◆月の三……②

 二人で台所に入った。隣の部屋では美陽さんがいて、でも物音一つしなかった。いつもならテレビやスマホから流れるニュースの音が漏れ出ているのに。


「静か、ですね」


 芙美子さんが呟いた。台所の小窓から夜が染み込み始め、開いた冷蔵庫の無機質な白い光を、詰め込まれた豪勢な食事が塞いでいた。


「これ、どうしましょうか。流石に、お祝いという空気ではないですし」

「でも、ケーキは今日中に食べちゃわないと、ですよね?」


 芙美子さんと冷蔵庫を覗き込む。いつもの調子の美陽さんが、お祝いなんだから盛大にやらないとと沢山買ってきた食料の中でも、ひと際大きな白い箱。テープでろうそくが固定されていて、大きいろうそくが一本、小さなろうそくが七本入っていた。


「わたし、誕生日がクリスマスイブで。だから、すごく損だなーって思ってたんです。みんなは誕生日とクリスマスで二回ケーキが食べられるのに、わたしは一個だけ。だからこそ、両親は特別大きくて、特別おいしいケーキを買ってきてくれたから、わたし、誕生日に食べるケーキが大好きで。でも、それは家族に祝われて食べるからおいしいのであって、こんなのって、ないですよ」


 とっておきはとっておくことができない。このケーキは食べても食べなくても明日にはケーキではなくなってしまう。


「それじゃ、せめてクリスマスには盛大に二人のことを祝えるようにしなくちゃいけませんね。クリスマスまでには、きっと」


 きっと、今包蓮荘に横たわる問題も解決しているはず。


「時間が解決してくれると思いますか?」


 芙美子さんは冷蔵庫からレタスやハムを取り出しながら、言う。


「少なくとも、蓮介くんの傷が癒えるのには、時間が必要だと思いますよ」

「でも、待っているだけじゃ何も変わらないじゃないですか。変わるためには、変えるためには、行動しないと」


 芙美子さんは、行動してきた人だ。実際の所、彼女は人生を好転させるために不器用ながらも行動を続けていて、それはうまく行っているのだと思う。


「みんながきみみたいにできるわけじゃ、きっとないから」


 そして、それができる人ばかりではないのも確かだ。


「学校で、何かありましたか?」


 しばらく間を置いて、レタスをざく切りしている芙美子さんに訊いてみる。


「なんでそれを?」


 芙美子さんは手を止めてこちらを見た。


「いや、先ほどの様子が、普段と違ったものですから。蓮介くんだけじゃなくて、芙美子さんも何かあったのかな、と」


 芙美子さんが教えを求めることはあっても、助けを請うことは滅多にない。


「その、わたしが、浪人しているってことが、ばれてしまって」


 先ほどのハリのあった声から一転して、芙美子さんの声にはどこか震えが混じる。


「それは、どうして?」

「その、一学年上に、中学のときにわたしと同じクラスだった人がいて。その会話をクラスの子に聞かれてしまって。試験が終わって、学校はもうしばらくないから、その間に変な噂が広まらないか、心配で」

「それは災難でしたね」


 それで、ずっと思い悩んでいたのか。でも、帰って来てみてそれを相談するような空気でもなくて、困っていたのだろう。


「時間が経てば忘れてくれるかもしれないけど、その逆でわたしの与り知らぬところで尾ひれ背ひれが付きやしないか、不安で。でも、今のわたしには包蓮荘があるから。だから大丈夫だって帰り道は思ってたんですけれど」

「この騒ぎですものね」


 コンロに火をつけて、下ごしらえした食材を投下する。


「ぼくはね、年齢なんて気にしなくていいんじゃないかな、とは思うんです。もちろん十代の一年は貴重で長いから、それで芙美子さんが安心できるわけじゃ、ないかもしれないのですけど。もっと年かさを重ねてから高校や大学に入る方だって世の中には沢山いらっしゃいますから」


 芙美子さんは口をへの字に曲げる。


「それは、美月さんだってそうじゃないですか」

「えっと、何の話ですか?」

「分からないなら、いいです」


 芙美子さんは人数分の平皿を戸棚から取り出して、サラダを乗せていく。


「あ、花火」


 芙美子さんの呟きと共に、炸裂音が響く。


「花火大会、始まってしまいましたね」


 キッチンについた小窓から、花火の明かりが音と共に漏れて来て、そして消えていく。時々、近くの家の人からだろうか、歓声が上がっていた。


「ちょっと、見に行きますか?」

「いや、いいです。せっかく見るんだったら、みんなと見たい」

「そうですね、ぼくもその方がいいと思います」


 花火の音も、楽し気な声も、大きなショートケーキも、豪勢な夕食も、あまりにも無情に思えた。

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