第9話 航空護衛艦くらま
水面に浮かぶ鉄の城。まさしくそれを体現する圧倒的な威容を持つ。戦う
くらまの前で待機していた乗務員との話を終えてアキラが戻ってくる。
「待たせたな新藤。そうか、このサイズの護衛艦を見るのは初めてか。こいつはいぶき型航空護衛艦『くらま』だ。実物を見るのは俺も初めてだな」
「ああ、海自の艦艇はほとんど前線に出てたもんな。学生が見れるもんじゃなかったが……それが今こうして目の前にある、か」
海上自衛隊が事実上の空母を保有するきっかけになったのは2026年に発生した『尖閣諸島事件』の影響だ。
中国海軍による尖閣諸島への領海侵犯に対して日本は軽空母として改装されていたいずも型を派遣させた。
中国空母『雲南』と日本空母『いずも』の睨み合いの結果、最悪の事態は回避できたが非常に憂慮すべき出来事として国民の眼に刻まれた。
この事件で中国が踏みとどまったのはいずもが空母として改装されていたからだという意見が国内に蔓延し、政府も一部それを認める形になった。
ロシアによるウクライナ侵攻から続く世界的な軍拡競争はついに日本にも波及し、戦後初の空母建造に踏み切った。
結果として、あかぎ型航空護衛艦が二隻竣工。
中国による台湾侵攻が現実的なものとなり始めた状況で、米中の政治的軍事的緊張によって建造された『あかぎ』と『あまぎ』の二隻は日本の抑止力として活躍した。
そして、魔獣戦争が勃発する。
戦力を多少増強した程度では魔獣軍の大規模襲撃は防げなかったが、幸か不幸か軍拡の道を進んでいたのは結果的には良かったのかもしれない。
同じ人類同士で争う戦争は交戦国双方に利害は無い虚しいものだ。
時折、兵役に就く人たちは交戦意欲が高い野蛮な人だという評価をされることもある。だが、一番戦争を忌み嫌うのはその兵士たちなのだ。
人を殺すということは凄まじいプレッシャーになる。勿論、人に殺されるかもしれない恐怖も同様だ。
自衛官となる宣誓をした以上、この国のために命を懸けて戦う覚悟は持っている。
だが本音で言えば、敵国の兵士であろうと人を殺したくはない。
戦う兵士というものは誰かを殺すために戦うのではなく、誰かを守るために戦うことで殺人という罪の意識から逃れようとする。
今日の世界では、主たる敵は魔獣という宇宙からやって来た地球外生命体だ。コミュニケーションは今に至るまでできておらず、人類は侵略生物として判断し、敵対している。
魔獣戦争で活躍している兵器のほとんどは対人類を想定とした兵器だ。
この空母も同じくその役割を持っている。
戦時下に移行しての兵器の大量生産は勿論対魔獣用としての目的で作られてはいるが、裏の目的は今もなお増え続ける近隣諸国の軍事力への対抗のためだ。
さらに、世論では核兵器をも保有するべきだという意見が多く出ている。過激派意見として流せなくなるほど、現実は差し迫っているのだ。
たった一隻で日本の憂慮すべき状況は見えてくる。だが、俺一人では何も解決できない。どうにか手は無いか、と立ち止まっているとアキラが急かしてくる。
「さて、出航の時間も迫ってるし、ぼちぼち行くか」
「……やはり、乗るんだなこれに」
「見学をするために『権限』が与えられたわけじゃないからな。兵士になったのなら、お上には逆らえんよ。俺も、お前も」
「──わかったよ、こうなったら行くところまで行ってやるさ」
空元気の意気込みを吐いて俺は『くらま』に乗り込むのであった。
護衛艦の中は煩雑だ。
浸水を最小限にするために通路は狭くなっており、数十歩進むごとに区画が分かれているので防水扉が設置されている。
大柄な大人であれば苦労するであろう通路をスルスルと慣れた様子で進んで行くレナとアリサ。さすがは子供といったところか。
乗組員は出航作業のためにすでに持ち場についているようで、すれ違うことはない。
先頭からアキラ、アリサ、レナ、俺の順番で狭い艦内を進んで行く。
5分ほど鉄のジャングルを歩いてようやくたどり着いた小部屋に案内された。
「ここがお前たちの待機部屋だ。何かあったらそこの艦内電話で壁に書かれている所定の部署にかけてくれ」
待機部屋と言っても、机と椅子とあとは多少の備え付けの備品しかない殺風景な部屋だ。内装を最低限にして建造された戦時量産型とはいえ、
VIP用の部屋を俺が見渡していると、アキラが一人で部屋を出ようとする。のに気付いた俺の視線に気付いたアキラがこちらに振り返って一言。
「俺は艦長たちと話があるからそっちに行くよ。すぐ戻って来る」
「そうか、またな」
ヒラヒラと手を振りながら部屋を出て行くアキラ。
分厚い扉が閉まり、後には静けさだけが残る。
……さて、これで初めて三人だけになった。
レナとアリサはすでに自分の部屋のように椅子に座ってリラックスしている。
適応力が早いのか、こういう扱いに慣れているのか。
アキラはああは言ったがすぐ戻りそうではない雰囲気だったしこのまま立っているのも不自然なので俺も机を向かいにした席に座ることにする。
車内、機内と共に様子を見てきたがあまり二人同士で話している様子は見られなかった。決して仲が悪いという訳ではなく、何も語らずとも共に信頼しているといった雰囲気だ。事実、性格の相性も良さそうだ。自意識が強そうなレナと、サポートに秀でているアリサ。この二人のコンビは絶対に強い。
一方で、そこに追加された俺はまだコミュニケーションが浅いのが丸見えだ。
結局、今に至るまで二人とはあまり話せなかった。いや、俺がアキラという知り合いに逃げていただけだ。中高時代はあまり人付き合いが得意とは言えず、どちらかというとアキラのような振り回してくる人間の付き添いに入っていた。
教官との個人面談では、本当は人を率いる強さを持っているがお前は遠慮して一歩下がっているんだと言われたが、実際そうなのかもしれない。
いつまで俺がこの謎の状況に振り回されるかわからないが、フィーラ達と会わされたなら、今後とも付き合いが続くのかもしれない。今のうちに親交を深めておいた方が良いだろう。
自分から話を切り出すことに慣れていないが、まあこれも経験だ。何とか始めよう。
「ちょっと聞きたいことがいくつかあるんだが、良いか?」
藪から棒に話を振ってみる。
「答えられる範囲なら、可能な限り話すわよ」
「私も大丈夫です」
良かった、二人は快く答えてくれた。
「ありがとう。──まず一つ目だが、フィーラはゾディアックと関係が深いんだよな? だったらレナやアリサみたいな女の子が合計12人いるってことなのか?」
どこまでフィーラという存在に俺が触れて良いのかボーダーラインを見極めるための質問だったが……
「そうね、それで合ってるわ。全員9歳の少女よ。それ以外に、ゾディアックの能力を使える男性や老人が確認されたという情報は入ってないわ」
「私たちフィーラは魔獣戦争が始まってから2~3年後の間に世界各地で発見されました。それも、ダースメテオ着弾地点の近傍です。当初は何らかの魔術を使用する幼児という認識だったのですが、次第に高威力の魔術を使用しだして詳細な研究がされた結果、ゾディアックの能力を使用する幼女として認定されました」
世界各地同時多発的にレナたちは見つかったようだ。
「研究者たちにとって一番ネックだったのは私たちが『
「そうだったのか……それは、壮絶な過去だったな……悪いな、こんな話させてしまって」
「大丈夫ですよ。あの頃はあまり物心ついていなかったですし、楽しい出来事もちゃんとあったので」
「客観的に見ても、研究者たちの議論は間違ってはいなかったわ。私たちからすれば、信じてくれただけでも十分。その見返り──恩返しとして今こうして戦っているのよ」
フィーラたちの話を聞いて、少し彼女たちの人となりがわかった気がする。
「恩返しか……二つ目の質問だが、戦っていて辛くは無いか? 君たちはまだ子供だ。子供扱いされるのは嫌かもしれないが、それでも俺達が作って来た現代社会は子供が戦うことを賛成はできない。良心的兵役拒否はできないのか?」
ある種、俺の願望ともいえる問いに、レナは難しそうな顔をした。
「まあ、できなくもないんじゃないかしら。実際、研究の方が得意だからって部屋に引き籠っている子も居るし。逆に、戦闘が好きだからって三日三晩戦い続ける子も居るわね。生きているだけで魔力という人類にとって有害物質をまき散らす人間としては、人権が与えられている方だと思うわよ。私の場合、この力を使って困っている人を助けたいっていう自分の意思で戦っているから。100%無理矢理やらされているという訳ではないことはあなたにもわかってほしいわ」
「私も、同じくです。大変なこともあるけれど、それ以上に大変な思いをしている人たちを放ってはおけません。力ある者は責任もありますから。それが生まれついての力であっても、皆さんのために有効活用できることが私にとっての幸福です」
…………凄まじい、貢献精神だ。
俺なんかが一緒に居て良いものだろうか。ああ、そうだ。それを聞くのを忘れていた。だが、彼女たちが知っているだろうか。散々アキラに聞いても答えてくれなかったことを、彼女たちが答えられるとは思えない。
結局、俺は俺を否定することもできない。俺に力があるだろうか。力があれば、彼女たちと同じように人々を救って回れるのだろうか。
朝からずっと精神を擦り減らす事ばかり起きていて少々疲労が溜まっているのだろう。思考がナーバス気味になっている。
「レナとアリサは凄いな、立派だよ」
そう定型文しか言えない俺を気遣ってか、二人の少女は懸命にフォローする。
「アスクも頑張っている方よ。さっきの戦いも一人で三体倒していたし。並みの兵士ならやられているところよ」
「アキラさんが言っていた通り、堂々としていらっしゃいます。素敵です」
「ありがとうな……本当に」
彼女たちの善性が眩しくてその顔を直視できない。10歳も離れている子たちにここまで持ち上げられてしまうとは。
かなり参っていた矢先、部屋のドアが開かれる。
「おーう、やってるか? なんだ、少しは話ができたのか?」
ナイスタイミングだアキラよ。
「まあな、色々と聞けたよ。それで、その荷物はなんだ?」
「好奇心旺盛で結構。これは新藤専用の特訓装置だ」
そう言ってドン、と机に置いたそれは確かに何かの訓練装置のような雰囲気だ。より具体的に言うならば、箱の中にVRゴーグルと操縦桿のようなものが入っている。
「大体察したが、これで何を特訓するんだ」
「こいつは簡易型の
「おいまさか、このフネから発艦しろって言うのか!?」
「
「嘘だろ……空自コースでも海自航空コースでもない俺が飛ばせるわけないじゃないか」
「そんなことは承知の上だ。だからこうやって今から訓練すれば良いだろう? それに、お前たちが乗るのは最新鋭の機体だから色々とオプションがついていてな。
「余計に不安だ……こんなもんで何とかなるのかよ」
そう言ってジョイスティックを持ち上げる。ゲームで使うようなちゃちな装置に不安を隠せない。
「まあ、何のために空母に乗ったって話だからな」
俺の動揺を察してか、少し気遣う姿勢を見せるアキラ。持ってきた箱の中から
「日本海にまで出た後、アスク・レナ・アリサの三人で発艦してもらう。そこから先は到着先に一任しているから、よろしく頼むよ」
何を頼むんだよ、と喉元まで出かかったがもうどうしようもない。やるしかないんだと心に決めてVRゴーグルを頭にかける。
そしてまた俺を名前で呼んだ。厄介事ということらしい。朝からずっとだけどな。
「よし、これで準備は完了だ。それでは、良い空の旅を」
「それを言われる
軽口を返し、ゴーグルを目に装着。途端に広がる仮想の甲板上の景色。
さて、始めるか。本番で流す冷や汗と血は、訓練で流す汗の量に反比例するのは経験則でわかっている。身体ではなく頭の酷使だが、同じものだ。頑張るしかない。
一段と気合を入れて、シミュレーションを開始するのであった。
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