◇絵の三……①
——アタシは、中途半端な人間だった。基本的に望めばなんだってある程度はできたのだ。スポーツも、勉強も、絵も、音楽も。それなりに裕福な家庭に生まれたおかげで、習い事だって私立の学校にだって通わせてもらえた。でも、どれも最後までやり抜くことはできなかった。自分が何をしたい人間なのかもよく分からなくなって、肝心なことは何もできない人間で。でも、今回ばかりは、レンのこともフーミンのこともミッキーのことも、包蓮荘のことは諦めたくない。今、なあなあで済ませてしまったら、絶対に後悔するし——
花火の音が聞こえる。炸裂音に合わせて暗い廊下が窓の光を受けて鈍く明るくなる。二階真ん中の部屋の扉にノックを二度して、ご飯持ってきたよー、と告げると、そこに置いといて、と言われてしまったので扉の横にご飯を置いた。
「あのさー、多分アタシたち、急ぎ過ぎたんだと思うんだよね。思ってたよりもみんな噛み合っちゃうもんだから、すぐに仲良くなれたし、すぐにその一歩先に関係を進められると思ってた。でもさー、その前に色々と清算しなくちゃいけないこととか、話しておかなきゃいけなかったこととか、あったのかなー、て」
これはある意味では独り言だ。扉の奥から声は聞こえない。そりゃそうか。急に『姉』にこんなこと言われても気まずいもんな。
「そりゃ、さ。今度はトランプでリベンジしてやろうとか、今度は一緒に映画を見ようとか、今度は全員でお出かけしようとか。その今度は本当に来るのかな、て怖くなっちゃう気持ちもわかるし、だからこそ、ママも焦っていたんだと思うの。ここでレンのママとも和解して、盛大に誕生日パーティかまして、それでもっと家族っぽくなれるんじゃないかって。馬鹿だね、アタシたち。きっと、家族ってものに飢えてるんだろうね」
アタシには父親がいない。顔も見たことはない。血の繋がった兄妹もいない。レンも一人っ子で両親は離婚しているし、フーミンは両親はいるけど兄妹はいない。ミッキーだって、家族と音信不通になってしまっていた。
「よく考えたら、家族なんてもっと時間をかけてできていくものだからね。それに、ずっとこの家にフーミンやミッキーが暮らし続けるわけじゃない。アタシやレンだって、いつここを出ていくかわからないし」
廊下が一層明るく光って、すぐにまた暗くなる。オレンジ色の光が、青黒い闇を刹那に蹴散らす。アタシたちが『家族』らしくあれるのは、ほんの一瞬だ。
「まー、とにかくさ。生きてりゃ次の誕生日が来るんだし、その時は盛大に祝おうよ。あ、その前にアタシの誕生日が来るかー、ちゃんと覚えてる? 九月一日だよ」
アタシはそれだけ言って、扉を二度だけ叩いて、レンの部屋の前を立ち去った。
結局、大学の夏休みが来るまでレンが部屋から顔を出すことはなかった。ミッキー曰く、時々扉を開ける音とか、中でがさごそやってる音とかは聞こえるから、生存確認は出来ているっぽい。フーミンもレンの誕生日が来るまではぽつぽつと居間で食事を摂るようになったのに、また部屋で食べるようになってしまった。なんだか、家庭内別居? せっかく同じ屋根の下にいるのに、バラバラになっちゃったみたいだ。今日も今日とて、レンの晩ご飯をミッキーから受け取って運びに行く。キッチンから出ようとして、廊下でフーミンとすれ違った。
「あ、絵美さん。こんばんは」
「あー、フーミン。大丈夫? 帰省の準備は終わった? 元気?」
「え、ええ。わたしは、大丈夫ですけど。あいつ、まだ部屋から出てこなさそうですか?」
「あは、そうね。一応、声かけたりしてるんだけど」
「や、やっぱりわたしが行かないと、解決しないのでは」
「うーん、今はまだあんまり刺激したくないかなーって」
正直、こうしてレンからフーミンを、みんなを遠ざけるのは良くないのかもな、と思ってはいる。レンがまた元気に部屋から出て来てくれるようになるのに、他の人たちの力を借りる方がいいかもしれないのは、アタシでも分かっている。
ただ、それでレンが部屋から出てきてしまったら、ちょっぴり悔しい。
アタシはレンの誕生日が過ぎてから、一か月、毎日レンに声をかけ続けたし、毎日食事を運んだし、毎日レンのためにできることはないか考えていた。アタシは、きっとレンを奪われるのが怖いのだ。この日々に堕落した幸せを感じてしまっているのだ。
「それじゃ、行って来るね」
フーミンに別れを告げて、廊下の突き当りにある階段を上る。このアタシの軽い体重でも、毎日ギシギシ言わせるのだから、失礼千万な階段である。
レンの部屋の前に辿り着く。いつも、最初の扉のノックに躊躇ってしまう。これで、レンが出てきてしまったらどうしようなんて考えて、それを振り切るためにアタシは扉を二度叩いた。
「レンー、ご飯持ってきたよ? 今日は恐ろしく暑かったねー、早くドアトゥドアで移動できるくらいの金持ちになりたいね。そうすればこんな暑い日も雨の日も関係ないもんね、ミッキーの車なら今でもいけるけど、もうあれには乗りたくないもんねー。あは、何の話だろ。ご飯、置いておくよ? また二人で色んな所に行きたいね」
結果、何の返答もなくて胸を撫でおろし、アタシは扉の横にお盆を置いて、扉を二度叩いて立ち去ることにした。廊下は悲し気に軋む。体重じゃなくて足取りの重さに反応するのだろうか。階段に足をかけようとして、気まぐれに振り返ると、扉が開いていた。扉が、開いていた!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます