第2話 Agent・K

 国際スパイ博物館の中に入った俺達はまず入場手続きを行う。

 先程見学していた博物館とは違い有料で、手数料込みで大人一人当たり40ドルだ。12歳以下の子供には特別料金として30ドルなのでレナとアリサはそれで支払う。入場料は魔獣戦争以前と比べてかなり値上がりしたらしい。かつては入口に列をなしての順番待ちだった人気も現在は無くなっているようだ。魔獣戦争によって『戦闘行為』全般に忌避感を覚えるようになった市民がガンアクションではなく大衆的なラブストーリーを好むようになったからだとレナは言う。

 だがそれでも一定の人気はあるのがスパイものだ。閉館時間が迫っているのもあって、入口付近は割と混雑しているな。

 入場ゲートからすぐにお目見えしたのは世界一有名なスパイ組織──イギリス諜報機関MI6所属の主人公が映画で乗ったスポーツカーアストンマーティン・D85だ。映画最新作でもその愛車ぶりは健在で、銃器など様々な戦闘用パーツが内蔵されているとか。これを見るとオルレアン包囲戦で乗ったペガサスを思い出す。

 さて、どうやらこのままエレベーターで三階に上がりスパイとして行動できるアトラクションを体験できるらしいのだが、一向にエレベーターが降りてこない。周りを見れば、近くに居たはずの他の客も居なくなっている。これは一体──

 と思った束の間、完全に壁だと思っていた部分の下側がドアのように開き、中から初老の男が這い出るように現れる。

 室内が暗かったのもあってかなり驚くも、何となく予感はしていたので声は我慢できた。落ち着き払った様子でスーツの裾を払った男は、両手を広げて第一声を放つ。

「ようこそ、諸君。私は当博物館の副館長だ。特別に、秘密の部屋へのツアーに招待しよう!」

 演技染みた仕草でこちらを誘う副館長。接触が露骨すぎて俺達の秘密がバレかねないと思ったが、もうここが終着点なので隠す必要もないか。

 あっけないほど唐突に終わりを迎えた観光旅行の腹いせに、俺の前に居たレナが副館長に苦言を呈する。

「せっかくならもう少し見たかったのに、登場ネタバレが早すぎないかしら? こっちは客なのよ」

 声音からして半ば冗談である軽口が飛ぶも、正直言って俺も同意だ。スパイもので遊べる展示場は珍しいし、日本のスパイとして忍者の説明ブースもあるようだからな。俺もかなり期待していた。

 二人分の興醒めの視線をぶつけられる副館長。なおアリサは両陣営を気遣っての苦笑いだ。

 だが副館長は意に介していないようでヘラリと受け流す。

「料金はきっちりお返しするさ。まあ、諜報用タグ入り偽造紙幣ウルトラノートにすり替わっているかもしれないがね」

 ハハハと笑いながらついて来るよう促す男。半ば強引に自分の目的、主張を通すやり方にアキラっぽいなと思いながらも、俺達は言われた通りに薄暗い廊下を歩いていく。


 スタッフ用の部屋に隠されていた螺旋階段スパイラルで地下5階まで下がった後に辿り着いたのは、二つのソファと足の低いデスク以外何もない白い壁に囲まれた殺風景な部屋だった。

 一応、秘密の応接間なのだろうか。これはこれで雰囲気があるなあと思いつつ、俺達は三人並んでソファに座る。体格差の都合で俺が真ん中に座り、両端にレナとアリサの構図だ。同じく、対面のソファに副館長が座り、膝の上に両腕を組んで置く。前傾姿勢で意気揚々と構えているその様は早く秘密を話したいと言わんばかりの少年のような態度に思える。

「さて、諸君らも察しているとは思うが、ここが我々CIAの秘密拠点の一つである。これより、私からの説明を受けた後に次の担当者に引き渡す予定だ」

中央情報局CIA……連邦捜査局FBIじゃないのか?」

 てっきりFBIだと思っていた俺は驚きを隠せない。

「区別がつかないのも無理はないね。だが、ある神父はこう言った。『木を隠すには森の中』──」

 副館長が語る抽象的な意味の発言から、なんとか正解を探り出す。まるで何かの試練のようだ。

「……つまり、ここはFBIの秘密拠点と見せかけて実態はCIAの管轄ということか」

ご名答イグザクトリー! と言いたい所だが、実は私自身はどちらでもないんだ。もし、隠した木を見つけられても既に切り株にしておけば針葉樹か広葉樹どちらかわからなくなるだろう? 私もその一つで既に切り捨てられて隠居しているのだよ。──今現在、私は両組織から『K』と呼ばれていてね。諸君らはクロイツとでも呼んでくれたまえ」

 クロイツ──ドイツ語か。学校で学んでいた医学用語の多くがドイツ語だったので少しはわかるぞ。Kreuzの意味は十字。二つの線を重ねたモノ。意味から推測するに現役時代から二重スパイダブルだったのか、今は両組織のパイプ役である仲介人ミドルマンとでも言いたいのだろうか。

 どちらにせよ複雑な立場の人らしい。そんな人が俺達に何か説明をするということは、余計に複雑な話題に違いない。

 気付かれないように引き締めた俺の表情を見た副館長──クロイツは、そう肩肘を張らなくても良いのだよと穏やかな笑顔で諭す。本物相手では簡単に見抜かれちまうって訳か。これはどうしようもないな。

 俺達三人が話を聞く態勢になったのを確認したクロイツは、話し始める。

「今から話す内容は大きく分けて二つ。一つは今回の成果レポート。もう一つは、世間話だ。まず、レポートから話そう」

 そう言って取り出したのは50枚以上はあるプリントの束。ホチキス止めされたその束を、一つずつめくっていく。手付きからして既に目を通している訳ではなさそうだ。それでいて、凄まじい速読。チラリと見える内容は上から下までびっしり書かれている論文のようなものなのに。

 僅か5秒で10枚以上確認したクロイツは、一つ頷くと笑顔で俺達を見回す。

おめでとうコングラッチュレーション! 諸君は我々に! 正式にゾディアック・アリエス討伐作戦への参加ができるようになったという訳だ!」

 突然の賞賛。身に覚えのない賞賛ほど不気味なものはない。俺達の何が認められたというのか。僅かな不快感からして、何か思い至る節があるような……まさか、そういうことか?

「今日一日、ずっと監視していたのはそのためね。私達のメンタルチェックでもしていたのかしら?」

 俺が言語化する前に、レナが素早く答えを出す。やはりそのことか。

 鋭く差し込まれた推理を前にして、クロイツも顔つきを変える。ここからは真剣な話って訳か。

「その通りだよ。アメリカ軍USFはCIAに諸君の調査を依頼した。その内容は、諸君を首都内部で散策させ、その行動パターンから思考、感情、その他すべての心理情報を非接触で分析し、精神鑑定を行うというものだった。まあ簡単に言えば、野放しにして暴れないかどうかのテストなのだ。諸君の脅威度は小型核爆弾ミニマムを所有したテロ組織よりも格段に上だからね。首都ワシントンでテストするというのは賭け好きの大統領の悪癖だとCIAは嘆いていたが……」

「……よく非接触でそこまでの情報がわかったわね。そんな高精度なセンサー類を構えていれば気付きそうなものだけど」

「いやいや、今の時代の諜報道具スパイアイテムは素晴らしいものだよ。もう少し早くここに来てくれていれば、私が直々に案内する手筈だったのだけども!」

 スパイ博物館の話題になると途端に元気になるクロイツ。最早ここが本職じゃないかと疑ってしまう程だ。このまま俺達の監視履歴なんて気が滅入る話題を話されても嫌だし、詳しそうだから興味本位で一つだけ聞いてみるか。

「──話を変えて済まないが、こんなスパイ感丸出しの建物に陣取るのはいくらなんでも不適切じゃないか? 逆張りだとしても、だ」

「外観についてのコメントかね? 2019年に改装リニューアルして今のスタイルになったのだよ。それまでは落ち着いたフォーマルな建物だったのだ。それこそ、東西冷戦で拠点として使われていそうな感じのね。まあ、2002年までは共産党が使っていたからそれまでは酷く手狭だったのを思い出すよ」

 当時の事を思い出したのだろうか。逆に、現職のスパイのような無感情の微笑を浮かべる顔つきになってしまう。共産党ということはアメリカにおいても『赤狩り』によって摘発されたはずなのだが、それでは立場が失脚するためここに彼が居る理由がわからない。つまり、当時から向こう側コミュニストとのダブルスパイだったということか……。

 そして、敢えてコロコロと表情を変えて見せるのは手の内を晒すことで俺達に信頼して欲しいということかもしれないが、俺にとっては逆効果になってしまった。だが、これ以上寄り道はさせないぞ、という意思も感じる。経歴とその冷徹な表情からして彼もまた、本物であることがわかったのでさっさと撤退しよう。

「成程な、事情については了解だ。話を遮って申し訳ない」

「いや、構わんよ。我々もずっと情報を知るために活動していたのだからね……さて、本題に戻るがともかく諸君の精神は問題ないと認められた。これを踏まえて──次はについて世間話でも始めようか」

 そう言ってデスクの上に空中投影された画面を展開させる。2039年では浸透しつつある光学技術の一つだ。ここだけ近未来的だな。

「今から話す情報は、アメリカ国民の誰もが意識的、無意識的問わず感じている『現状』であるので機密事項には当たらない。よって、わかりやすく伝えるために参考資料となる映像で説明しよう」

 空中に結像された画面には、ホログラムの北アメリカ大陸……アメリカ合衆国全体が映っている。

「まず魔獣戦争の現状だ。開戦以降、アメリカ合衆国は様々な地点で海岸線を突破され敵魔獣軍からの上陸攻撃を迎撃する戦闘が頻発した。一部の湾岸都市は占領されたため、奪還作戦も行われた」

 画面に東海岸西海岸問わず海からの攻撃を受けている図が描かれる。まるで、何かの戦略ゲームのシミュレーションのように。だが、これは現実に起こった出来事なのだ。海洋国家である日本もまた、同じ構図で被害を受けている。

「海からの攻撃の他に、インフィニットメテオによって大陸中央でも魔獣軍との戦線が大小含めて何百個も構築されている。つまり、アメリカは海岸と内陸からの二正面作戦を強いられている現状にある」

 インフィニットメテオが大陸中央に降り注ぎ無数の魔獣軍が出現する様子が映し出される。

「そしてこれらは通常魔獣軍の話だ。大陸中央には、ゾディアック・アリエスが陣を構えて居座っている。ゾディアックの脅威は実際に戦った諸君には言うまでもないだろうが、特に場所が厄介でね。そのせいで、アメリカはかつてない苦境に立たされているのだよ」

 世界最強を誇ったアメリカ軍が、如何に核すらほぼ無効化する防御能力フォートレスを持つアリエスとは言え、今に至るまで倒せなかった理由が国民誰にでもわかっているっていうのか?

 それほどまでに、明確な理由があるとは知らなかった。俺が外国人だとしても軍隊の情報が集まる学校で学んでいたのに今この瞬間まで把握できていなかった。……これはつまり、国内だけの公然の秘密にされているのか……?

「わかるかね? これが授業であれば少し考えて貰うのだが、諸君には答えから学んで貰いたいのでさっさと言ってしまおう。つまり、現在のアメリカはにあるのだよ」

「内乱!? 国内で、身内同士で戦っているっていうのか!?」

「噂には聞いていたけれど、まさか事実だったとはね……」

「そんな……! 私も知らなかったです!」

 三者三葉の反応を見せる俺達。レナは知っていたようだが、事実ファクトだとは思っていなかったようで動揺を隠せないでいる。

 それはそうだろう。魔獣を相手にしながら身内で殺し合う愚行だけはこの大戦下においては絶対に避けなければならない事態だからだ。今すぐ解決しなくては、遠からず限界を迎えて間違いなく敗北するし、勝利したとしても戦後も自国内での戦いは続く……いや、余計に悪化して最悪の場合国が崩壊する。

 だが、早急に解決するための動きはとっくの昔に当人達が試みているはずだ。それなのに、今に至るまで解決できていない理由は何だ。それほどまでに、根深い問題が招いた事態なのか。

「魔獣戦争勃発時に誕生したお嬢さんレディ二人と、学校にずっと居たミスター・シンドウには知らなかった事だろうが、魔獣戦争が始まる前からアメリカは酷い対立構造が各地で起きていたのだよ」

 映像に、いくつもの単語が映画のエンドロールのように羅列されていく。

 政党political party人種race宗教religion性別gender少数派minority……ありとあらゆる対立構造の原因が映像にあるアメリカ合衆国の地図に吸い込まれていく。そして、各地で紫色に蝕んでいく様子が描かれる。

「──人類共通の敵が居れば、敵同士結束するだろうか? 答えはその時になるまでわからないだろう。そして、我々は最悪なことに手を取るのではなく、魔獣に振りかざした拳で同じ人間ものだ」

 クロイツが最後に強調した一部分。これは指摘せざるを得ないな。

~~したtried toってことは、決定的な戦いにはなっていないのか?」

「なっていれば諸君が呑気に観光などできないさ。だが、残念ながら秒読み寸前と称する現状には変わりない」

 ここでレナが口を挟む。

「──でも裏を返せば、決定的に対立できない理由があるのでしょう。それが魔獣戦争? ……いいえor rather、ゾディアックかしら」

そうだYes。大陸中央に座するゾディアック・アリエスが良い意味でも悪い意味でも、この対立構造を生み出しそれを安定させている重要因子ファクターなのだよ」

 巨大なホログラムのアリエスが大陸中央に君臨し、それを挟んで睨み合う軍隊が映し出される。対立の構図は、西だ。

「魔獣戦争初期、東海岸沖に出現したゾディアック・アリエスはニューヨーク、ワシントンなどの主要沿岸都市を破壊した後に西進。そのまま大陸中央を突破して西海岸に迫った。これに対してアメリカ西海岸州連合軍は断固防衛を宣言。ロッキー山脈以南延伸地帯を絶対防衛線とする対ゾディアック防衛作戦──通称『タイタン・ハント作戦』が発動。なりふり構わずの核攻撃によって、ついにはアリエスを『後退』させることに成功したのだ」

 地図上に展開されたアニメーションではアリエスが無数に攻撃を受けて撤退する図が描かれる。あのゾディアックを相手にして撤退させたというのは流石のアメリカ軍だな。

 しかし、戦史を語るクロイツの表情は硬いままだ。作戦成功の陰には大きな犠牲もあったのか。

「タイタン・ハント作戦は成功に終わり西海岸は守られた。だが、勝利の代償は重かった。核攻撃の被爆地域は居住不可能地域になってしまったのでその分だけアメリカ軍も活動領域が後退してしまった。そして、魔獣軍は放射能汚染に対応しつつある。ゾディアックには最初からさして障害にはならないだろう。つまり、核攻撃をしても一時しのぎであり、使用する度に戦線が後退するだけなのだ。尤も、あれだけの集中攻撃を受けて健在なのは最強の防御能力を持つゾディアック・アリエスだからということも大きいのだがね」

 この話は、俺も学校で学んだからわかる。核攻撃の弱点を突いたゾディアック計12体は、核攻撃の連続使用を人類に躊躇わせることを強要している。また、俺達が戦ったようなスコーピオンなどのゾディアックは重要都市近郊に拠点を構えることで、核攻撃を撃たせないようにしているなどの行動も見られる。人類の最強兵器である核攻撃に対して、ゾディアックが生み出した戦法。これによって、人類はゾディアックを倒せないままだ。今後、戦況が悪化すれば核攻撃の積極的運用によって何体かのゾディアックは倒せるかもしれない。だが、それは同時にある問題を引き起こす。

「──よってアメリカでは『リンカーン条約』なるものが締結された。簡単に言えば核攻撃の積極的使用を控えるものだ。この条約が結ばれた真意は、核戦力拡散を防止するためでもある」

「……そして、『東』と『西』での核戦争を防ぐ意味もあるということか」

「そうだ。リンカーン条約では、核戦力保有部隊を四つの縦状ラインバーチカル・フォーに分散配置し、いかなる状況でも部隊を動かすことを禁ずる条文が書かれている。四つのラインはそれぞれ、アリエスを挟む二本と、両海岸の二本からなる。対アリエスと対海岸大攻勢用ではあるが、前者はでも配備されているのだ」

「東西冷戦時代のドイツ分割統治における東西陣営の核兵器による睨み合いと同じという訳か。ただ今回の事態では、アリエスという巨悪に隠されているだけである……」

 俺の考えに、クロイツも首肯する。

「状況としてはそれに近いだろう。アリエスが大陸中央──具体的にはコロラド州デンバーに君臨するということは地理的にも東アメリカと西アメリカを寸断しているということである。元来、アメリカ大陸の中央は山岳地帯か砂漠地帯であるため人員物資の交流規模は大きくはない。大陸横断鉄道も何度となく計画され頓挫していった。それほどまでに、東と西で隔たりはあったのだ。情報社会となった現代社会においても地理的なハードルは一定の壁となりえる。そしてさらに、ゾディアック・アリエスという大きな障害が我々に立ち塞がったというのが現在のアメリカの状況だね」

「……大体はわかった。全てを破壊して回るゾディアックという怪物と無限に湧き出てくる魔獣という二つの脅威によって、東側と西側の対立は深刻化したんだな……」

 俺のまとめにクロイツは黙って頷く。一方で、レナは鋭く質問をぶつける。

「──だけど、アメリカはもともと『合衆国』でしょ。魔獣戦争以前から州ごとに仲が悪い所もあったはずだわ。様々な対立構造が起きているのであれば、東西二元化じゃなくステンドグラスのようにまだら模様になるはずよ。……つまり、アラスカとハワイを除いた残り48州分で色分けされているんじゃないの? 州内でも対立が起きればさらに増えていくわ」

「そういう最悪の事態になる可能性も大いにあった。アリエスが西海岸に侵攻後、魔獣戦争4年目辺りで加速度的に事態が悪化して州同士の戦争になりかけたのだ。その時、当時の下院議長──現在の大統領が率先して政治手腕を発揮し、結果的に東と西二つの大きな対立構造という形で戦いを収めたのだ。今も各地で火種は燻ってはいるがね」

「…………そういうことね。それで、東と西のそれぞれの行動方針はどこに違いがあるのかしら?」

「無理矢理統合させた都合上、そこまでの違いにはなっていないが一つ言えることはある。『東が保守』で『西が革新』という気風があるというだけだ。今回のワシントン観光で諸君も感じたかね?」

「……一つの都市を見ただけで陣営全体の気風がわかるとは思えないが……そう言われてみると、確かに雰囲気が固い感じがしたな。政治都市ってだけでなく、市民の様子もそう思えたよ。認知バイアスなだけかもしれんが……」

「勿論、地理的な問題だけで片付けられるものではない。だが、人間というものはどこかに鬱憤を晴らすものを見つけようとする生き物だ。だからこそ、東と西という区分で対立を深めているのだよ。そして、この件に関わっているのは自然的な民衆の世論の流れだけではない。政府上層部やそれを陰から操る勢力がいるとする陰謀論も大きいのだ。本音を言ってしまえば、最悪のカオスと形容せざるを得ない状況だね」

 諦めたような口調で肩を落とすクロイツ。アメリカの現状についてはよくわかったが、そうなると今俺達が居る場所も問題になってくるぞ。

 ワシントンは東陣営に属している。つまり、保守側だ。

 今、俺の隣に座っているレナとアリサのようなフィーラという新しい存在が受け入れられるのはここではない──

「クロイツさん、あなたが言いたいのはつまり、私達は西に向かうべきということかしら?」

「察しが良くて助かるよお嬢さん。では、これからはどうやって西に向かうかの話をしようか」

 クロイツが手をかざすと、空中投影されていた映像がガラリと変わってシンプルなアメリカ大陸図になる。こうしてみるとアメリカは本当に広大な国だと分かる。東海岸から西海岸の時差だけでも三時間はあるのだ。一つの大陸の大部分を一つの国として確保しているのはまさにアメリカンスケールだな。

「まずは簡単にアメリカの地理の概説からしよう。現在、大陸中央にはアリエス率いる大規模魔獣軍が集結しているためここを突破して最短経路で西に向かうのはできない。そのため、北側ルートか南側ルートで大回りをする必要があるのだ」

 ホログラムの大陸地図に、北と南から回り込む大きな矢印が描かれる。そうなると、基本的には空路になるはずだ。陸路だと時間がかかりすぎるし、海路は沿岸地域が魔獣軍から上陸攻撃を受けている場所があるので危険だ。沿岸を避けて遠回りするとなれば何か月かかるかわからない。一番早いし安全な空路が最も適している。

「北側と南側でも当然違いはある。一つは隣接する国の違いだ。北はカナダ、南はメキシコとなる。それぞれの国の現状は大きく異なる。カナダは比較的魔獣戦争の被害を受けていないのが特徴だ。そのため、避難先として有力候補にはなっているのだがそもそもの環境的に人が住める場所が少ない。また、都市部などは我々と同様に攻撃を受けており、国力の規模からしてもあまり芳しくない戦況にはある。カナダの東、グリーンランドに居るゾディアック・アクエリアスの脅威も大きいので安全国ではないね」

 日本の自衛校で学んでいる時は海外情勢について学ぶことができなかったので、クロイツからの話は大変貴重なものだと実感する。こうしてワールドワイドな領域に踏み込めるのも、フィーラ達と一緒に居る一つの恩恵なのだ。

 今までずっと説明続きというのもあって話を理解しているかをクロイツが確認する視線を送る。だが、俺含めてここに居る人員は戦況理解は比較的得意な方なので問題ない。クロイツもそれを把握して次の話を始める。

「よし、ではメキシコの話だ。こちらは国として非常に不安定な情勢となっている。魔獣戦争も相まって酷い状況だ。尤も、さらに南にある最重要拠点のパナマ運河を始めとした南米の方が酷いのだが……。そのため、国境地帯からアメリカに向けて流入する避難民や、逆にアメリカを脱出する疎開民もあってかなりの混乱状態にある。そこを狙って魔獣軍も襲い掛かり、迎撃するアメリカ軍と中南米連合軍の対立も起こっている。魔獣戦争前の中東情勢より遥かに最悪だ。今現在の中東情勢はさらに最悪になっているがね。だが、同時に人員と物資の流れも活発なのがアメリカ南部国境地帯だ。いくつかのコミュニティを統合させた新たな独自勢力──独立国も出現しようとしている。死者も多いが、新たに生まれる命も多いということだ」

「その点で言えば、カナダは落ち着いていると考えていいのか?」

「そうだね。元々カナダは自然が多く人口は少ないという国だ。諸君も知っているだろうが、魔獣軍は基本的に人類と戦うための行動方針を選択する。そのため、人類の勢力と程近い場所に拠点を構えることが多い。これは、下手に人類の活動領域から離れた場所に拠点を置くと核攻撃や大規模破壊攻撃、毒ガス、対魔獣殺害ウィルスなど人間の近くでは使いたくないNBC兵器を積極的に運用されるのを恐れての合理的な判断ではないかと考えられている。通常攻撃に関しては、拠点を離れた場所に置くのが合理的ではあるが戦力規模の観点から考えて奴らは隕石やマザーで随時戦力が補給されるのに対して人間はまともに戦えるようになるまで最低15年以上はかかるからね。それでいて丸腰の戦闘力はレベル2未満なのだから戦争が長引くほど劣勢になるのも無理はない」

「パリに居たスコーピオンと同じだな」

「そうだね。結果的に、カナダの魔獣戦線は都市部や海岸線に限定されているという訳だ。また、アメリカとカナダの国境地帯は自然豊かな場所が多い。ナイアガラ滝や五大湖、平野部、山脈などだ。補足になるがアメリカにある巨大な平野部──大規模農場地域グレートプレーンズが魔獣軍によって占領されているために大陸全土が食糧難になっている。これは東も西も関係ない大きな問題の一つだ」

 北と南、それぞれの特徴について理解することができた。クロイツのわかりやすい説明のおかげだ。

 全員が理解しきった所で、本題に入ろうかと話を切り出す。

「さて、今諸君に説明した北部カナダ南部メキシコの話から、我々は西に向かうルートを選定しなくてはならないね。北側ルート、南側ルートどちらもメリットデメリットはある。距離的には南側の方が近いがね」

 そう言って中途半端な流れのタイミングで口を閉じる。……結論としてはどっちなんだ。

「それで、結局どっちなのよCIAとしては」

 素早くレナが判断を求める。だがクロイツは首を横に振る。

「大変申し訳ないが、CIAには選択権は無い。そして、残念ながら諸君にも無いのだ」

「じゃあ、誰が決めるのよ」

「選ぶのは、アスムリンだ。──入ってきてくれたまえ」

 壁だと思っていた一角に切れ込みが入り、ドアとしてこちら側に開いてくる。アスムリンの担当員か。鬼が出るか蛇が出るか、緊張してその顔を見ると……なんと驚愕の人物だ。

おう、お前らHey guys。元気だったか」

「マイク特佐! お久しぶりです」

 現れたのはマイク・ボルジェン特佐。フランスで共に戦った国連軍所属の優秀なメカニックだ。俺と同じ特佐という階級はアスムリンからの出向職員なのが理由になっている。マイク特佐と一緒なら心強いぞ。初対面の人よりかは見知っている人の方が断然いいし、口調は若干荒いものの悪い人ではないのは確かだ。

 アメリカ人らしいラフな格好で登場した彼の表情は機嫌が良い。これなら30代ぐらいの外見に見える。実年齢は20代後半なのでそれでもプラスなのだが彼は老け顔タイプなので仕方ない。

「おう。パリで別れて以来だな。空港まで行けなくて悪かったよ」

「大丈夫ですよ、あの時は色々と助かりました」

「はっ、スコピ殺し祝いの打ち上げパーティーの時に堅苦しいは必要ないって言ったろ英雄サマ。同じ特佐なんだからよぉ」

 肩を叩かれながら絡まれる。階級は同じだが年齢は彼の方が上だ。それに──

「どうにも、学校で叩き込まれた『メカニック相手への敬意を怠るな』の習慣が捨てられなくてですね。──以後気を付けるよ、

「おう、そういうことならまあイイヤ。プリンセス達も元気でなりより──おっ!? オウルズのファンだったのか?」

 レナのユニフォーム姿を見て仰天するマイク。どうやら彼はファンの一人らしい。

「いいえ、ただの変装カモフラージュよ」

「ちぇっなんだよ。地元チームの貴重なファンだと思ったのに……」

 レナに冷たく真実を告げられたことで少し意気消沈するマイク。感情の起伏が激しいな……まさか酒でも入れているのか?

「あら? マイクはここの出身なの?」

「おう、言ってなかったか。まあ、生まれはノースカロライナだが、育ちはここさ。そんで大学の工学部を出てからはアスムリンに就職さ。良いか、お前ら。あそこはな、相当なブラックスウェットショップだぜ?」

 ニヒルな笑顔で俺達に脅しをかけてくる。フィーラへの扱いもあって部外者でも何となくわかってはいたが、内部告発ともなればより一層警戒する必要があるな。

 アスムリンの話はともかく、確かにマイク特佐の英語の発音はジュリア少将のようなフランス訛りではなくもっと俗語的なアメリカ訛りだ。現地に来て久しぶりに彼に会って漸くわかった。この辺の肌感覚はまだまだ鈍いことについて反省する。

 ちなみにレナはブリティッシュイングリッシュそのもので、アリサはアメリカ訛りであるもののかなり上品でレナと同じぐらい丁寧である。俺はジャパニーズイングリッシュ丸出しだ。発音には気を付けているが、やはりネイティブには一発で見抜かれるレベルでしかない。

 マイク特佐が登場したことで乱れた場を、クロイツがまとめ上げる。

「諸君、彼が今後の担当員だ。西側に向かう際の先導者リーダーとなる。後は頼むよミスター・マイク」

「了解だ、レジェンド・K。……今頃はバカンスでゆっくりしてたはずなのによぉ、本当はフィーラ担当じゃなくて新型兵器ノウス・アルマ担当なんだが人手不足だってことで駆り出されちまった訳だ。ああ、そんでルートは南だぞ。しかも上層部の野郎、スコーピオン討伐祝いの俺の休暇先であるマイアミを通るルートを寄越してきやがった。だけど遊ぶ時間は一切無いぜ、これじゃ蛇の生殺しじゃねえかッ畜生fcck!」

 結局、南側ルートを通るらしい。俺としては静かそうな北側ルートの方が良かったんだが何か理由があるのだろう。それに、マイク特佐がキレているし話の続きを誘導するか。

「まずはマイアミか……それで、そこからどう行くんだ?」

「あーそうだな。そっからメキシコ国境沿いを通って西海岸に向かってからネバダ州に行くぞ。ネバダにはアスムリンの研究所があるからそれが最終目的地ゴールだな。ヒトpeepsモノstuffカネbread情報infoが飛び交う、動きの激しい国境地帯を通り抜けることでお前らの存在を隠す作戦だとよ。魔獣もヤバいが一番ヤバいのは同じ人間さ。公表されたとはいえ、まだお前らの存在の大部分が機密情報なんだ。下手に交流が少ない北側を通って目立つより、南側の方がまだマシだって上層部は判断したってことだな」

「……まだまだ、フィーラの存在は受け入れられないというのか」

「まなあ。最前線では噂として流れていたが、今や世界中に公開された分余計にな。おたくらCIAも本当は拷問椅子トーチャーにでも座らせて一切合切の情報を奪い取りたいだろうなァ?」

「ハハハ、ノーコメントにしておくよマイク特佐」

 上辺だけでも否定してくれと心の中でクロイツのブラックジョークを批判する。……うん、ちょっと待て、今更だがなんで俺は初対面のかなりの年上の大人相手にフランクな態度を取ってしまっているんだ……!? まさかッこれがスパイとしての人心掌握術なのかッ……?

 困惑の表情が出てしまったのか、マイク特佐とクロイツ……クロイツが笑い出す。

「おう、やっと気づいたか。お前の目の前に居る男は伝説のスパイだぜ。何かされても不思議じゃあないさ。それに、ここの博物館でも展示しているスパイアクション映画の元ネタのいくつかはこの人が現役時代にやらかした話がモデルだぜ? ある意味、黒歴史の展示場だな」

「いやいや、ここは私の密かな功績展示場だよ。時々、妙にリアリティのある体験談をお客様に聞かせることが私の楽しみさ!」

 クロイツさんがこの博物館に対して妙な情熱を持っていたのはそういうことだったのか……。そして、今までの非礼を俺は詫びなくてはならない。してやられた悔しさと、己の未熟さの恥ずかしさも絡まってどうしようもなく混乱しているが、本心は申し訳ない気持ちでいっぱいなので何とか押し込める。

「……失礼な態度を取ってしまって、スミマセンでした! クロイツさん!」

「謝罪は不要だよミスター・シンドウ。私の方が君にリラックスして欲しくて心理操作マインドコントロールを試みたのだ。不快な思いをさせてしまったね、こちらこそ謝罪しよう。──そして、一つだけ諸君に言わせて欲しい。これから諸君にはいくつもの困難が待ち受けるだろう。特にミスター・シンドウと君には。だが、どうか頼む。アメリカを、救ってくれないか」

 困難が待ち受けているというクロイツの発言。俺と、アリサに不安があるってことだろうか? 確かに精神が安定しているレナと違って客観的に見て不安な要素はあると思われても仕方ないのだが……アリサに関してはアーリントンで泣いていたメンタリティーを疑問視されたのだろうか。いや、大丈夫なはずだ。その後の様子はレナと一緒に楽しそうに観光していたのは記憶に新しい。一人の純粋な、等身大の少女だった。

 ……普通の少女のメンタリティーでは戦うことに問題があるのだと言うのであればその環境に問題があるだけであって解決すべきはアスムリン側にある。フィーラを戦わせなくても良いように大人が──いや、そもそもこの戦争を終わらせさえすれば良いのだ。それまでに、フィーラが犠牲にならざるを得ないと言うのであれば、俺も一緒に戦うだけだ。

 最後に見せてくれたクロイツさんの本性……いや、心の奥の本音。それに俺達は応えなくてはならない。

 俺が覚悟を決めたと同時に、自分の信念を固く持っているレナが立ち上がり一番に返答を切り出す。

「──任せなさい。そのために私達はここに来たんだから。そうでしょ、二人ともマイ・バディーズ?」

 後を託された俺とアリサも同様に応える。

「ああ、そうだ。俺がどれだけ貢献できるかはわからないが、どんなことでも何があっても全力を尽くすよクロイツさん」

「…………私も、できる限りは頑張ります!」

 俺達の宣誓を見届けたクロイツさんはにっこりと笑うと握手を求めてくる。掌の皺は多くても、その握力は現役軍人以上の力強さを持って俺達に期待を込めてくる。クロイツさんにはアメリカのことを詳しく教えてもらったお礼がある。そして、この国の対立が深刻なこともわかった。何としてでも、原因であるアリエスを倒さなくては。

 別れの握手が終わった所で、マイクが声を掛ける。

「よし、そんじゃ行くぞお前ら。アメリカは馬鹿みたいに広いぞぉ、軍隊の車でドライブしたフランスの比じゃねえ。ヨーロッパ全域を回るのと大して変わらないと思え」

 マイクが先導して、部屋を後にする。クロイツさんに一言、お礼を言ってから俺も後に続く。

 スパイ博物館。その名の通り、重要な情報を俺達にもたらしてくれた。

 西海岸を経由して最終目的地であるネバダ州に向かうためにも、まずはマイアミだ。

 南部国境地帯サウス・ボーダーでの喧騒に巻き込まれないように、注意してこの先を進もうと俺は心に決めたのだった。

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