◆月の四……③
作業にひと段落がついて時計を確認する。もうお昼の時間だ。そういえば昼食をどうするか決めてなかった。芙美子さんのご両親も食べていかれるのだろうか。いずれにせよ支度が必要なので台所へ向かうために、階段を降りる。
「勝手なこと言わないでよ!」
急に、聞き覚えのある怒鳴り声が包蓮荘を軋ませる。
「勝手に娘の部屋を漁って、それで勝手に焦って、わたしは大丈夫だって帰省したときも言ったでしょ!」
かなりヒートアップしている様子なので、階段を駆け下りた。
「お父さんは、お前のことを思って言ってるんだ」
「それがわたしのために全くなってないって言ってんの! 学校もうまくいってる、蓮介ともうまくやってる、ここで高校卒業まで暮らすことの方がわたしにとってはベストなの! 大体、家から通えないからって包蓮荘を勧めてきたのはそっちの方でしょ!」
「それはそうだけど、まさか光見くんがいるとは思ってなかったから」
「もう光見じゃないって、蓮田よ、蓮田蓮介!」
ふすまの隙間からは苛烈な親子喧嘩が見える。
「ちょっと、落ち着いてください!」
美陽さんが全く喧嘩を止める気がなさそうだったので、飛び出してきてしまった。制服姿の芙美子さんと、その父親と思しき人物の間に割って入る。
「あ、美月さん。すみません、大声あげちゃって。聞こえてましたよね……」
怒りをしぼませていく芙美子さんに対して、まだ座ったまま肩を怒らせている芙美子さんの父親だったが、芙美子さんが大人しく正座すると溜息をついて美陽さんの方に向き直った。
「申し訳ないです。お騒がせしてしまって」
「いえいえ、結構でございますよ!」
美陽さんは笑顔だ。なんだかんだこの人、喧嘩だとか騒ぎだとかを見るの好きなんだろうな、と思う。
「ぼくも、割って入ってしまい申し訳ないです。芙美子さんは、なぜここに?」
「すみません、言い忘れてたんですけど、今日は文化祭の片付けで午前だけだったんです」
「え! 文化祭があったの?」
芙美子さんの母親だろうか、眼鏡をかけた長髪の女性が驚いたように言う。
「あったよ。昨日で終わりだけど」
「なんで教えてくれないんだ?」
「言ったら来ちゃうでしょ」
「そりゃ行くとも」
「それが嫌だったの!」
なんだか、また喧嘩に発展しそうで怖かったが、芙美子さんの母親が笑みを手で隠している反応を見るに、普段からこういう感じでコミュニケーションを取っているのかもしれない。
「美陽さん、お昼どうしますか?」
二人の会話を邪魔しないように、美陽さんの方に近づいて訊く。
「そういえば、決めてなかったわね」
「冷蔵庫の中身的には、芙美子さんのご両親の分と合わせてご用意できますけど」
そうね、じゃあそうしましょうか。美陽さんはぼくにウインクをすると、柏手を打つ。
「ちょっといいですか? 時間も時間ですから、良かったらお昼ご飯にしませんか? もしよろしければ、芙美子ちゃんのお父様、お母様もご一緒に!」
芙美子さんは美陽さんの提案に露骨に嫌そうな顔をしていたが、反対にご両親の方はぜひ、という風に目を輝かせていた。
「包蓮荘のご飯はとてもおいしいと娘から評判だったので、食べたいと思ってたんですよ! 学校にも食堂があるのに、わざわざ娘が帰って来たのが何よりの証拠です」
芙美子さんからすかさず、父親に対して平手が入る。楽しそうなご家庭だな、期待を裏切らないものを作らなくちゃな。
「それでは、準備をしてきますね」
ぼくはそう告げて、台所へと向かった。
台所で調理を始めると、居間から賑やかな話声が聞こえてくる。ぼくはこの時間が好きだ。話すのも好きだけど、誰かが楽しそうに話をしているのが好き。それがぼくの作る食事を待っているときというのが、とても良いのだ。
「お疲れ様、ミッキー」
後ろから間延びした声で労われる。
「起きたの? 絵美さん」
振り返ると、ぼさぼさとした髪を手櫛で整える金髪の女性が居た。
「うん、いや縁側は寝心地が良過ぎて悪いねー」
絵美さんはそう言いながら、戸棚からガラスコップを取り出した。
「学園祭、どうだった?」
「あれ、さっきその話はしなかったかな?」
絵美さんが寝るまでの間に、文化祭で何があったかはある程度話した気がする。
「ありゃ、そうだったっけ? 覚えてないからもう一回語ってよー」
こういうところは絵美さんらしいと思う。マイペースで、気まぐれだ。
「うふふ。そうだね、とても楽しかったよ。懐かしかった、お世話になった先生とも会えたし。それに芙美子さんの出し物も」
「フーミンは何やってたの? 文化祭前、ずっと隣の部屋でがさごそやってたのは知ってるけど」
「手品をやってたんだ。トランプを使ったマジック。沢山練習したんだろうけど、全然うまくできてないのが可笑しくってね。でも、最後はちゃんと練習の成果が出せたみたいで良かった。あの感じだと、学校でお友達も沢山できたみたいだし、そういう様子も見れて良かったよ」
「すっかり保護者気分ねー」
「本当のご両親がいらっしゃるから、申し訳ないけどね」
「ミッキーさー、なんでフーミンには敬語なの?」
急な話題転換は絵美さんの専売特許だけど、あまりにも急なので訊き返してみる。
「なんでって、なんで?」
「や、だってアタシやレンにはタメ語じゃん。いや、年上のミッキーに敬語使わないアタシが訊くのもおかしな話なんだけどさ」
「なんでって言われても」
どうしてだろう。考えたこともなかった。最初は敬語だったから、というと蓮介くんや絵美さんにも当てはまる。外すタイミングを見失った言うこともできるが、ただ、もしみんなと同じようにため口で芙美子さんと話すことを想像すると——
「なんだろう。あの子とはみんなと同じように接すると、ちょっと緊張するというか、ドキドキするというか」
ぼくとて鈍感ではない。芙美子さんが好意を持って接してきてくれていることは分かる。ただ、あの子から押し寄せる好意を真正面から受け止めるのは難しくて、いつの間にか線を引いていたのだろうか。
「なーんだ、それならよかった」
絵美さんは今までで一番にやついていた。
「それは、どういうこと?」
「あっは、鏡に訊いてみたら? 顔真っ赤だよ」
頬に手を当てる。顔が熱い。
「あんまりからかわないでくださいよ」
「あっは、からかいついでにもう一つ、話したいことがあるんだけど」
完全に絵美さんのペースだ。
「な、なんですか? ろくなことじゃなさそうですね」
「あっは、そうかもねー」
絵美さんは麦茶を冷蔵庫から取り出して、振り向きざまに言った。
「ミッキーさ、やっぱり大学行った方がいいよ」
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