第1話 大西洋を越えて

 ゾディアック・スコーピオン討伐作戦から二週間。

 俺達は解放されたパリ近くの空港、シャルル・ド・ゴール空港で待機していた。

 ──あの作戦からの空港に至るまでの経緯と日々を思い返す。

 スコーピオンを倒した直後、大攻勢によって国連軍を全滅させようとしていた大規模魔獣軍はかつてない程の酷い混乱状態に陥っていた。

 今日に至るまで9年間、無敗の最強存在として君臨していたゾディアックの一角が落とされたからである。スコーピオンは魔獣軍の指揮を直接執って無かったにしろ、魔獣軍にとっては到底看過できない事態だ。

 目の前に居る国連軍を全滅させるよりも、早急に戦線の建て直しを行う必要があると判断したと思われる魔獣軍は結局大攻勢を中断して後方に引き下がった。

 九死に一生を得た国連軍であったが、欧州での戦いが終結した訳では無い。スコーピオンを倒したことによる戦力バランスの大きな乱れによって、が発生すると考えられるからだ。

 これは、魔獣軍が反撃を狙って各地で無理矢理の大攻勢を発動するという可能性である。ゾディアックという大物を倒しても未だ戦争状態は続いたままである。

 しかし、大きな偉業を成し遂げたことには変わりはない。国連軍上層部とアスムリンは今回の作戦で勝利した結果を全世界に発表。さらに、英雄となったフィーラの存在まで公表するという衝撃の行動にまで打って出た。

 当然のことながら彼女達の存在についてあらゆる賛否両論が世界中で巻き起こったと話に聞いている。最前線で戦っている将兵や各国の上層部には既に極秘事項として知られていた情報だが、それが何も知らなかった後方の民間にまで浸透したとなればショックの度合いは計り知れないだろう。『ゾディアックを倒した英雄』という評価が出来るまで隠していたのも無理はない。

 だが、世界は革新を迎えつつあるのは確かなのだ。今回のゾディアック討伐成功は必ずターニングポイントになると確信している。魔獣戦争は確実に大きな一歩を進めたのだ。

 その変革に俺が関わっていることについては今も実感が無い。理由は単に、過労と多忙だ。

 あの日、レナが目を覚ましてからすぐに救援部隊が到着した。全員ボロボロの状態だったため、トリアージも何も無く全員同時に様々な介抱をされている内に俺は意識を消失。次に目が開いた時には既に一週間が経過していたという有様だった。

 俺が寝ている間に情報は世界中を駆け巡り、そして欧州の戦況も大きく変わっていた。その状況でただ寝ていたのは恥ずべきものだ、ということで誠心誠意の謝罪をしたかったが、君もゾディアック討伐の英雄だからと担がれてしまい下手に出ることが出来なかった。

 俺以上に活躍したフィーラの三人。レナ、アリサ、リッタの三人も酷い怪我の状態であったがそこはフィーラということもあって回復が早く三日後には完全復帰していたらしい。だが、存在を公表したことによる影響を考えて俺が目を覚ますまで大人しくしていたとのことだ。

 また、幸運にもアーノルド中将やジュリア少将の部隊も無事だった。

 大攻勢の最中、スコーピオンのウィルスを付与されたキャリアー魔獣によって甚大な被害を受けたようだが優秀な指揮官と最前線で必死に戦った兵達のおかげで体勢を整えて挽回したらしい。再会した時は両名共に涙ながらの抱擁を受けたが、俺も感極まって泣きそうにはなった。レナ達が居る手前、今やそこまで格好つける必要も無いのだがここは気恥ずかしさが勝った訳である。

 仮設テント内のベッドで目覚めた俺はまず入念に身体検査と健康チェックを受けた後にあの時の戦闘について事細かに尋ねられた。フィーラ達の話に加えて、遠く後方からの視点で見ていた情報と、俺が介入した最終盤の戦いについて──そして、凱旋門崩落による走馬灯で思い出した卒業訓練についての話を詳しく整理しながら報告する日々が続いた。

 そんな慌ただしい日々があっという間に過ぎ去って一週間。今、俺と三人のフィーラは空港に居る。


 スカーレット・ベルベイン──リッタはヨーロッパの地理や戦闘情勢に詳しいことから一人ここに残って各地の大攻勢への対処にあたることになった。

 一方で、俺、レナ、アリサの三人はアメリカに来るよう命令が下った。

 命令してきたのは国連軍ではなく、アスムリン。表向きには世界各地の戦場に物資輸送を行っている民間企業。その裏では強襲突破輸送機ユニコーン重武装二輪車ペガサスなどの特殊兵器を開発し、さらにフィーラの研究も行っている謎の多い研究機関だ。

 アスムリンという企業がここまで大きな力を持っていることを今更ながら実感するこの召集命令。疑問は尽きないが戦時特別権限が認められている『特佐』とはいえ兵士である以上、上からの命令には逆らえない。

 そして、ゾディアック・スコーピオンが倒されたことによる一時的な魔獣軍の小康状態。この隙を突いて今まで出来なかったヨーロッパとアメリカの物資交換を一気に行うために『大規模物資輸送交換チェンジリング作戦』が発動される。

 急変する時代に備えてそれぞれに必要な物資や人員をまとめて交換する大規模緊急輸送作戦だ。今すぐにでも始まってしまうだろう各地の大攻勢に備えて少しでも物資を確保したいヨーロッパ側と、国内でダブついて余っている物資を送って、より貴重な物資や技術、情報、人員を確保したいアメリカ側との利害の一致にて計画されたものだ。内容としては第二次世界大戦の武器貸与法レンドリースに似ている部分もある。

 俺達はこの輸送作戦に乗じてアメリカに行くという流れだ。運ばれる膨大な物資に紛れて現地に向かう理由はフィーラの存在を隠して移動するためである。

 フィーラの存在自体は公開されたが、その姿や個人情報を晒す訳には行かない。上層部によって裏では調整済みではあるものの、表向きには秘密裏に入国することになる。

 ──以上より、ここでリッタとはお別れだ。

「皆様~!! 向こうでもお身体に気を付けて、頑張ってくださいませ~!」

 輸送機に乗った俺達に手を振って、リッタがハンカチ片手に見送ってくれている。その顔は、今にも泣きだしそうな表情だ。俺も同じく感極まってしまいそうになる。

 約一カ月もの間共に過ごした仲ではあったが、今まで生きてきてここまで強烈な子は居なかった。スコーピオンとの戦いで髪を紅くしてまで鬼神の如き活躍をしたのも記憶に新しい。

 そんな彼女と、涙ながらに別れることになるのは少し残念だ。だから、俺はグッと涙をこらえて叫ぶ。

「リッタ! ありがとうな! また会うときはよろしく頼むぞ!!」

「あなたこそ、一人になるのだから無理しない範囲で頑張りなさいよ!」

「リッタさん! ありがとうございました!」

 レナとアリサの二人もリッタからの激励に応える。リヨンでいきなり現れての出会いだったが、別れもまた突然となって気持ちに整理がつかないのが本音だ。だが、近いうちにまた会えるだろう。そんな予感を胸に抱きながら、輸送機は静かに扉を閉じて飛び立っていくのであった。


 パリから目的地であるワシントンD.C.までの距離は約6200km。普通の旅客機であれば約9時間。マッハで飛ぶ戦闘機でも最低5時間はかかる飛行距離だ。

 チェンジリング作戦では大量の物資をいかに短時間で運び入れるかが焦点となる。下手に経由補給トランジットせずに直接各地の空港に輸送機を流れ込ませることが重要だ。

 俺達が乗るC-17輸送機グローブマスターⅢも同様に直接ワシントンに向かう。

 レナ達と出会ってから俺の初陣となったフランス-スイス国境地帯防衛戦で乗ったC-5輸送機ギャラクシーよりも一回り小さい機体ではあるものの、超大型の輸送機であることには変わりないので大量の物資を運ぶことが出来る機体だ。本来の使い方であれば主力戦車や数台の装甲車両を始め、約200名の兵士を運ぶことが可能な程の輸送量ペイロードを持つ。今は所狭しに物質が積まれておりその一角に隠れるようにして俺達三人が乗り込んている状況だ。

 まるでこっそり違法に乗っているようなシチュエーションだが正式に許可は出ており、秘密入国作戦シークレット・エントリーのためなので致し方無い。だが、非常に退屈だ。

 AWIS──航空機用ワイヤレス機内通話装置Aircraft Wireless Intercom Systemを付けているので大型エンジンによる轟音が響き渡っていても会話は可能だが、ノイズキャンセリングを貫通してくる重低音と高周波のジェット騒音の前では会話しようとする意欲は消え失せる。

 それに、この輸送作戦は急遽決まったものだ。パリを旅立つ直前までの連日に及ぶ移動や大攻勢に備えた待機状態で疲労も溜まっており、時差ボケジェットラグ対策も兼ねて結局この長いフライト時間は寝ることに努めたのであった。


 広大な大西洋を越えて、米合衆国大統領官邸ホワイトハウスから5kmほど離れた場所にあるロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港に着いたのはパリを発ってから8時間後の事だった。

 パリとワシントンの時差は6時間あり、パリの方がその分だけ早い。シャルル・ド・ゴール空港を出発したのが朝の7時頃であったため、都合7+8-6=9で現地の時間が朝の9時頃となっている。

 朝早く出発するために夜間移動することになり、パリに居た前日は超早寝超早起きsuper early and super earlyのような状態だった。そのため、快適ではない輸送機内でもなんとか寝ることが出来たのだがどうにも時差というものには慣れず、二度目の戦いも白旗を上げなくてはならないだろう。飲んだことは無いが、珈琲ブラックでも入れてシャキッとしたい所だ。

 だがここはもうアメリカだ。少し慣れ親しんだフランスでは無いし、母国日本でも無い。俺達の新たなる戦いの場所だ。それに、この国に居るゾディアック・アリエスは横で座っているアリサの仇敵でもあるだろう。気を引き締めつつも、またゾディアックと戦うことになるのだろうかと思いながら機内の物資がフォークリフトで運ばれていく様を眺める。

 物資を載せていたパレットが7割程度まで無くなった辺りで、俺達は用意されていた巨大な箱の中に入る。この木製の箱の中に入って輸送されるのを待ち、人目につかない場所で開封されて現地の担当員と合流する予定だ。

 今度こそ密航者ストウアウェイのような気持ちになって待機する。だがこれはこれで緊張感がある雰囲気を感じられる。合法的に非合法行為のようなものをするのは背徳的で面白い。心なしかレナとアリサも何だか楽しそうだ。

 フォークリフトによって俺達が入ったボックスはゆっくりと運ばれて行き、そのまま10分ほどドナドナと何処かに向かう。

 移動が止まったと同時に外側からコンコンとノックされる。担当員が居る場所に着いたようだ。

 一応、警戒しつつ上扉を開けて周囲の様子を伺う。目の前に居たのがいかにもな軍人風体の大柄な男性。スキンヘッドが眩しいが、それ以上に光り輝く制服に付けられた勲章の数々がその有能さと階級の高さを物語る。

 上官を前にこのまま居るのもマズイ。すぐさまよっと勢いをつけてボックスの外側に飛び降りる。続くレナとアリサも軽やかに着地する。

 そして輸送機に乗る前にフランスで着させて貰った国連軍の服装──つまりはアメリカ軍の軍服の皺を直しながら直立不動で敬礼する。

「アスク・シンドウ特佐であります。只今到着いたしました少将殿」

「ウィリアム・ミラー少将だ。英雄達と出会えて光栄だ。USAステイツでも宜しく頼む」

 ミラー少将もがっしりとした手で敬礼を返しつつ。すぐさま握手を求められる。

「ミラー少将、こちらこそよろしくお願いします」

 俺も握手に応じてその手を握る。凄まじい握力は俺達への期待故だろうか。いや、正直言ってかなり痛いな。

 30秒程握りしめられ手の感覚が無くなって来た所で漸く解放される。

「さて、遠路はるばるフランスからよくぞここまでやって来た。フランスの国連軍から話は聞いているだろうが、諸君らの役目はゾディアック・アリエス討伐作戦に参加しアリエスを倒すことにある。だがひとまず、今はアメリカという国の空気に慣れて欲しい。そこで、本日はワシントン市内での自由な散策を許可する。作戦前の休暇旅行バケーションとでも思って楽しんでくれたまえ。スケジュールの詳細は追って知らせよう」

「了解ですミラー少将。アメリカについて全力で学びたいと思います」

「その意気だ、シンドウ特佐!」

 やはり、俺達が召集された目的はゾディアック・アリエス討伐作戦のためだった。フィーラの存在はゾディアック討伐に大きく貢献したと発表されている。さらに、現地の軍隊との連携作戦もゾディアック討伐には必要不可欠だ。フィーラ数名とアメリカ軍による大規模連携作戦によってあの難攻不落であるアリエスを討伐しようということだろう。

 それに今日一日は自由に観光して良いとの許可──命令がなされたが当然ながらこれは俺達の様子を観察したいという意味に違いない。すぐには作戦に組み込めない……つまり、信用されていないようだ。

 レナやアリサは世界各地を回って窮地に陥った最前線の救援に行っていたようで、ここアメリカにも何度か足を運んだと言っていた。それに、アリサにとっては出身地のような場所になる。今更警戒する必要があるのだろうかと思うが、緊急的かつ短期的に戦闘に参加させるのと事前に計画されている長期的な特別作戦に参加させるのとでは必要な信頼度が違うのだろうか。それに、ゾディアック討伐という経験が何らかの形で彼女達の精神に影響を及ぼすとでも考えているのか。ある種の同胞殺しとも取れるその行為によって、本当に人類への敵対心が無いのか疑心暗鬼になったのかもしれない。だが、ここで考えていても何もわからない。真実を掴み取るには求めるだけではダメなのだ。自分で勝ち取ること、行動することが何より大事なのだと学校で学んだのだから。

 ──とにかく、お上の言う事には逆らわずに進もう。それに、その土地の雰囲気に慣れることは戦う時の生死を分ける境目にもなる。素直に従ってアメリカに慣れることにするか。


 ワシントン市内に近いと言っても、ここナショナル空港はポトマック川という大きな川をワシントン市内と挟んだ場所、つまりは市内の対岸に位置する。

 本来、ワシントンに向かう航空機はここから約40km以上西に離れたワシントン・ダレス国際空港か、ホワイトハウスから約45km北東にあるボルチモア・ワシントン国際空港のどちらかに着陸するのが基本らしい。ナショナル空港は両空港に比べてかなり小さいため国際線が着陸することは稀である。

 だが、今回のチェンジリング作戦ではそんなことは言ってられない。アメリカ全土、全ての空港を開放して西ヨーロッパ全域からの物資を受け入れる──というよりは前段階にあたるアメリカからヨーロッパに向かうための輸送機の離陸のために優先解放されたという訳だ。

 元々、俺達をワシントン市内で観光させようという作戦だったために、今回の到着場所にナショナル空港が選ばれたのだろう。移動時間を節約するための配慮だと思うが、首都中枢のような国防上重要な場所に到着させて不穏分子の様子を見ようとする動きは少し疑問にも感じる。

 ともあれ、まずは観光だ。ここから近くて有名な場所だとアメリカ国防総省ペンタゴンがあるはずだ。そして、ポトマック川を挟んで対岸に、リンカーン記念堂やホワイトハウスがある。

 実はワシントンD.C.はそこまで観光に特化した地域ではない。政治中枢都市としての機能の方が強く、観光に行くのであればニューヨークの方が間違いなく活気はある。

 と言ってもそれは魔獣戦争前までの話だ。ゾディアック・アリエスが東海岸沖に出現し、大規模魔獣軍も各地の沿岸都市に次々と上陸していった。ニューヨークを始め、各都市で地獄の市街地戦が行われたと話に聞く。この空港もかなり綺麗に修繕されているようだが、遠くに見えるビル群は未だ建設途中、或いは再建途中のものも数多く見受けられる。

 現在、アメリカ軍と戦っている魔獣軍本隊は大陸中央に布陣しているため東海岸にあるワシントンやニューヨーク、それに西海岸のサンフランシスコやロサンゼルスといった都市が攻撃を受ける要素としては海からの攻撃だけになる。常に上陸作戦が企図され続け、その度に海軍や空軍が追い払うという状況が常態化しているらしい。

 今はさほど被害を受けていないだろうが、一度破壊し尽くされた都市の復興は簡単にはいかない。それは震災の多い日本でも多く見られる光景だ。ここアメリカでも戦時下なのも相まって、物資も人手も足りず行き詰っていることがわかる。

 ミラー少将は観光と言ったが、ぶっちゃけ見るモノはあまり無い。日本で言えば霞が関や永田町のようなお堅いオフィス街を見て楽しいだろうかという感じだ。国会議事堂や皇居の見学にでも行けば少しは勉強になるかもだが、生憎日本もアメリカもそういう政治中枢施設の多くが戦時下ということで立入制限が強化されている。俺達が行ったところでVIP待遇ではなく厄介払いされるのがオチだろう。フィーラの危険度としては歩く核兵器に匹敵するのだから。

 ──おっと、そもそものことを失念していた。観光となれば公に姿を見せることになる。下手にフィーラだと騒がれればこの上なく面倒だ。そんなことは向こうも百も承知なのだから何かしらの対策があるはずだと思ってミラー少将と別れた後に来た担当事務員に話しかける。

 すると、どうやら変装で行くことになっていたようだ。指示に従い、更衣室として用意された部屋で着替える。部屋はそれこそVIPが来るような豪華絢爛な場所だ。ボックスが到着した場所から一本道の裏道を通って誰にも会うことなく辿り着いた。まさにお忍びということか。

 服装に関しては俺はあまり変わらず国連軍制服のジャケットを脱いでラフなシャツになっただけ。一見するとラフすぎる格好だが、2039年現在、6月頃のワシントンの平均気温は25℃前後──ここでは77℉か──なので少し肌寒い時もあるが、この服装でも十分外で歩ける格好だ。

 変装としては雑であり単にシャツになっただけだが俺としてはオフの軍人感は醸し出している……と思いたい所だ。何だかんだ着心地が良く、元々の性格からして服に無頓着なタイプだったのもあってフランスに居た間はほとんどこれを着ていたためもう慣れてしまったので既に自然に着こなしているという点からも採用された訳である。

 一方、レナは大きくフォルムチェンジしてベースボールのファッションコーディネートという格好スタイル野球帽子キャップも被った姿は意外に似合っていて可愛い。

 着ているシャツは『オウルズ』という新たに創設された野球チームのものだ。MLBメジャーリーグの人気は戦時下であっても一定の水準を保っており、規模は縮小されているものの逆に煮詰まったことでより白熱した戦いになっているのだとか。ントンなのにオウルズ()とはとも思ってしまうがこの視点に気付くのは限られた人間だけなのでこれ以上は何も思わないようにする。

 アリサは大胆に変身し、自身の性格とは正反対のようにガーリーでラフな装いとなっている。短めのホットパンツに白のTシャツという日本人の俺からすればかなり冒険している感があるがアメリカでは普通らしい。本人はかなり恥ずかしがっていたため、黒のニーソックスと薄手のガーディガンも追加で装備された。

 しかし、これはこれでいつもと印象が違って新鮮な感じだ。今回のアメリカでの戦いではアリサの隠された一面が見えるかもしれないな。


 一同、変装が完了したとのことで正式に戦地情報把握任務という名の観光が開始される。詳細スケジュールも貰ったが特に行動制限は無く完全に自由オールフリーだ。観光場所も好きに選定して良いと書かれている。

 VIPルームから誰にも気付かれない様に空港のホールに出てきた俺達は、今の時代少なくなった観光客として自然に振舞いながらも、行く当ては見つからない。

 フランス・オルレアンでの観光を思い出しながらとりあえずどこか行きたい場所を募るか。

「さて、と。何か希望はあるか?」

 傍らに立つレナとアリサに話しかける。観光客を装うためと、フィーラを敵視する輩に気取られないように英語ではなく敢えての日本語で。

 ちなみにフィーラの全員が多言語話者マルチリンガルらしい。レナは七か国語、アリサは四か国語話せる。母国語話者ネイティブレベルで無ければもっと数は増えるのだとか。英語がやっとな俺では本当に敵わない天才児達だ。多言語主義が当たり前である海外とは違って日本が特殊な国というのもあるが、それでも言い訳は出来ない。

 尤も、茶髪灰眼のアリサはパッと見でアジア人だと見られるかもだが金髪碧眼のレナは明らかに違う。そんな子が日本語をペラペラと喋れる様子は逆に不自然に見受けられるが、魔獣戦争が始まって以来各国で移民の流出入が加速しており国ごとの人種の特徴というものは当てはまらなくなりつつある。移民の国であるアメリカ合衆国では昔から人種のサラダボウルと言われているが、この辺の外見上の違いがフィーラでどういう身体情報になるのかも気になる所だ。

 つまり、外見と話す言葉が違う点からフィーラだと看破はされないということになるので俺が墓穴を掘った訳では無い。本当の理由は久しぶりに日本語を使って見たかったからなのだが。

「そうねえ、本当は行くならニューヨークが良かったわね。復旧したばかりのタイムズスクエアとか見たかったし」

 前提を覆すようなレナの意見だが、正直俺も同意見だ。が、現実は非情故致し方ない。

「まあな、俺もそう思う。だが、夕方まで何か見て回らないとそれはそれで勿体ないぞ」

「ええ、アスクの言う通りだけどね……」

 レナがおもむろに渡されていた観光用パンフレットを見る。しかし、先の理由で俺達が入れないような重要施設や観光客が見てもたいして面白くなさそうなお堅い場所しか載っていない。時間は夕方までと言われているのでこれであと最低6時間以上粘るのは酷だぞ。

 うーん、どうしようと二人して腕を組んで悩む。傍から見れば選択肢が豊富で迷っている様だが実態は逆だ。

 そんな様子を見ていたアリサが珍しく意見を出す。

「アスクさん、レナさん。私、行ってみたい場所があるのですが」

「良いわよ。どこへ行くつもり?」

 渡りに船とばかりにレナが即座に反応する。アリサの案となれば俺も気になる所だ。

「アーリントン国立墓地です。……大丈夫でしょうか?」

「よしわかった。そこにするか」

「私も構わないわ。鉄は熱いうちに打てStrike while iron is hot、ね。空港内に地下鉄メトロが走ってるみたいだからそれで行きましょう」

 二人ともアリサの案を尊重し、アーリントン国立墓地に向かうことにする。

 いきなり墓地に行くのは少々重いと感じるも、ここで立ち止まっているだけでは何も始まらない。それに、アリサには何か大切な用事があるのだろう。目的地からそう察した俺とレナは半ば反射的に行動を開始する。

 だが墓地に行くのにこの格好はどうだろうかと心配になる。歩き出したレナとアリサを追いかけつつも、遠くの壁際でこっそりと様子を伺っている見張りの担当員に今回の作戦命令書で記載されていた秘密のハンドサインを送る。内容は『サポートして欲しいから一緒に来てくれFollow me plz sup 』だ。

 それとなく、後ろに来てくれたのを確認しながら空港内を歩いて地下鉄のホームに向かう。

 空港で入手したメトロの路線図によるとワシントン市内には計六本の路線が走っており、それぞれレッドラインやブルーラインといった感じで色分けで名前が付けられている。ナショナル空港を通っている路線はブルーラインとイエローラインの二つであり、今回はブルーラインに乗ることになるようだ。

 俺もフィーラの二人もこういう民間の日常には割と疎い。何の切符を買えば良いのか迷うも、駅の係員によれば観光客なら一日乗車券ワンデイパスというものを買った方が楽らしい。ドル表記なため、戦時下も相まって為替の感覚がイマイチ掴めないものの値段は数千円相当だと予想。やや割高にはなるものの、ワシントンメトロは料金体系が駅ごと、時間ごとで違うというかなり複雑なものらしいし、今日一日の移動手段はメトロか徒歩になるだろうからこれを買うべきだろう。

 ミラー少将から英雄の凱旋だからと言われてそこらのお金持ち以上に渡されたドル札でワンデイパスの料金を支払い、三人と密かに居る担当員とで改札を抜ける。

 流石に日本の満員電車ほど混んではいないが、ちょうど料金の変わるピークタイムが終わり、少し安くなるオフピークタイムになったタイミングだったので、想像以上に混雑しているな。

 これも、戦争が招いた物価高からの市民の対策なのだろう。少しでも節約するという技の一つだ。

 だが逆に好都合だ。人混みに紛れて自然体で担当員が隣の席に座ってくれた。

 日本の電車と違って、ワシントンメトロの車内配置は独特だ。特急列車のような進行方向に向かっての座席と、普段見かけるような横方向の座席が連続して並んでいる箇所がある。レナとアリサが前者の座席に並んで座り、その一個前の横座席に俺が座る。担当員は俺の横だ。

 渡されたスマートフォン──米軍から貸し出されているもの──のメモアプリに文面を打ち込み、隣に座った担当員に画面を見せてアーリントン国立墓地に向かうことを伝える。

 そして、格好のことについても質問する。

 だが、向こうがチラリと見せて来た文面を読むと特に問題は無いらしい。

 簡潔に理由を述べてくれたが、日本は一定の厳粛さが求められるのに対してアメリカは新たなる旅立ちとして死者を送る文化があるだからだという。勿論、服装自由という訳ではなく露出が多いものや派手な色合いはNGだが、日本ほど厳格に求められることは無い。参考までに、と共有してくれた動画では同墓地で有名な衛兵交代式に混じって映っている見物客は確かにカジュアルな服を着た人も多く居た。

 この分であれば大丈夫そうだろう。それに、一応俺達は行く旨の連絡もされるはずだ。何かの問題に巻き込まれるという事にはならないはずだ。

 納得した俺はありがとうとハンドサインを送りつつ、強めにブレーキが掛かって停車した駅を確認する。

 アーリントン国立墓地があるアーリントンセメタリー駅までは今停車したクリスタルシティ駅からあと二つ駅を通過するようだ。その駅の名前はペンタゴンシティ駅とペンタゴン駅。アメリカにおいて言わずと知れた超重要施設の名を共に冠している。

 シティ駅の方はペンタゴンの手前にあるデパートやショッピングモールと繋がっている構造の駅なので、ある意味では都会の日本の駅の感覚に近いだろう。一方、ペンタゴン駅は目と鼻の先に停車するためかなりの緊張感がある。線路自体は南から東にかけて回っていくルートを通っているが、決して敷地内には通っていない。これには日本の皇居を思い出してしまう。

 あまり鉄道そのものには詳しくないのだが、有事の際に鉄道輸送で首都応援に向かう可能性があるとのことで熱心に研究していたマニアの教官と生徒と話す機会があったからだ。その付き合いで長期休暇に一度だけ東京を巡ったことを振り返りつつ、当時に思いを馳せる。

 心地よい揺れに懐かしさを感じながらも、決して油断はしないと固く心を締めながら左を見る。

 そう、俺にはこの子達を守る責任があるのだ。

 今も仲良くパンフレットを広げて話すその様子は年頃の普通の少女にしか見えない。

 クリスタルシティ駅で隣に居た担当員は降りて行った。つまり、監視が交代された訳だ。

 今もなお、この子達フィーラは監視され続けている。本当の意味で自由になったことは一度も無いのだろう。フィーラを取り巻くシステムに俺が介入することは出来ないのかもしれない。だが、それでも。

 俺はレナに、アリサに、リッタに、そしてまだ見ぬ他の子達に誓ったのだ。

 絶対に、この滅びかけている世界から救って見せる、と。

 

 10分ほどでアーリントンセメタリー駅に到着した俺達は改札を抜けてエスカレーターで上がり、地上に出る。

 目の前には長く伸びる一本の道路。周囲には高層建築物が無く、平面に背の低い林か森が広がっている静かな光景だ。

 そのまま道沿いに進んで墓地の入り口に到着する。

 ウェルカムセンターに入り、手荷物検査などを行って敷地内に入る。

 ──アーリントン国立墓地はとても広大な場所だ。面積にしておよそ2.5 km2、東京ドーム53個分の広さを持つ。

 南北戦争の時に戦没者を弔うために作られた墓地であり、そこから時代が下っても無くなることは無かった数々の戦争で散っていった英雄達が埋葬されている。魔獣戦争が始まってからさらに戦没者が増えたことで墓地が示す価値はさらに大きなものになっているだろう。

 戦う者にとっては一つの終着点である光景を眺める。

 ……無数の墓標が並ぶその光景は、死してなお整列して忠実に任務をこなしているような雰囲気だと俺は感じる。

 この数ではお墓参りをするためにその人のお墓の場所を覚えておくのは現実的ではない。インフォメーションセンターに設置されている端末で番号を打ち込むか、専用のアプリで探すのが基本らしい。

 アリサは、誰かのお墓参りに来たようで時折立ち止まってスマホの画面を見ながら少しずつ歩いていく。

 フィーラに家族は居ないことは既に知っている。だから、大切な人がここで眠っているのだろうと考え、俺も言葉を慎む。格好はあまり気にする必要は無くとも、行動に関しては細心の注意を払って静かに冥福を祈る。

 自衛校時代、両親のお墓参りには毎年お盆に行っていたが今年は行けるだろうか。今後も、激しい戦いに巻き込まれていくのであればその保証は無い。危険は確実に増していくだろう。

 自分の命とレナとアリサの命、どちらを天秤にかけるかと問われれば間違いなくレナとアリサを優先する。

 無論、最後の最後まで全員助かるための努力はする。だから常に自己犠牲のつもりで生きている訳では無いし、そんなことを考えていてはパフォーマンスも落ちる。だけど、その時が来た時に迷いなく実行できるだろうか。仮に向こうも同じことを考えていた場合、それを止めることができるだろうか。

 場所が場所なだけに、深刻な負の考えに入り込んでしまう。一度、考えておくのは必要なこととはいえ、あまり深く考えてもどうしようもないことのはずなのに──

 そんな俺を気遣ってか、時折俺の近くに寄って来るレナ。

 言葉こそ無いものの、だからこそその思いやりが伝わって来る。

 その慈悲に感謝しつつ、今は前を向いて歩こうと切り替えて顔を上げる。

 ──網膜に突き刺す太陽光。黒眼でなくては確実にサングラスが必要だっただろうその光線に目を細める。器用にもレナは極薄い魔力防壁を網膜に貼り付けて遮光板代わりにしていると以前話してくれたのを思い出す。

 まだまだ彼女達のことを俺は知らないな、と思いながら不意に立ち止まったアリサの横に立つ。その視線は、道傍に生えている樹木の一番近い墓標に向けられている。

「……アリサ、ここか?」

「はい。ここです」

 語る声音は悲しげではない。既に乗り越えている……いや、その機会を与えられずに唐突に知らされて実感が薄いものに近い、か。

 昔の俺と重なる姿に少し心配しつつも、その墓標の近くにしゃがみ込む。

 何となく、胡坐ではおさまりが悪かったので膝立ちからの正座に直す。下は芝生なので汚れはしない。レナとアリサも同じように足だけ斜めに揃えるかお尻を降ろして外に開く姿勢で芝生の上に座る。

「アリサ。誰のお墓なの」

 レナが静かにアリサに問う。俺もサッと墓標の名前だけ読むがどうやら女性の方だ。

「私の……保護者だった人です。小さい頃の事なので、あまり覚えてはいませんが……」

「その、つまりまだアリサが赤ちゃんだった時の話、なのか?」

「そうです。当時は普通の孤児だと思われていた私を助けてくれて、アスムリンが引き取るまでお世話してくれていたご家族の、娘さんがここに眠っています」

 墓標に刻まれている年代から計算して、俺と10個も離れていない歳だと分かる。

 まだ若い女性が、国のために尽くして懸命に戦ったのだろう。その壮絶な背景が、脳裏に浮かぶ。

「一年前にアスムリンの研究施設で訃報をお聞きしてから、ずっとお参りしたいと思っていたんです。……今日、こうしてここに来れて本当に、良かったです……」

 アリサは静かに手を合わせて祈る。隣で座るレナも同様に。

 二人の後ろに座る俺は、ある意味では前任者である彼女に誓う。

 ──この子達を保護する使命は、今は俺が引き継いでいます。今はまだ頼りないかもしれませんが、絶対に守り抜いて見せますから…………今はどうか、安らかに眠っていてください──。

 今一度、いや何度でも。俺は俺自身にも含めて誓いの約束を心に刻んだ。


 あの後、微かに覚えている昔の出来事をポツポツと語って涙を流していたアリサの様子を見ながら、永い永い時間をかけて前任者のお墓参りを終えた。そして、気持ちの整理がついたアリサはもう一つだけ行ってみたい場所があると言ったため、再び一緒についていく。

 改めて実感するが、凄まじい規模の墓地だ。

 行き交う人の数も少なくない。皆、大切な人のためにここに来ているのだろう。もし、俺のように単に見学か付き添いに来たのだとしても必ず心身の勉強になる場所だ。決して損はしない場所だ。

 だが、その広さ故に墓地内を回るのはかなり大変になる。今歩いている場所のように小高い丘で緩やかな階段状の道になっている所もあるぐらいだ。

 目的地ではないものの、ガイドツアーで賑わっている場所に辿り着く。

 巨大な国旗掲揚台フラッグポールと、その背後にギリシャ神殿のような建築物がある。アーリントンハウスという名前で、南北戦争時代の歴史的な邸宅だとツアー客に説明しているのが聞こえた。

 俺としては邸宅も素敵ではあるが、ここから見える景色の方が圧巻と言う他ない。丘のような場所なので、ワシントン市内を一望できる。遠くに見える正面には俺達が地下鉄を上がってから見えた長い道路が墓地にまで続いているのが見える。市内でただ一つの高層建築物であるワシントン記念塔もさらに遠くに見えるぐらいの眺めだ。

 素晴らしい光景に感動しつつ、先を急ぐことにする。空港の時は時間が多いと思っていたが、割と余裕は無さそうだ。時刻はもうそろそろで昼頃になる。

 信仰の自由によって保障された多様な宗教観に基づくお墓の装飾を見ながら真っ直ぐの道を時折曲がりながら進み、10分ほど歩いて漸く辿り着く。

 目の前にあるのは白く巨大な円形の建物。案内板によれば『円形劇場』と言うらしい。半円形の配置で座席が置かれた屋外劇場であるローマ劇場に似ている感じがする。追悼式典の際には大統領がここで演説するようだ。

 だが今は何もやっていない。こっちです、とアリサが言う。そのまま劇場の外に出ると人だかりができている。何か始まるようだ。

 すると、途端に辺りに緊張感が増す。

 何事かと思って群衆の端から見ていると、奥から現れたのは一人の衛兵。そして最初から居たもう一人の衛兵と相対する。

 これは、俺も知っている。『衛兵交代式』だ。つまりここは、『無名戦士の墓』か。

 第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、そして既に身元が判明して遺族に返還されているがベトナム戦争、それぞれで亡くなったとされる身元不明の兵士、および全ての無名戦士のために捧げられた墓だ。

 この墓に対して、最大限の尊敬を示すために最高の軍事的栄誉である21という数字によって定められたルーティンの動作を繰り返して衛兵の交代を行っている。

 今の時期は一時間ごとの交代であり、ちょうど12時の交代式を行っているということだ。

 M14ライフルや服装の点検を一つずつ、素早く、正確に、一つの儀式として行っていくその様は非常に厳格な雰囲気があって呑まれそうになる。

 これは、俺が彼らの実力を判ってしまうのも理由の一つだ。

 アメリカ陸軍第三歩兵連隊オールドガードである彼らは、全ての能力、素質、性格においてエリート中のエリートが集められている組織だ。今見た動き以上に、その心身から溢れ出す気迫が俺の意識を気後れさせる。

 自衛隊時代、防衛大に見学に行った際に見た儀仗隊による軍事教練ドリルや、自衛隊の中でも最強部隊の一つと名高い、陸上自衛隊第1空挺団の精鋭達を見た時と同じかそれ以上に、のオーラが感じ取れる。

 本物の兵士というものは目つきから違うのだが、目の前に居る衛兵はサングラスのせいでそれすら分からない。なのに、時折貫通してくる針のような鋭い視線が俺の身体と心を震わせる。

 俺が死地をくぐり抜けて来て成長して実力というものが分かってきたのもあるが、やはり本場の猛者は凄いな……。

 ──やがて衛兵交代式が終わり、拍手も無く見物客が去っていく。厳格な雰囲気が薄れていくも、厳かな静けさは健在だ。そして、一人残った衛兵が僅かにこちらを見やる。

 サングラスで感情は分からないが、向こうは俺達の素性を知っているのだろうか。

 魔獣戦争が激化してもなお、24時間365日変わらず繰り返されてきたこの儀式を守り抜くその精神力に平伏する。

 そして、俺も彼ら以上に努力し、フィーラのために戦うことを無名戦士の墓に強く誓ったのだった。


 入り口に戻る帰りの道で、アーリントンハウスの近くにあったジョン・F・ケネディ大統領とそのご家族のお墓を見る。埋葬当時から消えていないとされる『永遠の炎』の小さな輝きを見て静かに祈る。

 ──見るべきものはまだ多く残っているものの、時間は限られている。アリサが希望した弔いも終わったので、次に場所を移そうかという話になった。

 ひとまず駅に戻ってどこに向かうか決める。

 すると、全員市内に行きたいと意見が一致した。アーリントンハウスから素敵な眺めを見て、実際に現地に赴いてみたくなったのだという気持ちは一緒だったらしい。

 それなら話は早いので、再びブルーラインに乗って市内を目指す。

 途中、合衆国海兵隊記念碑──硫黄島で六人の兵士が山頂に旗を突き刺す有名な構図の写真を再現したもの──の目の前を通過するのだが地下鉄なので残念ながら見れなかった。

 硫黄島の戦い及び全ての戦争に対する海兵隊員への追悼を示した記念碑だが、犠牲となった兵士の弔いをする意味合いは一緒である。少しは自分のルーツに関係があるので一目見ておきたかったが、またの機会にしよう。

 そのまま電車は大きく東にカーブしてポトマック川を通過する。これで、バージニア州からコロンビア特別区District of Columbiaに入った。ワシントンD.C.の下に付く名称そのものだ。

 なお、アーリントン国立墓地はワシントン市内とは言えない場所にあるが、そもそも最初のナショナル空港も同じバージニア州なので特に問題は無い。あくまで、近郊であれば良いのだ。

 ポトマック川の中州にあるセオドア・ルーズベルト島の北側を電車は通り、市内に入る。

 だが、どこで降りようとは決めずに来た電車に慌てて乗ってしまった。平日であれば日本のように時刻通りに発車されるのだが、戦時下なので割とダイヤが乱れてしまう。運悪く今日もそうだったので、空港を出る時も慌てて乗り込んでいた。

 現地に着くまで降車駅を考えるつもりだったのだが、結局決められずに駅を通り過ぎていく。ホワイトハウスに近づいて来てはいるが、俺達は近くに寄れない。今、こうして地下鉄に乗っていることさえも本来であれば好ましくない状況だ。やろうと思えば、地下から襲撃できてしまう。

 降りるにしてももう少し進んだ先にしようと決め、結果的にメトロセンター駅で降車する。

 この駅はブルーライン・レッドライン・オレンジライン・シルバーラインの計四つの路線と接続できる大きな駅なので乗り換えるトランジットには好都合である。

 が、件のホワイトハウスからは1kmも離れていない場所もである。ここから、レッドラインにでも乗り換えて西側に行けばホワイトハウスの北側に隣接するラファイエット広場の地下を通ることになってしまうので、乗り換えた瞬間に電車がで動かなくなるかもしれない。

 なので至急ここを離れたいのだが目的地のアイディアは出てこない。立派な塔だったワシントン記念塔やその近くにあるリンカーン記念堂の周囲にはメトロは走っておらず駅も無いため、ここから向かうには徒歩になる。

 パンフレットに乗っている博物館や美術館などはここからさらに南にあるので、逆にここで降りない方が良かった。

 焦った結果判断を誤ったか、と後悔しかけるもひとまず腹ごしらえということで一度外に出ることになった。地下で考えていても息が詰まるだけだし、空腹なら尚更だからな。


 だが、外も外で窮屈な印象しかない。それは当然、オフィス街だからである。しかし、これが日常ではないことを主張するモノとして対空ミサイル発射機やMLRSが至る所に設置されている。

 こうして見るとオルレアンやパリは観光都市として格別だったなあと半ば現実逃避しつつ、とりあえずホワイトハウスから離れるために西に歩いていく。

 車が行き交う大通りの交差点を歩きつつ、こんな所にもあった小さな教会の前で曲がって南に進む。すると、他とは違うデザインの建物が現れた。パンフレットによると『フォード劇場』というもので、リンカーン大統領が暗殺された場所の史跡であり、今は劇場として当時の暗殺様相や他の劇を上映しているのだとか。

 興味はあったがともかく今はランチだと探して回り、結局区画をぐるっと回った反対側にあるファストフード店で食べることになった。

 屋外の席は空いておらず、逆に店内のカウンター席が空いていたのでそこに座る。慣れない異国の地でこの大移動はかなり疲れるな。まあ、これが空気感に慣れる狙いでもあるのだが。

 お店はハンバーガーが人気とのことなので、俺はダブルハンバーガー。レナはホットドッグ。アリサはチーズバーガーをそれぞれ頼み、セットでポテトとオリジナルのレモネードを各自頼んだ。

 日本を発ってから一か月半、そろそろ和食が食べたいのだが日本の食料自給率も低い現状では外国で本物を食べることは出来ないだろう。

 それに、『郷に入っては郷に従えWhen in Rome, do as the Romans do』だ。本場のハンバーガーも一度は食べておきたいしな。

 料理を待っている間に、外の様子が見えるカウンター席で道路を挟んだ向かいにある五つ星ホテルを眺めながら今後のスケジュールを考える。

 パンフレットの他に、スマホからのマップも開きつつ周辺地理を確認する。GPSは人工衛星がほぼ全滅したことで機能はしていないが、地図そのものなら開けるのであまり問題は無い。

「レナ、アリサ。この後どうしようか。俺としてはやはり南下して博物館辺りしか無いと思うんだが……ああ、でも駅の近くに国立女性美術館ってのがあるな。これもありか?」

「へえ、ヴァレリアが行きたそうな場所ね。いえ、展示する側かしら?」

「ん、ヴァレリアって誰だ? レナの?」

 フィーラ、と直接は口に出せないのでそう隠喩で伝える。

「そうよ。美術や芸術が好きな子でね。星占いホロスコープだと確か乙女座ヴァルゴだったはずよ」

 わざと曖昧な言い方をして濁しているものの、そういうタイプのフィーラも居るのかと興味が沸く。だが、今の言い方的にレナとアリサはそこまで興味も無いのだろう。

 俺もスミソニアン博物館の一つである国立航空宇宙博物館には多少興味があるが、本気で行きたいほどではない。

 だが、先程アリサの希望を聞いたので次は俺かレナの番になる。

 残り時間を使って効率的に回るルートは無いか、何か面白そうな場所はどこかと色々と考えるうちに出来上がった料理が到着した。

 スパイシーな香りと肉のジューシーさがとても美味しそうだ。歩き疲れた身体にはとても良い回復になるのに間違いない。

「ハイ、お待ちどおさま。お客さん、観光?」

「ええ、まあ。そんなところです」

 観光客が珍しく思われたのか……? と一瞬肝を冷やすも、何とか平静を保つ。それが功を奏したのか、俺の勘違いだったのかは分からないが店員はニコリと微笑んでこんなことを言ってきた。

「そうかい! ならこのパンフレットを参考にしなよ。色んな所を回って見な!」

 料理を載せたトレーの横にバシンと勢いよくパンフレットを置いて店員は去っていく。

「ありがとうございます」

 お礼を言って、パンフレットを開く。既にもう持っているのだけれども……と思いながら情報源は複数あるに越したことはないかとページをめくる。

 すると、ある場所に赤いマーカーで丸が付けられている。さっきは何も説明が無かった。察するにこれは、ここに行けという──命令か。

 示された場所は『国際スパイ博物館』という人気の観光スポット。ある意味これが答えのようで、俺達を監視しているのはアメリカのスパイ──連邦捜査局FBIか。つまりさっきの女性店員は潜入者スパイもしくは一般人の協力者アセット。すぐ近くにあるFBI本部ビルとの関連も考えられなくはない。

 そして、色んな所に行けという発言から至急直行せよライトアウェイではなく他にも回ってから行けデツアーゴーという行動内容まで指定されている。

 レナとアリサも同様に気付いたようで、下手にこの話をせずに料理の美味しさについて和気藹々と語りだす。

 何処からか監視されている不快感と恐怖感を纏いながらも、淡々とハンバーガーの包み紙を開けてかぶりつく。口内に広がるスパイスの辛みと肉汁を味わいながら俺は自分の立場を再認識するのであった。


 国際スパイ博物館の閉館時間は18時のようなので、余裕を持たせて17時に向かう予定を三人で決めた。それまで時間を潰す必要があるので、先程目にしたフォード劇場で一時間ほどの臨場感あふれる暗殺劇を鑑賞したり、スミソニアン国立航空宇宙博物館で歴史的な展示物を見たりと割と充実した時間を過ごせた。

 ちなみに、レナ曰くこのような兵器展示物を見た魔獣達が身体を作り替えて人間と戦う兵器型の生態になっているという興味深い話も聞けた。これはもっと詳しい人に聞きたい情報だな。

 人類史上初の月面着陸を成し遂げたアポロ11号宇宙船やライトフライヤー号を見つつ、人類の英知と技術に触れていく。俺はこういう開発者側では無いものの、物体に込められた熱意と努力の証は何となくわかる。勿論、ただ見るだけにするつもりはない。人類の犠牲と発展を無駄にしないためにも俺は頑張らなくてはな。


 徒歩で少しずつ南に進んで行き、漸く国際スパイ博物館に到着する。時刻は17時過ぎ。当初の予定よりちょっと遅れ気味だが、まあ良いだろう。

 通り過ぎる時、チラリと様子を見ただけなのに素人でありながら異様な視線を複数感じたFBI本部ビルの近くにあることもあって不思議な感覚を覚えてしまう。不思議というより、背徳的に近いか。

 今まで見て来た厳かで迫力のある博物館と違って外観はかなり近未来的。赤のラインが目立ちまくっていてさらにSPYの三文字の強調が凄いぞ。さらに、道路に面している部分が一面ガラス張りになっており道路を挟んだ連邦政府庁舎のカラーであるフォーマルな茶色との対比もあってかなり浮いている。

 だが、用があるのは中身だ。ひとまず入ってみよう。

 それにここならレナとアリサにも面白く思って貰えるかもしれない。

 この場所で次なる命令が下される期待と不安を抱きながらも俺達は入って行った。

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