◆月の四……②

 一年二組の教室の窓は黒い布で覆われていた。机を六つほど繋げて作られた大きなテーブルが五つあり、各テーブルを間接照明が照らしている。さながらバーのような雰囲気が醸し出されていて、ぼくらのついたテーブルにも、他のテーブルと同じようにマジシャンが立っていた。


「い、いらっしゃいませ」


 随分と可愛らしいマジシャンだ。頬を真っ赤に染めて、それを隠すためなのかシルクハットを目深に被っている。


テーブルの脇に置いてあるメニューボードには、注文できるマジックの一覧があり、選んだものを披露してくれるみたいだった。


「それでは、この紛れ込んだジョーカーってマジックをお願いします」

「オ、オレも同じのを」


 隣にいる蓮介くんは、きょろきょろと周りを見ながらそう呟いた。学園祭でマジックの出し物をしているのが珍しいのかもしれない。


「別の選ばれても一緒にはできないでしょ! もう、本当に来たんですね」


 黒いベストに蝶ネクタイをして、シルクハットを被った芙美子さんは帽子の影から睨みつけてくる。


「ふふ。せっかくだから、芙美子さんの出し物も見ようと思って」

「ここに! 三枚のカードがあります!」


 目の前にトランプのカードが差し出される。でも、一、二、三……


「いや、四枚だけど」

「あ、ごめん」


 芙美子さんは手札を確認して、一枚を仕舞った。


「改めて! ここに三枚のカードがあります! キングが二枚と、王様を騙るジョーカーが一枚!」


 三枚を黒い敷き布の上に芙美子さんは並べて示す。


「ジョーカーの居場所を当ててください!」


 カードの位置が芙美子さんの手によって、スライドされて入れ替えられる。


「あの、表向きのままだとどこにあるか簡単に分かってしまうと思います」

「あ、ほんとだ! すみません。では、気を取り直して」


 芙美子さんは全てのカードを裏返した。


「ジョーカーの居場所を当ててください!」


 カードが再び入れ替えられる。しかし、目で追える速さだ。


「さぁ! どこでしょう!」


 一々お腹から声を出す芙美子さんの気合の入り様が面白い。笑いをこらえてカードを示す。


「これですか?」


 選んだカードがひっくり返された。


「正解です」


 確かにそこにはジョーカーがあった。


「それではもう一度」


 そういって芙美子さんは、やけに慎重に三枚のカードを重ねる。


「どこにジョーカーがいるか! 当ててください!」


 鬼気迫る語気とは裏腹に、カチコチに手を動かしながらカードを裏返してテーブルに置く。目で追える速さで、カードが入れ替えられていく。


「どうぞ!」

「これ?」


 次は蓮介くんが場所を指し示す。


「えへへ、残念、外れ」


 芙美子さんは自慢げにカードをひっくり返す。本来の手順なら、ここで目で追っていたのと違うカードが出て来るのだろう。しかし、そこにあったのは変わらずジョーカーだった。


「あれ? ちょっと待って、もう一回! もう一回させて!」


 芙美子さんは慌ててトランプを隠して、もう一度重ね直した。何度もカードを切り直して、手順を確認しているみたいだ。芙美子さんの後ろでは、同じクラスの友達であろう高校生たちが、にやにやと芙美子さんを見下ろしている。きっと、ぼくも似たような顔をしているんだろうなぁ。


「可愛い人だなぁ」


 うっかり呟いてしまった。


「や、止めて下さいよ! もう、最悪!」


 耳まで真っ赤にして、こっちの方がマジックみたいだ。


「ふふ、ごめんなさい、うふふ」


 こらえきれず、笑ってしまう。芙美子さんは必死にマジックの続きをする。裏向きのカードが三枚、黒い布の上に裏向きのまま並べられた。


「ほら! さっさと選んでよ!」




 朝食が終わり、片付けも済ませ、先日の梅園高校での文化祭の出来事を縁側で反芻する。まだ夏の面影を残す瑞々しい中庭をぼんやりと眺めていると、隣で座布団を枕にする絵美さんの寝息がすーすーと聞こえてきた。先ほどまで話をしていたのだが、すっかり眠りについてしまったらしい。


「美月君! ちょっといいかしら?」


 居間の方から美陽さんの呼ぶ声が聞こえたので振り返り、はいと返事をして立ち上がる。絵美さんは、気持ちよさそうに寝ているし、起こさずに置いていくことにしよう。


「前から話してたと思うけど、今日のお昼からお客様が来るから、準備を手伝ってもらえるかしら?」


 居間に戻ると美陽さんは事情を説明してくれた。何から何まで聞いていないが、急な要件をお願いしてくるのは美陽さんの専売特許なので、慣れたものである。


「どなたがいらっしゃるのですか?」

「芙美ちゃんのご両親よ。前々から様子を見に行きたいとは仰ってたから、そういうことだと思うけど」


 芙美子さんはご両親が来ることを把握しているのだろうか。していないだろうな、今朝の朝食の様子は普段と変わらなかったし。そういう特別なことがあるときはいつも、彼女の顔を見れば分かるから。何より、芙美子さんの様子を見るのであれば、平日ではなく休日に来るはずだ。


「分かりました」


 居間を来賓用に整える。テーブルを一台片付けて、座布団の山を押入れに仕舞う。いらっしゃったときにすぐにお出しできるように、お茶の準備を済ませておく。


「ありがとね、助かったわ」

「いえいえ、それではぼくは二階に退散しておきますね」


 邪魔にならないように自室に行ったが、しばらくして絵美さんを置きっぱなしにしてしまったことに気付く。しかし、ときはすでに遅く、包蓮荘の駐車場に車を止める砂利音が聞こえてきた。絵美さんなら状況を察して、中庭を通って自室に帰ってくれるだろう。そう期待して塾での次の講義のための資料をまとめることにした。

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