◇絵の四……③
段々と夕暮れが訪れる時間も早くなりつつある九月半ばの逢魔が時。マイバッグには沢山のジュースと、晩御飯の具材。頼まれたおつかいを済ませて、アタシとフーミンは帰路についていた。
「ちょっと買い過ぎちゃったかなー」
「ちょっとどころじゃないですよ。いや、確かに好きなジュース買っていいって、美陽さん仰ってましたけど」
フーミンは力持ちだ。コーラもペプシもロサンゼルスコーラもメッツコーラも全部持ってくれた。
「フーミンのパパママ帰っちゃったねー、寂しくない?」
「二度と来ないで欲しい」
フーミンは嫌悪感全開の表情で答えた。
「あっは。辛辣」
「どうやったら絵美さんと美陽さんみたいに親と仲良くなれるのか教えて欲しいです」
「仲良しかなー、うちは普通だよ?」
むしろ、フーミンとフーミンパパの方がよっぽど仲良しに見えた。
「その普通が羨ましいんですよ!」
歩いているうちに花野橋に差し掛かる。夕陽を受けて、川面はキラキラと輝いていた。
「あのさ、ちょっと話があるんだけど」
「話? なんですか?」
「うん、ここじゃないとできないからさ、ちょっと荷物置いてもらえる?」
柵の足元にレジ袋を置くと、素直なフーミンはその隣にマイバッグを置いた。
「アタシは、別にフーミンとレンの間にある、誰かに押し付けられたであろう記憶じゃない、本当の記憶なんて、分からないままでいいと思ってる」
「どうしたんですか、急に」
狼狽えるフーミンには構わず、とりあえず話を最後までしようかな。
「でも、レンは真実がどうしても気になるみたいだし、それを知らないと過去の清算ができないと思ってるみたい。アタシは、記憶がよみがえることでせっかく安定を迎えた今の幸せな包蓮荘が壊れちゃうのがイヤだ。でも、フーミンがどうしても思い出したいっていうんなら、アタシは協力したいかな」
フーミンは眉毛をとがらせた。真剣なときの表情だ。
「当然です。わたしは、何があったのかを知りたいです」
なら、アタシも覚悟を決めなくちゃいけない。
「じゃあ、話すよ。フーミンは、友達に呼び出されて朔葉駅に行って、そこでレンに出会って、追いかけられてこの橋に追い詰められて、レンに突き落とされた。そうだね?」
「は、はい。記憶の中ではそう覚えています」
「よく考えたらおかしなことがたくさんあるんだ。まず、橋で追い詰められたという事実。橋はさ、両岸を渡す目的で作られたんだから、通行止めとかしていない限りは追い詰められた、なんてことは起こり得ないの」
右手と左手の人差し指を立てて示す。
「でも、それはわたしが疲れ果てて、この橋で立ち止まったということもあると思います」
「うん。そうだねー、アタシもこれに関してはそういう解釈もできるかな、と思ってた。次に、フーミンが突き落とされたって話。これ、見て」
アタシは橋の手すりを撫でた。ザラザラする、赤さびた手すり。
「この柵の高さから人を突き落とすのは、無謀だと思わない? しかも突き落とそうとしているってことは、向こうは抵抗してくるってこと。幾らフーミンが軽くても、幾らレンが力持ちでも、限度があるよね?」
「それは確かに、そうですね。当時と今は、そこまで身長は変わってないはずですし」
「そのフーミンが頬杖をつけないくらいの高さだから、突き落とすのは難しいよね。それに加えて、レンはフーミンのことをいじめてなかった。この話はレンから聞いた?」
「い、いえ。初耳です」
「そっかー、なんでこういう大事な話をあいつはしないんだろうね。多分、フーミンのことを思ってなんだけど。フーミンのこといじめてた子からの話だからさ、百パーセント信用できるってわけじゃない」
トラックが通って、ゴウ、と強烈な風が髪を揺らした。
「でも、アタシは当時のレンを知ってるから納得できる話ではあるの。レンは、傍観していたという点ではいじめっ子と同じなのかもしれないけど、少なくとも本人が直接フーミンをいじめていたわけではない。何なら、苛烈過ぎるフーミンのいじめを止めようとして、間違った集合場所を伝えられたフーミンにそれを訂正しようとしてたらしいの。でも、フーミンはレンのことをブロックしてたし、電話も出てもらえなかったから、直接会うしかないと思って、朔葉駅に行ったんだって。フーミンの家の場所、知らなかったんだってさ」
「そう、だったんですか」
「それで朔葉駅に待ち構えていたレンに対して、当時はいじめの首謀者だと思い込んでいたフーミンは焦って駅を飛び出して逃げる。逃げた先にあったのは花野橋。疲れ果てたのか、それとも花野橋でしたいことがあったのか、立ち止まる」
フーミンの短い髪の左側が、夕陽を受けて光の輪を作っていた。
「そして、フーミンは何かをレンに告げて、橋から飛び降りた」
「ちょ、ちょっと待ってください! わたしが飛び降り自殺したってことですか!」
「うん、そうだよ。その後レンがフーミンを助けようと手を伸ばして、届かなかったから慌てて川面を見る。あの子のことだから、もしかしたら助けるために飛び降りようとしたのかもしれないね。そして、それを見つけたミッキーが」
「蓮介を止めた。す、筋は通ってますけど、わたしは自殺しようだなんて考えませんよ」
「じゃあ、あの遺書は?」
「み、見てたんですか? あれについては、書いた記憶は正直ないですけど、きっと蓮介から突き落とされた後に書いたやつですよ」
「ううん、違うよ。あれは校外学習の前に書かれたもの。書かれた日付が正しければ、ね」
二月に書かれたものと言っていた。ミッキーが受験しようとしていた大学の試験は二月二十五日に行われた。川に飛び込んで大怪我をしたフーミンが、たった三日で事細かにいじめについて記した遺書を書くことはおそらく不可能だ。
フーミンは、泣いていた。追い打ちはかけたくない。けど、フーミンが本気なら、ここからはフーミンに頑張ってもらうしかない。
「平安寺芙美子、あなたはここで蓮介に何を言ったの? これが最後の鍵なの。二人のやり取りについては、どっちかに思い出してもらうしかない! お願い、思い出して!」
フーミンを欄干の縁に追いやり、肩を掴む。ちょっと、乱暴だ。正直、こんなことしたくない。でも、あとはフーミンが思い出すしかないから。アタシは問いかけ続ける。
「どうしよう。わたし、蓮介にひどいことを言ってた……」
目を見開いたフーミンの涙は、秋風が運んで川面へと散っていった。
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