開戦 5
こちら側の陣営は全員身構える。
高橋と大猿が味方に加わったとは言え敵も増えた。戦力を総動員させなければ勝利するのは難しいだろう。
しかし魚は凡太達には目もくれず、宙を泳いでサイに近付くと、何と呑み込んでしまった。
次に魚は鰐の体にも齧り付く。鰐は痛みを感じないのか、無抵抗だった。
化物を二匹喰らい尽くし、満足したのか巨体は地面に降り立った。むしろあれだけ食べれば空は飛べないだろう。
そして魚が痙攣を始めたかと思うと、肉体から無数の巨大な突起が露出した。全身は銀色に染まり鈍い輝きを放ち、鼻先には尖りに尖ったサイの角が。二つに裂けた尾びれの中央からは鰐のごつごつとした尻尾が飛び出した。
最後に四つの足が生え揃い、奇妙で極大な怪物が完成した。その姿はまるで戦艦のようだった。
わざわざこんなものを嗾けるとは、怒りの矛先は必然的に母へ向かう。
『何だって言うんだ!母さんは俺に居場所を与えてくれた張本人じゃないか!何でここまでして俺を追い出そうとするんだ!』
『そうね、夢に逃げた凡太が心配で、せめてもの慰めになれば……そう思っていたわ。後悔した時には遅かった。貴方は夢の世界にのめり込んでいたわ。』
『それの何が悪いんだ!生きていたって何も楽しい事なんて無いじゃないか!』凡太は声の限り叫び、鉄傘を振り上げた。
すると、大猿がそれを掴んだ。
『この身が滅ぶまで付き合いましょう。夢に現れる事を許された私には、どんな結末を迎えようと貴方のいない世界など考えられない。それでは。』最後にそう言い残すと、大猿は空気に紛れ、風に舞う塵のように消えた。
手元が温かい。鉄傘が熱を帯びているのだ。
何が起こるのだろうと見ていると、傘が砕け散り、中からは随所に大猿のもののような毛皮の装飾が施された日本刀が誕生した。
ずっとこんな武器が欲しいと思っていた。猛々しい鈍器ではなく、雄々しい刀剣が。
『たかは……二人共やろう!これで本当に最後だ!』
母は悲しげな表情をしていた。反対に将太は無表情で凡太を迎え撃つ。
幻聴は、聞こえなくなった。
凡太と将太は示し合わせたかのように互いを前にして立ち止まった。戦う相手は既に決まっているのだ。
あまり気が進まないが、少し痛めつけて母と共謀した理由を語ってもらおう。
接近する凡太を狙い、将太は火の玉を撃ち出してくる。
それを斬り払いながら前進した。魔法の威力は強大なのだろうが火球は真っ直ぐにしか飛んで来ない。対応するのは容易だった。
母の操る合成獣には二人の高橋が立ち向かっている。
先陣を切る高橋は獣のように身を屈めて移動していた。最早怪物側の生物にしか見えない。
間合いを詰めた凡太は即興かつ我流の刀背打ちを放つ。将太は手に持っている大きな杖で刀を受け止めた。
『何でお前と戦わなくちゃいけない、理由を教えろ。』
将太は魔法に長けているにも関わらず、腕力もそれなりにあるようだ。交わされた刀と杖は拮抗しており、どちらにも傾く気配は無い。
『お前と、お前の母さんの為に俺は戦ってるんだよ。凡太は夢に支配されてる、俺達はお前を解放しに来た。』
このままでは埒があかない。凡太は一歩後退し、相手の姿勢が崩れた所に刀を振り下した。しかし、将太はそれを後方に飛んで躱す。
『意味が分からないんだが。』
『そうだろうな。心の何処かでこのままだと駄目だって気付いてるもう一人の自分が警告しに来たってお前は無意識に殺してるんだから。』将太は言う。思い当たる節はあったが、そんな事は考えたくも無かった。
『そうやってお前はいつまで経っても夢にしがみ付いてた。だから凡太が唯一警戒を緩めていたお母さんが自分でやるって決めたんだ、どんな方法を使っても凡太を現実に送り返すって。』将太は続け様にそう言い終えると、大きな雷の玉を放った。
その速さに避け切れず、どうにか受け止めるも、刀から伝った電撃は身体中を駆け抜けた。
将太は格段に成長している。今までの疲労もあるだろうが、一撃喰らっただけで身体が言う事を聞かなかったのだから。
『裏切ったみたいで悪いと思ってる。でも、これが凡太の夢の中の出来事だろうが俺は俺だよ。俺は友達にはちゃんと生きてもらいたい。この夢から覚めたら、普通の夢を見なよ。今は悪夢だ、俺が悪夢にする。』将太はゆっくりとこちらに向かって来る。
『分かってくれよ。お前の母さんがどうしても凡太を目の前にすると甘くなっちゃうからって、悩みに悩んで協力者に俺を選んだんだ。』
凡太は間合いに入った将太に余力を振り絞って斬りかかるが、またもや斬撃は空を切った。
『普通の夢って何だ?夢までつまらなくする気か?俺は今が一番生きている事を実感出来るんだ、邪魔しないでくれ!』
そう言うと、将太は珍しく顔を怒りの表情に変えた。
もう容赦はしないとばかりに、動けない凡太に向け更に強力な魔法を放つ準備を始めている。
逃げられない。そう思った矢先、二人の間を分かつ巨大な鉄板が飛んできた。
少し離れた所では合成獣との戦いが続いており、鉄板は高橋が助け舟として合成獣の鱗を放り投げた物だった。
高橋は合成獣の肉体に貼り付き、鋼鉄の鱗を千切っては投げ捨てている。そして怪物達がそれを拾い守りを固め、後方にいる遠隔攻撃の可能な味方を護衛する盾の役目になると言う見事な連携を見せていた。
一方で高橋さんは物陰に隠れ、せっせと怪物を生成している。
しかし状況は芳しくない。流石の高橋も敵の猛攻に疲れを見せ、怪物も次々と数を減らしている。この勝負、長引けば長引く程勝ちの二文字は遠のいてゆくだろう。
『凡太!』
突然呼ばれて振り返ると、梅原がいつの間にやら写真から脱出したらしく、こちらに向かって歩いて来ていた。
将太は彼の登場に気付き、今の状況をどう説明すべきかと悩んでいる様子だ。確かに梅原の性格上、訳を話した所で何を言い出すかなど想像もつかない。
梅原の服の焦げ跡は真新しかった。写真内部にも影響があったのは明らかだ。大方電撃に耐え切れず、穴から飛び降りたと言った所だろうか。
『よく脱出方法に気付いたな。でも飛び降りたんだろうに、怪我してないのか?』
『お前知ってたんなら……まあ俺の事はいいや、それよりさ……』梅原はそこで言い淀み、凡太の胸元へと視線を動かした。
何が言いたいのだろう。凡太は胸ポケットを探った。
『……そんな。』
中の黒猫が重傷を負っていたのだ。
体は半分以上が溶けてしまい、胸元は溶け出した赤黒い液体で染まりつつある。
『俺の所為だ……早く高橋さんに返すべきだったんだ……』凡太は嘆いた。
自らの死さえ慣れつつあった凡太でも、困難を共にし、愛着の湧いた相棒とも呼べる生き物との残酷過ぎる別れには胸が張り裂けそうになった。
いつもの空き地へ向かう途中、車に轢かれ亡骸となっていた野良猫。二つの影が重なる。
この眼に映る光景は生々しく、現実のものと大差は無かった。
震える指が自然と動き、戦友の頭を撫で続ける。
黒猫は目を閉じて凡太の指に額を押し付け、事切れた。
涙が溢れ、視界が滲んだ。だが胸にある血溜まりからこちらを見つめ返す自分が鬼のような形相を浮かべたのだけははっきりと見て取れた。
(凡太!どうしたの凡太!)
また、何処かで声がした。
しかし、我を忘れた凡太の体内では雷鳴のようなものが唸りを上げている。呼び声はその凄まじい音に搔き消された。怒髪天を衝くと言うのはまさにこの事なのだろう。
怒りによって震えなどとうに過ぎ、むしろぎくしゃくとしたような動きで身体は揺れていた。
『お、おい、凡太……大丈夫か?』
梅原の声が耳に届いた時、ぴたりと揺れは収まった。
凡太は黒猫の遺骸を両手で掬い上げ、天高く掲げた。
次に口が開いた。あろう事か自分は黒猫を呑み込もうとしている。それは最早自らの意思では無かった。
『凡太!』
母と将太は同時に叫んだが止められるはずも無い。自分自身不可能なのだから。
そして凡太は……異形の者を体内に取り込んだ。
周囲は夕暮れに近い色に一変した。いや違う、凡太の視界が黒猫の体液のように赤黒く染まっているのだった。
『凡太……何やってるんだよ。』
『うるさいな。』
裏拳を放つと梅原は想像以上に吹き飛んだ。壁に叩きつけられ気を失っている彼の姿を見ていると笑いが止まらなくなった。
それを見て唖然としている高橋二人を置き去りにして、母と将太が動いた。
(殺してやる。)
負ける気がしなかった。
将太に刀を投げつけ、噛み付こうと向かって来た合成獣の顎を自由になった両腕で受け止めた。
杖に刀が突き刺さる。それを確認した後で牙から逃れ、化物の頰を殴りつけた。鱗が面白いように剥がれ落ちる。
母が体勢を崩し、上から滑り落ちるのが見えた。すかさず合成獣の腹を思い切り蹴飛ばすと、彼女は横転した巨体と壁に挟まれた。
(次はお前だ。)
地面を蹴って空を飛び、一瞬のうちに将太の前まで移動した。
刀を引き抜き、杖を真っ二つにへし折ってやった。
将太の目は悪魔を映し出していた。どす黒い皮膚をし、口には牙が生え、見開いた両目で獲物の瞳を覗き込んでいる。それは凡太の姿だった。
『凡太!やめなさい!』
意識が遠のき、化物を映してしまった所為か両目が全く見えなくなった。
しかし眠った訳では無いのだろう。肉を叩く拳の感触は続いているのだから。
八章 開戦 終わり
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