◆月の二……②

 ショッピングモールにある映画館に行く。美陽さんが車を貸して下さるという話だったのだが、ぼくは運転が苦手なのでバスを利用することにした。


「あの、本当に良かったんすかね?」


 蓮介くんは、つま先をトントンと三和土に打ちながら言った。


「何が?」


 靴ベラを渡して、蓮介くんに質問を質問で返す。


「あ、ありがとうございます。いや、全然点数良くなかったし」

「ああ、そんなことか」

「そんなことって」


 蓮介くんは靴ベラを不器用に踵に差し込み、スニーカーを履いた。


「では、『頑張ったで賞』ということでどうでしょう?」

「そ、それは、もっと頑張れたと言えば頑張れましたし」


 真面目な子だ。目標の点数に届かなかったのは、教えたぼくの非でもあるのに。


「では、ご褒美ではなくて、これはお出かけです。さあ、行きましょう?」


 話を打ち切って玄関の戸に手をかける。


「おはよー、あれ? どこか行くの?」


 廊下の左手から目をこすって、裸足の絵美さんがあくびをしながらやってきた。


「おはようございます、絵美さん。ちょっとお出かけに」

「え、映画を見に行こうと思って」


 絵美さんは髪を指先でくるくると弄ぶ。


「え、いいなー。アタシも行きたい」

「そ、それは」


 蓮介くんは言い淀んだ。


「ごめんなさい、今日は男二人でお出かけしたくて」

「うん、ごめん」

「あっは。いいよー、また今度ね? いってらっしゃい」


 絵美さんはそう言うと、口を手元で押さえて、居間の方へと歩いて行った。改めて、引き戸に手をかける。からからと小気味の良い音を立てて、すりガラス越しのぼやけていた外が明瞭になる。桜は散ってしまったけれど、春はまだ燦燦と玄関を彩っていた。


「あの、助かりました」

「何が?」

「その、絵美ちゃん、普通についてきそうだったから」

「彼女も、駄目元というか気まぐれというか、そういう気持ちで言っていただけだと思うよ」

「そ、そうなんすかね?」


 蓮介くんは、過剰に周囲を恐れ過ぎている気がする。というよりは、周囲を傷つけやしないかという自分の力に怯えている。それは、一度他人を大きく傷つけてしまったことから生じた、正当な恐怖なのだろうけれど。


「気にしなくていいよ。あ、バスがもう来ているね」

「あ、うす。急がないと」


 ぼくたちは小走りでバス停へと向かい、バスに乗り込んだ。地域を走る小さなコミュニティバスだ。


「間に合ったー」


 切符を取って、二人掛けの座席に腰かける。バスにはそれなりに人が乗っていて、満席と言うほどではないが繁盛しているようだった。バスは花野橋を越えて、駅の方へと向かって行っていく。車窓から眺める街には人が多く、休日であることを感じさせる。子ども連れ、ご老人、自転車を爆速で駆けていく人もいた。


 やがてコミュニティバスはショッピングモールに辿り着いた。料金を支払って、バスロータリーに足を下ろす。さて、蓮介くんがぼくを誘ってまで見たい映画ってどんなものなのだろうか。とても楽しみだ。




「す、すみません。そんなにホラー苦手だったなんて、思いもしなかったもので」

「う、ううん。いいよ、ちょっと驚いただけ」


 ショッピングモール内にあるフードコートで、映画を見終わったぼくらは休憩も兼ねて昼食を食べていた。マクドナルドのてりたまだ。


 ぼくはホラーが苦手というよりは、出血の描写があまり得意ではない。途中まではどうにか耐えられそうだったのだが、一人称視点で精神病患者の主人公が自分の腕を血が出るまで掻き毟るシーンで耐えきれなかった。短く悲鳴を上げた女性の声も相まって、そこからスクリーンに顔を差し向けることがしばらくできなくて、せっかく誘ってくれたのに申し訳ないことをした。


「面白かった?」

「は、はい! あの監督の映画、一度劇場で見てみたかったんすよ。けど、しばらく活動休止してたって言うか、最後の映画がもう十年近く前だったので。あの、錯乱状態に陥っちゃうところとかめちゃくちゃ良かった——、あ、すみません」

「気を遣わなくていいよ、続けて」


 蓮介くんが映画好きだったのは意外だった。こんなに言葉数の多い蓮介くんは初めてだ。何故だか彼が話をしてくれるだけで嬉しくなった。午後二時過ぎのフードコート、マクドナルドのフライドポテトがなくなっても、ぼくたちは感想戦を続けるのだった。




「ただいま戻りました」

「ただいまー」


 玄関の引き戸を開けると、居間から美陽さんが出迎えてくれた。


「あら、お帰りなさい。あれ、絵美と芙美ちゃんは?」

「え? 家にいるんじゃないの?」

「どこかにお出かけしたんでしょうか?」

「も、もしかして男子二人で出かけるっていうからそれに対抗して」

「それはどうでしょうか」

「あの子たちもモールに行くって言ってたから、てっきり一緒になってるかと思ったんだけど?」


 スマートフォンを確認しても、特に連絡は来ていない。たまたま行き先が同じになったのだろうか。そんなことを考えいていたら、包蓮荘の看板の隣を、凄まじい速度で二台の自転車が掠めて、停車する。


「た、たでぇまー」

「た、ただいま、です」


 肩で息をして、汗をかきながら絵美さんと芙美子さんが玄関にやってきた。


「だから言ったじゃん、流石にバスを追い越すのは無理だって」

「で、でも、行ける気がしたんですよね」

「あ、美月さん。お帰りなさい」

「はい。芙美子さん、絵美さんもお帰りなさい」

「ほら、詰めてー」


 絵美さんに促されて、右側にずれて靴を脱ぐ。


「ふー、久々にいい汗かいたー」

「疲れましたね、色々と」


 一体、どこへ行っていたんだろう? 美陽さん曰く、同じモールにいたはずだけど。


「いやー、それにしたってやっぱりあの映画はないなー。話の構成もありきたりだったし、グロ描写がちょっとくどかったし」

「絵美さん、シー!」


 ぎりぎりになって入ってきた客。聞き覚えのある短い悲鳴。バスを追いかけたという二人。なるほど、合点がいった。


「今度はみんなで観に行きましょうね。みんなで」


 結局、ぼくたちは同じ映画を見ていたのだ。

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