理想郷の投影 2

『やっと開通したぞ!』

梅原は壁の解体を完了させたのだろう。胸元から聞こえる喧しい声で察した。


(そう言えば、こいつにはまだ脱出方法を教えてなかったな。)


左側の部屋に空いた大穴、そこから飛び降りれば彼はこちらへと帰還出来る。この世界へと着地する際の衝撃までは推測しかねるが。


しかし、酒の大好きなこの男が今こちらに戻ってきた所で、匂いを嗅ぎつけ正常な意識共々飲み干してしまうのは分かりきっている。小鳥遊と将太の捜索を手助けしてくれるとも思えない。胸元へと伸びかけた手を止め、落ち着くまでの間は放っておく事にした。


『高橋さん、あの小粒達の調子はどうですか?』


『小粒?ああ、あいつらの事か。今確かめてみるよ。』高橋さんは凡太の肩に乗った黒い生物に触れ、少し経ってから首を左右に振った。


『まだ何も見つけられて無いみたいだね。』


『そうですか。なら俺達も急がないと。そうだ、ここで別行動にしましょうか。』


『了解。もし何かあったら肩のそいつに話し掛けて。それじゃあ健闘を祈るよ。』


ここからはまた一人だ。気を引き締めなければならない、凡太は高橋さんの背中を見送り、別れ道を進んだ。


凡太の選んだ道は繁華街へと続いていた。


追っ手はいないだろうかと腕で顔を覆うようにして歩いていたが、その方が目立つ気がしたのですぐにやめた。


馬車が楽々とすれ違える程道幅は広く、石畳の歩道には露店が並んでいる。


商品はチョコバナナやたこ焼き、テレビで見た事のある戦隊ヒーローのお面と言った具合だ。この街並みの中では実に場違いな物だらけである。


以前入り込んだ時にはこんな道は通っていない。むしろ十字路と住宅街ばかりだった記憶がある。


(あの時は確か……そうだ!地下の空間!)


この街からは悲鳴一つ聞こえない。そもそも怪物が既に街を占拠していたとなれば、入った時点でその異様さに勘付いているはずだ。鰐石は地下に潜伏している可能性が高い。


凡太は肩に視線を移す。そこにいる小さな助っ人は、振り落とされまいと必死にしがみ付いている。


その体に手を添えてやると、生物は怯える事無く凡太の掌に移動してきた。


『高橋さん聞こえますか!鰐石は地下にいると思うんです!』高橋さんに連絡を試みる為、凡太は声を上げる。


『……聞こえてるよ、凡太君正解だ。今丁度一匹が地下道に入るデカい鰐を見かけたらしい。君のいる場所からすぐ左に曲がって、路地裏を真っ直ぐ進んだ所だ。』掌の上の生物は電話越しのような音声で高橋さんの声を発した。あちらからは凡太の居場所も把握出来るようだ。


『それと、宿屋に君の友達っぽいのはいなかったよ。俺も今から地下に降りる、そっちも気を付けてね。』


高橋さんに礼を言い、指示通り左折した。


約束の場所に将太はいなかった。脳裏には彼と並んで歩く女性の姿が浮かぶ。


彼女の策略だろうか。佐曽利と関係ある人物なのは間違い無いはずだ。そして鰐石とも……


どの道、今取れる選択は一つに限られているのだ。地下に行けば何もかもがはっきりとする。そう信じるしかなかった。


凡太は細く薄汚れた道ならぬ道を、左右の家々から露出する配管や室外機を乗り越えながら歩いた。


頭をぶつける事も構わずに進み続けていると、ほんの少し開けた空間に突き当たり、地の底へと続く階段を見つけた。


凡太はそこに、迷わず足を踏み入れた。


『物語も大詰めだな。』


暗く乾いた闇の中で、小さく呟いたつもりだった声がいつまでも響いていた。




地下道はまさに迷宮だった。上から差し込む光などとうに闇に呑まれている。

梅原と同じポケットに入れた黒い生物は辺りが暗くなると目玉から光を放った。どうやら懐中電灯の役割まで務めてくれるようだ。

礼の代わりに軽く頭を撫でてやると、気持ち良さげに目を瞑っている。

その様子は実に可愛いらしいのだろう。目を閉じられてしまうと真っ暗になってしまうので何も見えないが。

そっと指を離し、頼もしい同行者に足元を照らされながら迷宮の中を進んだ。


いつ、何が現れるか分からない緊張感が前回の水流に取って代わり、凡太の進行を妨げる。


足元の地面は乾いており、起伏は少なかった。あの水脈とは距離があるのかもしれない。


ふと前方を照らし出すと、道は段々と先細りを始めていた。


こんな場所で敵と遭遇してしまえば一巻の終わりだ。この地下道が魔物の巣窟となっているのは凡太が一番良く理解しているのだ。


魔物達の鳴き声が聞こえやしないかと耳をそばだてていた凡太だったが、何かに足を取られ、視界がぐらりと揺れた。


凡太の足を払ったのは地面に突き刺さった鉄製の傘だった。


それは酷く長い間放置されていたらしく、錆か泥かの判別もつかないような色に染まっている。以前失くした物と良く似ていた。


引き抜いてみると、意外にも傘はまだ充分に使えそうだったので持って行く事にした。


暫く歩き続けていると、周囲にはいつしか水音が木霊していた。


あの道ならば前回と同じように魔物と接触せずに移動出来る確率は高い。緊張が解れ、凡太は早計にも早足で音源を探してしまっていた。


その時、暗闇の先で蠢くものがあった。


壁の窪みに収まっていたそれは、地面に散乱している四つ脚の動物だったであろう屍肉をついばむ鶏だった。


何の変哲も無い鶏だ。通常の個体と異なる点と言えば、凡太よりもふた回りは大きい事くらいだろうか。


『うわあああああ!』

それを見た凡太は情けない叫び声を上げてしまった。


鶏も凡太の声に驚いたのか、朝によく聞くような鳴き声を地下内部に響かせた。


凡太は闇雲に駆け回った。鶏が追って来ないのは気配で分かっていたが、足を止められなかった。


しかし、これが悪手だった。ここから魔物との遭遇の連続が始まったのだ。鶏の鳴き声が闇の住人達を呼び覚ましてしまったのかもしれない。


魔物の中には鶏を捕食する者もいるらしく、油の臭いに気付き目を凝らすと、歯車に載せられた無残な鶏の首から上があった。反射的に顔を背けて逃げ出したのでその全貌は分からずじまいだが。


ある時は天井から滴る雫がうなじに当たり、見上げてみれば人の顔を何倍にも引き伸ばしたような姿のゼリー状の魔物がこちらを睨み付けていた。


またある時は女性に似せた舌の先をぶんぶんと振り回している顔がアンコウで体がカエルの化物も見かけた。


迷い込んだ人間を誘き寄せる為の擬似餌にしては完全に逆効果になっていると思うが、そのお陰で上下に飛び跳ねる女性の顔を見た時点で身を潜める事が出来た。


そんな数多の恐怖を具現化したような魑魅魍魎の出現に疲弊し始めた頃、凡太は蟹の魔物と出くわした。


蟹は何をするかと思えば、おもむろに自らの手で甲羅を引き剥がした。


そこから飛び出したのは脳髄では無く、何と梅原そっくりの人間だった。蟹はぴくりとも動かない。偽物の梅原へと脱皮して生まれ変わったのだ。


『凡太……凡太……』


悲しげな声を発する梅原もどきだが、同情は不要だと即刻判断した。何故なら本物は今頃胸元で将太の上着を羽織って寝ているのはずなのだから。


どうやら蟹は友人や家族に化ける能力を持ち、それに騙されて近寄って来た者達を捕食する魔物のようだ。


凡太は振りかぶった鉄傘を梅原もどきの脳天に叩きつけた。蟹であり梅原でもあったものは一撃で絶命した。


……とても清々しい気分だった。こうして日頃溜まった鬱憤を現実でも解消出来たならば、どんなに素晴らしいだろうか。


要するに、蟹は選択を誤ったのだ。これが小鳥遊であったなら、例え紛い物だろうと凡太は手出し出来無かったのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る