七章 理想郷の投影

街道の終わりにあった二対の石造りの櫓。その間を通り、遂に県概へと足を踏み入れた。


小鳥遊も心配だが、将太とも合流しておきたい。凡太はすぐに行動を開始するべきだと訴えたが、空腹の為ひとまず食事がしたいと高橋さんに懇願され、それを仕方無しに承諾した。


ただ、かく言う凡太自身も今まで一切物を口にしていない事に気が付くと、突然思い出したかのように腹部がぐるぐると音を鳴らし賛成の意を示した。こうなれば理性では抑え切れなかった。


街へと辿り着いた時には既に日没の直前だった。また怪物が現れるのではないかと警戒していたが、灯された街灯は悪夢を形取った影法師を映し出す気配は無い。


それどころか街は活気に満ち溢れ、至る所から陽気でつい踊りたくなってしまいそうな異国の音楽が聞こえていた。店先にまで並べられた座席にぎっしりと詰め込まれた男衆は、その曲を口ずさみながらそこかしこで酒を酌み交わしている。


二人はそんな人々を掻き分け、やっとの事で見つけた空席に転がり込んだ。


高橋さんの目がビールに釘付けになっているのに気付き手で制すと、彼は照れたように笑い、店員を呼び止めた。


『目玉焼き定食二つ。』

ごく自然に高橋さんは注文を済ませる。


酒を飲まない客の落とす金などたかが知れているとでも言いたげに、店員は渋い顔を繕いもせずに立ち去った。


『外観も街並みも別の国みたいな感じなのに、目玉焼き定食を出すお店なんてあるんですね。』


『割と何でもあるよ、見た目はともかくここら辺で一番デカい街だからね。』

高橋さんは言う。県概にも詳しく、戦える能力もある。遅過ぎる気もするが、凡太は目の前の同行者が初めて頼もしく思えた。


暫く他愛も無い会話に花を咲かせていると、先程の店員が目玉焼きの載せられた白飯と小鉢を持ってやって来た。まだ幾分も時間は経過していないはずだ。料理を注文する客は少ないと見える。


あっという間に食事を平らげ、落ち着いた所で凡太は切り出した。


『あの、これからの事なんですが、先に将太……友人と合流したいと思ってます。ただ、そいつと宿屋の前で落ち合うと約束してるんですが道が分からないんです。場所を知ってませんか?』


悩んだ末の決断だったが味方は一人でも多い方が良い。将太は事情を話せば必ず協力してくれるだろう。


それに、早く彼の無事を確認したかった。将太が付いて行った女性の顔や声はどうしても思い出せない。言葉では言い表せないが、何か嫌な予感がするのだ。


『そうなんだ、宿屋なら何軒かあるよ。でも時間が惜しいから、こいつで……』

高橋さんは全身をまさぐり、何かを探している。


(なら、これの出番だ。)

凡太は彼を待たずに辺りを見回し、テーブルの上に置かれた灰皿を撮影した。シャッター音に数人の客が振り向く。


『この写真に向かって用件を話せば友人が取り次いでくれると思います。連絡はこれで取り合いましょう。』凡太は上着と灰皿の置かれた部屋の写真を高橋さんに手渡した。


『どう言う理屈?』

高橋さんは興味深そうにそれを眺めている。


『説明は難しいです。けれどその写真の部屋と俺の持っている写真の部屋同士は隣り合っているらしくて、高橋さんの声はこちら側の友人に聞こえるはずなんです。』


梅原の話は覚えていた。彼の聞いた叫び声は蠍のものだった可能性が高いだろう。それならば、この方法で連絡が取れるに違い無い。


この夢に来る前、間違い無く写真は二枚あった。だが今は梅原のいる一枚だけ、残りの一枚は将太が持っていたと考えるのが妥当だろう。そうでなければ説明がつかない。


恐らくだが、将太は彼自身の身と一枚の紙切れを凡太と梅原の身代わりとして一人で進む事を選んだのだ。義理堅い精神を持つ彼のお陰で思わぬ収穫を得る事が出来た。


受けた感銘は一旦胸の内に収め、これが証拠だとばかりに凡太は胸元から写真を取り出し、高橋さんの顔の前に突き出した。


だが、彼の眉間の皺は更に増える。何事かと裏返してみれば、梅原は木片を両手に握り、右側の壁を叩き壊している最中だった。


『お前、何してんの?』

凡太は尋ねる。


『穴から隙間風が入ってきて寒いんだ。勝手に入れられたんだから勝手に隣に移らせてもらう。』手を休めずに梅原はそう言った。


『……有り難いけど、これで大丈夫だよ。』

二人のやり取りを見て苦笑いしていた高橋さんが全身を揺すると、黒い小粒のような物が辺りに散らばった。


『これは。』

凡太は息を飲む。小粒からは手足が生え、光る二つの目玉がこちらを見つめ返している。将太と街を訪れた時に出くわしたものと良く似た生物がそこにいた。


その内の一匹が凡太の肩によじ登り、残りの生物達は店の外へ飛び出して行った。


『こいつらにお友達を探してもらおう。俺達は鰐石とあの女の子を見つけるんだ。』高橋さんは言った。確かにこれなら心置き無く小鳥遊を捜索する事が出来る。


『助かります。じゃあ早速行きましょうか。』

凡太は腰を上げるが、反対に高橋さんはなかなか立ち上がろうとしない。


『ええと、言ってなかったけど……ごめん。俺金欠なんだよね。』高橋さんは多少申し訳無さそうな表情で笑い、そう呟いた。頼もしいと言ったが前言は撤回する。


『え…』

凡太はすぐにポケットを探った。これは夢の中だ。もしかすると。


(やっぱり出てこないか……)

淡い希望は断ち切られた。そもそも財布すら持っていない凡太も同じ穴の狢であった。


『俺も……無いですね。』


『……仕方無い。』

直後、店内で叫び声が上がった。


椅子から転げ落ちた数人の客が呆然としたまま固まっていた。床には割れた皿と酒瓶が散乱している。彼等の中心で渦巻く模様により、テーブルを消失させたであろう犯人は火を見るより明らかだった。


『行こう。』

高橋さんに急かされる。罪悪感に苛まれたが取り残されては堪ったものでは無い。


二人は騒然としている人々に紛れ、出口へと急いだ。


『ん?あいつら、食い逃げだ!』

しかし行動が早過ぎたのだろう。気付かれてしまった。


誰かの怒鳴り声が聞こえ、一呼吸置いて言葉の意味が全身に染み渡った群衆が二人を捕らえる為、銘々が無数の枝葉の如く手を伸ばした。


高橋さんは軽い身のこなしで迫り来る腕を躱し付近のテーブルからジョッキを掴み取ると、群衆に向けてビールを浴びせ掛けた。


皆が顔を守り手を引っ込めた隙に、それに習った凡太がもう一度酒をお見舞いする。


出口は目前だ。そのまま走り抜けようとしたが、怒号と共に凡太に向けて一本の酒瓶が放たれた。


咄嗟に凡太はカメラを構え、尻餅をつきながらも何とか酒瓶の撮影に成功した。


物体が中空で突如として消えた事により、人々は石像と化した。


一瞬にして舞い降りた静寂に居たたまれなくなり、店が見えなくなるまで二人は走り続けた。


『高橋さん、俺達最悪ですね。』


『うん、引っ越しまでしなくちゃいけなくなった。』


二人は暫くの間はなるべく薄暗く、人通りの少ない道を選んだ。足を止める事だけはしなかった。

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