三途の川 4

店に戻るとすぐに自販機の隅で待ち伏せていた小鳥遊に捕まった。彼女はプリクラを撮りたいのだと言う。


(プリクラか……)

凡太とは縁遠い代物だ。自分の写真など免許証しか存在しない。


気恥ずかしくなり軽く抵抗したが、女学生にとっては当たり前の事なのだろう。拒む凡太を不思議がる彼女の無垢な瞳に負け、小鳥遊を先頭に二人は撮影機のある二階へと進んだ。


そこで財布を持っていない事を思い出し、慌てて小鳥遊に伝えたが『大丈夫!バイトのお給料最近入ったから。』と言って笑った。この世界の彼女はどんな仕事をしているのだろうか。


凡太はぎこちなく、小鳥遊は自然に姿勢を取り撮影は終了した。


機械は二人の映った何枚もの瞬間を固定し、その身から産み落とす。


写真の中の小鳥遊はいつにも増して美しく、見ていると胸が熱くなる。その脇に映り込む不自然に目の大きい自分に気付いた事で胸の高鳴りはやっと収まった。


『凡太君、皆が突然夢のお話を始めるのはね、凡太君に影響されているからなんだよ、君が近付いたりすると皆今まで夢で過ごしてきた記憶を取り戻すの。』


凡太は持っていた写真を落とした。小鳥遊は床からそれを拾い上げ、満足そうな表情をする。


『でも私だけはちょっと違う。私は現実にいるし性格も大体合ってる。そこは玲子ちゃん以外は同じだね。だけど、どう振る舞うか、何を話すかは凡太君の理想とする私の姿が全てなんだ。記憶なんて無いみたいなもの、君に全部委ねられているんだから。』


『それは……知りませんでした。』


確かに、予測不能な行動を取る場合もある梅原や将太とは違い、小鳥遊は全てにおいて凡太の思い描く彼女の理想像にかなり近い。それを除けば完全なる架空の存在であるR、そして玲子との違いなど現実から誕生したと言う部分だけであろう。


自分の思想が全てだと彼女の口から聞かされた凡太は、操り人形として存在する小鳥遊を思うがままに操作している自らの姿を思い浮かべ、複雑な気分になった。


『だから、今だけは君が望んだ通りになる……』


彼女は凡太の手を握り、顔を近付けてきた。


今にも唇が重なろうかと言う時、凡太は一歩後ろに下がり、小鳥遊を制した。


『駄目です。僕はこんな形で小鳥遊さんの気持ちを無視するような真似はしたくありません。』


彼女はこうなるのを見越していたのかもしれない。凡太に向けられた眼差しは信頼している証のように、きらきらと輝いていた。


『僕の一方的な妄想だけでは悲しいです。僕は、貴方が……』


顔が赤くなり、俯いてしまった、小鳥遊は次の言葉を待ち続けている。


『貴方が、好きなんですから。』


顔の火照りを止める事も、平静を装う事も出来無かったが、硬直したままの凡太を小鳥遊は笑わなかった。


『頑張ってそれを私に伝えてあげてね。』

手を離し、足早に去って行った彼女の頰には赤みがさしていた。


現実に期待を抱くなんていつ振りだろうか。小鳥遊の後姿を見つめたまま、凡太は彼女としたやり取りを長い間反芻していた。


大袈裟かもしれないが、つまらないと決めつけていた現実の世界に生きる目標が出来た瞬間だった。


(将太に、謝っておきたいな。)


凡太はやっと動くようになった足で将太を探しに歩き出す。自らの為に尽力してくれた親愛なる友人へ、別れの挨拶をしておかなければならない。




店内はいつしか無音になった。騒がしいのが当たり前のゲームセンターでこつこつと靴音だけが響くのは妙な感覚だ。


吹き抜けになっている部分から一階を見下ろすと、中央で将太がこちらに背を向けて立っているのが見える。


凡太は階段を駆け下り、その背中に声を掛けた。


『将太ごめん、ごめんな。』


『何が?』

将太は振り向く事さえしない。


『母さんと将太は正しかった。夢が楽しいと思う気持ちは今も変わらない、けどやり過ぎたんだよな、夢の為に何もかも捨てようとしてたんだから。』


『……どうなんだろうな、俺だって正直、現実はつまらないし、夢で楽しいと思う時の方が多い気がする。ただ……やっぱり自分の子供にはどんなに面白くない世の中だとしても、どうにか生きていってほしいって思うんだろ。愛情ってやつか、それに夢も現実も関係無いんじゃないかな。』


将太の声は段々と震え出した。


『……愛情とは違うけど、俺だって似たような事を思ってたんだ、凡太とは友達だから。』


彼は転校して来たばかりの頃、感情が表に出にくい事が災いし、学級では浮いた存在だった。


将太の家は凡太と仲の良い野良猫のいた空き地へと向かう道の途中にあった。そこで二人は初めて会話し、凡太は彼の笑顔を見たのだった。


それ以来、将太は少しずつ周囲と話す努力を始め、着々と友人が増えていった。


凡太の目にも涙が溢れてきた。些細な事がきっかけで友人になった彼が、そこまで自分の事を思ってくれているとは知らなかった。


もう呼び違う事は無い。彼は親友だ。


『ありがとう。』


蚊の鳴くような声でしか言えなかったが、将太にははっきりと伝わっていた。肩が震え、振動で涙が床へと垂れる水音が心にまで響き渡った。


『俺、もう行くよ、最後に話せて良かった。』


凡太は立ち去ろうとするが、将太の手が肩に置かれた。


顔を見合わせた二人は連れ立って正面の扉を抜ける。

蒸し暑い外気を蝉の鳴き声が知らせてくれた。


蝉はもう、魔物へと変わりはしなかった。





九章 三途の川 終わり

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