不器用な慈愛 3

校内もやはり、外での惨事など何処吹く風とばかりにひっそりとしていた。


内部の案内図が下駄箱の奥に貼り出してあり、学校は三階建てだと知っている。


一階だと怪物の侵入を許してしまった時、真っ先に狙われてしまう。かと言って三階や屋上にいた場合、退路が断たれる危険性がある。凡太は二階の教室を隠れ場所として選んだ。


『必ず戻って来ます。』

心配そうな表情を浮かべる小鳥遊にそう告げ、凡太は校庭へと駆け戻った。


校庭で逃げ惑う役は怪物へと移っていた。群衆は影も形も無い。生き残った人間達は無事に避難出来たのだろうか。


怪物の軍団は一目見ただけでも七割以上は既に息絶えていると分かる。大猿は二度も窮地に陥った凡太を助けてくれたが、まさかこれ程までの実力を備えているとは思わなかった。


『うわ……君の味方めちゃくちゃ強いね。』

いつの間にか隣では、髭面の男が凡太と同じように戦場と化した校庭を眺めていた。


また渦巻を使い性懲りも無く現れたのだろうか。あの時は使わなかったがこちらにはカメラがあるのだ。恐れる必要は無い。


『あんた、また俺を殺しに来たのか?』


『……凡太君、俺の事忘れたの?』

髭面の顔をぐっと近づけ、男はそう返した。


沢山の刺青、たっぷりと蓄えられた口髭。髪型はツーブロックであり、刈られていない部分の毛髪は仙人のように長い。


逆流する記憶の波の中に、朧げながらも目の前に立つ男の姿が見えてきた。


(そうだ、確かこの人は……高橋さん。)


今のアパートに引っ越したばかりの頃、家賃を捻出する事が困難となった凡太は日払い制度のある仕事を探し、工事現場のアルバイトへ行き着いたのだ。


その時に凡太よりも一ヶ月遅れて同じ現場へと配属されたのが高橋さんだった。こんなにも派手な見た目だと言うのに思い出せなかったのは長い歳月の所為に他ならないだろう。


二人は似かよった技量だった為、組んで作業をする事が多かった。


高橋さんは全ての仕事において拙速ではあったが、三十歳と凡太よりも歳上だったので指摘し辛く、また、そんな仕事をしていても咎めるような人物のいない会社だったので注意した事も揉めた事も一度も無い。むしろ比較的良好な関係だった。


そして、気が付くと高橋さんはアルバイトを辞めていた。


……我が夢ながら記憶の隅で埃を被っていた人物が登場するとは珍しい。


(俺は高橋姓の人物に縁があるんだろうか……それより……)


『思い出しましたよ高橋さん。それは良いとして、ここには俺を殺しに来たんですか?』


早く先程の質問の答えが欲しいのだが。そう目で訴える。


『いやそれは……ちょっとそんな目で見ないでよ。殺そうとしてたんじゃなくて、凡太君を捕まえたら報酬くれるって言われて、つまり命令されたの。だけどそんな事はもうどうでもいいんだ、君の事が心配で心配で様子を見に来たんだよ。』


話し終えるのを待ち、凡太は彼の右手に握られている大振りのレンチを無言で指差した。


それを見た高橋さんはけたけたと笑いながら顔の前で掌を左右に振り、所持している得物はあくまで工具としての用途しか備わっていないと身振り手振りで伝えてきた。


(高橋さんは金に目が無い人だったもんな。)

今のはその場しのぎの言い訳ではないだろうか。


しかし、仮にその言葉が本当だとすると、この人は何故凡太への敵意を捨て改心と言うか、思い留まったのだろう。


とにかく高橋さんに戦う意思は無いと分かり警戒を緩めた。それに今は雑談している場合では無い。


凡太は大猿を探そうと、再び校庭に目を向けた。


その時、一匹の怪物がジェット機のように高速で目の前を通り抜けた。壁に叩きつけられた怪物は貼り付いたまま絶命している。


飛んで来た方角へと目をやると、校庭の中心には全長三メートル程の大きな鰐と、その背中に乗り眼鏡の手入れをしているスーツ姿の男がいた。


あれは凡太が地下で仕事をした夢で内部に居座っていた鰐と、凡太をそこへ送り込んだ例の男ではないだろうか。


『高橋さん、貴方には愛想が尽きた。凡太を捕らえる事も出来ず、誘き出す為に用意した私の配下までこの聞き分けの無い馬鹿共が殺す所だった。契約は解消する。』男はそう言うと立ち上がり、鰐を思い切り踏みつけた。


すると、鰐の目は白濁とし始め、淡く白い炎を纏った。肉体は対照的に黒い霧状に変化し、ぼやけた輪郭が瞬く間に膨れ上がる。


そして十倍程の大きさで膨張を止めると、尻尾をくねらせ警報のように耳障りな咆哮を放った。甲高いその音は暫くの間耳に残っていた。


遂に動き出した鰐は生き残りの怪物達を屠り、嬲り、死骸の山を築き上げてゆく。見た目通りの化物だ。恐ろしく強い。


『何だあいつ、折角こいつら貸してやったのに八つ当たりしてんじゃねえよ。』


高橋さんは憤りを見せる。察するに、校庭に現れた怪物達は刺青の能力の一つだったのだろう。


自らの手足として動く怪物達の作り出した惨劇には物ともせず、貶された事に対してのみ怒りを露わにするこの人に、凡太は少なからずの恐怖心を抱いた。


そうこうしているうち、暴れ続けていた鰐の矛先がとうとう二人に向いた。


迫る巨影を少しでも引き離そうと走り回るが、すぐに追いつかれてしまう。


(もうだめだ……)

巨大な口は、手始めに凡太の影を呑み込んだ。


……肉の爆ぜる音がした。引き裂かれたのは凡太の身体では無く、鰐の左前脚だ。


脚を失った事により地面に倒れ込む鰐。その下を掻い潜り、現れたのは大猿だった。


凡太に駆け寄った大猿は人形の姿となり自らストラップに戻った。


その時、一瞬だが高橋さんの顔が曇った。この人は大猿に恐れをなしてこちら側に鞍替えしたらしい。本当に現金な人だ。


『あの鰐を倒すのは難しいでしょう。今のうちに校舎へとお戻りください。』大猿が言う。


鰐の脚があった部分には、蟻の大群が押し寄せるように黒い影が密集し始めている。再生するのだろうか。


『君でも倒せないの?』


『ええ、それに暫く活動出来ません。』


それを聞いた直後、高橋さんと目が合い、どちらからともなく校舎に走り出した。大猿が動けないとあれば今は逃げるしか無い。


『凡太!お前は逃がさない。』

突然、鰐の上から男が叫んだ。


その声に振り返った凡太の時間は止まった。男の脇には、捕らえられた小鳥遊がいたのだ。


(嘘だろ……何で……)

思考が追いつかない凡太だったが、固く握り締めた拳の力を緩め、その手でカメラを掴んだ。


凡太はすぐさま鰐を撮影した。


撮った写真は先程怪物のいた穴のある部屋を映し出した。しかし、そこには中央に野球ボール大の黒い球体が一つ漂っているばかりで、その球体も下の穴から写真を抜け出したかと思えば鰐の体へと戻ってしまった。


『そのカメラは……お前が持っていたのか。だがそんな物は無意味だ、こいつは一個体では無い。』

男は笑った。


自分だけでは小鳥遊を助ける事すら出来無いのか。そう思うと膝から力が抜け、凡太は崩れ落ちた。


『殺しはしない、もう二度とここには来ない事だな。』脚の再生を終えた鰐は、男の一声で再び大口を開けた。


将太との約束を果たせず、小鳥遊も救えなかった……


『調子に乗ってんじゃねえよ!』

諦めかけていた凡太の隣で、男にそう怒鳴り返したのは高橋さんだった。


彼の声と共に四つの大きな渦巻きが鰐の足元に現れ、胴体を残して脚が全て地面に吸い込まれてしまった。何と高橋さんは鰐の動きを完全に封じ込めたのだ。


『小癪な真似しやがって。』

鰐の上で男は憎らしげな声を上げる。


『まだしますよ、小癪な真似。』

高橋さんがそう言って笑うと、何処に隠れていたのか小鳥遊を襲ったものと同じ鳥頭が四匹姿を現し、男に飛び掛かった。


それを見た男は慌てた様子も見せずに手を振り上げた。その途端、鰐の形をした悪夢は一瞬にして黒く巨大な球体となり、怪物達の攻撃を弾いた。


『仕方無い……凡太、県概で待っているぞ。』

その内側から男のくぐもった声が響いた。


そして球体は遥か上空に浮かび上がり、山の彼方へ飛んで行ってしまった。


凡太は途方に暮れ、今まで鰐だったものが浮かんでいた虚空を見上げるばかりだった。


(小鳥遊さんが捕まった……)

絶望が、雪のようにしんしんと両肩に降り積もる。


すると、それを払い除けるかのように、刺青の入った手が凡太の肩に添えられた。


『何してるの?行くしかないでしょ。攫われた女の子を助けに行くとかめちゃくちゃカッコいいじゃん。』


……今回ばかりは高橋さんの図太さに助けられたようだ。

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