所に沢山あって子供の遊び場や大人の秘密基地にもなっているのですわ」

 フランスの歴史と地理に詳しいリッタからの補足が入る。日本でも特に東京は地下鉄の建設で開発が進んでいるが、パリはローマ時代からやっていたとは驚きだ。

「リッタ君は物知り博士だな。ちなみに、この家からの地下道は第二次世界大戦中のレジスタンスが建設したものだが、100年前の遺構が崩落もせずに残っているのは理由がある。と言っても、の決死隊が数ヶ月前に手入れをして整備したというシンプルな話だがね」

 これもまた、アスムリンの仕業という訳か。まったく、ただの研究機関じゃないなこれは。

「アーノルド中将閣下、質問よろしいでしょうか?」

 意外にも、アリサが中将に質問する。スコーピオン戦に向けて、積極的姿勢が見られるのは嬉しいことだ。中将もそれを歓迎して優しく答える。

「構わんよ、何かね」

「ありがとうございます。どうしてパリに向かうために地下を通る必要があるのでしょうか?」

 確かに、素朴な疑問ではあるが気になるところだ。今までパリやスコーピオンの情報が開示されてなかったのもあって俺もわかっていない。

「良い質問だアリサ君。パリ外周にはスコーピオンが展開する『毒の霧』による壁があるのだよ。致死性毒ガスで近づいた生物全てを死に至らしめるし、魔力防壁や君のフォートレスで防御しても、今度はその魔力によって侵入が検知されてしまう。仮にこの壁を突破しても、市街地には動物体に感知して張り付く巨大なアメーバコロニーなどの警戒システムも確認されている。そのため、地表から近づくのは望ましくないのだよ」

「なるほどです……ありがとうございます閣下」

 スコーピオンはリッタと同じく毒の能力を持っている。毒の生成可能範囲は多種多様に及び、強酸や毒ガス、さらに細菌やウィルスなども創り出せる凄まじい能力だ。

 そんな強敵を前に、正面から接近するのは愚策ということだろう。地下を通って一気に接近し、片をつける作戦だ。

 皆が作戦内容に納得したところで、さらに詳細なスケジュールや現地に向かうためのルートが告げられていく。これらの情報全てを脳内に叩きこんで、作戦に備える。ようやく、この長い戦いの終わりが見えて来た。

 日本を飛び出してからおよそ一カ月。到着したスイスからフランスに渡り、滞在した各都市で戦い続けてきた。その総決算が、これからパリで行われる。

 パリに巣食うゾディアック・スコーピオンを倒すことが出来れば、人類は魔獣戦争の勝利に一歩近づく。だが、難易度は相当だ。9年間、手も足も出なかった巨大な怪物を前に人類は後退しかできなかった。それを解決する存在もまたゾディアックの能力を持つ、フィーラという少女。

 俺の隣に座る、まだ年端も行かない子供達だ。

 俺が持つ力は単に魔力耐性があるというだけ。戦場に立つことが許されるだけの代物だ。この作戦でも、とりあえず現地にまで行ってすぐ退散という情けない戦力評価となっている。

 それでも。それでも、俺は彼女達に恩を返さなくてはならない。

 命を懸ける覚悟を密かに、心の奥で決めたであった。


 作戦会議が終わってから数日後、俺達は例の家に到着していた。

 ここまでの道中はペガサスに乗ってゆっくりと魔獣軍に気付かれないよう進んできたのだが何事もなく道中は通ることができた。すでに国連軍と魔獣軍の小競り合いが始まっており、その戦力誘導のおかげで見つからずに済んだという事だろう。

 この辺り一帯はエタンプのように閑散としているも、パリにほど近いということで住宅街としては多少立派である。

 その中でも少し寂れている所に、例の家はあった。

「ここですわね」

「周囲に魔獣の気配は無いわ。この家からも大丈夫。入ってみましょう」

「アスクさん、お願いします」

「ああ、わかった」

 まるで人類滅亡後の廃墟を探検するような感覚で家の扉の前に立つ。俺が戦闘に立つ理由は体内の保有魔力がゼロなので魔獣の探知に引っかかりづらいからだ。魔力探知ではなく、単なる物体感知レーダーを使って潜伏していればレナが気付くはずなので、扉を開ける者の存在に直前まで気付かれることはない。そして、気付いて速攻をかけて来たとしても同じタイミングで俺も反応できるので問題は無い。

 小銃を構えながら慎重に扉を開けて行く。家の中は暗く、周囲の様子がわからない。

 とりあえずは大丈夫そうだ、と皆に合図して一気に突入する。

 家の中は本当に廃墟のような状態で酷く散らかっている。だが、ここも事前に調査がされているはずなので色々と漁ってみる。

 すると、奥の部屋でレナが何かを見つけたと言って全員を呼び寄せる。

 そこにあったのは大きな古いダイニングテーブル。そして、その床には絨毯が敷かれている。

 皆で机を動かして絨毯を引っぺがす。すると、木の板で出来た大きな床扉が現れた。

 俺が開けようとするも、なかなか硬くて開かない。俺より怪力であるフィーラ達ならば余裕だろうが、その怪力の理由は魔力による身体強化なため、ここでは使えない。漏れた魔力から探知される恐れがあるからだ。そのため、皆で力を合わせて重い扉を引っ張り上げる。

 ここは既に敵本拠地の目の前だ。少数でひっそりと侵入しているという状況も相まって、交わす言葉も少ない。慎重に物音立てず、それでもさっさと地下道に入りたいという意思から膂力を上げていく。

 しかし、フィーラ達は魔力が使えなければただの9歳の少女だ。結局、俺が120%の全力を出してなんとかこじ開けることが出来た。

 こういう魔力封鎖状況に置いては少しは役立てるのかもなと思いつつ、開かれたその穴を覗き見る。

 大人一名がようやく入れるといった大きさの穴が底にある暗闇を俺達に伝えてくる。といっても、深淵の奈落ほどではなく深さ2m程ですぐ横に伸びているようだ。

 動かした机や絨毯を元の位置に戻すため準備しつつ、小さな声で呟く。

「これが、パリに通ずる秘密の道か」

「ここからよ、アスク。まだスタートラインに立ったばかりだわ」

「そうだな……俺も出来る限り頑張るよ」

「……お二人ともよろしくて? アリサさんもご一緒に、やりますわよ」

「はい、リッタさん。お願いします」

 リッタがレナとアリサに差し出したのは小さな赤い注射器のようなもの。よく見ればいつもリッタが使っている赤い槍の超小型版という感じだが、内部には薬液のようなものが入っている。

 事前の打ち合わせでは、地下道に入る際フィーラ三人の魔力反応を極限まで抑えるために、リッタが専用の魔力抑制毒を用意して入る直前に摂取するということになっている。

 この魔力抑制毒は初めてリッタに会った際──リヨンでの奇襲染みた登場で魔力探知に優れるレナが気付けなかった理由としてリッタが話してくれたものだ。あの時はリヨンでの戦いに備えていたため、自分の魔力反応を抑えるために使っていたのだが今回は三人にそれを使うことになる。

 これを摂取することでフィーラは強制的に普通の少女にまで戦闘能力が低下する。だが、その見返りに魔力反応もほとんどゼロになる優れモノだ。副反応として少し風邪っぽい倦怠感が出るとのことだが、その程度であればさして問題は無い。勿論、すぐに回復できるよう魔力活性剤も同時に配られる。

 全員が打って効果のほどを確認したところで、秘密の地下道に通ずる穴へ一人ずつ入っていく。一番体格が大きい俺が最後に入って足元を三人と持ってきた荷物に支えられながら机や絨毯をできる範囲で戻す。一応、魔獣に見つからないための痕跡隠しだが、これは気持ちの問題が大きいだろう。地下道で前方パリ方面と後方家方面から挟み撃ちにされることだけは避けたいため、可能な限りの対策はしたという実体験が欲しいのだ。

 最後は絨毯を机の脚に挟み込みつつ、偽装が完了したのを確認して穴の底へ降り立つ。

 奥底は完全に真っ暗闇だ。松明でも灯して明かりを確保したい欲求が頭によぎるも、地下道や洞窟というものは酸素が薄い箇所もあるので明かりとして火は使えない。魔力操作に優れるレナであればライター程度に調節された火を指先に灯せるが、魔力消費と魔力漏れのリスクからそれはできないし、抑制毒も接種した意味がない。

 代替案として完璧なのは、シンプルに懐中電灯だ。本部を出発した時に持って行った一番軽くて一番強力なタイプを荷物から引っ張り出して明かりを点ける。

 照らされた光景として手作業で長年かけたような風体の小さな洞窟が浮かび上がる。遥か彼方の遠い先に光を向けて反応を伺うも、特段変化はない。事前の情報通り魔獣は潜んで居ないようだ。

 俺が先頭に立ち、二番目にアリサ。三番目にレナ、最後尾にリッタという流れで進む。身をかがめる必要はないが、閉所恐怖症なら一分でアウトな空間が続く。

 そのまま1kmほど進んだ辺りで道の雰囲気が変わる。

 高さが3mほどに拡大し、壁には小さな窪みが点々と並ぶ。何のために作られたのか不思議の思いつつもさらに進んで行くと、窪みに絵画や陶芸品などの美術品が展示され始める。明らかに人間の痕跡が出てきたとあって、先を急ぎたい気持ちよりも優先せざるを得ない。

 四人でじっと見て行くも、統一されたシリーズというものでもなく各々が雑多に並び飾ったという感じだ。素人がいくら考えてもわからないので、有識者に聞いてみる。

「これは……何だろうか。まるで美術の展覧会のようだ。リッタ、わかるか?」

「そうですわね……昔、芸術家の方達が独自の地下社会コミュニティを築いていたという都市伝説を聞いたことがありますわ。地上部ではまだパリ外周に入ったばかりですので、恐らくこれはその模倣ということになるのでしょう。わたくしは美術品には詳しくないですが、製造年も中世ではなく近世のようですし」

「なるほどな……ここは秘密の社交場ってことなのか……」

 戦いに行く前にこんなものが見られるとは思っていなかったので思わず進める歩みを遅らせてしまう。これを作った人達も何か思いがあってこんな地下に残したのだろうか。ともすれば誰にも知られることなく埋没してしまうだろうこんな場所に。

 後ろを歩く三人も思うところがあるのか無言でそれらの無名作品アンノウンアートを見て行く。

 途中で休憩を挟みながら少しずつパリ中央に進んで行く。辺りの様子も徐々に変わり始め、題名のない展覧会untitled exhibitionはそのままに何者かが作ったような秘密基地や第二次世界大戦中のトーチカなど歴史を感じさせるものが増えていく。

 さらに、これには度肝を抜かれたが骸骨や髑髏ばかりの墓のような洞窟部分が唐突に現れる。リッタによればパリの地下納骨堂カタコンプ・ド・パリという場所なのだが、地上からの観光ツアーで見られる部分とは違うものらしい。確かに、人の手があまり入っておらず、整備されている様子が見られない。つまり、これも誰も発見したことが無い秘密の場所ということだ。

 場所的にはアルクイユからパリ14区中央まで来たということなので地図上の直線距離で3kmほど、実際には4km程度進んだということがわかったが、こんな空気感の重い場所があるとは思わなかった。

 なんとか小さな道を見つけて観光ツアー側の道に出る。そこには両側の壁に人骨が積み上がり、骸骨も展示されているという恐ろしい場所だった。これには臆病なアリサも震えあがり、普段は物怖じしないレナでさえ言葉を失う。リッタだけは普段行けない有名な観光地とだけあって目を輝かせていたが。

 人骨の壁を抜けて石碑やお墓の部分に入る。

 このカタコンプが出来るまでに多くの歴史があったのだが、流石に戦う前に歴史話に花を咲かせる訳にもいかず、リッタからの簡易的な説明を受けながらさっさと通り過ぎることにする。

 このまま地上に上がってしまう観光用の見学ルートを進むわけにもいかないので、さっきと同じような隠された小さな道を見つけてそこに戻る。

 芸術、戦争、趣味、そして死という様々な分野が時間を超えて作り上げられた地下迷宮。

 複雑な気持ちにさせてくれるが、俺達は動じることなく戦うしかない。そんな気持ちを固く保持しながら、着実に中心部に向かっていく。

 そのまま北西に4kmほど進み、新しい感じの道に出る。表記版からしてここはエッフェル塔の地下のようだ。

 オルレアンのように、本当は地上で花の都・パリを見てみたかったなと思いながらひたすら湿気と酸欠と異臭の地下道を歩いていく。

 さらに2kmほど北に進んでようやく目的地にたどり着く。

 表記版には『Arc de triomphe de l'Étoile』の文字が書かれている。

 示す意味は、エトワール凱旋門。パリを象徴する偉大なシンボルの一つだ。

 その凱旋門の足元に出るための秘密梯子が俺達の目の前にある。

「──行くわよ」

 レナが呟き、フィーラ全員が魔力活性剤を打つ。これで、元通り最強の戦力が揃った。

 俺も装備の最終点検を行う。特殊小銃と抗魔小銃弾360発。その他アーマーなどを確認して、準備完了だ。必要ない荷物をそのまま地下道に置いてから全員で音を立てないように静かに梯子を上っていく。マンホール蓋のような場所を開けると、一気に眩しい光が差し込んでくる。眼に刺さる強烈な光線を薄目で耐えつつ、重い蓋をずらして入り口を確保する。

 未だ網膜を焼く日光を全身に浴びながら、地上に全身を上げる。凱旋門の足元というよりかは、その周りの車道だが目の前にそびえ立っている見事な凱旋門はその威容を見せつけてくれる。続々と上がって来るフィーラ達に手を貸しつつ、パリならではの開放的光景を垣間見渡す。

「……すげえな」

 思わず言葉が出る。決して観光目的ではないが、この9年間、いやパリが出来てから誰も見ることが出来なかっただろう無人状態の観光地に見惚れてしまう。

 だが、これは魔獣戦争の被害の一端だ。このパリを追われた住人達は間違いなく現在進行形で被害を受けている。絶対に、この綺麗なパリを奪還するんだ。

「ひとまず、上から辺りを見てみましょう。確かここ登れるわよね?」

 グループのリーダーとなったレナが凱旋門に顔を向ける。

「ええ、凱旋門には屋上展望台がありますわ」

「オーケー。行くわよ皆」

 スコーピオンはパリに居るとはいえ、正確な居場所は掴めていない。レナの魔力探知能力であればすぐにでも判明するだろうが、それではスコーピオン側も俺達の存在に気付いてしまう。まずは目視で先に姿を確認したいところだ。

 先頭に立ったリッタの案内で凱旋門に向かう。今日までリッタもここに来れていないはずなのだが、事前にVRで猛勉強したとあって足取りは速い。

 まるで二人の巨人の足元のような凱旋門の真下に入り、展望台へと向かう入口の中へと向かう。少々窮屈な螺旋階段を登り続け、屋上下にある展示室に入る。そこには小さな彫刻や展示物が並ぶ。当然ながら誰も使っていないため暗闇しか広がっていない。

 だが、答えの道筋のように光が差し込んでいる箇所がある。屋上へと続く階段だ。

 皆で一緒に、階段を登る。

 上へ上へ、今までずっと地下を歩き続けた反動かのように高みへと上がっていく。

 透明なガラスの壁で囲われた出口から屋上に出る。

 頭上に広がった開けた青空が、さっき地下から這い出た時よりも近く感じる。展望台の床は四角い段差が多くあって歩きにくいがこれもデザインの内なのだろう。

 パリを見渡すために、柵がある端っこに寄ってみる。50mの高さからでも、十分にその様子を一望できるのはパリならではのまちづくりのおかげだ。

 ここからなら、エッフェル塔もしっかり遠くに見える。

「アスク、あれ」

 レナの緊張した声が、景色に奪われていた俺の心をすぐさま取り戻す。

「どうしたんだ、レナ……ッッ!!」

 凱旋門から放射状に延びる12本の通り。その一つ、フォッシュ通りの奥の方で。

 その巨大な怪物は、じっとこちらを見ていた。

 間違いない。あれが、ゾディアック・スコーピオン。ヨーロッパを阿鼻叫喚の地獄に陥れ、多くの人類を殺して回った最悪の存在。

 そして、胸に着けていた無線機から、非常時以外は入らないはずの通信が入る。

「スコーピオン攻略部隊、こちら国連軍UNF参謀本部。非常事態を伝える」

 次いで紡がれたノイズ混じりの報告は、信じ難いものであった。

「魔獣軍大攻勢。繰り返す、魔獣軍大攻勢。そのため国連軍は現在後退中。よって、援護は不可能。繰り返す、援護は不可能だ。攻略部隊は直ちに撤退、作戦を放棄せよ」

 傍らで通信を聞いていたレナが冷静に呟く。

「無理よアスク。スコーピオンに先に見つかった以上、逃げることは不可能だわ」

 仇敵であるスコーピオンをじっと睨みながらリッタも答える。

「そうですわね。地上では追いつかれますし、地下を通っても高濃度の毒ガスで圧殺されますわ」

 レナとリッタの分析を静かに聞いていたアリサが結論を出す。

「戦うしか、ないってことですね……」

 三人の意見を聞いた俺は覚悟を決めるしかない。

 これで俺の回収作戦も出来なくなっただろう。先手を打って俺達の予定を全部潰したスコーピオンは、嘲笑うかのように静かに佇む。

 本来ならばゾディアックが持つジャミング能力で通信すら出来ないはずだ。通信妨害すら必要ないと思われているのだろう。

 ──その余裕綽々のに、吠え面かかせてやるよ。

 最悪の報告をして来た無線機を持ち上げ、応答する。

「参謀本部、こちら攻略部隊。我々はスコーピオンに発見された。離脱は不可能。これより、戦闘を開始する」

「──参謀本部了解。武運を祈るグッドラック

 最後は運頼みか、と思いながらも個人的に漏れただろうその応援の一言に感謝して無線機をオフにする。

 そうさ、人事は尽くした。国連軍の人達も俺達に尽くしてくれた。

 あとは、俺達が勝つだけで良いんだ。その恩に報いるだけなのだ。

 そのためにも、あの怪物と戦うんだ。そしてその覚悟は皆出来ている──。

 凱旋門の上に立つ四人の戦士達は、最大の敵を前にして悠然とその勇姿を見せつけるのであった。

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