◇絵の二……③
「だからー、そういう展開がありきたりだったって言ってるのよ」
「た、確かにわたしはあまり映画に精通していませんけど、例えあれがベタな展開だったとしても、それをホラー映画に持ち込んだことが面白いのではないんですか?」
「確かにベタでも面白い作品はあるよー、でもそれを逆手に取ったり一ひねり加えたり、あるいはそれを補って余りある演技力や映像の技術力が必要だろうって言ってるのー。あれじゃーB級の域を出ないよ」
「でも! ちゃんと怖かったし、最後の伏線回収とか感動的だったし!」
おかしい、さっきまで幸せを噛み締めていたのに、いつの間にか作品の良し悪しに関する議論を始めてしまった。うーん、大分意地になっちゃってるなー、でもアタシもこればっかりは譲れないからなー。
「アタシは怖いっていうより、血液に頼ったスプラッターに近い印象を受けたけどね。演出過多、出血量過多、ベタな展開過多——あ、フーミン、もう二人ともいない!」
やってしまった。当初の目的をすっかり忘れていた。ちょろっとだけ残ったサンドウィッチの残骸を口に押し込んで、殆ど氷水になったジュースで流し込む。
「い、急ぎましょう。まだバスが出るまで一分あります!」
「わお、ポジティブ! 一分しかない、でしょ」
椅子をしまって、トレイに乗ったゴミを捨てて、トレイを片付けて急ぎ足でモールを脱出する。標的は完全に見失った。バスターミナルに出ると、ターゲットを乗せたと思しきバスが交差点を渡っていくのが見えた。
「まだ! まだ間に合います、絵美さん、早く!」
「いや、流石にこれからバスを追い越すのは無理だって」
さっきはたまたま追いついたとはいえコミュニティバスは、幾ら途中のバス停で止まることがあるとはいえ、当然のようにガソリンで動く車両で、文字通り積んでいるエンジンが違うわけで、なんならフーミンとも積んでいるスタミナエンジンに差があるわけで、人生で一番の立ち漕ぎをかましても当然どちらにも追いつけないわけで、だけど諦めずに追いかけられたのはフーミンが一々後ろを確認しながら声をかけてくれたからで、でもよく考えたら——
別にバスに追いつく必要なんてないわけで!
結局、三人には追いつけないまま包蓮荘についた。暑い。徒労だった。だというのに、やけに達成感に満ちた表情でフーミンが自転車を中庭に止める。
「間に合いませんでしたね!」
「あはー、はぁ、そうだねー」
「でも、今日はとっても楽しかったです!」
まぁ、アタシも楽しくはあったけど。サビサビの自転車を止める。なんだ、まだ走れるじゃないか。
ゴールデンウィークを迎え、相も変わらずねんねんごろごろと過ごしていたら、ママに叩き起こされたので、何事かと思って玄関に行ったら大量の段ボールが置かれていた。ははーん、今回は騙されないぞ、フーミンが奇麗にしてくれた中庭に味を占めて、ガーデニングの道具をまた発注したな? それかまた変なことを始めようというのだろう、分かっている、分かっているけど一応べらべらと推理を喋って外したらかっこ悪いのでママに訊いてみる。
「これは何?」
「何って、あなたの荷物よ」
「荷物?」
「なんにも覚えてないの? 船便よ、船便! 凄まじい量を送って来たのね、部屋に入り切るかしら」
すっかり忘れていた。アタシがニューヨークの高校を卒業するときに送った荷物だ。なんたるタイムラグ。時間差攻撃。中身が何かも全く覚えていない。整理するのが面倒くさくて、適当にぶち込んじゃったからね。これを一人で運ぶには骨が折れそうだ。しかも運んだところで荷解きなんて絶対しないので、くたびれ儲けだ。
「あの、良かったらお手伝いしましょうか?」
差し伸べられた助けの手!
「あら、おはよう芙美ちゃん。別に無理はしなくていいのよ」
「おはよー、フーミン。ぜひアタシのために無理をしてほしい」
フーミンは困惑気味にアタシとママを交互に見る。
「全然、無理なんかじゃないです。それに、男の人に手伝ってもらうのはちょっと憚られますよね? わたし、お手伝いしますよ」
なんか、ちょっと誘導したみたいで申し訳ないけど、せっかくだしフーミンの手を借りることにしよう。猫よりかはうんと役立つはずだ。
「それじゃ、さっさと運んじゃいなさい」
「ママは手伝ってくれないのー?」
「私にだって仕事はあるからね、いつもお暇なわけじゃないんですー」
そういうとママは自室へと消えていった。正直、アタシはママの本業がなんなのかよく分かっていない。そういうふわふわしたところは親子だよねー。
「じゃ、やろっかー。終わったらご褒美あげるよ」
「そんな、悪いですよ。あ、絵美さん、反対持ってください。これ、結構重いですよ」
せーの、で段ボールを持ち上げる。フラジャイルと書かれていて、何やらガチャガチャと音がする。
「あの、差し支えなければお聞きしたいんですけど」
段ボールを運びながら、フーミンが質問してきた。
「多分差し支えないから、なんでも聞いて」
「海外の高校では何を勉強されてたんですか?」
「うーん、別段変わったことはしてないけどねー。授業が英語だったくらいで」
「英語!? なんだか難しそう」
「あっは、慣れれば大したことないよー」
「でも、凄いです。それで、国際教養に入られたんですね」
実際のところ、英語というのは一番簡単な科目だと思う。数学とか物理とかで扱われる内容は、世界中で同じ学年の子たちが似たような難易度の問題を解かなくちゃいけないけど、英語に関してはネイティブの子なら小学生でも解けるような問題が受験とかテストとかで出されるわけだから。
話をしていたら、自室の扉の前に辿り着いた。
「とりあえず、扉の横に置いておきましょうか。それじゃ、次の箱行きましょう」
「はーい」
フーミンはまるで自分の荷物みたいに運んでくれる。いい子だな。これが血の繋がった妹だとこうはいかないのかもなー。
「それじゃ、持ちますね。これは大きさの割に、あまり重くないですね」
「そうねー。多分、画材かな?」
「画材? 絵美さんは絵を描かれるんですか?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「わたしは初耳です。絵というのは、どんなものを?」
「油絵をちょろっと描いてただけ」
「油絵ですか! なんだか難しそう」
「あっは、慣れれば大したことないよー」
向こうでの暮らしを思い出す。寮の小さな個室一杯に、描きかけのまま積み重なった大量のカンバス。自由な校風であったとはいえ、溶き油独特の匂いが充満した部屋に寮長が来たときは、換気ぐらいこまめにしろと怒られたものである。時間を見つけては画廊を訪れた。美術館にも何度も顔を出した。向こうのギャラリストに駄目元で絵を見てもらったことだってある。まだ高校生の絵だ、相手をしてもらえるわけがない。でも、なるべく早く自分の作品で身を立てられるようになりたかった。そして幾つもの芸術作品を鑑賞していくうちに、それに負けないように絵を描き続けるうちに——
アタシには無理だな、と思ってしまったんだ。
三年間は夢を諦めるのには十分な時間ではないのかもしれないけど、現実を知るには十二分だった。数々の美しい作品を見て、アタシにはこれは無理だと悟ってしまったんだ。一度折れ目がついてしまうと、アイロンで伸ばしてもしわは消えない。どれだけ昔と同じように振舞っても、別の人間になってしまう。結局のところ、アタシは絵に向いている人間じゃなかったんだ。
「あの、ご褒美の話ですけど」
「ん? あー、このお手伝いのね」
いつの間にか黙々と荷運びは進んでいて、二人で最後の段ボールを運搬していた。
「油絵、教えてください!」
「えー? アクリルとかと違って面倒だし臭いよ?」
「面倒臭くても、やってみたいんです」
「うーん……、英語を教えるのじゃ駄目?」
「英語は美月さんからも教えてもらえますけど、油絵は絵美さんからしか勉強できません」
「あは、分かった」
あまり気は進まないけど、せっかくの『妹』の頼みだし、むげには出来ないな。最後の段ボールを部屋の中にねじ込んだ。
「描きたいものって何かある? 適当にもの並べるけど」
即席でモチーフを作るために、段ボールの上に布を被せる。
「あの、外で描くのは駄目ですか?」
「あー、まあ確かにそれもありっちゃありだけど。多分一日じゃ描き切れないし、同じようにモチーフ並べ直すの面倒くさいから、室内の方が楽だよ?」
「えと、その。せっかくだから中庭を描いてみたくて」
なかなかにチャレンジングだ。
「初心者には難しいかもよー、背景ごちゃごちゃするし、緑色って扱い難しいし」
「でも、好きな色だから、好きな場所だから、描いてみたいです」
「あっは、分かった。段ボールのどこかに画材とイーゼルがあるはずだから、片っ端から開けてもらえる?」
いいなー、なんで技術的なことばっかり気にしてたんだろう。歌いたいから歌う、会いたいから会う、描きたいから描く。最初の内はそれでいいんじゃんね。二人で段ボールをむしり開けていたら、すごい、うまい、かっこいい、こんな風に描けたら楽しいんだろうなー、なんて無邪気な『妹』の感想が逐一聞こえてきた。フーミンみたいに顔が赤くなってなければいいけど。
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