第18話 アリサ・エルゼン

 ──私、アリサ・エルゼンはアメリカで生まれ育ちました。

 生まれた、といっても本当の両親はわからないですし、本当に人間なのかもわからないですけれどね……。それでも、人間として育ててくれたグレースさんご一家には感謝しています。

 そして、私の能力やその不思議な力が発覚するのと同時に、ご家族と別れて私はアスムリンの研究所に連れて来られました。

 そこでは、気が滅入るほどのたくさんのを受けました。

 本当は……思い出したくはない、暗い過去です。

 今、少し振り返って記憶から浮かぶのは、ただただ無色で無機質な生活だったということです。

 SLEEP実験……と彼らが言っていたあの実験も、確かに凄く辛かったけれど、一番辛かったのは──そう、の出来事のお話……。


 当時4歳の私は、アスムリンに連れて来られて自分の立場や能力を認識してからそこまで日も経っていませんでした。

 そして、一番愚かだったのは魔獣をだと認識していたことです。

 同じ魔力を身体に持つ者同士、お話したり一緒に遊べば仲良く出来ると思っていたのです。

 普通の人間が、普通の小動物ペットに対して親愛が沸く様に……。

 そんな無知蒙昧な私を、聡明叡知な研究員の人達が嫌うのは必然でした。

 ──研究に打ち込むその熱意は、純粋に魔力という未知の物質や現象を明らかにするというまったくの新しい分野に挑戦しているんだ、という気持ちから来ているのだとある研究員の人は言っていました。

 けれど、魔獣戦争によって家族や大切な人をなくし、その復讐心で研究に打ち込む人も当然多く居ました。

 そんな人達が率先して行っていた研究は、魔獣の研究についてです。

 魔獣を……徹底的に解剖してその全てを明らかにしてやろうという熱意は、一部分ではありましたが私にも向けられることはありました。

 そのたびに親切な人が助けてくれたのですが、それも不安定な日々ではありました。

 ある程度時間が経って研究所にも馴染んできた頃。

 私は、入ってはいけない区画に、つい興味本位で入ってしまったのです。

「……ここ、どこ……?」

 何が隠されているんだろう、という気持ちもありましたがそれ以上に、そこから感じ取れるの反応に無意識のうちに興味を抱いていたのでしょう。

「だれか、いますか……?」

 無数の実験装置や巨大な演算機械を抜けて辿り着いた先に広がる光景は、当時の私にとっては凄まじいほどのショッキングな光景でした。

「なに……これ……」

 大量の、牢屋。

 その中に、一体ずつ魔獣が捕らわれている光景。

 今となってはそれは研究対象用の魔獣が捕獲されているのだと分かりますが、あの時の私には何も分かりませんでした。

 そして、分からないままに、可哀想だと思ってしまった私は一つの牢屋の電子鍵を開けてしまったのです。

 セキュリティが厳重で無かった理由の一つに、私に好意的な研究員の一人が私の開錠権限を最大にまで高めていて、もし誰かに監禁されたり、研究所内で迷ったとしても脱出出来るようにしていたからだと聞いています。当時はアスムリン全体も研究所だったので今のように厳重なセキュリティ体制を構築するほどの予算も余裕も無かったのです。

 私の事を想う人達の善意の力で牢屋を開けてしまった私は、まるで兎のような小さい魔獣をそっと抱きかかえました。

 恐らく、母胎型マザーから取り出した幼体だったのでしょう。レベル1と識別するほどすら強くない魔力の反応に、私は油断していたのかもしれません。

 ──結局の所、魔獣は魔獣でしか無いのだと。

 魔獣は、助け出した私に対してその小さな牙で噛みつきました。

「きゃっ!」

 痛みから思わず手を跳ね除けてしまいました。

 区画に私の悲鳴が響きます。それを聞いた研究員が奥から慌ててやって来ました。

「──!! お前、何をしているんだ!」

 ずっと食べ物も与えられないで牢屋に閉じ込められていたのでしょう。私に噛みついた後は何もせず衰弱しきった様子で、研究員がその小さな身体を無理矢理に掴んでも無抵抗のままでいました。

 反対に、手から血を流して痛みと恐怖から泣きそうになっている私の様子を見て、

「チッ……。貴様、何をしたのかわかっているのか?」

 研究員は底冷えする声音で私に問いかけました。

「ごめんなさい……わたしはっ、わたし……」

「はぁ、もう良い。さっさと戻れ」

 鬱陶しいから失せろ。研究の邪魔だ。

 そんな風に私を追い出そうとしたその時、片手で首根っこを掴んでいたままだった魔獣が研究員に噛みつきました。

クソッshit!!」

 慌てて放してしまった私とは違って、研究員はそのまま噛みつかれたままの手を伸ばすと、もう片方の手で懐から拳銃を抜きました。

 そしてそのまま発砲。魔獣の頭を吹き飛ばしたのです。

 まったく予期しなかったことに、私は悲鳴すら上げずに呆然と座り込んでいました。

 さっきまで懸命にもがいていた小さい命が、呆気なく消え去ってしまった光景は、私の心に深く刺さったのです。

 魔獣に手を噛まれた研究員は、死体を床に落として手で出血箇所を抑えました。

 非常に苛立った様子を見て、その怒りが自分に向かないよう私は怯えて黙っていましたが……

「──良い機会だ。……ついさっき出来たばかりの抗魔錠剤カプセルがあったな……これでデータを取れるぞ……」

 と、一人で呟きながら区画の奥の方に戻ってしまいました。

 レベル1といえど、魔力が身体に流れ込めば死ぬリスクはあるのに逆にそれを活用して実験が出来ると。自分自身すら研究材料をしようとする執念。それは、とても暗くて、熱くて──

 私のことなど、もう見えていないようでした。

 一人、取り残された私は、ただ蹲って泣くしかありませんでした。

 与えられた、残酷な不条理に。

 奪われた、愚かな善意に。

 そして何より、わたしの弱さに。


 数日後、ゾディアック・サジタリウスの『弾道矢バリスティック』による攻撃を受けて研究所は完全破壊。

 牢屋に掴まっていたほとんどの魔獣が死滅し、一部は脱走したと聞いています。

 レベル5魔導攻撃の中でも、その超々遠距離弾道攻撃による威力は凄まじいものです。そのため、研究所に居た人達の中で生き残ったのは……私だけでした。

 ──地下深く、瓦礫の山で横たわりながら私はある人の言葉を思い出していました。

『お前の能力フォートレスは確かに強力だ。だが、それは独善的で臆病な気持ちの表れでしかない』

 そう、その人の言う通り、私、一人だけ、生き残ってしまって……


 その日から、私は上手く戦えなくなってしまいました。

 一番ダメだったのは──魔獣を殺せなくなったことです。

 手にかけようとすると、吐いてしまったり失神してしまったりでどうしようも無く、研究員や軍人の皆さんもお手上げ状態でした。

 優しく諭すために、破壊された研究所から救出してくれたフルカワさんを始めとする人達のカウンセリングも受けましたが意味も無く……。

 時にはショック療法で、私が日常生活で押したボタンが魔獣の息の根を止めるボタンと繋がっていて、気付いた時には私が手を下してたのと同じだということもありましたがそれでも乗り越えられず……。

 結局、まずは戦えるようになることを最優先として、殺すのではなく無力化する戦い方の訓練を行うことになりました。

 無力化といっても方法は様々ですが、単純にすぐには再生不可能な程のダメージを与えたり、脳震盪を起こしたりして無力化させていく方法を学びました。

 しかし、本当は手を下しているのと変わりは無いです。

 無力化された魔獣の多くが、結局は前線に復活せずに息絶えているという報告は多く上がっています。理由として、味方に介錯されたり自死したりといったことが多いようです。

 なので、結局私が殺していると同じなのですがそれには眼を瞑って……いえ、その事実から逃げて……今も逃げ続けて……

 

 ──わかってはいます。

 殺すことが出来ないという弱点は、いつか自分だけでなく他の守りたい、守らなくちゃいけない人達を危険に晒してしまうということは。

 でも……それでも、私は……あの、小さい魔獣が……目の前で殺されてしまう所を見てしまったら……

 魔獣は悪だ。魔獣は敵だ。こっちが何もしなくても、例え友好的に接しても絶対に人間には与することなく牙をむき続ける……私ですらその牙に噛まれたのに……

 優しい、なんて嘘です。弱いんです。甘いんです、私は。


 だから、こんな私は、皆さんと一緒に居ることなんて…………


 ──もう、良いですよね……


 そう、私はアスクさんに答えます。

 眼前に居る、全身に鎧を纏ったアスクさんは、何を言おうか迷っているみたいです。そんな風に、考えさせてしまうことが、とても申し訳なくて……

 それでも、彼は懸命に言葉を紡ごうとしました。

 すると、待ち構えていたかのように、私の背後の横穴から、魔獣の獰猛な気配──

 誰にも邪魔されることなく、流れるように地を駆け抜けたそれは、私に飛び掛かります。

 大きく開かれた、その顎に身を委ねるようにして、私は、目を閉じて、無抵抗のまま、頭を、食べられました。

 

 これが、私の贖罪なんです、と──

 あの日、助けられなくて、ごめんなさい……

















 ──痛みは、ありませんでした。

 ただひたすらに、静寂だけが響いていて……いえ、これは……

 目を開けると、そこには全身鎧の戦士が──アスクさんが、必死の形相で私を守ってくれていました。

「!? っ、どうしてっ……」

「アリサ、無事かッ!?」

 正面から抱きしめるような形で私を守るアスクさん。その肩口には、深く深く、魔獣の牙が刺さっていてとても痛ましい様子です。

 ですが、そんなことは関係ないと言わんばかりに私の無事を確認すると、続けて叫びます。

「アリサッッ!! 逃げろ!!」

 わざと大声を出したのでしょう。私は、反射的にアスクさんと魔獣の組み合って居る隙間から逃れて脱出に成功しました。

 距離をとって横から見ると、構図と向かい合う二人の様子が把握出来ます。

 魔力の反応からして、魔獣は恐らくレベル4。中型では珍しいレベルですが、何か歪な気配を感じます。

 対して、アスクさんは──ナルコスと戦った時に装備していたジークフリートを着て私を助けに来てくれました。

 その時には感じられなかった魔力の気配をアスクさんから感じられることには驚愕です。いつの間に、私達と同じ力を身につけたのか……本当に、アスクさんは凄い人です。

 だけど、あの魔獣はそれ以上の強さを持っています……。

 今のままでは、勝てない。

 ──そう思った瞬間、組み合ったままの魔獣の口腔内が輝き、そして、アスクさんのむき出しのままの顔に向かって、炸裂しました。

「アスクさん──!!」

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