第22話 開かれた絶望

 光の洪水に溺れ、浮上したその時には既に視界は薄暗くなっていた。

 ──これは、あの時の……。

 見覚えがある光景。周りは鬱蒼と茂る森の中。わずかな明かりが中から零れるテントが一つ。

 そうだ。これは、卒業訓練の時の記憶だ。

 レベル4魔獣と単独で戦い、勝利はしたものの後遺症によって記憶に障害が出ていた事件の思い出。

 ……パリ決戦の記憶は覚えている。普段見る夢のように現実世界の記憶が薄れているということはない。夢──記憶の再生というのであれば今すぐにでも現実世界に戻らなくてはならない。だが、どんなに気力で踏ん張っても抜け出せない。このまま、走馬灯として記憶の再生に付き合わなくてはならないのか。

 ……仕方ないがこの際だ。このまま記憶の再生を追っていけば、どうしても思い出せなかった真実が判明するかもしれない。

 俺がなぜ、単独でレベル4を倒せたのか。そして、魔力中毒からどのようにして生き残ったのか。後者に関しては子供の頃に無限の彗星に巻き込まれた時からの能力であったため、卒業訓練でわかるとは思えないが何か手がかりが見つかるかもしれない。

 積極的に行動しようとして、身体を動かそうとするもまったく動かない。まるで、他人の身体に意識だけが入り込んだかのようだ。当然ながら、これはタイムスリップでも再現VRでも何でもない。ただの記憶だ。当時の俺の行動は変えられない。むしろ変えてしまうことが出来れば、記憶ではなく夢になってしまう。夢では信憑性が落ちる。真実を知りたいのであればこのままじっとしていよう。

 一人称視点で映画を見るようにシーンが進んでいく。

 俺に与えられた卒業訓練の内容は、山奥で三日間過ごすというものだ。レンジャー訓練を基にしているため、過酷なものではあるが年齢と体力を鑑みて一応の睡眠時間と休息時間は毎日確保されている。それでも、目標時間までに目的地にまで到着しなくては落第する。しかも、日本国内の魔獣との最前線後方にある環境でだ。魔獣軍の浸透はほぼあり得ないとされるが、それでも緊張感は非常に高い。

 卒業訓練の内容は各履修コースによって違う。俺が所属する衛生科コースは人数が少ないため、一番人数が多い普通科コースの卒業訓練に混じってのものとなる。ちなみにアキラが所属する情報科コースの一部は半ば将校育成訓練に近い内容なので、エリート組ともいわれている。

 エリートでもない俺は普通科コースの仲間に混じっての卒業訓練だ。分隊編成はランダム──という名の教官選抜で決められているため特別仲が良いメンバーになるとは限らない。俺の班も、顔は知っているがそこまで親密ではないメンバーで構成されていた。

 分隊の人数は俺を含めて8名で構成されている。

 リーダーである『分隊長』、サブリーダーである『副分隊長』、軽機関銃を持つ『機銃手』、対戦車火器を持つ『対戦車手』、マークスマンライフルを持つ『選抜射手』の役割を持つ五人と、普通のアサルトライフルを持つ『小銃手』が三人での構成だ。なお、分隊長と副分隊長も小銃は装備している。

 三人の小銃手はさらに役割が与えられている。対戦車手をサポートするため、予備弾薬を運搬する『運搬員』。誰かが行動不能になったとき戦術的に余裕を持たせる『予備員』。そして、分隊の危機を救う『衛生員』。

 当然、俺は衛生員だ。そして、いくつかの医療器具を装備している。

 鎮痛薬であるモルヒネ、アナフィラキシーショック緩和薬であるエピペン、強心剤であるアドレナリンなどの薬剤注射器。

 腕や足といった四肢の出血傷用の止血ベルト、首や腹といったベルトで縛れない部位に使う止血テープ。

 他に、滅菌ガーゼや気道確保用カテーテル、胸部減圧用針及びカテーテル、切開用メス及び血管結紮用鉗子、骨折用折り畳み式副木といったものもある。

 さらに、緊急用として簡易的な手術セットもある。

 これらを全部一つの鞄に詰めているためかなりの重装備となるが、どれも命を救う上で必要なものだ。

 本来であれば衛生兵は命を繋ぎ止める救急活動は出来ても医療行為までは許可されていない。つまり、止血したりアドレナリンを打てたりは出来ても、外科手術で銃弾を取り除いたり縫合したりといったことは出来ないのだ。

 だが、魔獣との戦いでは魔力という毒に短時間で対応するためにやむを得ずそういったことをする必要も出てくる。特に、高濃度魔力を纏った弾郭(魔術砲弾の破片)を身体から取り除くためには簡単な手術が必要だ。そのため、一部の優秀な成績をたたき出した衛生兵コースの者には簡易手術セットの装備が許可されている。手術セットと言っても、摘出用具や縫合用具だけだが他の隊員にとっては武器弾薬以上の価値をもたらす。

 必死に勉強した成果でその装備権利を勝ち取ったわけだが、責任は重い。こちら側がパニックになれば助かる命も助からなくなる。

 特にこういう重要度の高い訓練では普段以上に緊張してしまい、その結果予期せぬ事故によって負傷することも多い。普通科コースに混じって参加すると言っても、俺の本分は衛生員としての役割だ。この卒業訓練では誰も欠員を出さずに到着することも求められている。

 そうは言っても俺も身体を休めなくては元も子もない。そう思って、初日であるこの日は早めの休息に入ろうとしている。

 映像は鮮明に流れて行く。よくもここまで覚えているものだと人間の記憶力に感心する。いや、この後に起こる出来事が相当のものであったからここまで覚えているよう脳が判断したのか。そしてトラウマにならないよう心の奥底に封じたのだろうか。

 さらに、仲間たちの顔すら忘れていたことに気付く。いや、考えないようにしていただけだ。記憶の再生が連鎖してトラウマにならないように。

 今一度、仲間全員の情報を思い出していく。

 リーダーである松本マツモト。明朗快活な性格で高校生でありながら大人顔負けの指導力を見せる傑物だ。理性的な思考と大胆な行動力を併せ持ち、実力はあのアキラにも匹敵するレベル。

 次に、サブリーダーである白鷺ハクロ。観察力に優れる冷静な参謀官タイプで松本の補助が役目だ。普段は冷静沈着に物事を見極める性格だが、問題点を見つけるとトコトン追及してしまう一面もある。松本と白鷺の二強セットはとても心強い。

 分隊の中では特にこの二人の印象が強かった。あとはあまり顔なじみでもなかったので名前と顔と一部の性格しか把握できなかったが、なんとか思い返していく。

 機銃手である鐘馬カネメ。担当する役割もあってか、要所での判断力に優れていた。

 対戦車手である登里ノボリ。大きなガタイが特徴だった。

 選抜射手である鳴瀬ナルセ。寡黙であったが、銃の腕前はずば抜けていた。

 小銃手(兼運搬員)である佐伯サエキ。登里に匹敵する体躯でありながら、柔軟性にも優れておりまるで体操選手のようだった。

 小銃手(兼予備員)である園崎ソノザキ。小柄ではあるが、明るい性格でムードメーカーだった。

 そして、小銃手(兼衛生員)である新藤シンドウ──俺だ。

 今回の訓練では、山奥を三日間かけて踏破する。睡眠時間は充てられてはいるが、時間配分を間違えると目標地点には辿り着けない。今夜は早めに寝て、明日日が昇り次第行動開始というリーダーの命令で、俺達は既に休息に入っていた。

 と言っても、まだ就寝時間には時間がある。ということは、訓練は続いているということだ。この瞬間にも、魔獣を模した訓練用ロボットビッグドッグの襲撃があるかもしれない。勿論、就寝時間となっても可能性はある。教官達の性格を考えればそっちこそ怪しい所だ。

 とりあえず、時間までは二人で見張りを行い、その後は一人2時間での交代制ということでローテーションを組むことになった。今は俺とマークスマンである鳴瀬の番だ。

 そして、衛生員が倒れられても困るということで俺だけ早めの交代だ。そのため、鳴瀬に見張りを任せて俺はテントに向かっているのだ。

 薄明るい光が漏れていたテントを開けると、中には残りである6人が入っている。内二人──登里と佐伯の二大デカコンビは奥の方でいびきをかいて寝ている。後半の見張りを任されているため、早めに寝させたのだが寝ようと思って簡単に寝れるのは羨ましい。

 そして今も起きている四人──松本、白鷺、鐘馬、園崎は何やら話しているようだ。

 俺が入ってきたことに気づき、リーダーの松本が話しかけてくる。

「新藤か。外の様子はどうだった?」

「特に異常は無いよリーダー。静かすぎて逆に怖いぐらいだ」

「教官達が何を仕掛けてくるかわからんからな。──よし、白鷺行ってくれるか?」

「了解だ分隊長。あとは任せるぞ」

 そう言って白鷺が20式小銃を手に取ってテントの外に出ていく。俺は空いたそのスペースに身体を滑り込ませて四人の輪を形成する。

「それで、何を話していたんだ?」

「ああ。明日の行軍ルートの話さ」

 床に広げていた山の地図を松本がフラッシュライトの筒で示す。

「明日向かうルートとしては二つの案がある。一つは比較的楽ではあるが距離は長いA-1ルート。もう一つは険しい道のりだが距離は短いC-3ルート。新藤はどちらが良いと思うか聞かせてくれ」

「そうだな……衛生員としてはメンバーの体力を考慮したい。特に、重たい軽機関銃と対戦車火器を持っている鐘馬と登里はそれだけ負担が大きくなる。予備弾薬を担いでいる佐伯もそうだ。いくら体力に優れていても、こういう過酷な状況下では万一ということもある。時間に余裕があるのであれば、A-1ルートでも良いんじゃないか」

「意見ありがとう。鐘馬はどう思う?」

「俺ァ別に構わないぜ。バテるにはまだまだ」

「ふむ……登里と佐伯も大丈夫そうだし、A-1ルートにしてみるか。良いかな園崎?」

「賛成!」

「よし! そうと決まれば明日は早い。さっさと寝る準備をしよう」

 リーダーの的確な指示とメンバーへの配慮が冴えわたる。まだ高3だというのにこの貫禄は凄まじいと感じていたのを思い出す。

 その時、白鷺が慌ててテントの中に入ってきた。

「リーダー、来てくれ。皆も、今すぐに」

 白鷺の緊張した声が何か異常事態を告げている。

 一目散に外に飛び出して周囲の様子を伺う。確かに、さっきまでと森の雰囲気が違う気がする。

 外では鳴瀬がある方角を一点に見続けていた。

「さっき鳴瀬があっちの方で動物体が見えたって」

「本当か鳴瀬?」

 松本が確認を取るも、鳴瀬は無言で頷いただけで今もその方角を見たままだ。

 皆も双眼鏡や銃のスコープを使って偵察する。しかし、動物体とやらは見つけられない。

 見間違いじゃないか、と疑うほど鳴瀬の観察眼は低くない。むしろ、この訓練中いち早く魔獣模倣ロボットを発見していたのは鳴瀬だ。

 その鳴瀬がここまでの集中を見せるほどのナニカ。分隊全員に緊張が走る。

「おーい、何だよもう」

「どうしたッみんな!」

 熟睡していた登里と佐伯もテントから出てくる。訓練された兵士というものは、どれだけ深く眠っていても張りつめた空気を感じ取れば自然に起きてしまうものだ。

「二人とも、対戦車火器は持っているか」

 静かに、松本が言う。事態を察したのだろう。獲物を前にしたようにニヤリと笑みを浮かべながら手に持っていたそれを見せる。

「ご安心くださいリーダー。ちゃーんと準備はしてまっせ」

「弾薬もありったけ持ってきたぞ」

 大柄な二人でなければ扱えないほどの重装備。徹底抗戦の構えだ。

「リーダー、こりゃあマジですかい?」

 鐘馬が心配そうな顔で話しかける。心境は皆同じだ。だが、優秀なリーダーとマークスマンの二人がそう判断したのであれば、間違いはない。

「どうもそうらしい。──全員、戦闘準備!!」

 大声は出さず、しかしバリトンの効いた声で号令を出す。

 皆が武器を取り出して構える。鐘馬や佐伯のような武器を持ってこなかった者はSFP9拳銃で。

「鳴瀬、判断を聞かせてくれ」

「……魔獣だよ、多分。昔見て感じた気配が、奥の方に蠢いている……」

 じっと遠くを見続けながらボソッと小さい声で応答する鳴瀬。すでにトリガーに指はかけており、いつでも撃てるようにしている。

 その様子を見た松本はしばし無言になって、言い放つ。

「ここは最前線ではないが、遠くもない。魔獣が浸透してくる事例もあるだろう。だが、俺達の戦力であればレベル3でも倒せるはずだ。登里、お前の武器が一番火力が高い。もしもの時は頼むぞ」

「お任せください、リーダー!」

 そう言って肩にドシンと対戦車火器──110mm個人携帯対戦車弾パンツァーファウスト3を構える。

 全員が武器を構えて数十秒、息もできないほどの緊張感に包まれる。

 やはり、幻想だったのか? だが、全員違うだろうという確信もあった。

 瞬間、乾いた破裂音が鳴り響く。銃声だ。

「──ッ!!」

 全員に緊張が走る。間違いなく20式小銃の発砲音。銃声は今俺達が注視している方からだ。

 確か、この方向には先行していた別の分隊が居たはずだ。その者たちが何かに攻撃したのか?

 誰ともいわず、トリガーに指をかける。発砲直前のこの所作をしたということは、あとほんのわずかの力を籠めるだけで万物を貫き、一発で殺人すらできる禁断の力を解き放とうという状態を意味する。

 初の実戦。幾度となく繰り返してきた訓練で身体に染み込ませた動作を実践する。

 数秒、沈黙が流れ──。

 ソレは木々をなぎ倒す轟音と共に姿を現した。

「──おいッ! 嘘だろ!?」

「リーダーァァ! これはダメだ!!」

「クソッッ! 全員!! 散開!!」

 8人もの兵士が瞬間的に戦うことを恐れ、放棄した構図。だが、それも仕方がない。

 その魔獣の巨躯と迫力は、明らかに常軌を逸したものだったからだ。

 訓練で培った観察眼を持つ彼らは把握する。

 こいつは、俺達が適う相手ではないと。

 姿、大きさともに明らかに4魔獣。大型の恐竜のような姿とサイズ感で、獰猛なティラノサウルスに似ている。

 レベル4魔獣であるのなら、対戦車ミサイルを何発撃とうと死ぬことはない。地対艦ミサイルや弾道ミサイルなどの大型ミサイルでなければ倒せないほどの戦闘力を持つ怪物だ。並の兵士がいくら群れようと倒せる相手ではない。

 彼我の戦力差を瞬時に悟った俺達は、塊で倒される前に散り散りになって周囲の木々に隠れる。大型魔獣が現れたショックから立て直し、訓練で培った動きのまま簡易的な半包囲陣形を作り、リーダーからの「攻撃開始!」の命令で一斉に発砲。勿論、それぞれの射線が互いに被らないようにしつつ、効果的な火線の位置取りを構築していく。

 そして、登里が構えたパンツァーファウスト3から弾頭が発射。白煙を吐きながら超高速で突き進み、レベル4魔獣の頭部に命中。爆炎をまき散らす。

 だが、魔獣は無傷。何事も無かったかのように頭をブンブン振って火の粉を落とし、俺達に向かって突進してくる。

 絶望的な状況だ。これでは全滅するだろう──。

 死を悟った時、松本が俺に向かって大声を叫ぶ。

「新藤ォ!! お前は本部に行って応援を呼んで来い!!」

 どうして、どうして俺なんだ。死を前にして、俺は問う。

「何故だリーダー! 俺も一緒に戦う!!」

 俺の反抗に、それでも松本は考えを改めない。

「ダメだ!! 俺達がここで戦っても時間稼ぎにしかならない!! それならば、誰かが情報を知らせるんだ!! コイツは道中で他の分隊と戦ってきたのなら今行けば助かる命もある!!」

 尤もな正論だ。理性では同意できる。しかし、感情が叫ぶ。

「だがそれでは、お前らを助けられない!!」

「新藤ォォ!!!」

 教官の怒声にも負けぬ、過去一番の絶叫で松本が俺の鼓膜を揺さぶる。目の前に大型魔獣が居るのにも関わらず、仲間達が猛射する火線を潜って俺の前に辿り着き、片手で胸倉を掴む。

「良いか!! 俺達は無駄死にする訳じゃないんだ! 次に、託すんだよ! お前が!!」

 松本が絞り出した、この窮地に対する感情で俺を説得しようとする。感情で動けない俺に対して自身も魂からの叫びを絞り出しての説得──いや、懇願を行う。

「…………わかったよ、リーダー……」

 この気迫に根負けした俺は、魔獣に向けていた銃口を降ろす。

 その姿を見た松本は一つ頷くと、仲間に号令をかける。元々、俺が異分子として入ったチームだ。俺が居ない方が連携は上手くいくはずだ。

 それに、レベル4魔獣と戦うということは不可避の死を意味する。多少、俺が治療できる技能を持っていたところでレベル4魔力による急性魔力中毒に対処できる術はない。

 俺が居ても、何も出来ない。

 ──ならば、俺は俺のやれることをするだけだ。

「死ぬなよ! お前ら!!」

 応答を待たず、俺は走りだしていく。

 答えを聞かなかったのは、それを最後にしたくなかったからだ。絶対、彼らは生き残ると信じて。

 暗い木々の中を、重武装のまま駆け抜けていく。

 一旦大きく回り道してから魔獣が来たと思われるルートに合流し、道すがら負傷者が居ないかどうかを確認していく。

 途中で、先行していた分隊が居たと思われるキャンプ地を発見したがどうしようもないほど凄惨な状態だった。一目でわかるほどの損壊具合に言葉も出ない。

 一瞬だけ目を伏せてから、先を急ぐ。

 この卒業訓練では、重病人が出た際の緊急措置として非常用ルートが設定されている。そこは道が啓開されており非常に楽なルートとなっている。勿論、これを使えば相当の事情が無い限り落第になってしまうが、生きるか死ぬかの瀬戸際でそんなことはどうでもいい。いや、俺の命など正直関係ない。仲間の命が尽きる前に、応援を呼ぶのだ。

 何名か、この緊急ルートを目指してやって来たと思われる仲間達の遺体もあった。これほどまでに、生存者が居ないとは予想外だ。

 あの魔獣は、かなりしつこくて残忍な性格をしているに違いない。基本的に魔獣は合理性の塊だ。わざわざ、単独で訓練兵と思わしき部隊を襲撃する必要があるとは思えない。こういうハラスメント攻撃を行うのであれば最前線で戦っている自衛隊本部でも狙うはずなのに。

 やはりアイツは──。

 全力疾走しながら、常に警戒をしながら、仲間達の安否を確認しながら山頂手前にある本部に向かう。

 そして、数十分後ようやく辿り着いた本部には高々と火の手が上がっていた。

 見る前から立ちこめる匂いでわかってはいた。だが、絶望的な状況を目の当たりにして言葉を失う。

 …………最悪だ。本部は、既に壊滅していたのだ。

 今、こうして身体の中で見ている俺でさえ絶望してしまう。二度目の記憶だというのに、これほどまでに心の奥底、魂に直接突き刺さる光景。

 焼け崩れた仮設テントに力なく近づく俺。

 リーダーが、あの分隊に居た仲間達が必死で送り届けてくれた行為は無駄になってしまったのか。

 ──いや、まだ落胆するには早い。居るかもしれない生存者を探すのだ。突っ立ってる暇は無い。

 燃え盛るテントやプレハブから必死で生存者を探していく。

 頬の肉が溶けそうになるほどの錯覚を感じながら、一つ一つ区画を見て行く。

 だがダメだ。やはり、全滅か。

 心に侵食した絶望によって探る手を止めてしまう。その時、目の前の建物の奥で何かの装置が音を立てて転げ落ちる。

 物音に反応して機械的に目をやると、それは何かの携帯情報端末PDAだった。

「──これは!!」

 思わず声を出してそれを拾い上げる。

「…………だったら、やってやるよ」

 絶望が、復讐に変わっていく。そのための武器は今手に入れた。

 焼け落ちた本部を後にして、武器を確認していく。

 身体を身軽にするために最低限の医療器具だけ残して、あとは放棄する。

 先程拾ったPDAは、魔獣模倣ロボットや自動可動標的オートターゲットの操作装置だ。

 これを使えば、アイツの気を引いて奇襲できる。

 それに、山中に仕掛けられた各種センサーや監視カメラにもアクセスして様子を見れる。

 教官達がそれを見て状況に応じてロボットを向かわせたり標的を可動させて反応を伺うための機械だ。まさにこの卒業訓練の中枢と言ってもいい代物。ある意味でカンニングペーパーのようなものだが、今は非常に心強い。

 パーソナルデジタルアシスタントの名の通り、俺の行動をサポートしてくれる。すぐに、あの魔獣の動きを特定できた。

 まだ俺達のキャンプ地付近で戦っているようで、そう遠くには動いていない。だが、1個だけ見れた監視カメラについているマイクから音声を確認しても、銃声は聞こえない。どれだけ音量を大きくしても魔獣が動く物音だけだ。彼らの安否は──。

 この『神の眼と耳』を手に入れたのであれば他にもやるべきことはある。本部までの道中で確認できなかったルートの生存者を探すのだ。

 しかし、全てのセンサーに反応は無い。動物や風の動きで反応しないようにそこまで敏感には設定されていないが、人間が動いていれば確実に反応するはずなのに。

 この卒業訓練で、この山奥の区画には100名以上もの同期が参加した。

 それなのに、この静けさ。

 データだからこその客観的情報に寒気を覚える。まさか、この人数全員がアイツ一体にやられたのか?

 これは異常だ。確かに魔獣という生物は酷く攻撃的で人を見るなり襲い掛かる敵であるが、ここまでの鏖殺はしない。仮にするとしても、それは完全武装した兵士だけだ。あの大攻勢中であっても、非武装無抵抗の民間人と判断すれば無視して進軍を行う。見逃されると言っても、その後巻き込まれて結局命を落とすことになるのだが、奴らは意味のない惨殺はしないのだ。

 考えられる理由として不必要な戦闘を行って体力や魔力を失うのを避けるという温存のためらしいのだが、真相は不明だ。だがアイツはその前提を否定して徹底的に俺達を殺して回っているということになる。

 つまり、アイツは普通とは違う魔獣。異常個体イレギュラーだ。

 イレギュラーとは、武装した兵士ではなく民間人を優先して殺して回ったり、戦いから逃げて自分だけの陣地を作ったりなどの異常行動を行う魔獣である。基本的にレベル3以上で確認されるタイプで、8割以上はレベル4魔獣である。その強さも相まって、特に大きな被害を与えて回る最悪の魔獣の一体だ。母胎型マザーに続いて、アブソリューティ・キルに指定されている。

 教官が漏らした個人的な主観による説明では、『極悪非道の犯罪者が転生したかのような振る舞い』と言っていた。

 そして、イレギュラーの多くは発見され次第、報復として個体専用の討伐作戦が組まれるほどである。民間人を保護するためという目的で作戦は実行されるが、本当の理由は人類からの怒りと復讐心によるものだ。

 だが、イレギュラーであることの弱点も存在する。残忍で慎重な性格故に、物音に敏感で反応しやすい。普通の魔獣であれば警戒して近づかない場合でも、イレギュラーは自身の強さという驕りによって近づいてしまう。

 このPDAによる自動操作があれば倒せるかもしれない。それには火力が必要だ。あのレベル4魔術防壁を突破するだけの火力が無くては戦えない。

 非常に心苦しいが、道中で発見した遺体の傍にあった武器を拾って入手していく。

 特に、対戦車火器を限定して集める。いくつかの分隊のキャンプ地からも予備弾薬を回収していく。

 仇は取ってやるからな、と詫びながら一つ一つ武器を手に取って集めて行く。持ち切れない分は隠し場所にその都度仕舞っていく。

 こうなったら長期戦だ。この山奥に持ち込んだ全ての武器を使ってアイツを倒し切る。兵士装備の火器と言っても、100人分もあれば倒し切れる勝算はある。

 ──絶対に、殺してやるぞイレギュラー。

 記憶の中であっても、冷たく暗い殺意が臓腑に染み渡っていく。

 俺もまた、イレギュラーのように変貌していく感触が身体から伝わってくるのを無視しながら、一歩ずつ仇敵の元へ向かって行ったのであった。


 やがて、日は昇る。懸命に戦った英雄達を慰撫するかのような優しい陽光が、山肌を照らしていく。

 俺は、イレギュラーの伸ばした腕に掴まって押さえつけられていた。双方共に傷だらけの状態。延べ6時間にも及ぶ死闘は明け方まで続いたのだ。

 ロボットや装置によってイレギュラーの気を引きつつ。隙を狙って携行対戦車ミサイルを発射。探索に意識を向けていて防壁を展開していないタイミングで攻撃を続けたので、本体にもダメージを与えられた。

 時には武器を囮にして攻撃を回避し、また数十分をかけてトラップを仕掛けて山の中を動き回る。弾薬が尽きれば隠し場所に向かって装填。時には戦闘服すら脱いで茂みの中を這って進んだ。

 記憶を通して見ていたが、まるでゾーンにでも入ったかのような集中力と行動力は我ながら凄まじいものだった。

 ここまでの長い時間イレギュラーと戦い続けられたのは勿論多くの要素があるのだが、一番大きかったのはこの個体がを優先するタイプだったからだろう。途中からは俺の足掻きを楽しんで受け入れているような感覚だった。当然、俺はその慢心の隙を突いて教官が用意した大穴に誘導して大量の手榴弾で攻撃を与えたり、木々の足元を発破して倒れさせたものをイレギュラーにぶつけたりと発想の戦いを行っていた。

 そんな俺も、ついにここまで。機械もトラップも弾薬もほぼ全てが尽きて何も出来なくなったところを襲われた。

 イレギュラーもここまでの戦いで大きなダメージを受けている。元々、攻撃特化タイプの魔獣であったようで、レベル4にしては耐久力が無かったのも大きかった。

 だが丸腰の俺が倒せるという力関係ではない。そのことをわかっているようで、イレギュラーも舌なめずりをしながら徐々に身体に掛ける圧を増してくる。

 如何に俺を嬲り殺しにしようか考えているようだ。

 そして、結論が定まったかのように急に力を抜く。そして、大きな顎を開く。

 どうやら俺を食い殺すようだ。当然、ひと噛みではなくゆっくりと咀嚼していくのだろう。

 ──だが、それを俺は待っていた。

 右手に握りしめていたPDAを操作する。

 瞬間、背後の木に隠してあった携行対戦車ミサイルの筒から、弾頭が発射される。

 元はスモークディスチャージャーの装置だったのを改造したトラップだ。

 放たれたミサイルはイレギュラーの口腔内に吸い込まれ、着弾。強烈な爆炎に包まれる。当然、下に居た俺も同様だ。

 イレギュラーが身体を掴んでいたおかげで胴体部位バイタルパートへのダメージは避けられた。唯一、巨大な手から露出していた顔に向かって炎が迫って来るも、ヘルメットと防弾フェイスガードによって防がれる。

 煙が晴れると、そこには頭部を失ったイレギュラーが鎮座していた。脳を大きく損傷させれば、再生せずに死亡する。その常識からは流石に逸脱できなかったようで、イレギュラーもついに沈黙した。

 だが、その傷口からは大量の血液が滴り落ちてくる。高濃度の魔力が含まれた魔獣の血が、俺の全身に降り注ぐ。巨体の腕から藻掻いて抜け出す力も、もう残ってはいない。

 ここまで戦い続けたが、高濃度魔力に全身が侵されてはもうダメだ。

 だが、仇は討った。

 そう思いながら、意識は暗転していく。


 ──ああ、そうだったのか。

 身体の奥底で、ここまでの記憶映像を見ていた俺は漸く理解する。

 俺は一人で、レベル4魔獣と──イレギュラーを倒したわけではない。

 道中で懸命に戦った仲間達のダメージが蓄積されたことで倒すことが出来たのだ。

 皆の力で、皆も必死に戦ったからこそ、倒せたのだ。

 ──だが、誰一人、救うことはできなかった。

 PDAのセンサーで確認してからも、6時間の間に探せる場所は全力で探し回った。途中で、白鷺や鳴瀬の遺体も見つけた。

 生存者を見つけることは、ついに出来なかった。

 途方も無い後悔が、暗転した闇の中で広がっていく。

 しかし、もう引き返すことは出来ない。過去は、過去なのだ。

 スコーピオンとの戦いは続いている。

 俺は、まだ生きている。

 生きているのであれば、戦い続けるだけだ。

 彼らに、報いるためにも。

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