■蓮の二……②

 新生活の始まりに、結局はオレも浮かれていたんだ。帰りのホームルームで先生に告げられた、明日は課題の確認テストがあるという事実が重くのしかかる。自分の中で時々現れる中途半端な生真面目さが悪さをした。春休みの課題は、休みが始まる前に答えを見ながら適当に済ませて、それ以降何の気にもかけていなかった。きっと今テストを受けようものならあんまりな点数になることなど目に見えている。とはいえ、実家が突然賃貸経営を始めたということが家庭の事情として課題の点数に情状酌量を与えてくれるわけではないため、これから始まる一夜漬けに心を踊らされながら包蓮荘への道を辿るのだった。


 ただ、今回は秘策がある。困った時の野々目さんだ。春期講習の課題を乗り切れたのも、野々目さんの助力があってのものだ。あの人は聡明なだけじゃなくて、要点をかいつまんで説明してくれるから、オレみたいに理解力が足りなくても分かる解説をしてくれる。


「た、ただいま」


 一縷の望みにかけて、オレは包蓮荘の引き戸を開ける。下足を確認。平安寺のローファー、絵美ちゃんの履き潰したスニーカーとクロックス、美陽さんのブーツに野々目さんの小さなスニーカーと、見慣れない革靴があった。


 まさか、ここにきて新住人か。


 急に緊張してきた。靴を脱いで、なるべく音を出さないように上がる。慎重に居間のふすまを覗き込むと美陽さんと、その隣にスーツを着た小柄な人が座卓に突っ伏していた。


「そんなに落ち込まなくっても大丈夫よ。それに、まだ合否分からないんでしょ?」

「あれは、どう考えてもとってくれなさそうな反応でした……」

「別にそんなに根詰めなくても、そのうちいいところ見つかるわよ」

「ですが、このまま無為徒食を続けるわけにも」

「家賃のことなら気にしなくていいわよ。家事もしてもらっちゃってるし、何なら家政婦として雇うわよ?」

「そ、そういうわけにも」


 野々目さんがあんなに落ち込んでいるのを初めて見た。あの人も完璧な人間ではないんだ。


「まぁまぁ、ぱーっと飲んで今日のことは忘れちゃいましょう! あなたは素敵な人だから、良いご縁が絶対にあるはずだわ」

「そうだといいですけど、あ」


 野々目さんが顔を上げる。


「おかえりなさい、蓮介くん。二年生最初の学校はどうだった?」


 さきほどの項垂れ具合からは想像もできないほどてきぱきと動き、髪を整え、背筋を伸ばし、こちらを見据えて来る。


「た、ただいま。ぼちぼちすね」


 ふすまを開けて応対する。


「おかえりさない、蓮介。どう? 美月君の一張羅!」

「ふふ、止してくださいよ。実は、会社の面接に行っていまして」

「えっと、似合って、ます?」


 自分でもなんて答えるのがベストなのか分からず、お茶を濁した。


「ほら、二人とも着替えてきたら?」


 美陽さんに言われて、野々目さんと二人で階段を上がった。さっきのことは、訊かない方がいいよな?


「お疲れ様。学校では何か変わったことはあった?」

「えと、去年同じクラスだった奴がまた一緒で」

「お友達? それはよかったね」

「友達、かは怪しいすけど。そういえばこの前一緒にカスミに行ったの見られてたぽくて。野々目さん、あんまオレと出かけない方がいいかも」

「どうして? 見られるくらい別にいいでしょう? もしかして、恥ずかしい?」


 オレより二段上にいる野々目さんが振り返って微笑む。


「あ、いや、そういうわけじゃ」

「それじゃ、一旦お別れ」


 いつの間にか部屋の扉の前についていた。野々目さんは手を振ると、静かに扉を開いて、音もなく扉を閉めた。




「さぁ、包蓮荘恒例の第一回トランプ大会始めるわよ!」

「は、初耳なんだけど」

「第一回の恒例行事って矛盾を感じるんだけどー」

「歴史は作っていくものよ」


 美陽さんはトランプのセロファンを開けて、紙製の箱を開いた。座卓の短辺、いわゆる誕生日席の位置に美陽さん、美陽さんから見て右手に絵美ちゃん、オレ、オレの向かいに野々目さん、その隣に平安寺。自然とこの並びが定着した。とはいえオレが居間にいる時は滅多に平安寺は現れないが。


「無理に参加しなくていいんですよ」

「うん、いや無理はして、ないです」


 野々目さんが平安寺に耳打ちしているのが聞こえる。ちょっといたたまれない気持ちになった。


「一位の人にはささやかな景品がありまーす」


 美陽さんはそう言ってトランプを箱から取り出して、バンと座卓にたたきつける。


「それじゃ、美月君、切って配って」


 ええ、それでは失礼します、そう言って野々目さんはトランプをシャッフルする。その様子はどこかぎこちなく、時々ぽろぽろと紙束を崩してはごめんなさい、と謝った。


「あっは、下手くそねー。アタシがやろっか?」

「いえ、もう配り終えますから」


 手元にカードが渡る。


「最初は大富豪よ!」


 美陽さんが高らかに宣言した。


「八切りはありですか?」


 ローカルルールの確認が始まる。


「あり!」

「か、革命は?」

「ありよ!」

「階段は—?」

「三枚からね」

「えと、イレブンバックは?」

「え、何それ? 初耳ねー。レンは知ってる?」

「い、いや」


 多分、平安寺とオレが同じ地域に住んでいたから訊いてきたのだろうけど、聞いたことのないルールだった。そもそも、オレはあまり大富豪とか友達とやらなかったし。


「私も聞いたことないわね」

「じゃ、じゃあいいです」

「そんな、勿体ないです。ルール、ぜひ教えてくださいよ」

「えと、ジャックを出したら一時的に革命と同じ状態になって、出す順番が反対になるってルールです」

「十一の後に出せるのは十以下になるってことかしら?」

「は、はい。そうです」

「面白そうだし、それも採用でー」


 あらかたのルール決めが終わって、包蓮荘恒例行事、第一回トランプ大会が始まった。


「じゃあ、八を出してー、余った五を出してあがりねー」


 始まってすぐに絵美ちゃんが怒涛のツキを見せて上がってしまった。


「うーん、すぐ上がっちゃうと退屈」


 絵美ちゃんは代わる代わる敗者の手札を確認して座卓の周りをハイハイして回った。


「あっは、カードを切る順番は考えないと」


 一周して戻ってきた絵美ちゃんは、オレの手札を覗き込んで言う。


「こら、そこ! 助言は禁止よ!」

「そんな厳格にならなくても—。レンは思い切りが足りないわねー」


 結局、絵美ちゃんの助言も虚しく、オレは最下位だった。


「さ、次は七並べね!」

「ちょっとー、大富豪の醍醐味はどこ行ったの」


 大富豪は、二回目からその前のゲームでの順位が高い人の方が有利になるもんな。


「ふふ、確かに。でもぼくにとっては都合がいいから次の種目に移行するのは賛成です」


 野々目さんはオレに次いでの四位だった。野々目さんの手札を覗いていた絵美ちゃん曰く、配られたカードで戦うしかないからねー、だそうだ。


「ミッキーはそういうとこ強かねー」

「誉め言葉として受け取っておきます」

「それじゃ、カード配って、最下位さん!」

「な、なんでオレが! 分かりましたよ」


 美陽さんからトランプを受け取って、七だけ取り除いた後に束を切る。新品のトランプはすべすべで繰り易かった。

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