□芙の一……②
中庭では銘々が納戸に荷物を運び出していた。かなりの量だ。本格的に農業を始めようとしていたんだろうか。
「お、重っ」
あいつは一人で肥料の袋を運んでいる。みんな納戸の方に行っていて、近くにはわたし以外誰も居なかった。息をつく。せめて悪い印象は残さないようにしよう。
「手伝うよ、ほら」
あいつの反対側に回って、重さを分け合う。後ろ向きで、納戸へと向かう。
「お、おう。ありがとう。助かる」
「い、いいって」
「美陽さんも、絵美ちゃんも、美月さんも、みんな平安寺のこと待ってたんだ。だから、来てくれて、みんな、嬉しいと思う」
「そう、そっか」
わたしはまた、みんなの期待を裏切るんだ。
「ごめんな。オレさ、人の目を見て話すの苦手で。これから直していくからさ」
「え? いや、わ、わたしの方こそ」
わたしの方こそ、何だ? どうして意固地になって言葉を詰まらせるのよ、ちゃんと衆目の面前で怒鳴ったことを謝ろうよ、期待させて悪いけど包蓮荘では暮らせないってはっきり言えよ。わたしの行き場のない気持ちはどうしたらいいのよ、どうしてわたしよりもずっとあんたは不幸なんだよ、なのになんで幸せそうに笑うの。どうして先に謝るのよ、ずるいよ。
ちゃんと生きてよ! 無様に死ねよ!
あいつにぶつけた言葉がそのまま自分に跳ね返る。ああ、わたしはわたしに言ってたんだ。そんなことをぼんやりと思っていたら、後方の確認を怠って、足元がぐらつく。
「危ない危ない、ちゃんと後ろ向きなよー。いや、前向きな方がいいんだけど」
「あ、ありがとう、ございます」
絵美さんは転びかけたわたしのことを支えると、そのままわたしの右側に回る。
「いやー、家族で分担すると片付けも早いねー」
「ふふ、そうだね。芙美子さんが来てくれて助かりました」
絵美さんの後ろにいた美月さんが、わたしの左側に回った。肥料の袋は四分の一の重さになった。
「あの、逆に運びづらいんだけど」
「いやー、あんたたちの牛歩っぷりに耐えかねて、手伝いに行こってミッキーがうるさくて」
「ちょっと、二人が心配だって納戸から走って行ったのは絵美さんの方でしょう?」
「あっは、そうだったっけ? いずれにせよこれで最後だよー」
四人で協力して、最後の荷物を納戸に押し込んだ。
「お疲れ様! ちょっとお茶にしましょうか? 絵美はカフェオレで、蓮介はブラックよね? 芙美ちゃんは何がいい?」
縁側の方から顔を出して、美陽さんが声をかける。
「えっと、じゃあわたしも絵美さんと同じものを」
コーヒーはあまり得意じゃないけど、せっかくのご厚意だから。
「え? フーミン、ミスドではアイスティ頼んでたじゃんね。紅茶の方が好きなんじゃないの?」
「え? いや、そうですけど」
「じゃあ紅茶ね! うちには何があったかしら」
「アールグレイとオレンジペコとニルギリがあります」
「どれがお好みかしら?」
「じゃあ、飲んだことのない、ニ、ニルギリで」
「オッケー。それじゃ確認するわよ、カフェオレとブラックコーヒーとニルギリね。私もブラックの気分だわ。それじゃ、美月君、よろしくね」
「いや、美陽さんがいれるんじゃないのかよ」
「はい、かしこまりました!」
「わお、なんて快活な返事」
夕暮れのオレンジがやり取りを彩る。いいな、とてもいい景色。
「ほらー、フーミン。笑ってないで中入ろ?」
慌てて口元を手で隠す。気も口角も完全に緩んでいた。
「あっは、やっぱりフーミンは可愛いねー。あと三年はそのままで居てね?」
絵美さんはそう言ってわたしの手を取ると、ミスタードーナツに行ったのと同じように、優しく強引に連行してくれた。
居心地の良い居間には、お菓子の乗った木製の丸い皿がテーブルの上に置いてあって、座布団が五つ敷いてあった。絵美さんは居間に入るなり座布団に胡坐をかき、ホワイトチョコレートの包みを開ける。どこに座るか迷っていたら、絵美さんがトントンと隣の座布団を叩いた。
「ほら、座って? レンはそっち」
促されて、わたしは絵美さんの隣に正座した。あいつは絵美さんの正面に座った。
「お飲み物をお持ちしましたよ」
座ってから間もなく、美月さんがお盆にカップやソーサーを乗せてやってきた。片手で持ってはいるけれど、重そうに見える。
「あ、ありがとうございます。ごめんなさい、やっぱり手伝いに行った方がよかったですよね」
「いいんですよ、好きでやっているので」
美月さんは音をほとんど立てないで飲み物をテーブルに置いた。わたしの正面にティーカップが供され、甘やかでフルーティな紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。美月さんは一瞬辺りを見渡して、ティーカップをわたしの向かいに置いた。
「美陽さんは持ってくるものがあるから先に休憩してて、と仰っていたので、どうぞ冷めないうちに飲んでください」
そう言いながらわたしの正面に美月さんは座る。艶やかで真っすぐな髪、綺麗で長いまつ毛、黒縁の眼鏡。作業で少し泥のついたシャツがしわを寄せて、細い指先がティーカップに伸びる。しかし、それを持ち上げようとしたところで、彼の動きが止まった。
「芙美子さんも、どうぞ」
「あ、はい! 頂きます」
じろじろと見てしまった。わたしは何をしても逐一がさつだと怒られてきたから、動きの一つ一つが繊細な美月さんが羨ましい。美月さんに言われた通り、紅茶を口に運ぶ。
「おいしい!」
初めて飲むニルギリは、渋味が少なくて口当たりが良く、とてもフルーティで美味だった。また声に出して色々と言いかけたけれど、隣で期待の視線をこちらに差し向ける絵美さんの気配を感じて、ミスタードーナツでの失敗を思い出し、言葉を押し殺す。
「それは良かったです。お口に合ったようで何より」
美月さんは目を細めて上品に微笑んだ。いいな、こんな生活が良かったな。
丸い皿からホワイトチョコレートだけを食べつくした絵美さんが、包装紙を器用にまとめてさも未開封であるかのように偽装し終えたころ、美陽さんが居間にやってきた。
「色々と探し物してたら、遅くなっちゃったわ。ところで、入居の手続きについて話しても大丈夫かしら。大事なことだから、ちょっとみんな外してくれる?」
美陽さんはそう言うと、包蓮荘の人々は慌ただしく居間から退出していった。テーブルの上に書面が広げられる。ここまで良くしてくれて断るのが本当に申し訳ない。
「はい、続けてください」
「まず、芙美ちゃんの部屋ね。絵美の部屋の隣よ、もし嫌だったらもう一つ手前の部屋にしてもいいけど」
わたしが住むはずだった部屋。他に内見に行ったアパートのそれよりうんと広い。
「いえ、絵美さんの部屋の隣が良いです」
「本当に? あんまりうるさくしないように言っておくから、何かあったらいつでも言ってね」
絵美さんの隣部屋だったら、毎日退屈しなかったんだろうな。時々遊びに行って、気付いたら夜更かししていて、二人して寝坊するなんてこともあったのかもしれない。それはないか、きっと美陽さんが起こしてくれる。
「お風呂やトイレは共用で、キッチンも今は美月君が基本的に使っているけど共用だから、自由に使っていいわ。その代わり、使った食器とか調理器具とかは洗って元の場所に戻しておくこと」
「はい、分かりました」
みんなでお菓子を作ったり、いつも食事を作ってくれる美月さんの代わりに早起きして朝食を用意したりできたら、どんなに良かっただろう。素敵な共同生活を想像すればするほど、空しい気持ちになる。
「確認することはそれくらいかしらね。もう保護者の方からの諸々の許可は頂いているから、最後にここに芙美ちゃんがサインしてくれれば、それで手続きは完了よ」
差し出されたボールペンでサインをして印鑑を捺す。包蓮荘の住人になりたかった。
「はい、これで晴れて芙美ちゃんも包蓮荘の住人ね。ようこそ!」
「はい、よろしくお願いします!」
あれ、わたし、何をしに来たんだったっけ。
全部、絵美さんの言う通りだ。結局自分の気持ちには素直になるしかなかった。わたしは包蓮荘の人々と『家族』になりたかったんだ。
「良かったわね、あなたたち」
美陽さんが素早くふすまを開くと、その向こうにはトーテムポールみたいに顔を寄せている三人の姿があった。おかしくって笑いをこらえるのが大変だった。
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