第25話 救われた者たち
レナが突如倒れた。
すぐさま駆け寄るも反応を示さない。眼は閉じたまま、肌をつねって痛みによる刺激を与えても一切の反応を示さない。意識レベル指標を示すGCSならばスコア3。意識は無いと見なされる最も最悪な状態だ。
リッタが即座に介抱し、レナの血液を分析する。
「これは──あの時解毒したはずの毒がまだ残っていたようですわね……完全に解毒したと思ったのに、超遅効性の麻痺毒として隠れていたようですわ……!」
スコーピオンの能力によって作られた毒に対してはどうしようもない。屈辱感を味わいながら俺もレナの容態を確認する。
脈拍、呼吸共に無し。毒による心臓・呼吸麻痺──クソッ、心肺停止状態だ!!
反射的に身体が動き出す。救命蘇生だ、今すぐに開始しなくてはレナは死んでしまう。
胸骨圧迫──心臓マッサージを開始。小児相手なので少しだけペースを抑えつつ、100回/分のリズム、深さ5cmの押し込みで胸骨を圧迫する。
だがこれだけではダメだ、体内にある毒を治さなくては。
焦燥感からかリッタに叫ぶ。
「毒は治せるか!?」
「今解毒剤を作っていますが、あと少しだけお待ちくださいッ!」
リッタも魔力はほとんど尽きているはず。仮に解毒剤を用意できた所でそれ以降の効果的な薬は作れない──いや、確かあったはずだ。
心臓マッサージは決して中断してはならない。アリサに薬を取らせる。
「アリサ!! 俺の腰にあるポーチの中の注射器を取ってくれ!!」
「わかりました!」
アリサが腰のポーチをまさぐって残っていた最後の一本の注射器を取り出す。
「リッタ、アドレナリンだ。二分毎に静脈注射してくれ、量は任せる」
「了解ですわ」
毒のエキスパートであれば同様に薬のエキスパートでもある。心停止の際にアドレナリンを子供に使用する場合は使用量を厳重に注意するべきだが、相手がフィーラである以上勝手がわからない。ここは同じフィーラであるリッタに任せるべきだ。
胸骨圧迫30回を終えて、人工呼吸を行う。
額を押さえながら顎を持ち上げて気道を確保し、レナの柔らかい唇に俺の口をあてがって息を吹き込む。この時、鼻はつまんで口は大きく開けながら密着させて息が漏れるの防ぐ。1秒かけて胸が上がる程度まで吹き込んだら口を離して自然に息が出るのを待つ。そして、もう一回だけ繰り返してからすぐさま心臓マッサージを再開する。
訓練で学んだ通りに身体は動いてくれている。今、この瞬間のために俺は生きてきたのだと思えるほど、頭の中は集中しきっていた。
だが、レナの意識は戻らない。小さい身体に全力で押し込むのは本来であれば医療行為であっても躊躇するものだ。だが、この蘇生術だけは臆してはならない。子供だろうと老人だろうと、たとえ肋骨が折れてしまうほどの力で心臓を押すよう散々指導されたからだ。
骨はいずれくっ付いて治る。だが、心臓は動かなくなればそれまでだ。
卒業訓練の時の最悪の記憶が想起される。冷たくなった戦友達の身体を一人ずつ直で触って確認しながら、イレギュラーに追われながら闇の中を彷徨った記憶──。
「レナ!! 目を覚ませ!!」
全力で叫びながら心臓マッサージを続けて行く。途中で人工呼吸を挟み、心拍と呼吸が再開しているか確かめる。
──だがダメだ。もう1セット。
レナの肋骨が折れる前に、俺の肋骨が折れていくのがわかる。肋骨だけではない、全身の骨に罅が少しずつ入っていく。苦悶の声が漏れるも、決して動きだけは止めない。
「シンドウさん! 今解毒剤は打ちましたわ! アドレナリンも30秒したらもう一回打ちます!!」
リッタの報告に言葉を返す余裕すらない。だが、わかったと眼で伝える。
「レナさぁん!! 帰ってきてくださいぃ!!」
傍らに座り込むアリサの絶叫が響く。クソッ、AEDが無いのが痛すぎる。
解毒剤は打った。心肺蘇生で一番効果的なアドレナリンも最初から打っている。あとはレナ自身の戻って来る力だけが頼りだ。
「レナァァァ!! 起きろ!! 起きてくれ!!!」
28、29、30。心臓マッサージが終わり、すぐさま人工呼吸。
生命の息吹を送り込むように、俺の命すべてを注ぎ込むようにして息を吹き込む。そして数秒、容態を見守る。
既に4分が経過している。そろそろこの辺りで起きてくれなくては、もう──
「レナさん!! 起きてくださいまし!!」
リッタが一発、気付けの
「お願いです……! レナさん……!!」
アリサが泣きながらレナの手を強く握る。
クソッ俺はまた、また何も出来ないのかよッ。
ふざけんな、今度ばかりは絶対に助けてやる!!
二人の必死の呼びかけに居た堪れなくなった俺も、最後の気合と共に叫ぶ。
「ッッッ!! 戻って来いッッ!!! レナァァァッッッ!!!!」
自分の両手を固く握りしめて、適切な位置に、適切な角度で前胸部叩打を全力で叩き込む。
レナの身体が大きく跳ね、その衝撃の強さを物語る。
そして、そのまま両拳を胸に置いたまた項垂れ、静かに願う。
──神様、レナを助けてください。
神頼みなんて今までしてこなかった。そんな俺だが今回ばかりは願ってしまった。俺に出来ることなら何でもする、今後ずっとこの子のために尽くすから──。
だからどうか、助けてくれよ。
永劫にも思える一瞬が過ぎ去った、その時。
手に極々僅かなリズムが伝わってくるのを感じる。
ハッと目を覚ましてレナの顔を見やると、その眼はゆっくりと、開いていく。
「レナッッ!!」
「レナさん!」
「まさかッッ!!?」
三者三様の反応でその顔を見やる。
レナは力なく、だがしっかりと少しだけ笑うと言葉を紡ぐ。
「……あなたたち……良かったわ、無事で……」
覇気の無い声音だが、それでもちゃんとした発声だ。一時的な心肺停止による後遺症も見られない。良かった、レナは生き返ってくれた。
「レナさんこそッ……良かったですわ……!」
「うううッッ……ほんとに、ほんとにぃぃぃ!!」
リッタとアリサが泣きながらしがみつく。
その様子を見てレナは安らかな表情で語る。
「まったく……二人とも、おおげさなんだから……」
穏やかな雰囲気を見て俺も涙がこぼれる。拭っても拭っても、滴り落ちて行く涙。
そうか。思えばあの時──両親が亡くなってから一度も泣いたことが無かったんだ。
堰を切ったように、今まで生きていてずっと溜めていた、堪えていた悲しみが安堵となって流れて行く。
その様子を見たレナが、安心させるように柔らかく微笑む。
「アスク……ありがとうね。私を、助けてくれて。私を──救ってくれて」
その言葉を言われたことで俺は、漸く気付いた。
「レナ……俺の方こそ、君に救われたんだよ。……ありがとうな」
あの日、住んでいた町に『無限の彗星』が直撃し、俺は駆け付けた自衛隊に救われた。その時から、俺は誰かの命を救いたいと思って今日まで生きてきたんだ。
いつも俺のことを助けてくれていたレナを助けられたことで、俺は一つ願いが叶って、救われた気持ちになった。
俺は、生きていて良かったんだ。
──市街地に放たれていた炎は鎮火しつつある。まるで、パリの街が底力を出して抗ったかのように。
澄み切った満天の空の下で。
俺達は勝利を犇々と感じながら延々と泣き合っていたのだった。
──遠く離れた異国の地にて。
ディスプレイの光だけが照らされた暗い会議室の中で、いくつかの人影が言葉を交わす。
「先程報告が入った。ゾディアック・スコーピオン討伐作戦は成功したようだ」
「損害のほどは? フィーラは無事なのか?」
「死亡数はゼロ。アリエス、レオ、スコーピオンの三体とも重症ではあるが命に別状は無し。フィーラ・レオは死にかけたようだが、同伴していた兵士によって救助されたそうだ」
「結構。作戦は成功と言って良いですな」
「そうだ。これで、今後の我々の作戦にも希望が見えた」
さらに何人かの同調が続き、やがて話の対象が移る。
「さて、本作戦立案者にも意見を聞こうじゃないか。どうかね? フィーラ・カプリコーン」
カプリコーンと呼ばれた人影。闇に浮かび上がるのは、緑色のボサボサの長い髪を持ち、ダボダボの白衣を着た小柄な少女だ。だが、反応は無い。眼の下にクマを浮かべて、ずっと手元にあるノートパソコンをいじっている。
「……聞いているのか、カプリコーン。……貴様の事だぞッシャフリ・コルネット!!」
大声を出されて漸く気付いたかのように顔を上げる。
「ん……なんだね」
気怠そうに喋ったそれはまったくやる気の感じさせないものだ。その姿を見て周りの者たちは激怒する。だが、それ以上の罵声を浴びせることはしない。なぜなら、彼らより上の人間がこの会議には居るからだ。
「コルネット博士。本作戦の結果について何か述べることはあるか?」
静かだが、よく通る声でシャフリに話しかけたのはまだ若い女性。年齢にして20代後半だろう。
座る場所は会議室の上座。全てのトップに位置する場所で、王たる威厳を伴って発声した。
その雰囲気は何人たりとも抗えない、強烈な覇気を出している。
だが、シャフリはそれに気圧されずヘラりと受け流して喋り出す。
「そうだね、結果は成功だと思うよメアリー。ただ一つ、興味深い点が見つかったね」
メアリーと呼ばれた女性はシャフリに問う。
「それは何かな」
「フィーラ達に同伴した兵士君のことだよ。元々、彼はレベル5魔力耐性があったから参加させたのだが──もっと厄介な話になった」
そう言ってノートパソコンを操作し、会議室のモニターに接続する。
映し出された映像はスコーピオンと戦っている最中のものだ。遥か上空から空撮されたものだとわかる。
スコーピオンがガスバーナーのような巨大な炎を噴出させ、今まさに三人のフィーラに向けて振りかぶっている。
そして、その余波の一撃で凱旋門が崩落する。
ここで映像がズームされて、何か人影が崩落に巻き込まれていくのがわかる。映像は荒く、かろうじて判別できる程度だがそれは間違いなく落下していく人間のそれだ。
そして、崩落していく瓦礫の中に巻き込まれていくその瞬間、淡く光り輝いているのがわかる。落下していく本人から発生している光なのは確かだ。会議室に参加している周りの者達は驚愕の表情で映像を見つめる。冷静なのはメアリーとシャフリの二人だけだ。
映像は凱旋門が完全に崩れ切ったところで終了する。
「──ついさっき、最優先でこの映像が暗号通信で送られてきてね。見てわかる通りスコーピオン討伐戦の時の映像なのだが……」
またカタカタとキーボードを操作して映像を拡大表示。映像の横に何か数式やグラフが表示されていく。
「まだ確定ではないことに留意して欲しいのだが……私はyesだと見ているよ」
エンターキーが強く押されて解析結果を映し出す。
「この兵士──アスク・シンドウが展開したと思われる魔力防壁は間違いなく『
会議室に沈黙が流れる。
フォートレス。それは。本来であればフィーラ・アリエスかゾディアック・アリエスしか使えないはずの固有能力。
嘘だ、出鱈目だ。そんな言葉が喉から漏れそうになるも、否定できない。彼らはずっとその能力に向き合ってきた。シャフリが示した解析結果によれば、確かに、そう判断できる材料が提示されているのだ。
思いも寄らない事態に彼らの頭が混乱する。トップクラスのエリート官僚でさえ、必死に脳を回して一言も発さずにこの件について考察を巡らせていく。
その沈黙した空気を打ち破るためにメアリーは素早く仮説の結論を出す。
「──なるほど。つまり。二人目のフィーラ・アリエスが出現したと?」
問われたシャフリも自分の考えを持って返答する。
「もしくは、十三人目の新しいフィーラかな。アリエスの能力以外にも使えるのかもしれないね。これは、私の直感に過ぎないが」
どちらの場合であっても。9年間の研究を覆す衝撃的な内容だ。周りは酷く動揺する。
だが、メアリーは冷静に現実を受け入れる。
「……フィーラの中で──いや、世界中、最も魔導に関する科学的な知見を持つ君の判断と感覚は信じよう」
「助かるよメアリー。今後の判断は任せるが、私としては是非ともアスムリンで研究して欲しいね。今も心拍数が酷く増えているよ、待ちきれない」
「勿論そのつもりだ。──そうとなれば都合がよい。計画通り、至急手配せよ」
机に手を突いてメアリーが大きく宣言する。
「次は
影に居た者達は、揃って敬礼する。
「
にやりと笑うのはメアリー・レーザマイト第60代アメリカ合衆国大統領。
そしてその顔を見て小さく嗤ったシャフリ。
大統領は、新藤亜須玖は自分の手のひらの上で踊っていると考えている。いや、新藤だけではない、フィーラも同様の扱いだ。
否定はしない。それは、その通りである。今のところは。
彼の厄介性は今後もますます高まっていくだろう。科学者としての経験と、直感で判断する。
大統領の思惑がいつまで続くか気になるな、とシャフリは心の中で思う。
だがそれ以上に、今回ゾディアック・スコーピオンを倒せたことは人類が反撃に出るための大きな契機になった。
彼らのおかげでこの世界はひっくり返る。文字通り、パラダイムシフトが起きるのだ。
科学者にとってのそれは今までの全てが覆される地獄の代物だ。新時代に適応できなければ死を意味する。無論、旧時代にしがみつく者からも殺される可能性はある。
──だが、それもまた面白いね。
シャフリは新時代の到来に対して大いに歓迎する。
科学者としての好奇心が、一つ、パソコンのキーを叩いた。
手元の画面に映し出されたそれは封印されていたゾディアック討伐計画。
聖地に座する最強にして最大の王──ゾディアック・レオを倒すための
セイヴァーガールズⅠ 天地開闢 完
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