第12話 十回目の人生
ジリリリ……と音が鳴っている。
それが
「…………朝か」
ベッドから起き上がって時計を止める。
自衛校時代では、こんなアラームより数十倍は騒がしい起床ラッパだったのを思い出すな。あのトラウマに近いラッパから解放されて久しいが、これほどまでにぐっすりと寝れたのはいつぶりだろうか……
──このままでは
時間はあと数時間でデューズ博士の言っていた12時間後になる感じだ。朝の支度を済ませて食事を取って
──昨晩は結局、マリーさんお手製の夕ご飯をいただいたのち、シャワーを浴びてからベッドに入った。
今日もまたシャワーを浴びてから研究室に向かうか。何かしらの実験をするのであれば身体を清潔にしておくのは大事だからな。
こうして淡々とタスクをこなしていくときに思うのだが、一人暮らしの生活は意外と俺の性には合っているらしい。誰かと一緒に暮らすというのも寂しくなくて良いのだが、一人ならそれはそれで気楽である。
俺の場合、良くも悪くも騒がしい日々が多かったからこういう落ち着いた雰囲気が好きになっているのだ。尤も、それに慣れたら今度は他人を求める様になるのだろう。そうやって人の生活リズムは日々移り変わっていくものだ。だから、この研究所の実験もいずれ終わるだろうと……。
シャワーを浴びながらそんなことを考える。
砂漠地帯だと言うのに、こんな存分に水を扱えるのは流石の企業規模だなと思いながらも、自衛校時代の癖によって節水と時短を心掛けながら素早く身体を洗っていく。
シャワーを浴び終わりタオルで水滴を拭いてから、壁のアスムリンが用意した一般的な男性用の私服──俺好みの落ち着いた淡い色の服装──に着替える。
向かう先は研究所の食堂だ。
晩御飯を食べ終わってからマリーさんが言っていたのだが、恐らく明日──つまりは今日からは研究所が支給する食事になるそうだ。重要な身体検査や実験前等、時々は俺が考えていたような食事とも言えないメニューが出されるが、そうでない場合は他の研究員が食べているメニューで俺の食事が用意されるらしい。
内容自体は普通に社食みたいな感じらしい。が、俺のイメージする白米とオカズや麺メニューのような日本版では無く、数十種類の中からバイキング形式で毎日世界各地の料理が楽しめる形式のようだ。以前、話に聞いたGAFAの社員食堂みたいな感じで流石は大企業という訳である。尤も、当の研究員自体は食事に関心が薄そうなのが残念なのではあるのだが。
ある種の
今日はどんなメニューかなと半分期待しながら研究所内の地図を見ながら長い廊下を歩いて行く。
普通の建物のように天井にかけられた案内板や、壁にルートが書かれていないので地図が無ければ自分が今どこに向かっているのかすらわからなくなる。セキュリティ保安としての対策だと思うが、肝心の避難する時に余計に混乱しそうだな。頭の良い研究員なら暗記する程度些細なことなのかもしれないが。
目印として唯一壁に書かれている英数字だけを頼りに、地図と情報を照らし合わせながら歩く。まだ時間に余裕はあるので一直線に食堂には向かわずに迷惑にならない範囲で色んな場所を探検していく。
──しかし、本当に他の人に会わないな。誰も彼も、皆研究に没頭して部屋から出てこないのだろうか。
まあ出歩いた所で他に面白いものも無いしそれならば自分の興味ある研究分野に注力したほうが仕事の能率的にも精神衛生上的にも良いのかもしれない。
一応、健康管理目的としてジム等の設備はあるようだがインドアのイメージがある研究員が使うかは不明な所だ。
俺もいつ何時戦闘になっても良いように体力維持はしておきたい。デューズ博士に許可を得ることが出来て、使用の許可が下りれば使ってみるか。
そんなこんなで様々な場所を巡っては頭に構造を叩きこむ。地図を見るだけではわからないような情報というのは大事だ。実際に見れるならば、見ておいて損は無い。
対人屋内戦闘の訓練自体は本格的に受けてはいないが、それも戦闘の基礎から応用可能なものではある。実際に戦いになった時、どこが弱点なのか、どこに防衛線を構築すれば時間を稼げるのか等をイメージしながら脳内の地図にチェックしていく。
そんなこんなで時間がかかりながらも、今日はこのぐらいにするかと切り上げて食堂に向かう。勿論、向かう時は実践として地図を見ずに進む。
──それから10分後、何とか暗記した内容だけで辿り着くことが出来た。
流石に食堂には十名ほどの白衣を着た研究員が居るようで多少の人気はある。食堂自体は広く、壁にはここが地下深くだと思えないようまるで屋外のテラスのような青色の空と木々の緑色が映像で映し出されている。奥には鳥の群れが飛び交う様子まで見れるな。どこかのリアルタイム映像だと思えてしまう程の完成度に暫し遠距離からでも見とれてしまう。
──おっと、こんな所で立っていても何にもないな。さっさとご飯を食べて迫りつつある12時間後の
聞いていた通りにバイキング形式なので、食堂の人は見当たらない。並べられてある料理を勝手に取って食べてくださいという感じだな。
何か受付のスキャナーに社員証を通すとかそんなシステムも無いのでそれはどうかと思うが、ここは地下の奥底で居る人も完全管理出来ているのだろうし──それこそ体内にマイクロチップでも入れていて情報収集しているのかも──特に気にしていないのだろう。
マリーさんからは、デューズ博士から実験に関わる特別な話が無い限りはいつでも自由に使っていいと言われているので部外者としておっかなびっくりトレーを取って料理を選ぼうとすると、背後に人の気配。
「──ああ、君か」
話しかけて来たのは、まさかのデューズ博士その人だった。
「デューズ博士、おはようございます。ここでお会いするとは思いませんでしたよ」
「私もだ。まだ2時間16分早いようだな。それまでは君の自由だ。そして、私の
そう言いながらトレーを取って俺の横に立って並べられた料理をじっくり見ていく。
……意外だな、デューズ博士の事だから食事に関しては特に興味なく即断即決で適当に選ぶものかと思ったのだがかなり真剣に悩んでいる。
「どうやら今日は君の母国の料理のようだな」
その言葉に釣られて見ると、本当にそのようで鮭の塩焼きやトンカツといった日本で食べられているメニューだ。
これには少し残念な気持ちになるも、逆に当分は日本食が選ばれることは無いだろうし、久し振りに食べてみるのも良いだろうと思って俺も選んでいく。
昨日の夜に肉系を食べたのでじゃあ今日は魚系で攻めるかと、最初に目に付いた焼き鮭をメインとして、後は適当にきんぴらごぼうらしき副菜やスープとしてあった味噌汁を付け加えていく。メニュー自体は食べ慣れているものではあるが、アメリカでここまでの日本食を用意しているのは途轍もない物流支配能力だなと感心する。
自分の分は選び終わったので、横目で伺うと、デューズ博士は野菜炒め定食という感じの選択だ。醤油の匂いが食欲をそそるので、それも良いなと取った後でつい思ってしまった。
早くも次に食べる料理を考えながら近くの適当な席に座ると、斜め対面にデューズ博士も着席する。おっと、距離を詰めて来たな。これも意外だ。
俺の表情を察したのか、デューズ博士が話しかける。
「なに、君の誤解を少々解いておくのも研究に都合が良いからな」
あくまでそれが理由だ、と言って淡々と食べ始める。
確かに俺は色々と誤解しているのだろう。初めての環境で、今まで縁が無かった人達とは言えステレオタイプで考えてしまうのは良くないな。ここらで認識を改めておこう。
いただきます、と合掌してから俺も食べ始める。
鮭の身をほぐして一口食べる……うん懐かしい味だ。自衛校の食堂を思い出す味付けだな。久し振りの醤油の味も美味い。
少し食べ進めてから会話の口を開く。
「……お話しても大丈夫ですか」
「問題ない。何を聞きたい?」
コップの水を一口飲んでから、彼の眼を見て答える。
「デューズ博士のことについです」
「私の? 言ってみたまえ」
こちらに視線を向けずに食べながら話す博士。俺に苦手意識がある訳では無いのだろう。元々、視線を外して会話する人なのだ。そういうことも、今こうしてわかった。
「博士の……研究者としての信念を知りたいんです」
この問いかけに対して、どう答えるか。抽象的な問いによって得られた答えから俺なりに、考えたいのだ。
「……そうだな。仮に『
思いのほか哲学のような深い話だったので、解釈するのに時間が掛かる……。
ご飯も食べずに考え込みだした俺の様子を見た博士は笑いながら補足する。
「君、深く考えすぎだ。──良いかね、『
「はい、知ってますよ」
あくまで比喩ではあるが、猫の生態や伝説から生まれた話だ。どこかで聞いた話ではある。
「では関連したこれもわかるだろう。『
──提示された二つのヒント。余計に混乱してしまいそうになるな。
……だが何となくはわかったぞ。好奇心というワードが重要な核だ。
「……研究者としての、デューズ博士ご自身の好奇心の話についてですね?」
俺の答えに満足したのか、一つ頷いて箸を置く。
「そうだ。私は、例えその知的好奇心から死ぬことになったとしても生まれ変わったらまたその知的好奇心に身を任せて生きていくだろうという話だ」
「……でも九回死んだら、という表現だと十個目の命が必要になりませんか?」
「そうだな。その時は猫では無く別の生物になっているのだろう。輪廻の話をする気は無いが、それほどまでに好奇心によって身を滅ぼしたのだから相当に悪辣な生物に生まれ変わるのだろうな」
その点に置いて人間ほど適した生物は居ないだろう、と味噌汁を片手で啜りながら語る。
……ある意味では、既に十個目の人生として俺達はこうして生きているのかもしれない。
簡単な言葉遊びの中に隠された深い意味を考えながら、俺はアスムリンの食事を堪能していくのであった。
朝食を終えた後、ついに俺に対する研究が始まった。
と言っても最初の段階は俺自身の基礎体力や基礎知能に関しての研究……どちらかというと普通のテストのようなものだった。
腹筋運動・ボール投げ・シャトルラン等の一般生徒がやるような体力テスト──自衛校時代の体力試験より遥かに楽だった──を始め、IQ測定のテスト。さらに、これは初めてだがEQテストなるものも受けた。
そして、俺としては──いや、多くの学生にとっては鬼門である普通の学力検査も行われた。
数十年前のセンター試験のような単純知識問題を始め、2029年より変わった新共通テストのような理解力を問う試験形式もあった。
──俺は頭の良さにそこまでの自信がある訳では無い。
勿論、衛生科コースとしての専門分野(医学)の勉強と、自衛官として優れた学力を身に着けるためにそれ相応に勉強はしているのである程度難しい問題でも解けるのだが、秀才では無いので苦戦する場面も出てくる。
久し振りにやった頭脳労働も悪くはない。時々、こういう難しい問題を解かないと頭が錆びていくからな。日常の試験問題と戦闘時の咄嗟の判断を両立してこなしていくことでより多く成長出来るだろう。
体力テストと学力テスト、そして脳のリハビリでやるような認知機能検査をやるだけの日々が数日続いた。
そして、本命となる俺の魔力耐性を調べるための身体研究が始まった。
今までのペーパーテストや運動テストとは違って今度は怪しげな実験装置に身体を縛り付けられてただひたすら言われた通りに身体を動かす日々である。
常に心拍センサーや全身の筋肉に計測センサーを取り付けて生活するので少し動きづらい。
身体研究の内容としては、箱の中に入った金属製の棒を掴んだり、離したり、ある時は謎の液体のベッドに長時間浮かんでいたり。
今までに習った医学や科学の知識をフル活用しても本当に何をやってるのか見当もつかない。まさしく秘密組織の研究そのものだ。
──話は変わるが、少し気になっていた研究中の食事に関しては特に変なディストピア飯でも無くそれこそ最初の日の朝食で食べたような多種多様なメニューが普通に食べる許可が下りた。
流石に長時間の重要な身体検査の前にはマリーさんが言っていたような手術直前の食事のように経口補水液ゼリーだけやそもそも絶食という時もあった。
が、これはこれで衛生科コースで習ったような話を患者側(?)として実体験出来るのは貴重な機会だったので新鮮な気持ちでそういう過酷な時も穏やかに過ごすことが出来た。
──そんなこんなであっという間に二週間が経過した。
正直言って、拍子抜けではある。
実験内容が素人目からわからないのが少し苦痛だが、それ以外はただずっと平穏な日々を過ごしている。
研究熱心で寡黙なデューズ博士と、時々手伝いに来るマリーさんと
マリーさんの話によると、魔力耐性があったということで昔はフィーラと一緒に過ごしていたらしい。つまりは彼女達の保護者のようなものだ。
どことなく、今までに出会った三人のフィーラと話している感覚がマリーさんと近しく思えるのは気のせいでは無く、昔一緒に喋っていたのが理由のようだ。それは、単純に口調だけでなく、雰囲気というか性格も似ていると思ってしまう。
と、マリーさんに聞くと「でも、他の皆さんはけっこうやんちゃな子も多いですよ? 新藤さんとお知り合いのレナちゃん、アリサちゃん、リッタちゃんの三人は『
とのことで、俺の知らないフィーラの話をしてくれる。
気になる情報ではあるものの、詳細話を聞くのは本人達に会ってからの方が良いだろうと思ってそれ以上は深く掘り下げない。
事前に情報を知っておくのも大事なことではあるのだが、それで最初から偏見を持って接してしまうと色々と不都合が起きる可能性もある。そして、そうしたことに
──こうして、フィーラについての話をしていると、数か月前に会ってから常に一緒に居たレナとアリサのことも気にかかって来る。
レナは無事なのか。今は米軍と一緒に戦っているのだろうが……怪我していないだろうか。いくらあれほど強くたって危険なことに変わりはない。
アリサはあれから一回も会っていない。意図的に俺から隔離されているのだろう。それか、もう研究所に居ないのか。
そのことをデューズ博士とマリーさんの二人に聞いた所で帰って来る返答は『
だが、こればかりは仕方ない。博士はフィーラ担当ではあるものの、日々話を聞く限りどうやら部署のトップという訳でも無いらしい。それはその通りの話で、トップがわざわざ連日俺の研究にかかっきりなハズはないからな。
普通の会社で表すならばそのトップとやらは実質的な本部長クラスの役職だろう。仮にそうであればデューズ博士は課長か次長クラスだろうか。それでも凄い地位ではあるのだが。
……謎の研究と、平穏な日々。
平和ではあるが、彼女達の安否不明については次第に焦燥感が高まって来る。
考えないようにした所で、他に考えることが無いのだからそれしか頭に残らない。
貪るようにして、自室の本は既にこの二週間で読み切ってしまった。俺が読める程度の新しい本は簡単には入手できる訳も無く、暇つぶしに二周目を読み進める毎日。
刺激も無く、安寧の泥に沈みそうになっていたその時──
俺の身体のことについて、とてつもない情報がもたらされる。
それは、今までの実験・研究の集大成であり、そして、俺の今後の人生を文字通りに一変する知らせでもあった。
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