第13話 ウロボロス実験

「──君が混乱することは承知の上で、単刀直入に言おうか」

 俺、マリーさん、そしてデューズ博士の三人が研究所の一室に集まっての会議。

 二週間の実験の日々で初めての事である。マリーさんも何も聞かされていないようで、俺と同じように不安と、そして言い知れないような期待が入り混じった表情である。

「アスク・シンドウ。君は、使はずだ」

「──ッッ!?」

「あらまあ!」

 その一言に俺は忠告された通りに酷く混乱し、マリーさんは驚いてはいるものの半ば予想していたかのように言葉を述べる。

「より正確に言おうか。単に魔術が使える、というものでは無い──」

「…………だったら、魔導術式──レナが使うようなレベル5光学魔導砲撃といいたことが出来る能力……ってことなんですか?」

 今までに学んだ魔術と魔導の話から考察するも博士は僅かに頷くだけだ。

「それもやがては実現するだろうな。だが、君のはのものだ」

 最初に単刀直入に、と言ったのに勿体ぶって小出しにして話す博士。こんな様子は今までに見られなかった。冒頭からとんでもない内容だが、まだ上があるって言うのかよ……。

 ──レベル5魔力耐性なんて得体のしれないモノよりも、もっとヤバいもの……。

 一つだけ、思い浮かぶことはある。だが、本当にそれだったらとんでもないことだ。

 ……博士が言い淀んでいるのであれば、こちらか言うしかないだろう……。

「デューズ博士。──まさか、俺は、『フィーラの能力』……いえ、『ゾディアックの能力』を、使えると……?」

 自分で言っていて荒唐無稽な話としか思えない内容。

 だが、現在の話の材料で考えられる予想はそれだけなのだ。

 ──そして、そのバカげた予想に、博士は肯定する。

「ああ、そうだ。その通りなのだ。『百聞は一見に如かずSeeing is Believing』──この映像を見てくれ」

 そう言ってタブレットに表示された動画を見せてくる。

 映し出されたのは空から撮影したと思われる映像。かなり荒いが、ギリギリで判別できるものだ。

 提示された映像は……どうやらあのパリでの戦いを撮影したもの。ゾディアック・スコーピオンとの戦闘様相だ。

 その中盤、スコーピオンが尻尾から巨大な炎を噴出させ地表を薙ぎ払った光景。

 凱旋門が崩落したその瞬間、落下していく俺。

 今、自分の頭で思い出しても重いトラウマの映像だが──ん、待て。

 その、落下している俺の身体に映像が拡大していくと……違和感を覚えるな。見ようによっては、全身が淡い光に包まれている……気がする。

「これはアスムリンが手配した高高度戦術偵察用ドローンからの空撮映像なのだが、さらに映像解析を行って鮮明にしたのが、これだ」

 タブレットを操作してノイズが除去された映像を見るも……間違いない。

 やはり、俺の身体が光っている。しかもそれは、魔獣達やフィーラが扱うような魔力の光のそれに近いぞ……。

「──アスムリン我々の考えはこうだ。『アスク・シンドウはフォートレスを展開して身を護った』のではないか、と」

 博士が語る考察。そうだ、確かにあの光はフォートレスを展開した時の防壁の色に似ていた。

 そして、あの高さから落ちて死ななかったのはでもでも無く、である。

 ゆえに、助かった理由があの最強防御であるフォートレスを使ったというのであればそちらの方が自然かもしれない。

 ──事実として、アリサのフォートレスはあそこま遠距離で展開は出来ない。仮に出来たとしても、戦闘後にでも大丈夫でしたか、の気遣いの一言があったはずだ。彼女はそういう性格の子だから。

 アスムリンという一番の研究機関がそうだと分析したのであれば、その通りなのだろう。受け入れるしかない──な。

 問題なのは、なぜ俺がそれを使えるのか。

 そして、今も使えるのか。

 その疑問は博士も抱いているようで話を続けてくる。

「先程君に言った魔力を使える才能というのは、実は他の人間でも確認されているものでね。魔力耐性と同様に、『魔術を使う人間』というのも存在するのだよ。尤も、その人数は限りなく僅かではあるが」

 フィーラに近しい──いや、魔獣に近しい人間が他にも居るとは……。

 魔術、と言うと古来より魔女や魔法使い等の伝承はあるが実際にそれを行使出来る訳は無いはずだ。そもそも、魔力粒子なる今までの物理法則とは違うものによって発現される現象なのだから、それが無くては始まらない。魔獣戦闘が始まってから、漸くその存在を人類は認識したのだ。今もなお、その粒子の非科学的振る舞いから非現実的だと考える研究者も多い。

 そして、それを人間が使えるとなると話は余計に拗れる。信じたくない者も多いだろう。

 可能性としては、このように考える方が自然だ。

「……その人達もフォルスヒューマンかどうかのテストはしたんですか」

 魔術を使える人間、という存在よりも人間に擬態した魔獣の方が可能性は大きい。この9年間で培われた常識に沿うならば、の話だ。

 全人類を代表するかのような問いに対して博士は答える。

「当然だ。そして、複数人居るならばやがては他の多くの人間にも使えるようになるだろう。魔力耐性も同様に──」

 だがしかし、と話をさらに続けて、

「『レベル5魔導』に関しては別なのだ。それだけは、フィーラしか扱えない。……扱えない、はずだった。ゾディアックとフィーラが使える『固有能力』も同様だ。そのデータが、。君の存在と、この映像一つでな」

 今まで信じ切っていた常識が覆された衝撃は大きかったのだろう。口調は果てしなく重い。

 ……それもそうだろう。何せその大事件を引き起こした張本人が目の前に居るのだから。

 ──今日、その情報を知って俺に報告した訳ではないはずだ。前々から知っていて……それこそあの映像がアスムリンの研究所に送られて分析していた可能性は高い。

 推察するに、この二週間の期間ずっと慎重に実験を繰り返していたのは俺の身体に魔力が流れているかどうかのテストだったのだ。仮にフォートレスを本当に使えるのであれば、魔力があることが絶対条件だからな。照明方法としては敢えて逆側からといった感じである。

「……今、こうしてその情報を俺に話すのは何か理由があるからですね」

「ああ。具体的な実験方法は言えないのだが、結果としては君の身体には極微量ながらも魔力が流れていることは確認された。つまりは、魔術、魔導、そしてが使えるということだな」

「……そうですか…………」

 ──博士の言った実験結果を吟味する。

 ……ようやく、その言葉が身体に浸透してきたようで自分の恐ろしい性質に対して自覚し始める……。

 マジか……なんで俺がそんな身体になってるんだよ……。

 …………。

 ──いや、ここは冷静にものを考えよう。理解不能なことにナーバスになるよりも、戦力的な評価を考えよう。

 俺は、アリサのようにフォートレスを使えるらしい……。

 今、それを聞かされた所で、じゃあ今ここでやってみてくれと言われても俺には方法が見当もつかない。自分が使えるなんて思ってもみなかったことだから別にアリサにコツとかも聞いたことは無かった。

 俺はあくまでレベル5魔力耐性を持っている人間だけであって、そしてアスムリンからもジークフリートなり他の個人兵装で戦闘させてデータを取ってそのフィードバックで何かしらの対魔獣戦力を量産して、アスムリンが企業として発展するだろう……そういう考えの元、俺という人間に対して援助していて、今後もそうするのかなという所までは予想していたのだ。

 が、ここで急に、君はフォートレスを使えるのだという情報が飛び込んできた。

 俺は、今後どうなるのだろうか。いやまずは、ここでさらに徹底的に調べられるのだろうか……。

 核攻撃すら耐えると言われるフォートレス。

 守られる側でその有効性を肌で実感していたのだが、まさか俺にその役目が回って来るとは。

 ──と、ここまで自分の中で整理していたところであることに気付く。

「……ちょっと待ってください。……『固有能力』を使える、と言いましたか?」

「ああ、そうだ」

 いや、待てよ。それで肯定されてしまったらこういう答えになる。

「つまりは……俺が使えるのはフォートレスに限らない、とアスムリンは考えているんですか?」

 更なる非現実的な考えに対しても──博士は頷いてしまった。

「そうだろう、と我々は予想している。尤も、この意見を最初に提示したのは外部のフィーラ専門家だがね」

 外部の専門家……誰だろうな。フィーラの研究ならアスムリンが第一人者みたいな感じだろうに。いや、流石に外部と言うのにアスムリンに助言できる存在というのもおかしい話だ。

 何か裏があるのだろう、と一旦結論づけて思考を戻す。

「専門家本人は半ば直観に近いと語っていたそうだが、アスムリン関係者では既に確定した情報として見られていてね。私にもそのが掛けられている」

 そのため、とわざとらしい前置きを挟んでから俺に言った。

「私としても、今後ともフォートレス再現実験及び他固有能力再現実験に対して、是非協力して欲しい。改めて、君に要請する」

 そう言って、俺に対して頭を下げて来た。

 やろうと思えば無理矢理にでもいくらでも実験出来るだろうに、敢えての要請と来たか……。

 俺としても、本当にフォートレスが使えるのかどうかは知っておきたい。まだ、あの映像もアスムリンが用意したフェイクの可能性もあるしな。それだったら俺の生還理由もまた謎に戻るので低い可能性ではあるけどな。

 そして、他の固有能力使えるのか。もし本当に使えたとして、どの程度の──全部で12個なのだが──数を使えるのか。

 博士が語っていた好奇心の話が、俺にもわかってきた感じがする。

「──わかりました。協力します」

 その言葉を聞いた博士は安堵したかのように少しだけその眼鏡の下に隠された表情を緩めると、感想を述べつつ右手を差し出してきた。

「ありがとう。今後とも、よしなに」

「はい。まだ半信半疑ではありますが、再現に成功するよう俺も頑張ります」

 がっちりと、男の握手を交わす。

 その時、大きな音を立てて部屋のドアを勢いよく開け放ちながら誰かが入って来た。

「ンンンンン~~~???!! よしッッ、じゃあやろうかァァ!! シン・ボーイ!!!」

「ッッ!? !! なぜここに!!」

「ン?? あァ、ここでトム・ボーイとシン・ボーイがなにやら密談していると聞いたから来たんだが!!? ン?? ああ、マリー。お前もここに居たのか」

「お久しぶりです、レグナグレ博士」

「ふん、では、行くぞォシン・ボーイ!! ついて来いッッ!!!」

「ちょっ、なんですか急に!」

 腕を掴まれて無理矢理にでも引きずって連れて行こうとするレグナグレ博士という男。

 俺からしたら外国人なので判別が難しいが年齢は40代ぐらい、皺くちゃの白衣と精力的な日焼けの顔、そしてその顔に浮かぶ引き攣った笑顔が強烈な印象を与えてくる。

 が、そんな外見情報よりも明らかにデューズ博士とマリーさんの反応からして非常事態だと察する。

「おっとォォ、ミスターマウスは反抗的か?? これはが必要だなァァ、ン~~何をかなァァァ♪♪」

 ……この人のセリフを聞いてるだけでもわかる。こいつは、ヤバい。

 だが、一気に無言になってしまったデューズ博士とマリーさんの二人は静止する態度は取らない。……取って、くれない。

 いや、マリーさんは俺と博士が話していた時は静かになっていたのだが、それは明かされて白熱していく情報話に対して引き下がっていたというだけであって、それは配慮の無言だったのだ。事実、表情は別に固くも無くむしろ優しかった。まるで息子と、その友人の話し合いを穏やかに聞いている母親のようだった。

 だが、レグナグレ博士が来てからは一気に無表情となっている。今まで見たことも無い、静かで怖い顔だ。それほどまでに、この男は…………。

「ンムンムンンン~♪ よォォォォォしィ、決まった!! 今すぐ行くぞ!! それともここで二人を巻き込みたいのかねェェ!!??」

 畜生、何をしでかすのかわからんが二人を巻き込むのはダメだ……! 従うしかないのかよ。

「……ハイ。今、行きますよ」

 おべっかの笑顔なんて出来る訳も無い。直観的にわかったんだ。こいつが、諸悪の根源の一つだと。

 レナや、アリサ、みんなに対して不当な非道実験研究をしていたのは、こいつなんだと。

 ……あまり、暴力的な思考にはなりたくないのだが、最悪の場合は俺が手を出すしかない。俺一人なら耐えられるが、理由なく周りまで巻き込んだらもう我慢の限界だ。

 ──いざやるとなったら、異分子の俺しかやれないだろうしな……。

 この研究所に初めて来た時にも表出した魂からの底知れぬ怒りをぶつけながら、俺はレグナグレ博士の後を追うために部屋の外に出る。

 話の流れを急に断たれて連行されてしまう詫びを込めて、出る寸前に振り返って頭を下げる。

 僅かに捉えた視界の中で、こちらを心配そうに見つめる二人の表情だけが、心に深く刺さった──。


 新藤亜須玖は、レベル5魔力耐性を持っている。それは、フィーラによる魔導戦闘の中での高濃度魔力残滓にも問題なく耐えられる代物。

 という認識を一変させる、大事件。どうやら俺は、ゾディアックとフィーラの『能力』を使える、らしい。

 その話は現状、凱旋門の時の映像と、そしてその説を多少は裏付ける俺の身体に魔力が流れているという実験結果からのものだ。

 だが思うに、どうも話に上がったとやらが怪しく思える。外部と言いつつ、アスムリンに対しての発言力はかなりのものだと考えられるからだ。

 ──その人がそうだと言えば、そうなのだろう──

 そういう認識が広まっている気がする。ある意味で、その人に俺は遊ばれているのかもな、という感じだ。まあ現実としてはそこまでの話でも無いとは思うのだが。

 ……ともかく、その人とこのレグナグレ博士はあまり関係が無いのだろう。どう考えても、自分一人で何もかも研究なり実験なりやりたいタイプだ。

 そういうタイプには、一旦は素直に従うしかない。酷い風に脅されても、唯々諾々ドナドナと歩いて行く。

 途中で合流した直属の部下らしき研究員達と警備員を引き連れて行動する。さながら大病院の総回診のようだな。

 気が逸るのを抑えられない性格なのか──まあそうだろうが、早歩きの博士を俺も少し苛立ちながら追いかける。

 そして辿り着いたのは無機質な小さい部屋。一目見て想起されたのは刑事ドラマで見るような取調室である。

 見慣れていた巨大な立方体形状の白い部屋と違って、圧迫的かつ不穏な気配を漂わせている。

 部屋の中には一つの机と椅子があった。

「さァ~~~~てッ、シン・ボーイ。罪深き小僧sin boyよ。そこに座れェッッ!!!」

 しれっとシンドウのシンとsinを掛けて馬鹿にしているということを示しつつ、座るよう命令してくる。

 マジでやべえな……と半分鬱になりながらもこれがアスムリンの実態本性だなと思って座る。

 俺が座ると同時に、博士とその一行は廊下に引き下がって、隣の部屋らしき場所に入る音が聞こえる。

 この小さな部屋には、壁に大きな鏡があるのでそれがマジックミラーだとするならば本当に取調室のような構造になっているのだろう。そこから俺の様子を確認するつもりか。

 ──一人、取り残された状況。

 一方的に好奇の視線に晒されているだろうストレスに溜息をつきながら机の上に視線を移す。

 そこにあるのは、金属のリングが嵌められた試験管と、何も薬剤は入っていないが針はついている10mlの注射器。衛生科コースで馴染みのあるそれらが、意味深に置いてある。

「ンンン~~ではァ、『』開始ッッ!!」

 天井角についている監視カメラとその横にあるマイクからレグナグレ博士の叫び声が聞こえた瞬間、机の方からパリんと割れる音と、何かが振動して机とぶつかり合う不快なバイブレーションが聞こえる。

 金属のリングが振動して試験管を割ったようだな。わざと共振破砕でも起こしたか。

 試験管の中の透明な液体が、机の上にゆっくりと静かに広がっていく……。何だよこれは……。

 ──瞬間、に強烈な違和感。

 がしたと思ったと同時に喉も焼け付くような痛み。咳も酷く出始める。

 これはッ……マズイ! 今の液体が揮発して、その正体は、毒ガス、かよ。何かのッ!!

 ああ、クソッ、何だよ、これ……ッ! 痛い、痛いぞこれは。ダメだ、息が出来ねえ。

 眼と喉の痛みで思考ままならない。強烈な痛みと違和感で、椅子から崩れ落ちてみっともなく床にのたうち回る。

 何とか薄目で、辺りの様子を伺うも、視界が黒ずんでいるかのように、

 視覚がダメなので聴覚に頼るも、聞こえてくるのは天井からのレグナグレ博士が大声で嗤い続ける声だけ。酷い状況だ……!

 しかし、何だこの暗さは。部屋の電灯を消したような暗さでは無い、少しは明るさはわかるのだが、まるでコンタクトレンズで蓋しているかのようで……痛みが……ツラいな……!

 対処法は……何かしらの解決法をッ、医学の知識付けにした脳で探るしかない!!

 まず、症状の整理だ……!

 特に、眼の症状だ。視界が暗い、眼前暗黒感、瞳孔が小さくなっている……? ……『縮瞳』、か。

 そして、この喉の焼け付くような痛み。今も、考えがまとまらない……ッッ。ああ、いてええなあ。クソッ!

 涎と汗もさっきから止まらない。身体の異常事態のバーゲンセールだなマジでよッ。

 ──全体の状況だ。次は。

 机の上で割れた無味無臭の液体……確実にそれが揮発してこの症状をもたらした毒ガスを……

 今までに勉強した知識、身体の症状、そして一連の状況シーンの流れ。

 ここから考えられる候補はいくつかあるが──レグナグレ博士の悪趣味マッドな性格からして多分……これだな。

 可能性の、一つ。

 さっきの液体は──だろう。

 有機リン系化合物の、『化学兵器ケミカルウェポン』。

 症状からしても、あの地下鉄テロ事件での被害者の証言と一致する。

 日本人だから、それに関連した毒ガスを使用するか、と思いついてもおかしくは無い。いや、おかしいのだが、あの博士の思考回路はそうに違いない。

 だが、それがわかったところでどうしようもない。

 サリンに効果がある薬はPAMか硫酸アトロピンだが、それらを用意するはずもないな。

 だったら、俺に対して殺す勢いで毒ガスをぶちまけた理由は一つだろう。

 毒を治す──

「レグ、なぐ、レ……博士ッッ!」

 眼も開けられないまま、喉が潰れながらも、精一杯の声量で叫ぶ。

「ンン!? まだ息があるのかッッ!??? これは興味深いなッ」

「あんあたは俺にッ……『スコーピオンの能力』を、ッッ使えと、言うのかよッッ!??」

 息も絶え絶えに、本来なら発声なんて出来る訳ないのにそれでも確かめるために問う。

「ああ~~。ン~~。 ──やれなきゃ死ぬだろォDo or DIE??」

「──ッ!!」

 ついさっき、俺がフォートレスアリエスの能力を使えるだろうと聞かされて、そして他の能力も使えるかもしれないな、と言われて、

 それで、今ここでスコーピオン能力──リッタが使っていたような毒物生成能力を応用してサリンへの対抗薬を作り出して生き残って見せろ……だと……!?

 完全に馬鹿げていやがる。

 だが、レグナグレ博士は助ける気は一切無いらしい。人間を人間と思わないで冷たく言い放った後は、先程までと同様に嗤いながら俺のやる行動の予測を並べ立てて煽りまくっている。

 元々、フィーラに対する扱いへの恨みもあったが、ここまで俺の事を弄んでくるとはな……怒りで暗くなった瞳孔も揺らぐぞ。

 しかし……もういよいよ限界だ。マズイ、もう呼吸困難になりつつある。

 ここで何とか、早期対応して応急処置をしないと軽症の段階を過ぎて重症になり、呼吸停止になってマジで、

 消えゆく蝋燭が燃え尽きる寸前ひと際輝く様に、俺の身体が死にかけていくと同時に脳も活性化してくのか思考速度も速くなっていくのを感じる……。

 よし、このタイミングで考えをさらに深めるんだ……!

 ──だが、リッタの能力──彼女は『特殊魔導毒マカブル』と呼んでいた──を使うなんてどうすれば良いんだ。取っ掛かりすらわからない。

 しかし、『能力』というのは元来そういうものなのだろう。今こうして身体を動かしている時にいちいち腕の神経に脳から信号を発して~~なんて考えてはいない。同様に、能力もほとんど無意識で発動出来るはずだ。

 なんとか、やれることを考えて……希望を……見出すんだ……!

 これ以上毒ガスを吸わないように反射で出る咳すら無理矢理押さえつけて息を完全に止めるて思考に費やす。

 思い浮かぶのは、アトロピン……アトロピン……特効薬の一つ……米軍でも神経ガス対策として有用と評価されているもの……いや、違う。別の何かが引っかかる。

 この違和感は──記憶だ。

 スコーピオン戦までは霧がかかっていた卒業訓練の話では無い。もっと昔、自衛校に入ってすぐの……

 ──ああ、クソッ。思い出したが別の事だ!

 サリンガスは空気より重い気体だ。床に居ると余計に吸ってしまう。呼吸で吸わなくても、皮膚からも吸収されてしまう。

 立たなくては……だが、力が入らない……。

 それでも出せるだけの力を出して椅子にしがみついて少しでも床との距離を取る。頭を座面で支えて、なんとか凌ぐしかない。

 その時、床で暴れていた時に机にぶつかっていて移動していたのか、注射器が目の前に落っこちてくる。

 それを反射的にキャッチする。

 ──ッッ!!

 そうだ、注射器だッ!!

 ──俺は中一の頃、慣れない多忙な生活に対して張り切り過ぎた結果、朝礼の時間に失神して倒れてしまったのだ。

 迷走神経反射性失神……ワゴってしまった俺は、徐脈になって心拍数も50未満になり、血圧もかなり下がってそれらが数分で回復する見込みも無かった。つまりは、『症候性徐脈』である。

 そこで、第一選択薬となるアトロピンを注射されたことで何とか復活したのだが……そのエピソード(衛生科コース志望としては黒歴史)から一つ考えが出てくる。

 今のは、6年前の話だ。

 だが、確かに、俺の身体にアトロピンは注射されたのだ。

 つまり……今も流れる俺のこの血には、アトロピンの成分がほんの極僅かにでも、……かもしれない。

 同時並行で考えていたが、スコーピオンの能力で魔力から直接生成するという芸当は一切の見当もつかない。

 しかし、魔力からの直接変換では無く、極僅かの成分を効果がある量にまで増幅することについてはイメージが沸く。医療分野で有名な、例えばPCR検査であればウィルスのDNAを増幅して検出するからな。『増幅』に関しては知識の上ではあるが、直接生成よりかは馴染み深い。

 出来るかどうか……いや、やるんだ。今はもう、これしか考えつかない。

 俺の体内にほんの僅かに残っているだろう、アトロピン硫酸塩水和物。これを、最低限0.5mg、出来れば1.0mgまで増幅させるんだ──。

 その方法として思いついた、一つの策とも呼べない策を躊躇無く実行する。

 駆血帯もアルコール綿も無いので、もうそのまま、注射器を腕に刺す。

 神経と動脈を傷つけないようにだけ注意しながら、橈側皮静脈から採血。

 こればかりは学校での猛勉強で、自分の血管の位置を覚えて勉強していた成果だな、と昔の俺に感謝する。

 そして、血が十分に溜まった注射器を抜いて、それを片手で握りしめながら頭の中で強くイメージする。

 ──魔力を扱う事。どう扱っているのか、という話は以前レナに興味本位で聞いたことがある。

 彼女曰く、だと。

 こうしたい、と思って強く意識しつつ、魔術又は魔導を実行するための術式を脳内に構築してそれを魔力に流して発動させれば使うことが出来る──らしい。

 今の俺にとってはその『術式』とやらがまったくもってわからないのだが、それでも前段階である『イメージ』は出来なくもない。

 もしかしたらそれは単なる集中を維持するためのルーティンであって、実際に発動には必要無いのかもしれないが、俺は信じてイメージし続ける……。

 極僅かに溶け込んでいると──信じている──アトロピンを、増幅するイメージを強く保つ。

 そして、身体の中にあると言われた、こちらも微量の魔力を注射器の中で展開させて何とか増幅の手助けにならないか……と願うイメージ──

 …………時間経過すら、わからなくなって、きた。

 次第に身体の力が、抜けていく。

 ダメだ、ここらが限界だ。もう、意識を失ってしまう。

 もう眼は開けない。皮膚の上からの感触だけを頼りに、今度は尺側皮静脈を探し当てて静脈注射する。

 使

 だが、今は命がかかっている緊急時につき致し方無い。インスリン注射用の針が非常災害時には確保が望めない際に複数回の再使用によって温存するか考慮する場面と一緒である。

 医療現場での禁忌を犯していることは重々承知の上だ……。

 傍から見れば自分で採血してそれをそのまま輸血するという意味不明な挙動だが、何とか、これで、アトロピンを生成出来ていると、信じて……ああ、クソッ、全て俺がそうするようわかっていたんだなあの博士は……だから、ウロボロスなんていう大層な名前を、付けたのだ。

 自分で自分の尾を噛む蛇──すなわち、自分ので自分を侵すという状況を……

 ──ああ、ここまで、か……。

 願いを込めた血を、最後の一滴まで静注IV出来たのを薄目で確認だけしてから……俺は、意識を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る