第19話 天体観測

 作戦は全ての段階において成功し、国連軍は無事にオルレアンの包囲を突破することに成功した。

 俺達もオルレアン中枢に戻ってすぐに北側の援護に向かったがレナの戦果は凄まじいものだったらしい。国連軍の活躍はほとんどなかった様で、攻撃よりも移動に注力した結果スムーズに突破できたようだ。

 たった一人で数万もの軍勢と同等の戦力規模。フィーラの中でも飛び切りの強さを持っていることを証明して見せた。レナがそれほどまでの実力を隠していたわけは、俺や他のフィーラを巻き込みかねない戦い方だったからだという。濁されたが、要は足手まといが居ない状態での本領を発揮して見せたということだろう。

 俺達の暴走作戦も相当なものだったと思っていたが、レナに軽々と飛び越えられてしまった。

 ともあれ、俺達四人、精鋭部隊は作戦の成功に大きく貢献したとして国連軍より評価された。最終目的であるスコーピオン討伐が成されていないため表彰式とまではいかなかったが、自衛校時代からの訓練生活を終えて実戦で初めて自分の戦いを認められる喜びは、とても充実したものだった。

 オルレアンを包囲していた魔獣軍はその中核戦力の大部分をレナの無双と陣地移動で消耗し、残った戦力で国連軍の追撃は不可能だと判断。国連軍撃滅ではなくオルレアン攻略に戦力を回したが、再度包囲するには指揮部隊──特にレナが潰して回った指揮官級の払底のため完全包囲すら不可能になってしまい、結局南部の部分包囲に留まる形になった。

 全方位ではなく、一方面であれば残されたフランス軍都市防衛隊だけでも十分防御は可能だ。

 唯一、憂慮すべきなのは他の魔獣軍の応援による再度の全周包囲だが、応援の兆候が確認されれば他の都市からの応援部隊がやって来ると確約する軍事協定が結ばれた。

 他の都市が予備戦力を出せる理由はひとえに、魔獣軍がパリに集結しているからに他ならない。

 魔獣軍はパリに進撃しつつある大規模な軍勢の進軍意図を正確に理解し、その野望を打ち砕くために戦力を集めている。

 一方で、人類も同様の動きは既に準備済みだ。

 国連軍以下各地から抽出されたフランス軍によるパリ攻略作戦及びゾディアック・スコーピオン討伐作戦──合わせて『ノートルダム作戦』と呼ばれる作戦はヨーロッパ全土に伝わっている。フランスの精力的なロビー活動によって乾坤一擲の大規模作戦に人類の戦力も集まっているのだ。

 理想として、大作戦に全てを懸けるため予備戦力を出そうという気持ちと現実問題として付近の魔獣軍が軒並みパリに向かったことで防衛線力が余剰となり、予備として自由に動かせるようになったという二つの政治・軍事的理由によってパリ作戦に関連しているオルレアンの防衛も問題ないということだ。

 これは、オルレアンに迷惑をかけた国連軍の面子の問題も少しはあるだろうが、ちゃんとした理由としてはノートルダム作戦が長引いた際にオルレアンが補給地点として後方拠点になりえるため魔獣軍に占領されるわけにはいかないというわけだ。

 そのため、俺達は気兼ねすることなくオルレアンを後にして、パリに向かうのであった。


 オルレアンを抜けた国連軍は徐々に散開しつつ、パリに接近しつつある。大軍勢として移動するのではなく部隊を散開させる理由はパリ南部を部分包囲するためだ。

 奇しくも、今のオルレアンと同じ状況を狙う目的だが、パリは広大であり、フランス・ヨーロッパ各地からの応援があったとしても完全包囲が現実的に厳しい以上、こうするしかないからだ。

 人類、魔獣共にギリギリで戦っている。勿論、フィーラも同じく。

 ということで、俺達精鋭部隊には最終決戦前の休暇が与えられた。

 指定された場所はオルレアンからおよそ60kmに位置するパリの衛星都市、エタンプだ。

 街の周りは平地が多目なフランスらしい田園地帯で、のどかな光景が広がっている。

 街内部は都市と田舎の中間という様相で、オルレアンのように煌びやかという訳ではないが寂れた村という訳でもない丁度いい塩梅だ。同じような感じの三浦市に住んでいた俺としては、日本を思い出す懐かしい光景に思える。

 パリとは50kmしか離れていないため、住人は避難して一人も居ないのは悲惨な状況だろう。

 6年前辺りから避難が開始されたというのもあって、街はかなり荒れている。

 フランス軍と魔獣軍の小競り合いもあったということで、戦闘の痕跡も至る所に見られた。

 そのため、エタンプの外縁にある一軒の豪邸らしき場所がキャンプ地として候補に挙がった。先んじて様子を確認した偵察隊によって安全が確認されたので、これから向かうところだ。

 メンバーはフィーラ三人と、もう顔馴染みとなってしまったジュリア少将率いる高官達だ。

 ジュリア少将達はエタンプ中央で他にも休息を取っている部隊の管理をするために俺達とは別の場所に泊まるのだが、一緒に家の様子を見てくれるとのことで同行している。

 メンテナンスを受け武器や火器を取り外して身軽になったペガサスに、俺含めた四人を乗せてゆっくり走らせる。高官達は車両に乗って目的地に向かう。

 第二次世界大戦で戦った兵士を弔うお墓を通り抜けて森林に入っていく車両。本当にこんな所に豪邸があるのかと思いつつ車両を追うと、確かに屋敷みたいな家がひっそりと建っていた。

 魔獣戦争以前より、もう長らく使っていないと見受けられる外観は言い方は悪いが何かのホラー探索ゲームで舞台になりそうな雰囲気を醸し出している。

 正直、ヤバい所かもしれないと思いながらペガサスを降りる。

「なんか幽霊ゴーストでも出そうねここ」

「えぇっ、本当ですか……!?」

「わたくしは、イイ感じに風情があって素敵だと思いますわよ?」

 直球に物申すレナ。怯えるアリサ。懐古趣味レトロが好きそうなリッタ。

 三者三葉の反応を示す少女達。

 車から降りて、部下に荷物を運ぶよう命令してからジュリア少将が俺達に近づく。

「確かに、ここはがあるな。悪いが、ガス水道電気は通っていない。これはエタンプ全域の話だ。我慢してくれ」

 そのための物資だ、と言いながら部下達が運ぶ物を手で示す。

「作戦道中に住居が用意されるなんて夢のような話ですよ少将」

「その通りだな特佐。私達よりも立派な家に泊まれるのだから文句は言えないな」

「でも掃除ぐらいはしてるんでしょうね?」

「安心しろレナ君。偵察員の報告によれば、なぜか清潔には保たれていたようだ。ベッドのシーツも新品同然だったらしい。外壁の崩れや床壁の軋みも問題ないようだ。ホコリ一つないとは言わんが、一般住居並には掃除されているらしいぞ」

「逆に怖いですよそれぇ……」

「あら、気が利く幽霊さんだことで」

「リッタさん~~!!」

 我慢の限界に達したのか、目の前の恐怖のハウスに泊まるという現実から目を背けるためにアリサがリッタを追いかけ始める。それを軽やかなステップでクルクルと回りつつ逃げていくリッタ。「ツタが生い茂る窓からナニカ見えませんこと?」「キャッ! ……ただのカーテンじゃないですか~!」などの応酬も行われる。

「まっ、大方どこぞの工作員が前々から安全拠点セーフハウスとして目を付けてたんでしょ。カモフラージュにはちょうど良いみたいだし」

 と言いながら冷静に家の中に入っていくレナ。二人の追いかけっこには無頓着なようだ。お化けが居そうだと評しながらも大胆不敵に入っていくその姿は勇ましい。

「レナ君の推理が正解だ。元々、フィーラ達を隔離するためにフィーラ達を管理管轄する某機関から用意された拠点のようだ。この情報が私達に知らされたのはオルレアンを出てからであったがね」

 某機関というのは、マイク特佐が漏らしたアスムリンという研究機関の事だろう。アスムリンの影響がこんな僻地の最前線にまで及んでいたのかと驚く。

「ここエタンプには数百人規模の部隊が泊まる手筈だが、君達が一緒の場所に居るということは公にはしていない。なので、情報共有不足によるトラブルを未然に防ぐため、私達に用があるときは歩きで来るのではなく無線で言ってくれると助かる」

「了解しました、ジュリア少将。少将もゆっくりお過ごし下さい」

「ああ。君もな。おっと、忘れていたがくれぐれも問題は起こすなよ。君に限ってそんなことはないと思ってはいるがね。一応、念のためだ」

「ある種の保護者として、彼女達の面倒はしっかり見させていただきますよ。ご安心下さい」

「いや、君の事だよ。アスク君」

「俺の?」

 何の事だろうか。上官の目の届かぬ所での素行を心配されるほど評価が悪いのだろうか。早合点して少し落ち込む俺。だが、俺の耳に手を当てて囁いた少将の一言でより事態は悪化する。

「万が一にもな、あの子達に、手を出したら──」

「……ッ! その点については問題ないですよ!! 絶対的に保障しますッ!」

 まさか、そういう心配だったとは思わなかった! 急に取り乱した俺を前にして少将は少し驚く。

「おお……そうか? なら良いんだが」

「今更問題は起こしませんよ。何歳差だと思ってるんですか」

「すまんな。私から見れば特佐はまだ若いし、あの子達は時々大人びている時があるから……君達の精神年齢は年頃の男女として同じだという感覚があってだな。まあ、そこまで言うなら大丈夫か」

 大体平均して中学生ぐらいってことか……? 確かに高校生気分が抜けきっていないのは感覚として事実だが……中学生ってほどガキでもない。ジュリア少将だってまだまだ若いでしょう──いや、やはりこれ以上話を続けるのは良くない。あらぬ疑いを余計に増やしてしまう。

「ええ、本当に。大丈夫ですから。それでは、お元気で! また明日!」

「ああ、また明日」

 半ば強引に話を終わらせて家に入る俺。

 確かに俺は小学校の時からずっと男子校みたいな所で生きていた以上、女子への免疫は無いに等しいが……さすがにもう19歳だ。事案コトを起こすほど若くはない。

 一人の男として一線を越えないことを魂に刻みつつ、幽霊屋敷に入っていくのであった。


 ジュリア少将が言った通り、家の中は比較的綺麗な状態にされていた。これなら、リラックスして一昼夜を過ごせそうだと安心する。

 レナとリッタは保安上の問題として家の中を調査してくるわ、という名目で探検に行ってしまった。そのため、アリサと一緒に部下の皆さんが運び入れてくれた荷物を分別して整理していく。アリサに関しては、俺を手伝ってくれる善意の他に、レナ達について行って恐怖体験をしたくないというのも大きいだろうが、その考察は心に留めておく。

 意外にもレナがこういう探検ごっこに興味を持つのか、と思いながら荷解きしていくが、案外本気で調査に行ったのかもしれないし、単独行動して問題を起こさないようリッタの監視かなと結論を出す。

 紐とガムテープをナイフで切り終えたので、頭を切り替えて中身の整理にかかる。     

 何にもライフラインが通っていない家で過ごすとだけあって、物資の数は大量だ。ちょっとしたキャンプのような感じで色んな物が雑多に詰められている。

 今すぐあった方が便利なものと、後で使うものを分けつつ、隣で作業しているアリサの様子を見る。

 三人のフィーラの中で、一番おとなしい女の子。だけど、大人びている訳ではなく、さっきのリッタとのやり取りのように年相応の子供らしい様子も多々見せる。特に、応答する時の笑顔はとても可愛らしい。

 ……このままではただ見惚れたという観察結果になるので、もう一段考察を深めてみる。

 彼女が持つフォートレスという防御バリアは、最大最強の防御能力として認められている代物だ。

 全力で展開すれば核攻撃すら防ぐだろうその力をもってして、俺やレナ達の窮地を何度も救ってきた。

 一方で、その役割に縛られて単独行動するメリットを上回ることができないため、常に誰かと一緒に行動しなくてはならない。つまりアリサは、一人でいることに

 恣意的な見方ではあるが、アスムリンからも同様の評価をされているのだろう。それが彼女自身でも納得するものなのか、強制的にかはわからないがある意味で孤独な少女なのかもしれない。

 ゾディアック・アリエスの参考資料ではアリエスは常に自身だけを守ることを優先し、フォートレスを広範囲に展開して付近の魔獣達を守るという行動はしなかった。

 一方でアリサは自分を守るだけの能力を応用することで、誰かも一緒に守る能力へと進化させて見せた。魔獣の研究によって士気が高ければ高いほど、使用する魔術の威力も上昇するという観察結果が出ている。つまり、精神と魔術、魔導は関係があるものだ。

 アリサが護ろうと強く思わなければ、それだけ防壁も強化されないことになる。

 やはりアリサは優しい子だ。今もこうして俺を手伝ってくれている。

 俺の視線に気づいたか、作業する手を止めて話しかけてくる。

「アスクさん、どうかされましたか?」

「いや、何でもないよ」

「わかりました。それにしても荷物、多いですね」

「ああ、そうだな。……一緒にやってくれてありがとうなアリサ」

「いえいえ、私も何か手を動かしておきたいですし、アスクさんと一緒に居るとなんだか安心するので」

「そうか……」

 俺にとっては嬉しい言葉だが、アリサの本当の気持ちとしては……きっと寂しいのだ。

 聞く機会はなかったが、彼女たちの出自からして両親も不在なのだろう。以前、くらまの船内で話してくれたが、世界各地に落着した十二連彗星ダースメテオの近傍でフィーラ達は見つかったと言った。近傍に住んでいた両親から産まれたとは言ってはいない。

 つまり、不思議な話にはなるがコウノトリが運んでくる伝承のように、赤子のフィーラ達がその場で発見されたということになる。

 アスムリンの研究者たちがフォルスヒューマンでないか危惧するのも当然の話ではあるが……しかし、彼女たちの感性が人間と変わらないのであれば物心ついた時から親が居ないという状況はとても悲しいことだろう。

 彼女たちは強い。その強さ故に、弱音を決して口に出さない。だけど、心の中では無意識で積もり積もっている。

 ジュリア少将にも宣言したが、俺は彼女たちの保護者として見守る義務がある。

 19歳の一人の男が出来ることは限られている。大人からすればまだまだ若造だ。

 それでも、まだ9歳の子達の傍に居てやることはできる。何か辛いことがあれば、いつだってなんだって聞いてやる。メンタルケアと格好付けて言うのではなく、ただ一人の人間として……彼女たちの平穏を守るんだ。


 荷物の整理が終わった俺は、一人孤独に机に向かっていた。

 この非幽霊屋敷(レナとリッタの調査でそう結論づけられた)は三階建ての構造になっており、それぞれの階にいくつもの部屋がある。俺が今いる部屋は二階にある書斎のような部屋で、大きな窓に面していて日差しが入るためこの時間であれば明かりをつけずに作業が可能だ。

 兵士が机に向かってする作業と言えば書類整理、事務作業しかない。

 日本と国連軍に送る報告書を黙々と書いていく。

 全文日本語と全文英語の二刀流で同時にこなしていくが、共にお堅い言葉で書かなくてはいけない以上、いつものフランクな喋り方をそのまま書類に抽出する訳には行かない。

 ポータブル電源を持ち込んで渡されたノートPCに繋げつつ、部屋の明かりは太陽光で賄う。

 反射光の角度によっては液晶画面は見づらい時もあるが、我慢しつつひたすらキーボードを打ち込んでいく。

 お昼はすでにエタンプに向かう道中で済ませているためそこから午後一杯、5時間丸々を使って全ての日報と戦闘報告書を仕上げる。

 自衛校時代から、日誌を書く習慣はついていたため簡単な日記をメモしており日報を書くときに助かったが、こうも一度に出されては時間をかけてやるしか対処法はない。

 考えたくはないが、明日からのノートルダム作戦で俺が殉職する可能性を考慮して、休暇日を与える代わりに今までの報告書を書き上げろということなのだと理解する。

 ずっと小さい液晶画面の文章と戦っていたため目と腰がバキバキだが、これも立派な仕事だ。

 その仕事が終われば次は家事となる。フィーラ達のために料理を作るぞと張り切って部屋を出ていく。

 書いている途中途中で三人が俺の様子を確認しに来てくれたが、今度は俺の番だ。三人が居るはずの部屋をノックして所在を確かめる。

「どうぞ、お入りになって!」

 厚いドア越しにリッタの声が聞こえたため、入るぞ、と声を掛けながら扉を開ける。

 部屋の中では、リッタとアリサがベッドの上でくつろいでいた。

 広くはない部屋の隅々を見渡すが、レナの姿は見えない。

「レナさんでしたら、下に居ると思いますわよ」

 ベッドに横になって持ち込んだタブレットで漫画を見ながら答えるリッタ。俺の考えは筒抜けらしい。

「アスクさん、お疲れ様です。お仕事は順調ですか?」

 リッタと同じベッドに腰掛けて編み物をしているアリサ。以前、編み物が趣味だと言っていたのを思い出す。俺の方を向いて話しかけながらも、手元に狂いは無く高速で毛糸が編み込まれて形になっていく。凄まじい神業だ。

「ありがとう二人とも。レナの所在については了解だ。俺の方もさっき片付いてだな、これからメシでも作ろうと思ってたところだ。もう少し待っててくれ」

「それは楽しみですわね! 期待していますわ!」

「わあ……アスクさんのお料理、楽しみですね」

ご飯と聞いて途端に元気になるリッタ。アリサも俺の腕前に興味がある様子。

 古今東西、人間の活力は食事に他ならない。俺の実力もプロ並みってほどではないが、自衛校時代で需品科Quartermasterコースの奴らすら唸らせることもあった。得意趣味を活かせる時が来たようだ。


 二人の部屋を出ると、俺はそのままキッチンに向かう。

 そろそろ夕方になるので、廊下と一部の部屋に備え付けた簡易電灯を付けながら一階に降りていく。

 ポータブル電源はかなりの量を持ち込んではいるものの、数には限りがある。最悪の場合、ジュリア少将に連絡して予備を持って来て貰うことも可能だがここは物資管理能力の見せ所だ。それに、早めに寝ればそれだけ電気を節約できるので今夜は夜更かしせずにテキパキと行動しよう。

 そんな風に考え事をしていたのが良くなかったのだろう。

 階段を下りてキッチンの扉を開けるとそこには、

 一糸纏わぬ白い裸体で、金色こんじきの長い髪を湿らせたレナが立っていた。

 開かれた扉の軋む音でこちらを振り返って目を丸くしている。

 沈黙が、二人の間に漂う。完全に予期していないエラーを前にして、二人とも故障して動かなくなったようだ。

 ──いや、エラーじゃないだろ!

「!!? ッッッ!! 悪い!」

 すぐさま謝罪を入れて扉をバタンと閉める。

 …………完全にやってしまった……。

 聡明なレナのことだ。不慮の事故アクシデントだと思ってくれれば良いんだが──いや、良くはないだろう。過失でもダメなものはダメなんだ。

 ジュリア少将の予言めいた金言が胸に刺さる。

 逆に、ここまで過剰反応してる方が可笑しいのか? いやしかし……俺はなぜ気付かなかったんだ。いやいや、あれは気付けるわけないだろうまさかキッチンで全裸になってたなんて誰も予想できないじゃないか。

 ……そもそも、なんでレナはここに居るんだと思ってさっきのシーンを脳内再生する。当然、レーティング部分は自動で検閲しつつ。

 手には白いタオルを持っていた。長い髪もしっとりとしており、毛先まで湿っていたように思える。背後にあるカセットコンロでは、小鍋から湯気が立っていた。

 ここから導き出される回答。

 シャワーが使えない環境で体を清潔にするにはどうすれば良いか。その解決策として、タオルに温水を含ませて体を拭いていたのだ。風呂に入れない訓練の時に同様のことをしたから覚えている。

 おい、覚えているなら予測できたんじゃないか? と突っ込みを入れつつ、もうやっちまったんだから仕方がない。真摯に謝罪してどうしようもないなら出頭しようと思いながら扉越しに声を掛ける。

「……レナ、悪いな。気付かなかった。大変、申し訳ない」

 だが反応はない。これは、まずいことになったぞ。

 そう思った束の間、扉が開かれる。零れた隙間から覗いたのはレナの顔。その顔は怒っているというよりかは恥ずかしいという感じの顔だ。

「……もういいわよ、入って」

「ああ……」

 レナに誘われてキッチンに入る。すでにパジャマに着替えてはいるが、気まずさも同時に纏っているのは申し訳ない限りだ。

 奥まで入った辺りでレナがこちらを振り返る。

「ごめんなさいね、こっちこそ一言声を掛ければ良かったわ。まだ終わらないと思ってたから……」

 そう言いながらも、恥ずかしさは隠しきれないようで俺を見つめる上目遣いの瞳は、感情を滲ませる。

 戦闘中など非常時に見られるのと、こういう平時で見られるのとでは不快感が違うのは俺も承知している。そのうえで、今回の件は双方ともに気を抜きすぎたために起こった事故だ。

 しかし、引き金トリガーとなったのは俺である。正面切って、謝罪しなくてはならない。

「いや、悪いのは俺だ。申し訳ない」

 レナに、深々と頭を下げる。教官に頭を下げた時のことを思い出しつつ、久しぶりにここまでのミスをやらかしちまったなと猛省。

「もう大丈夫よ。顔を上げて頂戴」

 そう言われて顔を上げる。謝罪の意思は伝わったようだが、問題はここからだ。

「お詫びとして、俺にできることがあったら何でも言ってくれ。それで、誠意を示す」

「お詫びなんて、そんな。いらないわよ」

「だが……」

 自衛校時代に、教官達に失敗について散々説教されたのを思い出しての行動だ。曰く、『人間は間違う生物だが、学習し失敗を挽回できる生物でもある』と言われそのための勉強をお前らはしているんだ、だから必死で取り組めということらしい。

 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶということを言いたいのだろうが、俺は逆にラブコメ漫画を見ていなかったのが敗因なのか。

 ともあれ、何かしらの詫びは入れたい。

 半ば押し付けのような挽回意思に押され、レナも受け入れてくれたようだ。

「そこまで言うなら、そうね。じゃあ、こうしましょうか」

 何か悪いことを企むような微笑に変わるレナ。妙案? を思いついたようだ。

「アスク、あなたも脱ぎなさい」

「はぁ!!?」

 最初にレナの裸を見た時と同レベルに叫ぶ俺。

「あら、何でもやるって言ったわよね?」

 無理ならそれで手打ちで良いわよ、と助け舟を出してくるレナ。なるほど、俺にも恥ずかしい思いをさせて同等にしようという訳か。

 というか、少女からやれと言われ目の前で裸になることも事案の状況なのではないか……? 

 いやもうやるしかねえ。レナは不意打ちで喰らったんだ。俺には覚悟の準備が出来ている。

「……わかった。上だけ、で良いな?」

「下まで脱いだら秘密軍法会議SCMで極刑よ?」

「そうだな……」

 現実を突きつける冷静な一言を喰らってダメージを受けつつ、観念した俺はシャツのボタンを外し、勢いよく脱ぎ捨てる。ボディービルダーのような立派な体ではないが、兵士として鍛えているため一応は問題なく引き締まっている身体を見せつける。

 ──見せつける、だと不審者だなとツッコミを入れつつレナの反応を待つが……何故か反応が薄い。

 どこか、昔を思い出しているような。別の事を考えているような。

 訓練と卒業訓練で負った傷跡だらけの体が不味かったのだろうか。

 心ここに非ずのレナに、何を言おうか迷って、しかし言葉が出てこない。

 それでも、上裸の男と少女が相対する絵面はこれ以上続けるのは良くないと判断し、話しかける。

「……脱いだぞ、レナ」

「──あ、うん。じゃあ、これに座って頂戴」

 再度、謎の空気感に戻った俺達はいそいそと動き回る。風呂場から持ってきたと思わしき小さなバスチェアに腰掛けた俺はレナのやりたいことを察する。

「良いのか。これが罰で」

「罰を与えるとは言っていないわ。何でも言う事を聞いてくれるなら、私の望みをお願いしたまでよ」

「なら良いんだが……それで、何がお望みですか、御嬢様My Lady?」

 むしろこの空気なら道化に徹するべきだと思い、レナを持ち上げる。

「私と同じことをして貰うだけよ、私の騎士My Knight

 そう言って向かった先はガスコンロの近くにあるカセットコンロ。上には、沸かした水が小鍋に入って湯気を立てている。

 その中から素手で取り出したのは白いタオルだ。どうやらホットタオルを作っていたようだが、よくもまあ火傷しないものだ。恐らく、魔導防壁か何かを手に纏わせて手袋みたいにしているのだろう。

 両手で丹念に絞り、タオルの温度を下げてからこっちに持ってくる。

「これで体を拭くから、背中を向きなさい」

「清拭か。有難いが、本当に良いのか?」

「どうしても嫌ならしないけど、シャワーも無いんだしこれで良いでしょ?」

「いや、感謝するよ。何か悪いな、こんなことしてもらって」

「良いのよ別に。私達にできないことをやっているのだから、これぐらい当然のお返しよ」

 俺にとって罰どころか褒美のお返しだ。さっきの件は水に流して、俺を労うことが目的だったらしい。

 就寝前にもう一度、全身をやろうと思っていたが調理前に一回これで清めるのも良いだろう。

 これ以上、レナの優しさを否定はできないので素直に後ろを向いて背を向ける。その背に、ゆっくりとタオルを当てながら拭いていく。

 多少熱いぐらいの温度だが、これがなかなか気持ち良い。デスクワークで凝り固まった背中を重点的にやってくれている。その後は肩にタオルを置いてマッサージ。さらには腕を包み込んで温もりを与える。

 ──両親が亡くなってから何でもかんでも自分一人でやって来た俺としては、懐かしい感触だ。

 思わず身を委ねそうになるほどの安心感。故郷から遠く離れた戦地での、ひと時の平穏を噛み締める。

 そして、俺は大事なことを忘れていたのだ。

 こういう気を抜いている時が、一番危ないんだということを。

「シンドウ様~? 開けますわよ~」

 バタン、と勢い良く開かれた目の前の扉。そしてリッタとアリサの出現。

 先の繰り返しのように、固まる四人。一番先に回復したのはリッタ。

「ちょ~~~!? お二人とも、ナニをやってらっしゃってるんですかッ!??」

「アスクさん……それは……!!」

 艶やかな紫色の髪を振り回して動揺の両腕をブンブンと振り上げるリッタ。手のひらで顔を覆うも、その指の隙間からしっかりガン見しているアリサ。

「いや、これはッ別にそういう訳じゃ」

「ちょっ、なんで来てるのよ二人とも」

 リッタ達の慌てぶりが波及して俺達もなぜか慌ててしまう。結果それが余計に不審な行動を引き立ててしまう。

「だって、お料理作るっておっしゃってたからどんな感じかと様子を見に来ただけでしたのに……! それなのにわたくし達に隠れてこんなコトを……!」

「違うぞ!?」

「あらぬ誤解をしてんじゃないわよッ!」

「あわわ……これは、ホントにそうなのですか……??」

「深読みしないでくれアリサ!」

 ぎゃあぎゃあと喚きながら、誤解と弁明を繰り広げる四人。どれだけの力と経験を持とうと、大人になり切れない若人達の日常が、そこにはあった。


「さあ、出来たぞ。どうぞ召し上がれ」

 ダイニングテーブルに並べられたのは数々の料理。どれも有り合わせのレーションからアレンジを加えたものばかりだ。食欲を誘う強烈な匂いが辺りに漂う。

「いただきます!」

 三人の少女達が我先にと食べ出していく。俺も席に着いてステーキを一口食べるが、我ながら美味いなこれは。

「いつものやつとは違うわね。一体何を加えたの?」

 感激といった表情で俺に問うレナ。これには俺も心が満たされる。

「各種、香辛料スパイスや調味料からソースを自作しただけだよ。味のバランスの調整に成功すれば、案外こういうひと手間で劇的に美味しくなるものなのさ」

 自衛校時代、キャンプ地でこういうアレンジレシピを作っていた経験があったので自信はあった。だが、自衛隊のレーションと国連軍のレーションでは当然ながらメニューが違う。それでも磨いたテクニックを応用して頑張り、その結果は皆の反応からして大成功と言えるだろう。リッタとアリサも笑顔でどんどん食べ進めていく。

 さらに、この豪華な部屋の雰囲気や、豪華なお皿の数々がより食事のレベルを上げているに違いない。感じる味覚というものは単なる味以外の要素でも大きく変わって来るからだ。

 特に部屋の効果は大きいだろう。限りがある電気の問題で部屋の明かりが心配だったが、壁の各場所にキャンドルホルダーが壁掛けられていたためそれに火を点けて明かりの足しにした。蝋燭自体は最初の探検で倉庫から見つけてくれていたのを使った。電気が無くなった際の非常用として確保していたようだが、こういう厳かな雰囲気も新鮮で良い。

「それにしても、アスクがここまで料理上手とは思わなかったわ」

「そうですわね。本職の料理人Cuisinerとも張り合える程ですわ」

「何か習う機会があったのですか?」

 三人とも俺の腕前に興味があるようだ。隠す話でもないし、言っておくか。

「学校の衛生科コースでは応急処置が得意になるよう手先が器用になる趣味を推奨していてな。料理、散髪、編み物など多くの趣味が取り入れられたよ。だからある程度は俺もこなせるってわけだ」

「そうだったのね。楽器演奏もその一つってこと?」

 以前、バイオリン演奏が趣味だって話したのを覚えててくれていたようだ。流石フィーラは記憶力に優れている。

「ああ。俺が人様に振るえるのはこういう簡単なアレンジ料理とバイオリンだけだよ。散髪もできなくはないが──多少、毛先を整える程度だけだ。そもそも、同期は野郎ばかりで大体バリカンで済ませてたからな……」

 自衛校時代の出来事を懐かしみながらハサミの感触を思い出す。手先の感覚は今でも覚えている。

 すると、レナが唐突に思いがけない言葉を発する。

「オーケー、じゃあ今度私の髪でも切ってみる?」

「何がOKなのかわからんがそんなに上手くないぞ。余計な手出しにならないか?」

「大丈夫よ、その辺のバランス感覚は上手だって今わかったから」

 なぜかレナの髪を切る流れになってしまった。その流れに便乗しようと残る二人も声を上げる。

「一人だけ狡いですわよレナさん、抜け駆けは許しませんわ!」

「私も、アスクさんにならお願いしたいです……!」

 いきなり三人分のカット要請が俺に入る。手先が器用ってのも考えようだな。

 だが、今のところ俺は戦闘面では何ら役には立っていないのが実情だ。こうしてサポート染みたことしかできていない。それでも、自分にできることは一つずつやっていかないといけないな。

「そこまで言うなら、俺でよければ今度全員やってみるよ。それまでに練習しておかないとな」

 また一つ増えた約束事を心に留めながら、熱々のビーフシチューを一口飲みこんだ。  


 食べ終わった食器を片付けて水洗いをする。夜間は乾かして放置し、朝になったら元あった場所に戻しておくつもりだ。

 それにしても、一見すると長年使っていない屋敷なのに所々で管理された形跡がどんどん見つかる。この食器や蝋燭もその一つだ。半日居てようやくわかるほど隠された工作。アスムリンの派遣員は相当な実力者に違いない。どこからそういう人材を引き抜いたのだろうか。

 明らかに高級だろう食器を割らないよう慎重に水気を切りながら柵に立て掛けていく。フィーラ達は、さっきレナと俺がやっていた清拭を今やっている所だ。

 今度こそは誰にも迷惑をかけないように全員で約束し時間と場所を指定したため、俺は時間までキッチンに居ることを厳命された。

 シャワーが使えない以上苦肉の策ではあるが、体の表面にある老廃物はこれでも十分に綺麗にできる。訓練や戦場ではこれすらできない状況もあるのだから、俺達は恵まれている方だ。

 多分風呂場で三人仲良くやっているんだろうなあと思いながらも、明日になれば怒涛の戦闘が待ち受けているであろう現実に辟易する。兵士である以上逃れられないものだが、戦闘行為そのものは特段好きでもない。俺が求めているのはそこから得られる人命救助や、魔獣軍の被害をこれ以上出さないようにするためなのだ。

 食器洗いも終了し、時間まで暇なので俺も手早く体を拭いていく。自分でやる分にはただの作業に近いので何の感慨も無い。タオルの温度の他に、人肌のぬくもりもあったのだろうと思い至る。

 やがて夜も遅くなり、明日早めの作戦行動になっても嫌なので寝れるうちに早めに寝ておこうとなり、全員それぞれの部屋に入る。

 部屋の割り当ては俺一人と他三人の二部屋だ。フランス中を巡った行軍道中のキャンプでも同じ感じだったので寂しくはない。

 しかし、なかなか寝付けずに数十分が経過する。久しぶりにこんな良いベッドだからなのか、それともこれから始まる大作戦への緊張からなのか。

 今宵はフィーラ達も周辺警戒の任務は与えられていない。後方での安らかな休息はもう機会が無いからだ。

 ──やはり、眠れない。こういう時は少し夜風にあたって体を動かすに限る。

 そう思い、部屋を出てベランダに出る。豪邸なだけあって、ちょっとしたテラスのようになっている空間だ。

 方角的に街並みではなく田畑の方なので真っ暗闇である。それでも、輝きはある。天頂、夜空の先に星々は瞬いているのだ。

 天文学は戦場地理として重要なファクターであるが、そこまで詳しいものではない。大体の星座の名前を知っているぐらいだ。

 ゾディアックの識別名には黄道十二星座の名前がそれぞれつけられている。宇宙からやって来たダースメテオに因んでの命名だ。

 そして、獅子座の名を冠する少女が一人。テラスにあった席で夜空を見上げていた。

「やあ、レナ。眠くないのか?」

 声を掛けながら隣の席に腰掛ける。少女の横顔はいつか見た光景のように綺麗だった。

「私は夜に強いタイプよ」

「奇遇だな、俺もだよ。そのせいで、問題児アキラ達一同に連れられて散々付き合わされては教官に怒られてたよ」

「でも、楽しかったんでしょう?」

「──まあな」

 俺にとってあのかけがえのない日々は、青春となって今も脳裏に流れている。彼らは今何しているのだろうか。俺レベルで忙しくなっているとは思えないが、程度の差はあれど皆頑張っているのだろうと考える。

 アンニュイな雰囲気をレナと共有しながら、しばし過去に浸る。この特別な瞬間だからこそ味わえる沈むような夜の闇と溶けつつ。

「あ、流れ星よ」

「本当だ、綺麗だな」

 天頂には、一筋の流れ星がキラリと輝いた。

「インフィニットメテオじゃなければ良いんだけどな」

「大丈夫でしょ、それなら彗星群として見られるのが基本だし。あれは本物よ」

「そうか……なら次来た時のために願い事でも考えておくか」

 二人して、満天の星空を見上げる。前に山奥の訓練で見た時と同じような絶景。それをこうして、異国の地でレナと二人で見るとはあの時は予想もしていなかった。

「私ね、天体観測が好きなの」

 ふと、レナが呟く。

「どういうところが好きなんだ?」

「……こうやって夜空に輝く星々を見ているとね、ああ、私達がいずれ天国に行ったとしても何万年も何億年もずっと綺麗に燃えているんだってね。マクロとして見れば何にもない宇宙空間で灯台のように静かに存在意義レゾンデートルを示しているのがとても素敵なの」

 恋する少女のように語り掛けるレナ。その相手は何十光年も先に居ることをわかっているかのように。

「でね、私達人間でも多くの存在情報は残せるんだって気づいたの」

 子供としては達観しすぎている大人の考えと趣味。ある意味で死期を悟った老人のようなそれは戦うことを強いられているからなのか。

 そして、仕方のない現状を前に一人の少女は解決策を見出したのか。

 自分が置かれた状況に重ねつつ、アスクは優しく問いかける。

「それは?」

 満天の星空を見上げながら、少女は語りだす。

「──写真よ。文章でも、映像でもない、中間の情報伝達媒体メディアメモリーが私は良いの」

 レナが辿り着いた答えは写真だった。意外ではあるが、レナに似合っているかもしれない。

「文章だと誰が書いたのか何を書こうとしたのかが伝わりづらくて、映像だと現実と遜色がない分、中身の情報量が多すぎて伝えたいものが飽和してしまう。でも写真なら一定の情報量から色んなことを考えられるでしょう?」

 あくまでレナの価値観ではあるが、不思議と納得してしまう考えだ……。

 静かに話を聞く俺と、熱を帯びて語るレナの対比が程よい雰囲気を醸し出す。

「だからね、私は写真を撮るのが好きなの。天体観測と組み合わせて遥か彼方の銀河団や星雲を撮影……は流石に個人の所有する機材だと難しいから雑誌掲載の写真を見ることで紛らわしてるわね」

「……なるほどな。レナはロマンに憧れる女の子ってわけだ」

「ロマンって……」

 俺の発言に苦笑しながら確かにね、と肯定するレナ。そして間を置いて一つ息を吸い込んだ。

「けどね、これは本当は代替物サブフェイバリットじゃないかって思ってきたの……」

 少し落ち込んだ声音。好きな星々以外にも、本当に撮りたいものがあるのか。

「レナは本当は何を撮りたいんだ?」

「……色んな物よ。野生の動物ワイルドライフ風景景色ランドスケープ街並みシティスケープ……でも一番は──私ね」

「レナ自身?」

「そう。私がここに居たって証拠を残しておきたいから。さっきのレゾンデートル云々の話に繋がるわ。…………でも、フィーラ研究機関から禁止されているの。情報漏洩のリスクがあるから記録には残せないって。だから、許可が無ければ観光地にも行けないし、行ったところで見張りの監視員ガードマンが付近の観光客の撮影をチェックして私達フィーラが写り込みそうだったらカメラを差し押さえて削除させる決まりだから……迷惑になるしどっちみち行けないわね」

 残酷な仕打ちに目も当てられない。カメラに映らないようにするという行動はCIAやMI6のスパイが実践しているものではあるが、目の前の少女がそういう世界を自分から志望したわけではないだろう。フィーラ達は、人々を守るため世界を守るためという考えは自分自身で持っており、その使命に納得していると言っているがそれは提示された選択肢の中で選んだ回答に過ぎない。あの時はフィーラ達の考えを尊重したが、俺からすればまだ何も世界を知らないその歳で戦うことを決定したのは早すぎると言わざるを得ない。俺が、その一人であるからだ。

 それに、あのオルレアンでの楽しかった観光が裏ではそんな見張りがあったのだと思うと大切な記憶を汚されたようで腹が立ってくる。

 フィーラ達への扱いに、表情に出さないようにしながら内心で酷く怒る。

 そして、そんな子達に向けて俺は約束しなきゃならない。

「よしわかった。そしたら、俺が撮ってやるよ。要は平和になればいいんだろう? その時が来れば誰にも文句は言わせないさ。俺が護るよ、絶対に」

 俺の発言に驚いたのかこちらを向いて目を見張る。でも、それが一番嬉しいんだという風に優しく微笑む。

「ええ、そうね……。ありがとう、アスク。ずっと待ってるわ。いつか、その日が来るのを」

 レナが静かに小指を差し出す。その指を、俺は同じ指で絡めとる。

 煌めく夜空の下で、俺は一人の少女と誓いを結んだ。

 それは、この戦争を終わらせるという覚悟でもあり、

 少女を束縛から解放するという信念でもあり、

 『その日』が来るまで、共に生き抜こうという約束でもあった。

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