五章 試練
意識を取り戻した凡太の両の目は、喜びの色に満ち満ちていた。
木々は凡太との再会を喜ぶようにいつも以上に捻れ、太陽の光は葉の隙間から、天より垂らされた糸のように無数に差し込んでいた。
帰って来たのだ。母に見るも無残に改造されてしまった愛しの我が家が。
身に余る幸福を体現する為、凡太は木の根に注意しつつ、慎重に小躍りしながら歩行すると言う器用な動作で家に近づいていった。
本当に良かった。今日一日日記を読み込んだ甲斐があった。
しかし、母の構想全てを批判する事はしない。家から海が見えるのも眺めとしては最高だ。あの玩具の集積所と化している凡太の住居さえ整理すれば、なかなか良い代物ではある。
それに、地下に空間が存在すると言うのは非常に面白い試みと言えるだろう。魚に襲われた苦い体験があるので入る事は金輪際無いだろうが。
凡太はあれこれと考え、幾度かつまづいた後、家の前まで辿り着いた。
『やっと着いたか。』
ぽつりとそんな言葉が漏れる。木の根を避けて妙な動きをするのは思っていたよりも時間が掛かった。
『それはこっちの台詞だよ。』
けたけたと笑い声のする方向に視線を動かすと、家の裏手から二人の男が飛び出して来た。
将太と梅原だ。将太はともかく、最近の梅原の出現率の高さには少々うんざりする。家は修復出来たのだからこいつもどうにかして欲しい。
二人は凡太の一連の動作を盗み見ていたらしく、まだ笑いを止められずにいる。
凡太が顔を赤くして何も言わずにいると、やっと将太が話し始めた。
『梅原に誘われてさ、凡太の所に遊びに来たんだよ。』
現実と夢、そのどちらにも碌な遊び道具すら無い凡太の家へわざわざ出向いて来るのは梅原だけだ。将太の来訪は珍しいと思っていたがそういう事か。
『そう、暇だったから。』
梅原は笑った。我が家へ来た所で期待には答えられない事にまだ気付かないのだろうか。
『何も無いのによく来たな、ひとまず入れよ。』
凡太は洋館の扉を開き、二人を招き入れた。
卓袱台を前にして座る四人は、静寂を守る番人のように、ひたすらに沈黙を続けていた。
要するにやる事も話す事も無いのだ。凡太は頬杖をついてその他三人を観察していた。
凡太の右側に位置するのは梅原だ。彼は家に入って座り込んだ途端、本を開いて自分の世界へと旅立ってしまった。
他人の家で行う読書は同じく暇を持て余している友人二人を置き去りにしてでも優先すべき程の快感が味わえるのだろうか。疑問で仕方が無い。
一方、左側の将太は何もせず、絵画でも鑑賞しているかのような瞳で梅原を凝視していた。
将太は全くと言っていい程友人の誘いを断らない。だがいい加減、梅原からの誘いだけは辞退して良いと思うのだが。
そして、正面にいるのは母だ。
母は最初のうちは二人の来訪に少し戸惑っており、将太と世間話を軽く交わした後は暫く所在無さげにしていた。
だが、家の主である事を突然思い出したかのようにティッシュ箱の上に小さな置き鏡を重ね、大胆にも三人の目の前で化粧を始めている。
(もうこの状況には耐えられない。)
『……何処かへ出掛けようか。』
凡太の発言に、将太は視線をこちらに移し、梅原は読書を中断した。
『そうだなあ……久しぶりに中央区にでも行かないか?』
夢の中にある凡太の実家。その前を通る道路をひたすらに走り続けると、都市部である中央区に出るのだ。
あの場所の人が多く雑多な雰囲気はあまり好きでは無いが、こうして無益な時間を過ごすよりは幾分ましであろう。
二人も同意見らしく、沈黙で肯定の意を示した。
『よし決まりだ。母さん、軽トラ使わせてもらうよ。』
『はいはい、晩御飯は食べてくるの?』
『じゃあ、そうしようかな。』
会話が終わるや否や、腰を上げたのは三人同時だった。内心は皆、久々の街とドライブが楽しみなのだ。
二人は既に外で待機している。母から鍵を受け取り、車へと急いだ。その時母は、蚊の鳴くような声で言った。
『凡太、目一杯楽しんで来なさいね。』
やけに意味ありげな含みがあった。
その真意を測りかねた凡太は、返事が出来無かった。
車の鍵を開け、運転席に座った。助手席には将太が、荷台には梅原が当たり前のように陣取っている。
軽トラックは木の根に乗り上げながら、荒波を乗り越える船のように進んだ。
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