□芙の二……③
晴れで良かった。絵美さんがセットした美月さんの髪が崩れてしまわずに済んだからだ。三つ編みを冠のようにしてハーフアップにした、ふわふわした可愛らしい印象。美月さんは、可愛すぎませんか、本当に似合ってますか、とバスの車内でもしきりに不安にしていたけれど、悔しいくらいに似合っていた。
バスから降りて、朔葉山を目の端に捉えながら、視界の中心には美月さんの後ろ姿を据えて。乾いた駐車場の石を踏みしめて、ポップな字体で『朔葉わんわんランド』と書かれた看板の取り付けられている、緑色の屋根が可愛らしい入場ゲートに着いた。
「それでは、入りましょうか」
美月さんは入場口でチケットを二枚渡して、数歩引いた場所に居たわたしの方を見て笑顔を作る。逆光でシルエットが縁どられてなお、その柔和さは変わらなかった。
「は、はい」
美月さんに一歩遅れて、わたしもゲートをくぐった。遊園地やテーマパークというよりは、どこか公園のような素朴な趣。どの地域にも一つはある、小学生が社会科見学で行くような施設に思えた。少し歩くと園内マップがあった。広めの公園くらいの規模感で、大型犬、小型犬それぞれと触れ合えるエリアと、ショーを見られるエリア、売店やベンチのある休憩エリアと犬と遊べる公園のようなエリアに分かれているようだ。
「よりどりみどりですね。何から見ればいいんでしょう?」
美月さんは園内マップとにらめっこをしている。
「美月さんはどこに行きたいですか?」
「えっと。うーん、ごめんなさい、こういうところ初めてで。芙美子さんはどうですか?」
困ったように迷いながらしばらく園内マップを眺めて、美月さんは観念したようにわたしの方を見た。遠慮しているというよりは、本当にどう回ればいいのか分からないみたいだった。
「それじゃあ、せっかくですし大型犬エリアに行きましょう」
小型犬なら散歩している人をたまに見かけるけれど、大型犬はこういうところに来ないとなかなか触れ合う機会がない。何より、父の実家で一時期飼っていたのもあって久しぶりに触りたい。
「では、そうしましょうか」
美月さんは安心したように相好を崩した。
園内の中心にある大きな学校用テントのような屋根の下が大型犬エリアだった。二重になったフェンスの扉を通ると、バスケットコートくらいの広さに大型犬が放し飼いになっている。十数から二十頭ほどの種々様々な犬たちは、思い思いに柵の中をぐるぐる回ったり、あごをついて眠っていたりしていた。
「こんなにたくさんのワンちゃんがいるところに来るの、初めてです」
「わたしも、こんなにたくさんは見たことないかも」
シベリアンハスキー、グレート・デーン、ゴールデンレトリーバー、チャウ・チャウ。種類の知っている犬だけでもこれだけたくさんいる。その中でも好奇心旺盛なグレート・デーンが入り口付近で立ち尽くしていたわたしたち、正確には美月さんの方にすり寄ってきた。
「わ、えと、どうしたら」
美月さんは慌てて手を伸ばした。ぎこちない手つきがグレート・デーンの背中を撫ぜる。しかし、何かが気に入らなかったのか犬はすぐにそっぽを向いて駆けていってしまった。手持無沙汰で中空を彷徨う美月さんの左手を取る。
「もうちょっと中まで行きましょう? 他のお客さんみたいに、床に座っちゃった方が触りやすいと思います」
そう言って美月さんを連れて行く。三歩目には手を繋いだ事実に気付いてしまって、気が気でないけれどどうにか目的地までは離さないでいられてよかった。
柵によりかかって座る。美月さんも左隣に慎重にしゃがんで、しばらく犬が来ないものだから観念したのかお尻をつけて座った。
「芙美子さんは、なんだかワンちゃんのこと詳しそうですね」
「ええ、昔、祖父が飼っていたものですから。あ、来ましたよ」
じっと待っていたら、先ほどのグレート・デーンがやってきた。リベンジマッチだ。
「この子から見たときに、自分より大きい生き物は怖いですから、なるべく腰を落として目線を下げてあげた方がいいです。手を出すときも、犬の目線より下から、こういう風に」
顎を慎重に撫でて、受け入れてくれそうだったので耳の下を思い切り撫でてあげる。すると、あぐらをかくわたしの膝の上に前足を乗せて、犬はのしかかってきた。
「だ、大丈夫ですか?」
美月さんが心配してくれている声が聞こえる。
「えへへ、じゃれてるだけですから、大丈夫です。美月さんも、この隙に触っちゃえ」
美月さんは肩先が触れそうなところまで近づいてきて、犬のごわついた横腹を撫でていた。
「なんだか、新体験です」
美月さんはそう言うと、物珍し気に犬に触れていた。美月さんでも知らないことがあるんだな。教わってばかりだったから新鮮だ。
「わたしもです」
もう、これだけでも来てよかったな、と思う。
「しばらくワンちゃんたちの休憩を行いますので、退場のご協力をお願いします!」
飼育員の声で我に返る。ずっとぼーっと犬の相手をしていたら、いつの間にか三匹の犬に囲まれていた。
「ぼくたちも一度、休憩にしましょうか?」
「えへへ、そうですね」
大型犬たちとお別れをして、わたしたちは休憩エリアに足を運んだ。売店は食券制で、券売機の前で立ち止まる。
「芙美子さん、何が食べたいですか?」
「じゃあ、わたしは——」
そう言って財布を取り出そうとすると、美月さんはそれを制した。
「いいですよ、ぼくが買いますから」
「や、でも」
包蓮荘の人たちには与えられてばっかりだ。
「いずれ後輩ができたときのために、取っておいてくださいよ」
でも、それじゃ、今のあなたたちにお返しができないじゃないか。
「では、ホットドッグを」
なので、ちょっとでも抵抗をしたくてあまり高くないメニューを選んでみる。
「本当にそれだけでいいんですか? ラーメンとか、おそばとか、おいしそうですよ?」
「い、いや、大丈夫、です」
本当はちょっとお腹空いているけれど。
「ふふ。分かりました。じゃあ、ぼくもホットドッグにします。それと、この唐揚げも買うので分けて食べましょうか」
結局、こうなる。この人は会ってまだ三か月ほどしか経っていないわたしに、どうしてこんなに気を遣ってくれるのだろう?
「座りましょうか」
屋根の下にあるテーブル席まで、トレイに乗せた軽食を運んでわたしたちは席に着いた。紙に包まれたホットドッグ。朔葉わんわんランドと印字された紙皿に盛られた唐揚げ。ペットボトルに入った麦茶が二つ。
「家で料理をするのも好きですが、たまにこうして誰かと外食するのも楽しいですね」
美月さんはそう言うとホットドッグと唐揚げを食べる用のプラスチックフォークを渡してくれた。
「はい、このホットドッグ、皮は甘くてぱりぱりしてて、でも中のソーセージはいい塩梅にしょっぱくて、マスタードがそれを引き立てていて、素朴だけれど美味しいです。唐揚げもジューシーで、ちょっと味が濃い目だけど美味しいです」
美月さんは頬杖をついてにこにことしながら、うんうんと頷く。
「あの、美月さんは食べないんですか?」
「あ、ごめんなさい。芙美子さんはいつもおいしそうにお食事されるので、それを見ているのが好きで」
褒められているのだろうか。からかわれているのだろうか。そう言うと美月さんは包み紙からホットドッグを取り出して齧った。言われっぱなしも癪なので、少し反撃してみる。
「わたしは、美月さんが犬におっかなびっくりだったの意外でしたけど」
「動物に触れたことがあまりなかったものですから。どうしてあげればいいのか、分からなくて」
こういう返しに大して、美月さんは全く狼狽えない。いつもみたいに微笑んでいる。
「それが意外だったんですよね。美月さんって、その、なんでも知っている人なのかと」
「そんなに良い者ではありませんよ」
「でも、いつも勉強見てもらってるし」
「それくらいしかできないですよ。学校のお勉強はみんながするから、それができると立派な人間に見えてしまうかもしれませんけど、実際にはそれだけができても大それた人間になれるわけではありませんから」
美月さんは切なげに笑う。
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