◇絵の四……①
——未来なんてものはなくて、この世界は今の連続に過ぎないと思っていた。だからその時々でやりたいことに手を伸ばして、味がしなくなったら終わりにしてた。その考えの根本自体は変わらないんだよね。過去に変に拘ったり、訪れるかもわからない未来に怯えたりするのは意味がない。だけど、それが放つ輝きが今を照らしてくれるんなら、過去や未来は光として確かに存在するのかもなって最近は思う——
日向ぼっこに睡魔はつきものだ。朔葉に長らく住んでいた経験から、もうそろそろ外でごろごろしていられるほどは暖かくならないだろうから、ごろごろおさめに縁側でだらだらしていたら、いつの間にか眠ってしまっていたみたいだ。さっきまで一緒に居たはずのミッキーも、どこかへ行ってしまったんだろうか。
そして、居間からは何やら聞き覚えのない声が漏れ出ている。こっそりカーテンを絞って、中の様子を伺うことにしよう。体を転がして、居間を覗き見た。ママよりちょっと年上くらいのおじさまと、品の良さそうなおばさま。向かいにはママがいて、あまり明るい話題ではないみたい。
「ですが、そんな急に引き取ると言われましても。芙美子ちゃんは楽しく過ごされていますよ?」
何の話だろう。
「あの娘は我慢強い子なんですよ、限界まで耐えてしまう。だから、爆発してしまわないようにこちらで調整しなくちゃいけないんです」
あー、フーミンのパパママかな。なるほど、フーミンはどちらかというとパパ似っぽいな。
「少なくとも私の目から見たら、特に我慢しているようには見えませんでしたけど。一時期、ちょっと私の息子とそりが合わないところはありましたが」
「そう、それが一番の問題なんです。あなたの所のお子さん、あの光見蓮介君なんでしょう?」
おっと、レンがフーミンをいじめていたことは知っているみたいね。当然か。レンも自分の母親がフーミンの家に謝りに行ったみたいな話をしてた気がする。
「そ、そうですけど。でも、あの子とも今は仲良くやってますよ」
「そんなバカなことがありますか! これ、見てくださいよ」
テーブルの上に、フーミンパパから何かが置かれる。封筒?
「これは、芙美子の遺書です」
「ちょっと、お父さん。これは出さないって話だったはずじゃ」
「いや、やっぱりこういう事実は示して行かなくちゃいけない。これは芙美子が中学二年生の二月に書いたものです。今までどういういじめを受けてきたかが、克明に書かれてるんです。こんなひどい目を遭わせた主犯の子がいる家に、預けておけますか!」
なるほどねー。今となってはフーミンとレンは結構な仲良しになったけど、パパからしてみれば中学二年生の頃で時間が止まっているってわけだ。なんだか、アタシまでちょっとイライラしてきた。この話が、フーミン抜きで進んでいることに、だ。あの子が帰りたいって言うんならそれまでだけど、ようやくみんなが仲良くなれる地盤が整ってきてるのに、ここで台無しにはされたくない。
よし、ここはアタシが一肌脱いであげよう。
縁側から居間に行こうと戸に手をかけたとき、砂利をかき分ける車輪の音が聞こえた。がちゃんと金属音。自転車の音だ。レンは歩いて学校に行くから、ポスティングじゃなければこの音の主は、多分。
しばらく様子を見ておこう。よそ者のアタシが行くより、本人が蹴りをつけた方がいいに決まっている。玄関の引き戸がからからと開く音。板張りの廊下がギシギシと軋む音。もう、すっかり覚えてしまったフーミンの足音。
「た、だ、い、ま!」
思い切りよく居間のふすまが開き、制服姿のフーミンが姿を現した。いけいけ、やっちゃえ!
「表に見覚えのある車が止まっていると思ったらやっぱり! なんでお父さんとお母さんがいるわけ! あ、美陽さん、ただいまです」
「あら、お帰りなさい。早かったわね」
「ええ、色々ど忘れしてまして。で、何の話をしてたの!」
ママとフーミンのパパママに接するときの態度の差が面白い。フーミンって結構内弁慶なんだろうなー、と思う。
「お前が包蓮荘でうまくやっていけているのか気になって。もしここでの暮らしぶりが良くないのなら、うちから高校に通った方がいいんじゃないか、それか新しい下宿先を探した方がいいんじゃないかって話を——」
「勝手なこと言わないでよ!」
言葉を探して娘に対して言い訳をするパパを、ぴしゃりと制するフーミン。
「勝手に娘の部屋を漁って、それで勝手に焦って、わたしは大丈夫だって帰省したときも言ったでしょ!」
フーミンはテーブルの上に置いてあった封筒を摘まみ上げて怒る。
「お父さんは、お前のことを思って言ってるんだ」
「それがわたしのために全くなってないって言ってんの! 学校もうまくいってる、蓮介ともうまくやってる、ここで高校卒業まで暮らすことの方がわたしにとってはベストなの! 大体、家から通えないからって包蓮荘を勧めてきたのはそっちの方でしょ!」
「それはそうだけど、まさか光見くんがいるとは思ってなかったから」
「もう光見じゃないって、蓮田よ、蓮田蓮介!」
訂正して欲しかったこともちゃんと言ってくれて、満足だ。ヒートアップしていく喧嘩にワクワクしていると、反対側のふすまが開いて、誰かがが飛び込んできた。
「ちょっと、落ち着いてください!」
あら、試合中止っぽい。ミッキーがフーミンとフーミンパパの間に割って入る。まー、確かに頃合いではあったかな。
それから、お昼ご飯の話し合いがあって、ミッキーはキッチンに向かったみたいだ。居間にはフーミンとフーミンのパパママとアタシのママが残った。
「それで、包蓮荘での芙美子はどうですか? 迷惑かけていませんか?」
すっかり打ち解けたフーミンパパがママに訊く。
「本人が居る前でそういうこと訊かないでよ」
「迷惑どころか、おつかいにも行ってくれるし、庭仕事もしてくれるし、お寝坊な娘を起こしてくれるし、うちとしては大助かりですよ」
フーミンの制止を無視して、ママは答えた。お寝坊な娘のくだりは余計だ。
「そうですか、それは良かった。おじいちゃんおばあちゃんの家でお手伝いしてたのが役に立ったな!」
「ま、まあね」
存外、フーミンはまんざらでもない様子だった。
「芙美子が包蓮荘に溶け込めているようで良かったです。蓮介君は学校ですよね? では、その娘さんというのはどちらにいらっしゃるんですか? 芙美子の話だと、とても絵が上手で、面白くて、可愛らしい方だと——」
流石にここらで入らないと一層出て行き辛くなりそう。盗み聞きを止めて、アタシは縁側の戸を思い切り開けた。
「どーもはじめまして。絵が上手で面白くて可愛らしい、蓮田蓮介の姉の蓮田絵美です」
ママがレンを息子と呼んでいたということは、そういうことなんだろうと思い挨拶する。
「絵美さん! いつから?」
「あっは、最初からー」
「あ、どうも。芙美子の父の、平安寺草次です」
「芙美子の母の蓉子です」
深々とお辞儀をされて、お辞儀をし返す。うわー、お金持ちっぽそう。フーミンもそうなんだけど、品があるって感じするなー。うちは代々百姓だから、田舎っぽさがばれないうちにキッチンに退散することにした。
「あっは、フーミンにはいつもお世話してます、それじゃー」
「いや、それはこっちから言うことでは!?」
フーミンの気持ちいいツッコミを背に居間を突っ切る。後ろではフーミンのパパママが笑ってる声がした。
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