顛末

 平安寺芙美子はいじめられっ子だった。生来から正義感と主張が強く、また感情を表に出しやすい性質で、中学生の折にいじめられている友人を庇ったことをきっかけに標的にされ、それから配布物を隠されたりSNSを使った陰口や流言飛語を浴びたり校内で無視されたり、色々ないじめを受けていた。彼女の強がりな性格が、家族や先生に相談することを躊躇わせる。そして、何よりもクラスで一番幅を利かせている蓮田蓮介の存在を恐れていた。


 それはある年の二月二十五日のできごとだ。冬の暮れ、冷たい風が吹き抜ける清冽な朝。土曜日ということもあってか、通行人の少ない朔葉駅のホームを歩く一人の少女が居た。平安寺芙美子だ。ブレザーの上にダッフルコートを羽織り、芙美子は昨晩に送られた待ち合わせ場所変更の連絡を受け、改札をⅠCカードで潜り抜ける。


 無論、電車に乗っている間に自らと同じ制服を着ている人が全く同乗していないことから、なんとなくこれがいじめの一環であると察しはついてはいた。それでも僅かな希望にかけて、連絡をくれた友人が友人であることを信じて、人の少ない朔葉駅できょろきょろと友の姿を探す。


 幸運なことに、芙美子はようやく自分と同じ学校の制服を着ている人間を見つけた。しかし、不幸なことにそれは男子だったし、一番会いたくない人だった。


「おい、平安寺」


 蓮介に名前を呼ばれ、背筋が凍る。早くこの場から逃げなくては、芙美子は地下から地上へ向かう階段へ走った。寒い、寒いのに喉が熱い。初めて訪れる街、行く当てもなく駆けていく。凍てつく風は耳をつんざき、人のいない朝の街は無情だった。


「ちょっと待て! 平安寺!」


 追手の声が聞こえてくる。近い、早く距離を取らないと。まだ空いていないチェーン店、閉店中の小洒落たカフェ、赤信号の交差点を無理やり駆け抜けて花野橋に辿り着く。もう、限界だ。まだ走れるけれど、彼女には限界だった。


「はぁはぁ、平安寺!」


 蓮介も相当疲れている様子だが、芙美子からしてみれば己の疲労の蓄積の方がよほどだった。


「もう、もう疲れた」


 朝焼けが次第に道端を染め上げ、一日の始まりの時間が訪れる。


「なんでわたしばっかりこんな目に遭うのよ。私はちゃんと生きてるのに」


 蓮介は芙美子が何の話をしているのか、皆目見当がついていない様子だ。それは、当然である。彼はあくまでも彼女に、集合場所の変更などなかったことを伝えに来ただけなのだから。


「何か、勘違いしてないか? とにかく話を聞いてくれ」

「嫌よ! 散々馬鹿にされて、捌け口にされて、信じてた人に裏切られて、知らない街にはあんたしかいなくて! ただ、わたしは、わたしは普通に生きていただけなのに! どうして誰も助けてくれないのよ、なんで最後の最後に見る顔があんたなのよ! もう、いい、もう疲れた。あんたたちの思い通りになるくらいなら、ここで無様に死んでやる。あんたの記憶に、ずっとこびりついてやるから」


 朝日を照り返す欄干に腰かけ、後ろ向きに倒れるように芙美子は落ちていく。その潤んだ鋭い眼は、橋から落ちていくその刹那までずっと蓮介の瞳を捉えて放さなかった。


「平安寺——!」


 蓮介の伸ばした手は芙美子に届くことはなく、刹那に水音が鈍く小さく響く。自らの過ちを取り戻すために、芙美子を救い出すために蓮介は欄干に足をかけた。今から飛び降りたところで、彼女を救えるわけではないのに。


 しかし、そこに『幸運にも』訪れた少年がいた。朔葉駅へ向かおうと息を白くしていた野々目美月だ。すぐさま彼は異変に気付いて、蓮介の下へと駆けだした。


「ちょっと! な、何を考えているのですか! 馬鹿なことは止してください!」

「馬鹿なことなんかじゃない、馬鹿だったのはオレだったんだ! オレが、オレがちゃんとしてれば。オレがあいつらのことをちゃんと止めていれば! オレが、オレが殺したんだ」


 戯言のように何かをわめく、半狂乱の蓮介を、必死に美月は押さえた。今、手を離せばきっとこの子は再び橋に足をかける。その遥か下で、既に川に沈んでいった少女がいることになど、気付きもしなかったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る