第1話 開かれた希望

 コツコツと乾いた音を立てて廊下を歩く人影。

 体格は中肉中背。左手に綴込表紙を持って歩くその様は、凛々しくもどこか落ち着いた雰囲気を纏う。

 道行く廊下は薄暗い。戦時下故、節電のためだ。

 若人の教育機関でさえ忍耐を強いられる現状。この現状を変えるために、人類は一丸となって戦っている。今、この瞬間も。

 やがて目的の教室にたどり着いた男は、扉を開ける。

 目に入って来るのは大勢の生徒たち。年齢はまだ中学生だ。

 体格こそ幼いが、その眼に宿る意思は大人顔負けの迫力である。

 だが、今しがた入って来た男もまた、その迫力に負けない姿勢を見せる。

 生徒に負けることはないだろう。なぜなら男はこの学校の卒業生だからである。

 ここは自衛隊中等教育学校。

 自衛隊が運営管轄する、この時代に抗うための戦時教育機関である。


 男が教壇に立つと、生徒は一斉に立ち上がり敬礼する。陸自式の挙手の敬礼。

『右手をあげ手のひらを左下方に向け、人さし指を帽のひさしの右斜め前部にあてて行なう。』

 防衛省が定めた自衛隊の礼式に関する訓令第10条そのものだ。

 素早く、男も答礼を行う。

 男は教室内を見渡す。

 多種多様な子供たちが、皆お揃いの隊服と隊帽を身に付けている。

 この子たちの多くが家族を、友人を、知り合いを戦争で亡くしたのだろう。

 その眼には熱い復讐心を抱えた者もいる。感情を隠して冷徹な眼でこちらを見る者もいる。

 かつては俺もそうだった。だが今では、仲間とともに困難に立ち向かうという大事な姿勢をここで教わった。入学時には自分のことで精一杯だったが、卒業時には自然と仲間のことを考えるようになっていた。次は俺がこの子たちに教える番なのだ。

 クラス全員の表情を確認した俺は右手を降ろす。生徒たちも同様に右手を降ろし、直立不動の体勢を取る。

「みんな、楽にしてくれ」

 落ち着いた声音で生徒たちに言う。

 生徒たちは一斉に着席するもわずかに音がずれる。未熟の要素が垣間見えた。

 それも仕方のないことではあるのだろう。この学校にやって来てまだ一カ月も経ってないのだから。

 むしろ、よくここまで統率が取れているのだと評価すべき代物だ。

 今年も教官の訓練は厳しいようだと心の中で苦笑する。

 今日の授業は生徒たちにとっての息抜きにしたい。この厳しい閉鎖環境の中で先輩はどのようにして過ごしてきたのか。それを生徒たちに見せることで手本を示す。

 今の時期は入学時の緊張が抜けると同時に、心身の疲労が目立ってくる。

 そのような時期には手本が必要となる。立派な自衛官となるべく5つの心構えを手本とするべきだが……目の前に立っている卒業生というものは生徒たちにとって大きな存在だ。

 卒業生からの言葉は文字だけでは伝わらない多くのものを秘めている。

 どのように受け取るかは生徒たち次第だが、できるだけわかりやすく喋ることにしよう。

 新藤シンドウ亜須玖アスク、19歳。自衛隊中等教育学校令和22年卒業。

 俺の新しい第一歩が、今始まる。


 もう一度生徒たちを見渡して様子を確認する。教室の雰囲気が俺の言葉を待つ体勢になったところで、話を始める。

「新藤亜須玖 3等陸曹だ。須藤教官より、授業内容は任意との指示を受けている。よって、今回の授業では『軍事史概論』の予習として『魔獣戦争』についてみんなに教えようと思う」

 一部の生徒にとってはトラウマが刺激される内容だ。だが、これを乗り越えなくては今後魔獣と戦うこともできない。そのトラウマを払拭するために現実を正確に認識することで自衛官を志す者としての自覚、自分の命をかけて人々を守るための自覚を持ってほしいためにこのような内容にした。

「では、話を始める。大まかな概要は知っている者も居るだろうが、魔獣戦争が始まったのは9年前。みんなが4歳ぐらいの時からだ。未だ正確な情報収集が行われていないが、現時点で判明している情報と俺が授業で学んだ知識で話をしよう──」

 そう、あれはあの日から始まったのだ。忌々しき地獄の日々は。

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