第8話 霧煙る桑港
サンフランシスコ国際空港に降り立った俺達は、同市長であるダニエル市長の先導の元、クルーザーでサンフランシスコ湾を北上し、そしてアルカトラズ島に到着した。
湾内に孤高に構える、昔は監獄施設があった島だ。
アメリカ人では無い俺でさえ名前と概要ぐらいは知っている有名な場所である。こんな所に連れて来られては、詳細を聞かざるを得ない。
「俺達を牢屋にでも入れるんですか」
それを聞いたダニエル市長は苦笑しながら答える。
「まさか。そんな訳ないよ。ここは軍事拠点としては一番安全だから招待したんだよ。ご不満かい?」
「いや、それなら良いんですが……」
「うん、懸念点はわかるよ。だから島の管理人に聞いてみると良い。ほら、あそこに居るから。ああ、ここで僕は別れるよ。僕がするべき仕事は終わったからね。それじゃまた後で」
言うが早いか、俺達を船着き場に降ろすとすぐさま離岸して島から離れて行く。結局、たいした話も出来なかったし、島までの
含みを持たせた再会の約束の通りににまた会えればその時にでも問うてみるかと思考を切り替える。
──あそこに居る、と市長が示した先に居たのは確かに島の警備員らしき男性。いかにもな元軍人の外見とオーラだ。
俺達が存在を認識したのと同時に、彼も歩いて来る。
「アルカトラズ島へよく来たね。私はニコラス・レイガートだ。元
軽かったダニエル市長とは対照的に、軍人らしい堅苦しい言葉で俺達に挨拶する。形式ばった口調ではあるが、その内容自体はとてもフレンドリーだ。これならこちらも気が楽になる。
と言っても、軍事階級的な対応姿勢としては上官相手として接する必要があるだろう。海兵隊を退役して要塞司令官勤務という複雑な経歴だが、俺の今の階級である『特佐』より上の立ち位置だと考えられるからだ。
要塞司令官や基地司令官は最低階級が大佐で、上は准将、少将、中将という世界になる。当然ながら俺よりも実戦経験があるし、俺自身の性格もあってとてもじゃないが対等の口調で会話は出来ない。ここはいつも通り下手に出るのが吉だ。
「アスク・シンドウ特佐です。お出迎えいただきありがとうございます。お邪魔にならないよう努めます」
「シンドウ特佐、君の事は聞いているよ。──それに、後ろに控えるお嬢さん方も」
歓迎ムードはそのままに、二人のことを気にしてくる様子。
二人はどう反応するか、と少し不安になったが問題なく自己紹介を始めた。
「お気遣いどうも。レナ・エアレンデル特佐よ。フィーラ・レオと言った方がわかりやすいかしら?」
「アリサ・エルゼン特佐です。よろしくお願いします……」
初対面でも意志の強さを示すレナと、人見知りが発動したアリサ。
つまる所、いつも通りだ。下手に緊張していない普段の性格の対応ですよ、とレイガート司令官に言外で説明した形になる。向こうもこちらの素性はデータで把握しているはずなのでこれなら
二人の挨拶を聞いてレイガート司令官は一つ頷くと手を建物の方に差し向けて話す。
「エアレンデル特佐にエルゼン特佐だね。良くここまで来た。さあ、冷えるだろうから中に入りなさい。暖かいスープでも飲みながら話そうか」
──良し、ファーストコンタクトは上手くいったな。司令官とは上手く話せそうだ。
それにしても、立地的に明らかに重要施設である島の軍事要塞に招かれるとは思わなかったな。リスクのあるフィーラを収容するにしてはサンフランシスコ市街地にかなり近い場所でもある。何か理由があるはずだ、それを探って行こう。
──日差しは沈みつつある。人は皆、安息する家に帰る時間だ。
冷たい海風から逃げるようにして、俺達は監獄にも要塞にも見える外観の建物の中に入って行くのであった。
「さて、ここには馴染めたかな諸君」
古びた木製のダイニングテーブルを囲むようにして、俺、レナ、アリサ、レイガート司令官が座る。
「はい、問題ないです」
簡単な温調理の食事──軍人向けの
食事前に建物内を少しだけ見学させてもらった時に見た、監獄島ならではの独房が並んでいる迫力の光景は今も印象に残っている。
ただ歴史遺産として保存されている訳では無い。肝心の囚人が居ない以上、代わりに詰め込まれているのは大量の軍事物資だ。これには西アメリカとしての徹底抗戦の意思が感じられる。他にも、数は少ないながらも
一般人であれば落ち着かない雰囲気だが、俺としては慣れ親しんだ環境に近いのでリラックスしつつ、それでいて集中は出来ている状態に上手く切り替えられた。
一方で、出迎えてくれた時に話していたように人気はあまり感じられない。勿論、俺達にわざわざ姿を見せる必要もないし、それぞれ担当の仕事である警備や室内事務作業に就いているのだろうが、それを考慮してもやや少ない感じがするのは否めない。
だが、施設の拡充度合いや物資の集積量から察するに普段の生活感はもっと大人数で居たようにも感じる。俺達が来るから島に駐在する人数を減らしたのかもしれない。魔導戦闘での魔力中毒による死者を減らすためか、或いは何か別の理由があるのか。
建物内を回っている時にそれとなく「確かに人数が少なく感じますね」と
しかし、それ以外の内容に関しては色々と気になることを話してくれるそうだ。向こうから話してくれるのであれば嬉しい。クロイツ副館長やアーノルド中将の事を思い出しながら会話の態勢に入る。
「では始めようか。まずは、今すぐにでも戦いになった時に備えてここ周辺の防衛計画について説明しよう」
用意していた大きな地図を机の上に広げる。サンフランシスコ周辺の地図だ。アルカトラズ島を中心とした横長の地図であり、クルーザーで見たハンターズ・ポイント海軍造船所が南方にギリギリ入っているかどうかの縮尺である。
……そして、これは普通の地図では無いようだ。至る所に軍事用の秘密地図記号が書かれており、部隊の配置状況や兵器類の配備場所など様々な情報が判別できる。
普通なら絶対に余所者には見せない文字通りの軍事機密情報の地図だ。これを見せて何をするつもりなのか。……経験上、大体察しはついているけどな。
「シンドウ特佐、それにお二人も、マップを見ればこの島の立地が非常に重要だという事がわかるだろう。──説明できるかね」
やはり来たか。要するに俺達の軍事的視野における能力を知りたいのだろう。
話の雰囲気から一発でわかっていたが、レイガート司令官は『質問』してくるタイプ。感覚としては学校の先生や自衛校の教官にかなり近い。いきなり仕掛けてくるとは思わなかったが、俺もつい数ヶ月までは
一応、レナやアリサが説明しないか一拍タイミングを置いて様子を伺う。が、ここは俺に任せてくれるようだな。いや、どちらかというと俺の戦術視野を見てみたいという彼女達の方からもテストをしたいのかもしれない。既にあの激闘を終えているとはいえ、チームワークとしてはまだまだ円滑とは言い難い。今以上に信頼度を上げれれば幸いだ。
「──はい、ご説明いたします。まず、サンフランシスコは主に西側──太平洋からの襲撃に備えなくてはならない立地だと言えます。その際、第一優先護衛目標は市街地ですが、直接西の海岸から陸路で襲撃される他に、サンフランシスコ湾内に潜りこんでの上陸戦で襲撃される恐れもあります。そのため、湾内に侵入されないように、ここ──ゴールデン・ゲート・ブリッジを最終防衛ラインとして設定する必要がありますが、その支援として後方に控えるアルカトラズ島も重要拠点となるでしょう。仮に市街地が一部占領されたとしても、アルカトラズ島を前線拠点とする反攻作戦を展開することも可能です。また、地図記号を見ての判断にはなりますが、アルカトラズ島の北にある『エンジェル島』には対空ミサイル陣地が置かれていますね。東のトレジャー島には軍事拠点も確認出来ます。これら重要拠点への支援或いは逆支援も、湾内中央にあるアルカトラズ島では可能でしょう」
一回ここで説明を切り上げる。長くなってしまったが、上官からの質問には明確な回答が望まれる。ここまでは理由だ。そして、結局何が言いたいのかを述べて終わりとなる。
「──意見をまとめます。西の防衛ラインを支えつつ、南の市街地を援護し、北及び東の拠点と支援関係にある。これが、アルカトラズ島が重要拠点であることの理由だと考えます。……以上です」
久しぶりの問答だったので心拍がかなり速くなっているが、何とか言い切った。さて、結果はどうだ──
「──うむ。少し説明が長いようだが、その理解で概ね正しい。流石は日本の
「ありがとうございます、レイガート司令官」
良かった、何とかOKらしい。慣れているとはいえ、身内じゃない外国の上官相手となると流石に緊張するな。
気付かれないように一息ついた所を、お見通しのようにレナが微笑みながら話す。
「
レナの物怖じしない性格も相変わらずだな、と俺も微笑む。尤も、そういう尊大な姿勢が許されているのはゾディアックを倒した英雄だからに違いない。それに、食事中でも雑談していてそうだと思っていたがレイガート司令官は親フィーラ寄りの人間だな。軍人らしい振る舞いを心掛けていても、やはり親しみを持って接しているのは丸わかりである。先生っぽい性格のタイプからしても、多分優秀な人材には特別目を掛けたくなるのだろう。だからこそ輝かしい功績を出しているレナも積極的に話に入れるのだし、アリサもいつもの性格通りに落ち着きある感じで静かに話を聞いている。話したいのに参加できない、というのではなく、皆の意見を聞いてうんうん、と頷くのがアリサの性格に合っている行動だからだ。そして、必要な場合にはきちんと考えを述べる。これはこれで話に適切に参加している訳である。
良い雰囲気のままに、司令官も流れる様にレナの質問に答えていく。
「勿論だ。まずエンジェル島からにしよう。ここは以前は
地図上に小さく書かれていた対空ミサイル記号図を見てから予想していたが、大体同じ所見だったな。授業で必死に習った感覚は錆びついていないようだ。
「そしてトレジャー島だが、歴史的背景としてNBC戦争に対応した訓練を行っていた場所ということになっている。しかし、サンフランシスコが敵の手に落ちた時にそれらの兵器で奪還する作戦も裏では計画されていたのだ。ここも同じく、冷戦後の不活性化から魔獣戦争勃発による活性化要望によって再び同じ役割として復活し、今も機能している。そのため、エンジェル島よりも重要度は高い。
「目と鼻の先に核兵器があるとは随分と警戒されているわね」
「当然だ。サンフランシスコを魔獣から守るための切り札として、必要だからな」
……怖れられている当事者からの皮肉とは言え、かなり冒険した発言だったなレナ……。
司令官は時期によって核兵器発射体勢に入ると言ったが、本来は大攻勢の予兆等があり次第のことなのだろう。だが、そう言わないで濁したのであれば理由は当然、大攻勢以上の脅威のために用意しているということである。
──恐らく、フィーラが反逆した時に『処理』するためだ。いくら核攻撃すらも防御できる
それを察したレナからの
ダニエル市長が一番安全と言ったのも、横っ腹からいつでも核を撃てるからということだろう。安全というワードが向ける対象は俺達では無く、サンフランシスコだったのだ。
ある意味それは当然のことである。彼はサンフランシスコの『市長』だ。ここを守るためには、どんなこともするのが彼の使命でもあるのだから。
──ともかく、周囲にある二つの島も重要拠点だと言う事が良く分かった。次は、本命のサンフランシスコ現地の話だな。そして、西アメリカ全体の概要話と、俺達の今後の話だ。刺激を加えてくれたレナに感謝(?)しつつ、今一度気合を入れ直すのであった。
「────市街地の細かい配備状況は以上だ。ミサイル陣地や兵舎等の位置を今この場で全て覚えろというのは難しいだろうから、何となくでも把握していれば良い。──では次に西海岸全体の話でもしようか。と言っても、諸君はここにずっと居るわけでは無いのだから簡単な状況だけ言っておこう」
サンフランシスコ周辺の地図を仕舞って、続いて展開したのは西海岸を全体的に見れる地図。北はシアトル、南はサンディエゴまで幅広く確認できる。
「ここがサンフランシスコ。言うまでも無いが、西海岸から見るとちょうど中間の位置に属している。当然ながら防衛上は有利な位置だ。北と南からそれぞれ援軍が来れるからね。実際はどこも余裕が無いから難しいだろうが、攻める側の魔獣軍にとっては常に考慮する必要が出てくる。そのため、中々攻めにくい場所にあるのがサンフランシスコなのだ」
一方で、と前置きしながら別の場所を指す。
「現在のロサンゼルスは最悪な状況と言っても良いだろう。理由は二つ。一つ目は南部のサンディエゴがほぼ完全に制圧されてしまったこと。もう一つは沿岸防衛の要となるロサンゼルス沖合のチャンネル諸島前進基地が破壊されたことにある。このままではロサンゼルスは敗北してしまう。救いたい一心だが、
近隣の有力な大都市が攻略されつつある現状に司令官も重たく呟く。俺の憧れでもあったあのロサンゼルスが……言葉にならないな。
「西海岸全体として見ると、北方はさほど侵攻の勢いは少ない分、南部──特にメキシコ方面からの侵攻が進んでいる。諸君も通ってきたようにあの地域はまさにカオスだ。まともな防衛戦略が出来ない以上、魔獣軍も当然ながらその隙を突いて来る。何せ魔獣戦争が始まる前からアメリカ西部は人口全体の3割も居ないのだからね。さらに内陸部はあのロッキー山脈と砂漠地帯なのもあって人口密度は最低だ。その分、魔獣軍もあまり居ないのだが戦力は常に不足している。……海岸部でも同様に危機的状況なのに変わりは無い。既にメキシコのバハ・カリフォルニア半島は完全に魔獣軍の主要支配地域となっているのもアメリカ西海岸にとっては大きく不利だ。……日本に居たシンドウ特佐や、世界を駆け巡るエアレンデル特佐とエルゼン特佐には分かりにくいかもしれないが、陸地に国境線があるというのは国防上、非常に厄介な要素なのだよ」
超大国としての葛藤が垣間見える話だ。
確かに、日本はかなり特殊な国なのでその環境下で学んできた俺が外国の──特に国境沿いの戦勢把握となると難しいだろう。
形骸化して久しいが、主要国首脳会議──G7の参加国でも陸地で他国と接しない『島国』はイギリスと日本だけである。G7の枠組みに参加していない(元も含めた)主要国……ロシア・中国・インドも島国では無い。
島国としてのメリットデメリットは様々だが、国家に関係無く人類全体に敵なす魔獣軍との戦いではメリットの方が大きいかもしれない。
隣接する隣の国が魔獣軍に攻められているという状況は非常に難儀する状況だ。助けようにも、他国である以上そう簡単に連携は出来ない。場合によっては関係性がもとより悪く、救援と称して国境侵攻されればそれこそ第三次世界大戦の引き金にもなり得るだろう。だが、何もしなければ魔獣軍が隣国を攻略し、広大な支配領域を獲得した後に最前線として接するのは隣にある自国である。
そして、その話は一つの州が一つの国と言っても良い『アメリカ合衆国』でも同様の話となる。説明は避けているが、様々な政治的駆け引きがあるのだろう。東側・西側で別れていても揉め事は避けられないのだから。
「……という話が西海岸全体の話だ。諸君が行く予定のネバダ州に関しては、ここカリフォルニア州と関係性は良好なので迎えの部隊も州境を超えてすぐにでも来るだろう。少ない時間にはなるが、ゆっくりと英気を養ってくれたまえ」
「ご配慮ありがとうございます、レイガート司令官。ですが、戦いになればすぐにでも対応いたしますよ」
「そうね。それが私達の仕事なんだから、全力で頑張るわ」
「その心意気に感謝するよ。さあそろそろ夜だね。良い子は寝る時間だ。飛行機の中では満足に寝れなかっただろう。ベッドで良く眠りなさい」
レイガート司令官の有難い配慮に痛み入りながら、説明会議を終えて部屋を後にする。
……この説明会では、アリサは一言も喋ろうとはしなかった。
席を立つ動作も僅かにぎこちない。今も緊張したままだ。だが、いくら初対面とはいえレイガート司令官はかなり話しやすい人柄だった。
『生徒への愛のある教師』という風に思える程、俺達に好意的な人が相手であればもっと気楽にしても良いだろうに。
本当にいつも通り……なのだろうか。
言い知れない不安を感じながらも、俺はただ俯いた彼女の後ろ姿しか見れないままでいた。
監獄施設時代に作られた刑務官用の小部屋で俺達は一泊するよう指示された。被収容者の前では一切の油断が出来ない刑務官にとって、唯一の休める場所なだけあってリラックスしやすい内装となっている。
監獄島としての歴史は既に70年以上前の話ではあるが、それでもこうした安心できる環境という雰囲気は年月が経っても消えないままだ。
今は要塞の警備員用のバックルームとなっているが、その役割に変わりはない。
昔と比べて変わった点と言えば、壁に掛けられた武器類だろうか。見学時にも他の場所で見かけたM4カービンが一丁だけ用意されている。
叩き込まれた手癖で中身を確認するが、当然の如く満タンで装填済み。そのまま流れで構えてみるも、
訓練で使用していた20式小銃も日本人の平均的な体形に合わせているため、まだ成長途中の少年期でも扱いやすかった。だが、この銃も同等以上に身体にフィットする。流石は洗練されたアメリカのライフルだな。
……もし、この銃を使う事態になれば俺は彼女達を守れるだろうか。
マイアミ国際空港で俺がやらかしかけた『事件』を思い出しながら、未知の敵影に対して銃口を向ける。その影もまた、こちらに銃口を突き付けているイメージ。
僅かに、
…………情けないな。未だに人差し指は震えたまま、か。
一日経ってもなお──いや、時間が経ったからこそ
今までの壮絶な体験で漸くわかってきたが、どうやら俺は直接体験する方が成長に合っているらしい。住宅街やスイスの初陣での咄嗟の判断は頭で考えるだけでは動けなかった。その場の状況に合わせて五感……いや、第六感まで発動しての判断で死線をくぐり抜けて来たのだ。この震えもまた、その時に克服するしかないだろう。
……そもそも俺はレナとアリサを守りたいだけであって人を撃ちたい訳では無い。銃という人を簡単に殺めてしまう武器を手にしている者としての責任は今一度心に刻んで置く。
同時に、何が何でも彼女達を守るとの誓いも再認識させつつ、M4を元の位置に戻す。
──そうさ。俺は普通科コースで『対人戦闘』を学んできた訳では無い。衛生科コースで、人を助ける術を学んできたのだ。
自分の手柄と驕るつもりは決してないが、ゾディアック・スコーピオン戦でレナを助けることが出来たのもそこで身に着けた知識と技術によるものだった。たとえ魔力で身体を再生できるフィーラであっても、戦っていればいずれ死に瀕することはあるだろう。その時、俺が適切に行動出来るかどうかで大きく変わる。比喩では無く、文字通り世界情勢が大きく変わるほどなのだ。
だが、残念ながら
拳銃の弾薬やパワードスーツの他に、医薬品もどこかで補給出来れば良かったなと後悔しつつ、訓練時にずっと付けていた腰ポーチの位置を撫でる。
もし、俺がゾディアック・アリエス討伐作戦に参加するのであればそれまでには再補給出来るだろうと切り替えて襟を正しながらベッドに向かう。
……緊張は隠せない。
また、あの時のように夜間に何か襲撃が起こっても不思議では無いからだ。
湾内にある孤高の島なので周辺警戒は市街地のホテルよりしやすいのはわかっているが、同時に海から潜水部隊でも来られたらどうしようもない。
最悪の場合は飛行魔導で俺達だけでも離脱するしかない。レナのレベル5魔導防壁かアリサのフォートレスであれば携行式対空ミサイルぐらいは容易に防げる。
問題なのはここを戦闘に巻き込んでしまうことだ。司令官も要塞に残った警備員も覚悟の上とはいえ、
──そう自重していることに気づく。いつの間にかフィーラと同等の厄介性を自分にも課していたらしい。
……客観的に見て、今の『新藤亜須玖』という人物はどういう評価なのだろうか。
レベル5魔力耐性があるし、スコーピオン討伐に貢献したのはそうだが、特段それで核兵器並の戦力として認定されることは無い。強いて言えば魔力耐性の希少性から研究対象となるだろうが、今、アスムリン研究所に向かってることこそが答えだ。研究所で諸々研究されるのは必至である。
今更逃げるつもりは無い。フィーラであれば皆通ってきた道だ。今更怖気づくようならとうの昔に自衛校を退学していた。
──覚悟は決まっている。それは大丈夫。
懸念材料は俺の実力だけだ。既にジークフリートは完全分解済みなので再装着は不可能。装備するにはあの特殊トラックのような装備補助施設や担当整備士が必要になる。
この素の状態でどこまで戦えるのか。
全力でレナとアリサを守れるのか。二人に守られるようでは示しがつかない。足手纏いにならないよう、ではダメだ。俺も活躍しなくては。
──どことなく不穏な状況を鋭敏に感じてしまう今だけは、鈍感な性格を望んでしまう。どうにも寝れない夜になるだろうなと思いながらベッドに腰掛けた。
今回は部屋の配分も何も無いので同じ休憩室(寝室)に三人とも寝る形だ。流石にずっと一緒に居れば共に過酷な場で戦闘なり訓練してきた者達同士、パーソナルエリアの共有化は完了済みである。
こんな状況でもしっかりと気持ちを整理してリラックス出来ているのだろう。既にレナとアリサは夢の中に招待されている。
──残念ながら俺は未だそっちに行けそうにないな。
心で呟きながら、俺は気分を切り替えるために部屋の外に出ることにした。
夜間とは言えまだ夜は深まっていないので完全に真っ暗闇では無い。それに、大きく目立つ道標がある。
坂になっている道をゆっくりと歩きながら俺は煌々と輝くアルカトラズ島の灯台の下に辿り着いた。
「…………綺麗だな」
対岸に輝くサンフランシスコ市街地を見ながら一人孤独に呟く。
日本に居た時は節電や灯火管制によって昔の写真で写っていたような煌びやかな夜景は見る影も無かった。
日本を発ってスイス、そしてフランスの様々な場所を巡ったがそちらはより悲惨だった。
アメリカ東部では流石に国力の差を感じたものの、市街地内部に居たり高速道路の街並みだったりでここまでの光景を見ることが出来なかった。
──こうして久しぶりに人類の発展と意地を見ていると、何だかんだでやる気が出てくるな……
と、空元気で奮い立たせるもそう簡単にはいかない。現実は非情だということを知識と実体験で鮮烈に把握してしまっているからだ。場合によっては今此処で俺も狙撃されるかもしれない。
……手持ち無沙汰な両手に、ジークフリートを装備していた感触を呼び起こして、あのハイウェイでやった窓越し長距離射撃の感覚を思い出す。
あれは本当に凄かったな……内部の伸縮スーツが外から身体の筋肉を無理矢理操作して照準した一連のシステムのような動作。忘れられない体験になった。
……一度は手にしたフィーラに匹敵するかもしれない力。第一次世界大戦の時代から続く、脆弱な人体と高い殺傷能力を持つ火器とのアンバランスを同等にまで持っていける禁断の力だ。
さらに、あれでもまだ一部の能力しか使えていないという未完成の状態なのだ。早く完全版になったジークフリートを装備して彼女達と一緒に戦いたい。
──右手を開閉して、強く握りしめる。
そして、不格好なエアーポーズで市街地を照準する。部屋でM4を構えていた時よりかは様になっているだろう。尤も、
今はまだ力は無いけれど──
それでも……それでも、俺に出来ることを精一杯やるだけだ。
「──戻るか」
だいぶ霧が出てきたようだ。次第に市街地の光も滲んでくる。ここサンフランシスコは『霧の街』として有名だからな。流石に冷えてきたし、ここらで退散しよう。
結局一人でフラっと外に出て感傷に浸っただけだったな、と数分前の行動を恥じながら部屋に戻る。
音を立てないよう古びた木製のドアを開いて中に入ると、ベッドから起き上がっていたレナが訝しげな顔をして宙の一点を見つめていた。
何かあったのか、と俺が言う前に質問を放ってくる。
「おかえりアスク。外に行ったのね?」
「ああ。よくわかったな。勝手な行動をして済まない」
「それは、別にアスクの自由だし。問題なのはこっち。貴方の服に付着している極微量の魔力よ──『霧』は出ていたかしら?」
まるでそうあって欲しくないような口ぶりで問うてくる。その意にそぐわないだろう回答しか出来ないが、仕方ない。事実を伝えるまでだ。
「ああ、かなり濃かったが……それがどうしたんだ」
レナがこういう険しい顔をしている時は決まってマズイ事態になっている。発言内容からして魔力と霧に関係があるのだろうか。
何だ、何が起きているって言うんだ。
「……そう、やっぱりね……」
一層、顔を歪めて口を横一文字に結びながら手を宙に翳す。だが首を横に振ってため息をつく。
「……やっぱりダメね。……『
「アダフェラが? 理由はわかるのか?」
「──確証は無いけれど、どうも微量の魔力が霧にエアロゾルとして混ざってる気がするのよね。レベル1魔力にすら満たない程度の濃度だけれど、繊細なレーダーとして周囲に『魔力線』を放って索敵するアダフェラには致命的だわ」
語るレナの口調は今まで聞いたことが無いほどシリアス。確かに、最強のレーダーとして重宝されてきた能力が機能不全に陥ってしまう状況は最悪に近い。
漸く、事態の深刻さが俺もわかって来た。何故、魔力が含まれた霧なんて発生したんだ。たかだかレベル1魔力の霧とはいえ、大規模に索敵できるレナのレーダーが使えないのであればその霧も大規模に展開されているということになる。島周囲……いや、外で見た光景からしてこのサンフランシスコ全体が覆われているのかもしれない。そのぐらいの規模だった。明らかに異常である。
──そして、そんなものが自然発生する訳が無い。
この上なくわかりやすい、襲撃の
「アリサ、起きなさい」
「っ、はい、レナさん。どうしましたか」
今までの
「アダフェラが使えないの。島一帯かそれ以上に広がっている『魔力を含んだ霧』のせいでね。これじゃあマイアミのホテルのような襲撃に備えることも出来ないわ。準備しなさい」
「はい、了解です!」
人間の仕組み上もたらされるほんの少しの眠気顔から、すぐさま戦闘顔にチェンジして気道確保のために空けていた首元の服のボタンを閉める。出会った時から互いに徹底していたことだが、寝間着は当然戦闘服として扱えるものを着用しているからわざわざ着替える必要は無い。ベッド脇に置いていた靴を履いて戦闘準備は10秒で終わる。
チーム全員、一応の戦闘準備は終えた。俺も拳銃を取り出してセーフティを解除する。戦力としてはそれこそレベル1程度にしか貢献出来ないが、判断力で二人をサポートするんだ。
チラリとこの
「エルザ……フィーラ・アクエリアスとの
「……流石に、ゾディアック・アクエリアスが攻めてきているって訳じゃないだろ?」
「──どうかしらね。可能性は限りなく低いけれど、遠距離からでもゾディアックの存在を感知できるのは
一概には否定出来ないのがゾディアックが恐れられる所以の一つだ。。太平洋に面するアメリカ西海岸なら日本海でも俺達に攻撃してきたピスケスの方が来る可能性は高い。
──だが、ゾディアックの仕業では無いなら、通常魔獣軍の仕業ということになる。
「……普通の魔獣軍が霧を生み出しているのだろうか」
「そうね。そもそもここは地理的に霧が出やすいみたいだし、自然の環境に乗じて特殊な魔力霧を発生させることは可能だと思うわ」
「そうだな……。だが、これからどうする。周りの状況確認が難しいとなると、下手に動き回れば余計に奴らの罠にハマるかもしれない。それに──」
最悪の状況に最悪の予想を重ねたくは無いが、それでも言うしかない。だが、聡明なレナは既に把握済みの様だ。
「わかっているわよ。このタイミングでナルコスみたいな『反フィーラ過激派』が来たら魔獣軍と過激派の二つを相手にしなくちゃならなくなるってことぐらいね。別に戦う必要は無いけれど、厄介なことに変わりは無いから……」
うーん、と悩むレナ。
──孫子の兵法で言われる格言に、『悲観的に備えて楽観的に行動せよ』というものがある。だが、肝心の『行動』という要素が一番難しいのだ。
頭の中で悩むのは時間が許す限りいくらでも出来る。例え失敗する机上の空論が出来ても、再度やり直すことで上質なシミュレーションとなる。
しかし、行動するというのはリトライが効かない一発勝負だ。ここで失敗すれば坂を転がるかのように不利な状況に陥って行くし、そこから這い上がるためにはより大きいエネルギー──奇策であったり挽回策が必要になって来る。
俺も考えてはいるが……選択肢は二つに絞られる。それらで悩み中なのだ。
第一案は『脱出』。すぐさまレイガート司令官に状況を説明し、一旦霧の外に出るためにサンフランシスコを離脱するという作戦。成功すればその後の安全が確保しやすいが、脱出時が一番危険でありそこを狙われるリスクがある。フィーラの防御力であれば対空攻撃自体は防げるだろう。仮に戦闘ヘリコプターで待ち構えられていたとしても対応できるだろう。だが、妨害というのは攻撃だけでは無い。突飛なアイデアとしては何か『捕獲網』のようなものを空に広げていたり、バズーカで撃ち出して確保するというのも出来る。捕まったタイミングで閃光弾だの麻酔ガスだのも同時に撃ち込まれれば戦闘不能になってしまうかもしれない。そして、当然相手はプロなのだからこれ以上の捕獲作戦で挑んでくる可能性だってある。
第二案は『待機』。ただ待つというより、一旦様子を見て次の手を伺うという感じだ。ゲームで言えば一手パスに近いかもしれない。一見すると消極的且つ無駄な動きにも思えるが、後先考えずに突っ込むリスクを避けて冷静に判断する材料を探すための大事な行動だ。ここで大事なのは相手の出方を待つだけという受け身ではなく、情報収集や待機後の行動方針の検討を忘れずに積極的に行うことである。そして、機会があればすぐさま行動に移せる準備はすべきである。
俺とレナはこの二案で迷っているのだ。更なる意見が欲しい所だな。
それを察したアリサが申し出る。
「……私は、少し様子を見るべきかと思います」
「それも一つではあるわね。理由は?」
「まだ魔獣の仕業か人間の仕業かわかっていないからです」
……確かにな、これも突拍子の無いアイデアにはなるが、人為的に魔力の霧を生み出すことだって可能かもしれない。霧が出てからの一連の流れが、全てはレナのレーダーを妨害して部隊で攻めに来るための作戦であれば──
「成程な。だが、だったら尚更ここで待ち構えるのは悪手だと思う。理由は簡単だ。俺達は、『人間』とは戦えない」
敢えて主語をチームに広げたが、俺個人の本音が二人とも同じなのかという確認である。
そして、二人ともそれに頷いた。
わざわざ人間と戦うためにここまで来た訳じゃないからな。ここはメンバーの考えが同じで助かった。
「アスクの言う事は私達も同じ考えだわ。そもそも訓練も経験も積んでないし敗北するリスクは負いたくないわね。」
「私も同意見です。可能な限り戦闘は避けたいです……」
「了解だ。──レナ、やはり何とかしてアダフェラを使えないだろうか。例えば、指向性を絞って島の一部分だけとか。或いは、霧の発生源らしき場所とかに照準を当てて……」
俺からの無茶な要請に、レナは目を閉じて考える。
「……出来なくは、無いわ。だけど、そうやって能力を無理に使うとかなり消耗してしまうから短時間は完全に使用不能になってしまうのよ。数mの至近距離だったら使えなくも無いのだけれどね。私の訓練不足なのもあるし、メカニズムの説明が難しいけれどそういうものだと理解して欲しいわ」
「──私のフォートレスは単純なシステムなのでどれだけ攻撃を受けても魔力が無くなるまで問題無いのですが、レナさんの能力は応用ばかりなので……」
「こういう時に『選択』を迫られるのが悩み所なのよねえ私の能力は……」
仕方ないけれどね、と言いながら考えるレナ。待つこと数秒、開いたその眼に映った感情は決意の表れだ。
「──良いわ。全力でアダフェラを使ってみる。南方の市街地に向けて数kmの超指向性レーダーと、この島の上陸部数か所に向けての精密性レーダーで索敵するわ。……今も簡単に試してはいるけれど建物内にまで霧がなだれ込んできているみたいだから無理だし……風が吹いて僅かに晴れたタイミングで本当に、一瞬だけだけれどそれでやるわ」
「頼むぞ、レナ。それでもやらないよりかはマシだ。これで何かわかれば有難いし、何もなければそれはそれで今が動くチャンスってことにもなる」
「オーケー。じゃあやるわよ──」
立ち上がって背筋を伸ばしながら、両手を地面に伸ばす。彼女の周囲を魔力のオーラが包み込む。
初めてレナと会った時、あの住宅街で『
「レナ、俺は外に誰かいないか確認してくる」
「お願い」
能力を構成する魔導術式の事前準備すらかなり集中しているようで返事も簡単だ。これ以上邪魔しない方が良いな。
この部屋の位置はかなり奥まっており、廊下に出るまでに何個か別室がを通る必要がある。襲撃に備えて一番安全な部屋を寝室にするという司令官の配慮だろうが、今は魔力の流出を避けられて有難い限りだ。
──さっき部屋を出た時は武装状態は拳銃だけにしておいたが、状況が悪化した今ではそれだけでは心許ない。壁にかけたM4カービンを両手に持って部屋の外に出る。一回目に持った時は指先も震えていたが、今はもう頼もしい相棒として完璧に身体にフィットしている。やはり実戦でこそトラウマは何とかできるタイプなんだなと自分の素直なまでの体質に苦笑する。
レナの護衛はアリサに任せつつ、廊下に繋がる最後の扉を開いて様子を確認すると──
「ッッ! ここまでかよ!?」
廊下の先には既に、濛々と立ち込める白い霧が入って来ていた。まるで火事でも起こったかのような視界不良の度合いだが、もうこんな所にまで入ってきているとは……。古い建物なので換気能力も低いのだろう。もっとちゃんとした要塞ではNBC防護の完全機密システムぐらい完備しているはずなのに。この辺りは天下のアメリカ様にも限界が見えてくる所だな。
物理的に視界が霞む程の煙量が加速度的に増していく。レナにとってはまさに五里霧中を彷徨うようなものなのだろう。これでは周囲の様子なんてわからないはずだ。
「
大声で呼びかけてみるが、特に反応は無い。
要塞の人達はまだこの異常事態に気付いていないようだ。であるならば早急に連絡したほうが良いか? 生憎、設備が古いため電話線は繋がっていない。
ここも控室とはなっているが当然、他にもいくつかある。そのため、機密保持や魔力中毒のリスクを考えて一般の警備員やスタッフとは区画が分かれおり、彼らは建物の反対側に居ることがわかっている。この情報はレイガート司令官と別れる時に聞かされていた。
いくら何でも流石にここまで霧が酷くなるのは異常な状況だろう。今まさに事態に対応しているはずだ。だが、人手不足も相まって俺達の部屋にまで担当員を派遣する余裕は無いらしい。
……ひとまず、現時点では要塞の人達が魔力中毒になる危険性は低いようだな。
そう一安心した時、部屋の奥からレナの叫び声が聞こえる。
「──アスク!! 戻って来て!!」
「ッッ!! わかった!!」
すぐさま踵を返して全速力で部屋を駆け抜けて再び元の部屋に戻る。かなり緊迫した様子の顔でレナが待っていた。
「アスク、今アダフェラで確認したけれど、この島に『戦闘部隊』が居ることが確認出来たわ! 数は10人以上。しかも既にこの建物内に侵入しているようね。思った以上に深刻よ」
「……戦闘部隊、か。要塞島の警備システムを無効化して侵入してきているとなると、それこそ特殊部隊レベルの戦闘力だぞ……」
満足に使えないとはいえ、レナのアダフェラの精度はかなり高い。信用できるだろう。霧と一緒に『戦闘部隊』も入って来ていたか……。非情にマズイ状況だな。
「……ここで待っているのは袋小路になりそうですね……」
「でも脱出するにはちょっと遅かったかもね。昔からある建物だし、地図の入手も容易でしょう。そこから一番防御力の高い部屋も割り出してくるはずだわ。つまり、私達の居場所はバレているわね」
「迎え撃つしかないってことか……」
「そうね。でも要塞の人達の援軍も来るかもしれないわ。そうすれば逆に挟み撃ちに出来るし。──ここで戦うってことで良いわね?」
レナの確認が飛ぶ。チームの戦闘方針を決める大事な場面だ。俺もこれに賛成だし、もうこれでやるしかない。
「はい。それで行きましょうレナさん、アスクさん」
「了解だ。やろう」
……だが、一つの問題点がこのチームにはある。
『実力』という観点からすると例え特殊部隊が相手でも十分戦える戦闘力だ。だが、それはつまり、魔導戦闘によって相手を確実に死亡させてしまうという戦い方によるものなのだ。
──ここで戦うにあたってフィーラは手加減が出来ない。特に閉所であれば余計にだ。
そもそも『殺す』のと『無力化』というのは大きく違う。互いの実力が拮抗するか片方の戦意が高ければ、無力化というのは途端に難しいものとなる。
そう考えると、レナの戦闘力は人間を相手にするには高すぎる。これはナルコスと戦う前からわかっていたことだが、実際に奴らと戦ってみてしっかり実感したものでもある。
アリサの戦闘力は防衛に関しては最高級だろう。それに、フォートレスを展開しながら突っ込めば一切抵抗させずに倒し切ることだって可能なはずだ。だが、それにはどうしても魔力が関わって来る。
あの心優しいアリサが実行出来るかは置いておいて、もしやるのであれば魔力を纏わせて強化した拳で殴打するとかのバイオレンスな光景になる。そして、レベル5魔力で攻撃されれば例えボクサーのパンチ並に威力を調節していたとしても急性魔力中毒で即死する。
残るメンバーは俺だが、カービンライフルが一丁あるだけの火力は相手も同じように持っている。それでいて、対人戦闘訓練は向こうの方が長年積んでいる。
俺は学校で色々と学んだとはいえまだまだ戦闘の素人。これでは一人と相打ちになれるかどうかの戦力判定だ。
──正直言って、このチームで特殊部隊を相手に誰も殺さずに戦うというのは難しいだろう。
だが、やるしかない。待ち構えるのであればまだ多少は勝機はあるはず。それに、この霧もスモーク代わりになってこちらに有利に働くかも。レナの合図で戻って来た時に通った部屋達のドアを閉めなかったので、今、眼前にある閉まっている扉の前まで霧はあるはず。暗視ゴーグルも赤外線センサーも満足に性能を発揮できないだろう。
アスムリンの関係者が来る前に、結局襲撃者がやって来たな……と半ば心の中で愚痴る。
机を転がして即席のバリケードにしつつ、銃口をドアに向けて構える。装弾数は満タンだが、予備弾倉は無い。撃てる弾薬はこの小銃弾30発と拳銃弾15発だけだ。ナイフすら無い貧相な装備だが、仮にあった所で
……フーっと一息をついたその時、後ろから肩を叩かれる。
振り返ると、レナがハンドジェスチャーでドアの前を指して何か合図している。
──解読するに、「敵が居る」……のか。早いな。アダフェラも流石にこの至近距離であればわかるのだろうが、つまりそこまで近づかれているということになる。
気付かれたことに気付かれないよう、もう声も出せない状況だ。アリサとも顔を見合わせて、やるぞ、と互いに頷く。
──緊張の一瞬。
どう
刹那に迷った瞬間に、ゆっくりとドアが開かれる。
ダメだ、先手を撃つしかない。腹なら防弾チョッキで殺傷力は落ちるはず、
「Hey!! Hey!! STOP!!」
引き金に力を入れた瞬間に、大声で呼びかけられる。独特な音程と最悪のタイミングで発されたその言葉に身体が硬直してしまう。
その隙を突いて、まず片手を入れて、半身をドアの陰から乗り出して、そして両手を上げながら部屋に侵入してくる武装した兵士。
予想通り、まさしく特殊部隊の出で立ちではあるがその様子は完全に非攻撃状態だ。
「──ッ、そこで止まって!」
敵チームの半分ぐらいが入った所でレナが静止を要請する。素直に従って部隊は停止する。
兵士はライフルこそストラップで首にかけているものの、両手は完全にオープンだ。見ようによっては降伏状態にも思えるし、俺達に対して敵意が無いとも読み取れるポーズ。
油断を誘うブラフでもあるが……結局、それで逡巡したタイミングで兵士達に侵入されてしまった。それは虚を突かれて防げなかったから、反撃の一手として、このタイミングでストップの要請をしたのだろう。
素直に従えば確かにこちらに敵意は無いのだろうと材料が一つ作れるし、途中で止まらせることが出来れば、もっとこの部屋に攻め込むのも撤退するのも難しくなる。軍隊の室内戦闘のテクニックではなく、単に集団が部屋に入りづらい1シーンを生み出した訳だが、この発想の柔軟さは流石レナである。
だが、向こうも向こうでどうする、という反応だ。ドアの陰から背を伸ばして顔を覗かせてこちらの様子を奥から伺う兵士もいる。
──人数は8名か。先程のレナの索敵より数は少ないが……
「アスク、これで近くに居るのは全部よ」
他に隠れている訳では無いか。なら3対8の構図は確定だな。
今もレナは魔力で応戦出来ない代わりにアダフェラを使ってくまなく走査しているようだ。先程、全力で能力を行使したのもあるし霧の妨害越しであるため身体への負荷が大きいというのは、顔に汗を浮かばせるほどの様子を見てわかる。
アリサは既にバリケードの下部にフォートレスを部分展開して、拙い木製バリケードの防御力を補強している。兵士に見えるよう防壁を展開していないため、こちらもまだ戦闘行為を直接示している訳では無い。
ふと、部屋に入っていた兵士が上げたままだった両手をゆっくりと頭の横に添えてバイザーを上げる。素顔を晒したのだ。その表情からは、俺達は敵じゃない、信用してくれとの感情が伝わってくる。
クソッ、見れば見る程、頼もしいアメリカンナイスガイ達に見えてきてしまう光景だ……。
「……皆さん、……多分、大丈夫です。……信用しても良いかと……」
アリサがバリケードの下側から囁く。彼女と比べて相対的に疑わしい性格であるレナと俺が互いの顔を見つめ合って思案する。
不可解な状況だが、簡単に動くことが出来ない。プライベートジェットでの一触即発の時とはまた違って、どうにも不愉快な緊張感だ。
アリサは信用しても良いと言う。証拠となる理由は追って言ってこなかったから、感覚的なモノなのだろうが……。
……俺としてはまだ判別しかねる状況だ。この期に及んでまだなんて言っている余裕は無いが、それでも難しい。
ここで油断して気を抜けばその瞬間に、全員皆殺し──ああ、ダメだ。どうすれば良いんだ。
──その時、部隊の一番後ろに居たリーダーらしき一人の男がヘルメットを脱ぎながら、最前列の兵士を掻き分けて顔を見せながら俺達の前に出る。
「……うん、やはりそうだ。アリサ君だろ?」
男がそう言うと、アリサが反応する。
「──っ! フルカワさんですか!?」
「ああ、そうだ。いやぁご無沙汰しているよアリサ君。良かった君に会えて」
フルカワと名乗った男──外見からして恐らく
「……知り合いなのか」
「はい! 以前、私が居た研究所が攻撃された時に助けてくれた……恩人さんです!」
「ロバート・フルカワだ。アリサ君とは縁があるが、部隊の数人もその時居たメンバーではあるよ。私は
どことなく親譲りの日本語訛りがあるような英語の発音でこちらに語り掛けるフルカワさん。年齢は30代程度で印象的には若いパパさんのような感じ。
その表情と語り口はとても優しく、直感的にだがアリサの事を親身に想ってくれている信頼できる人物だと思える。
──これなら、大丈夫そうか。
「いや、こちらこそ拙い英語で申し訳ないです。アリサのお知り合いが居るのであれば問題ないですね。──それで、どうしてここに来たんですか」
知り合いだから、信用は出来る。だが、武装状態で俺達を探しに来た理由は何か。それを知る必要がある。
「私達は君達の『保護』及び『輸送』を命令されたんだ」
それを聞いたレナが反応する。
「迎えに来てくれたってことで良いかしら。アスムリンが」
この特殊部隊──多分SWATかそれに近しい戦闘部隊──はアスムリンから派遣されたものなのか。いや、確かにその可能性は高い。先のアリサの発言からして研究所を守る役目もあるのだ。
対魔獣ではなく、対人戦闘用の部隊として。
「その通りだよ。さあ早く行こう君達。
大攻勢……か。頭の片隅で予期していたがまさか本当に起きてしまうのか。
サンフランシスコは何回も大攻勢の襲撃を受けてはその度に傷付き、それでも跳ね返してきた。だが、そう何度も撃退できるものではないのが大攻勢だ。魔獣軍のなりふり構わない全力攻勢を受ければ確実に疲弊する。今、サンフランシスコが健在なのも奇跡に近い代物なのだ。
──フィーラ二名が居るのであれば撃退できる可能性は大きく上昇する。それは間違い無い。
別にネバダ研究所には後で向かえば良いのではないか。今はサンフランシスコを『救う』ことが第一優先では無いのか。
──そんな
戦力としての使い所を間違えるとやがてそれは敗北に繋がっていくだろう。
思い出せ、アメリカに来た理由は何だ。
──ゾディアック・アリエス討伐戦のためだ。
サンフランシスコで戦うことで、局所的乃至戦術的には勝利したとしても、大局的乃至戦略的にはアメリカ全体を救うことに繋がらない。俺達の勝手な判断でサンフランシスコに助力したとなると、他の市からの救援要請が飛んでくるだろう。それを断るにはダブルスタンダードになる。
そして万が一ここでフィーラを失えば取り返しのつかない事態になってしまう。アスムリンとしてはそれが一番最悪のシナリオなのだろう。
俺としても、一刻も早く大陸中枢に巣食うアリエスを倒してアメリカ延いては世界の負担を少しでも軽くしたい。それが、この旅で見て来た俺の答えだ。
──ここは、堪えるしかない。
「了解です、行きましょう」
俺が一番に声を上げる。それに反応してレナとアリサが俺の顔を見上げる。
二人とも魔の誘惑に駆られていたのだ。歴戦の戦士とはいえ、脅威が差し迫った状況で差し出せる手を敢えて引っ込めるというのは非常に耐え難いものである。
だが……時には一貫した目的によって救える命が増えることもある。
それが、『見捨てる』という選択肢だったとしても──
「……よし。上空かこの島のヘリポートにヘリコプターが待機しているはずだ。ここを脱出しよう。この霧のせいで通信が繋がりづらい状態になっているが、この部屋に来るまでにここの要塞の人とは会えた。既に君達を護送することは伝えている。別れの挨拶は出来ないが、状況が状況だ。我慢してくれ。あと一つ、君が持って来ていた『スーツケース』は後で我々が回収しておく。心配はいらない、そのまま何も荷物を持たずに行くんだ。良いね? ──第1部隊、フォーメーションB! 対象を護衛しつつ、離脱せよ!」
有無を言わせぬ速さで必要情報を説明し、それからは統率の取れた動きで部隊は駆け出して行く。
レナは──何とか耐えたという表情で一歩歩き出す。察するにあまりあるその辛い感情からは、以前自己紹介で言っていたことを思い出す。
『好きなものは誰かを助けること。嫌いなものは諦めること。』
──そのどちらにも反する行為だ。だが、何とか耐えてくれた。
そしてアリサは……同じようにレナの後をついていく。顔は下に向いていて感情が読み取れない。俺も余裕が無いため部隊についてくので精一杯だからそれ以上、彼女の様子をくみ取ることが出来ない。
俺達以上に思う所があるのだろう。痛いほど、その感情がわかる。俺も胸に突き刺さる思いだ。それでも、撤退に賛成して歩き出してくれたのは知り合いに会ったためか、それとも──。
動きはスムーズに、だがその纏う感情は重苦しく霧に塗れた室内を俺達は飛び出したのであった。
俺、レナ、アリサの三人を部隊のフォーメーション中央に格納して狭い建物内を移動して行くフルカワチーム。
元監獄なだけあって、こういう時の移動には多くの制限がかけられる構造だ。脱獄に備えての複雑な構造なのだろうが、霧もあって余計に動きづらい。これは、部隊がかなり周囲に警戒している動きなのも理由にある。建物内を移動する当然の連携行動なのだが、それにしては妙に緊張感が高すぎる……。まるで、確実に敵が居ると思っているかのように。
──すると、暗い通路の陰にナニカが横たわっているのが見えた。
……いや、最初からわかってはいた。フルカワ隊長率いる特殊部隊が控室にやって来たその時から。
部隊の何名かが持つ小銃から硝煙の匂いがしていたのだ。それも、発砲直後の独特なあの匂いが。
サイレンサーで発砲音を消していたとしても、撃った証拠は残る。この、遺体と共に。
多分、俺達を襲撃しに来ていた反フィーラ過激派なのだろう。傍に遺された武装から判断して、ナルコスのようなまさしくゲリラのような火器類なのでそう判断できる。
フルカワ部隊と同時のタイミングでアルカトラズ島に侵入していたらしい。であればレナの判断した侵入人数とも一致する。フルカワ部隊は俺達の事を守ってくれたのだ……。
それが薄々わかっていたからこそ──その対人戦の、血の匂いに怯えてサンフランシスコを救うか否かの判断が鈍ったのだ。
『戦争』というものに身を置いている以上、いつかは直接味わうものではある。例え魔獣軍やゾディアックとの戦争であっても、全人類が一丸となって協力できる訳では無いのだから……。
──余計な思考は捨て置き、俺も部隊の兵士と同じように潜伏しているかもしれない襲撃者に警戒しながら素早く進んで行く。外に近づくにつれて霧が濃くなり、視界をさらに奪っていく。
もう一寸先も見えないレベルの濃度となったその時、先頭に居た兵士が外に通じる扉を開けた。同時に流れ込んできた冷気と共に、視界も開ける。
漸く、外に辿り着けた。
外も外で霧が凄いが、室内よりかはマシだ。馬鹿げた話だが、何者かが送風機か何かで建物内に霧を送り込んでいたようにも思えてしまうな。
「──あそこだ! 早く乗りなさい!」
フルカワ隊長が小銃に装備していたフラッシュライトを点滅させながら、上空に待機してたヘリコプターらしき機影に合図を送る。
すると、ヘリコプター側からも光の信号が帰って来る。出発の準備は大丈夫なようだ。
俺達が乗り込むのにロープは必要無い。後は飛行魔導で飛び上がるだけだ。
未だ難儀している表情のレナの手をぎゅっと握る。もう片方の手で、アリサの手も握る。
「……行こう、二人とも」
俺だって、本当は
戦闘で傷付くだろう人達を置いて、自分一人で離脱する屈辱は……あの卒業訓練の時に嫌という程味わった。
ここが母国でなかろうと、友軍が同じ釜の飯を食ってなかろうと──その辛さは同じである。
だが、行くしかない。俺達は、行くしかないんだ。
その俺の覚悟に応える様に二人とも強く握り返してくれた。
「──フルカワ隊長、護衛、ありがとうございます。行って参ります」
「ああ。気を付けて。君達の無事を祈る」
フルカワ隊長や他の兵士からの激励を受けながら、俺達は立ち込める霧の元から解放されるかのように、地を飛び立ってヘリに乗り込むのであった。
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