□芙の三……②

「光見、いや、蓮介!」


 後先なんて考えずに飛び込む。あいつの。蓮田蓮介の腰を無理やり掴んで引き戻す。勢い余って、蓮介の背中を思い切り道に叩きつけてしまった。


「ガッハ! ゲホ、エッホ!」

「馬鹿! 何やってんのよ!」


 むせるだけで済んで良かったとか思うよりも、怒りが湧いてくる。


「い、いや、別にちょっと川を見ていただけで」

「誤魔化すな!」


 絵美さんは刺激しないようにって言ってたけれど、これはわたしが蓮介と向き合わずにつけあがらせてしまった末路だ。 


「ご、ごめん」

「なんで! なんでわたしが落ちたのと同じ場所で死のうとするのよ、よりにもよって絵美さんの誕生日に、なんて呪いをかけようとしてるのよ! なんで華々しく散ろうとしてんの! もっとみっともなく足掻けよ、未練がましくしがみつけよ、ちゃんと生きてよ、無様に死ねよ! お願い、ちゃんと生きてよ……」


 いつまでも地べたで手をついてこちらを見上げて来る蓮介に、ぽろぽろと水滴が落ちる。わたしの涙だ。きっと、ひどい顔をしているんだろうな。


「オレだって! オレだってちゃんと生きようとしたよ! 毎日学校に行って、『家族』として包蓮荘で暮らして、時々遊んで、喧嘩して、勉強して! でもさ、消えないんだよ。心の奥底で、平安寺を突き落とした記憶が、入院した母親が、オレを許してくれないんだよ」


 蓮介も泣いていた。彼がこんなに感情的なのを見るのは、誕生日以来だ。


「オレは幸せになっちゃ駄目なんだって、だったらせめて、最後くらいみんなとの思い出を残そうって」

「それが迷惑なんだよ! そんなことしたら、別れが辛くなるだけよ!」


 わたしだって最初は、蓮介が幸せを享受しているだけで許せなかった。でも、包蓮荘の人たちと暮らしていく中で、全部忘れてみんなと幸せに生きていくのも悪くないって思った。そうやって、美陽さんや絵美さんや、美月さんに甘えている間、こいつはずっと自分を苛んでいたんだ。昔のわたしだったら、こいつが川に飛び込んで死のうが勝手だと思っていただろうけれど、今は違う。


「わたしは、蓮介が生きていないと幸せになれないから! あんたが幸せになっちゃ駄目だと思い込むのは勝手だけど、それでわたしまで不幸にしないでよ!」


 秋の最初の日。灰色の空の下。生温いそよ風に当てられて、わたしたちの涙は川に落ちていく。押さえつけた蓮介の肩が震えていた。


「あれ? 平安寺、前にもこんなこと、あったっけ?」

「え、どういうこと?」


 急に要領を得ない質問をされ、両手の力を緩める。


「前にも、誰かにこうやって押さえつけられた気がするんだ。橋から無理やり引きずり降ろされて、いや、でも突き落としたのはオレの方で……」

「待って。わたしたちがこうなったのって、いつだったっけ」


 ずっと封印していた記憶を紐解く。あれは確か、中学二年生の冬。


「校外学習の日だったはず。朔葉の宇宙センターを見学するとかで」


 仰向けのまま、蓮介が答える。そうだ、わたしはそれで前日に当時の友人から連絡を受けたんだった。


「わたし、それで友達に呼び出されたんだった。集合場所が現地に変更になってて、その、周りからわたしは配布物を隠されたりしてたから」


 当時、いじめられていたわたしは唯一心を許していた友人からの連絡を完全に信じてしまっていた。今思えば、おかしな話だ。


「そうだ、そのやり取りを見て、オレも朔葉駅に行ったんだ。現地集合は平安寺をだますための嘘だったから。めちゃくちゃ朝早くに起きて。平安寺を、突き落とす、ために?」


 蓮介は言葉を詰まらせているようだった。


「蓮介がわたしにそう言うように指示を出したわけじゃないの?」

「いや、そんなことはない、はず」


 お互い、記憶が混濁している。無理もない、どちらにとっても残っていては都合の悪い思い出だから。


「それで早朝に駅に行ったら、蓮介が居て」

「オレは平安寺を追いかけた」

「逃げた先にはこの橋があって」

「オレは平安寺のことを突き落とした」

「わたしの記憶はここまで」

「でも、そのあと確かに、誰かに取り押さえられたんだ。さっきオレがやったように、オレが橋に足をかけたからかな」


 飛び降りようとした人を取り押さえた。この話は、どこかで聞いたはず。


「もしかして、美月さん!?」

「え、なんで野々目さんが出て来るんだ?」

「美月さん、言ってたんだ。受験のときに、橋から飛び降りようとする人を助けようとして止めたって」

「二月なら、大学受験の入試の日と被るかもしれないな」

「話を聞いてみれば、何か分かるかもしれない。ごめん、蓮介にとっては辛いかもしれないけれど」

「それは、お互い様だろ。あ、あの、それより」

「なに?」

「そろそろ、どいてくれませんか? もう変な気は起こさないんで」

「え? あ! ご、ごめんね」


 ずっと蓮介に馬乗りのまま話していたのか。腰を浮かして、立ち上がった。幾ら人通りの少ない早朝とはいえ、これは良くない。事実に気付いて顔が熱くなる。


「帰ろっか。わたしの家に」

「もとはオレの家なんですけど」

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