三途の川 3

梅原は店の扉が開いた途端に走り出し、人工的な煌めきの中に呑まれていった。いつもの事であり、後を追う者は皆無だった。


将太、玲子、小鳥遊の三人は菓子を山程手に入れるべく、真剣な眼差しでクレーンゲームの方へと向かってゆく。


煙草をもう少し吸いたいと思っていた凡太は全員がいなくなったのを確認し、店内の隅に設置されたベンチに座った。肘掛けの上に煙草の箱とライターが置かれているのを目敏く見つけていたのだ。


もう一度周囲を確認し、一本取り出して火を付けた。

学生時代は煙草など縁遠い人生なのだろうと思っており事実毛嫌いしていた。ところが今では夢の中でさえそれを欲する自分がいる。


今更こんな事を考えてしまうのは、この服装の所為に他ならないだろう。


過去と現在を重ね合わせ感傷に浸っていると、梅原がこちらに向かって来た。


彼は隣に腰を下ろし、当たり前のように箱から煙草を一本抜き取った。


『俺さあ、お前の夢に出るの結構好きだよ。凡太は俺がいると嫌そうにするけどな。』


煙を吐き出しながら梅原は語り掛けてきた。


『お前が出ると碌な事が無いからね。』


凡太は冗談交じりな口調で返した。


『俺ももっと冒険とか、怖い夢でも何でも良いから一緒に体験したかった。夢って子供の頃みたいに何にも気にしないでその事だけ考えてればいいから気楽だよね、例え悪夢でもさ。』


『それは同感だ。』

凡太は二本目の煙草に火を付ける。


『もう終わりなのか……』


『また会えるさ、どうせ近いうちにお前は現れるだろうよ。』


『そうじゃないんだ。今の凡太の夢になら、俺は前の記憶を持って登場するなんて簡単に出来る。でもこれからは一回きりの使い捨ての俺なんだよ。本当にただの登場人物になっちゃうんだ。一緒に何かやっても次には忘れてる。正直怖い、死刑宣告を受けたみたいな気持ちだ。』


矢継ぎ早にそう言い終えると、梅原は不安げな表情で俯いた。


『そうか……』

それ以上言葉が続かなかった。消え去る恐怖に苦しむ梅原は、凡太が作り上げた人物なのだから。


『ごめん、辛いのは同じだもんな。』


梅原は立ち上がる。


『友達と別れる時ってどうしたらいいか分かんないけどさ、ちょっとカッコつけておこうぜ。』


『……そうだな。』

梅原は芝居じみた表情でこちらを向き、凡太と強く握手を交わした。


しかし照れ臭くなったようで、彼はすぐに手を引っ込め、また何処かに走り去って行った。


彼の手は暖かかった。


(もう、本当に終わりなんだろうな。)

Rも梅原も、凡太に向けたのは別れの言葉だった。


これからも夢の中で知人とは出会うのだろうが、今までの記憶を凡太と共有する人物は誰一人いなくなるのだ。そう思うと少し、悲しくなる。


凡太は煙草を揉み消し、続け様に三本目を咥えた。


その時頰を伝った涙は何が為に流れ落ちたのか、あえて理由は探さなかった。




学生服を隅々まで調べてみたが、相変わらず凡太は小銭一つ持っていないようだ。これでは皆が戻って来るまでの暇潰しも出来無い。


仕方無く店内をぶらついた後、何と無しに店の外に出てみた。しかし、外はあまりにも蒸し暑かった。


堪らず、すぐに引き返そうとした凡太は店先にある木製のベンチに玲子が座っているのを見つけた。


彼女の脇には一抱えもある菓子の詰まった袋が置かれている。三人の目的は達成されたのだろう。


玲子が凡太に気付き、こっちへ来いと手招きをした。


凡太は菓子の隣に腰を下ろす。Rと別れたばかりだった事もあり居心地が悪かった。無論〝この〟玲子の仕業では無いのだが。


『やあ。』

玲子は口元だけで笑う。素顔の彼女はRの持つ妖艶さの代わりに柔和な雰囲気を持ち合わせていた。


凡太へ向けられた顔は学生に分相応なあどけなさを残しており、まさに純粋そのものの美しい少女だった。


『そこの少年、今化粧してないとこんな顔してるんだな、とか思ってただろう?』


『いや。』

即答した。


『嘘。』

しかし玲子も即答で返す。


『……どうだろうな。それと今の俺はお前の知ってる俺じゃない、少年じゃないんだ。ついでに言うとお前もだろ。』


『不正解。確かに君は少年では無いけれど、私はれっきとした少女です。』玲子は言う。


頭が混乱してきた。つまり今ここにいる彼女が本物で、Rが仮初めの姿だったのだろうか?


凡太の脳内に浮かぶ疑問を予期していたのか、玲子はすぐに口を開いた。


『どっちが本物とかじゃないの。あの人と私は別物、ちょっと生まれた時間が違うってだけ……覚えなくていいよ。君がいなくなったら私達、消えちゃうんだもの。』言い終えた彼女の顔は曇った。


『お前達は、完全に俺の想像だけで作られた人物……だから?』


『大体合ってる。でも、私達の事もしも、もしも思い出したりしても、もう夢の世界に深入りする危険が無さそうだったら、君と私達、またいつか会えるよ。』


『……ねえ、何でRは最後にあの場所にいて、俺をここまで導いてくれたんだろう。』


『あの人が最初に君に会った時、君を連れて行く役目を担っていたからだと思う。そのイメージが強かったのね。』


『……なるほど。』


いつしか場の空気が重苦しいものとなっていた。このまま彼女の悲しむ顔を見ているのは御免だ。


真面目な話の後に下らない真似をして玲子は怒るかもしれない。だが今の状態よりはましだろう。


凡太はわざと見つかるつもりでこっそりと袋の包装を解き、菓子を一つ抜き取ろうとした。


『食べない方がいいよ。』

やはり玲子にはお見通しだったらしい。袋は取り上げられてしまい、彼女はそれに顔を埋める。


その直前、玲子の涙が見えた。


どうしたのかと肩に手を伸ばすが、彼女はひょいと躱して立ち上がる。


『またね。』


菓子で顔を隠したまま、玲子は店内に戻っていった。


(転ばなきゃいいけど。)

その後ろ姿を見送る凡太の顔は自然と綻んでいた。


一人になった途端、忘れかけていた暑さが身体に降りかかって来た。凡太も店内に戻ろうと腰を上げる。


玲子と話していて気が付かなかったが、ゲームセンターの隣の建物が倒壊する事故があったようだ。野次馬の量から察するにごく最近の話なのだろう。


崩れ落ちた木造アパートの壁はとても薄かった。これでは隣室の声など丸聞こえだったはずだ。

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