冒険 2
凡太は借金返済に頭を抱えていた。
ギャンブル等の自らの手で招いた事態では無く、単に生活の困窮の為だ。返せる金など何処にもありはしなかった。
それに業を煮やした取り立て屋は新しい人間を凡太の元へと差し向けた。
その男は喪服と思われる黒スーツを着込み、黒縁の眼鏡を掛けていた。
反社会勢力とは思えない程柔らかい口調で話す男は、借金を帳消しにする事を条件にあるゲームへの参加を求めてきた。凡太は詳細も聞かずそれに飛びついた。
それが間違いだった。
男からは使い古されたのか切れ味の悪そうな大きな鋏が手渡された。鋏は腕の長さ程もある恐ろしい代物だった。
『これからある家の住人達を殺して頂きます。しかしそれだけでは面白味に欠けますので、最後にはサプライズのご用意を致しております。それでは向かいましょうか。』男は手を引き歩き出そうとする。
血の気が引いた。しかし今回の夢では自らの選択が優先されたのか、硬直した肉体を意思とは切り離された両足が運んだ。
民家は二階建てだった。外観に比べ中は少し古臭い印象を受ける。恐らく外面を良くする為に外壁だけを塗装し直したのではないだろうか。
間取りは男に聞かされた通りだった。裏口からは長い廊下が一直線に続いている。中程まで進み、右手にある台所の扉に手を掛けた。
そこには一人の老爺がおり、こちらに背を向けて薬缶を火にかけている最中であった。
それを見た凡太は殆ど何も考えずに首を狙い、鋏で真っ二つにするべく両手に力を込めた。
しかしなかなか断ち切る事は出来ず、今更ながらも後悔の念が込み上げてくる。背後から襲い掛かったので顔を見なくて済む。それが唯一の救いだった。
気が狂いそうになった、力を込めた手が震える。
半ば捻じ切るようにして終わらせた後には、恐怖と吐き気しか残らなかった。
(もう、やるしかない。)凡太は精神を保つ為に吹っ切れるしか無かった。ここでやらなければどうせ借金にその身を押し潰されるのを待つばかりの人生なのだから。
次の獲物を探そうと台所を出ると、老婆と鉢合わせした。
凡太は一瞬怯んだが老婆はこちらに目を向けようともしない。再び血の滴る鋏を突き出した。
今度も上手く切れない。罪悪感は徐々に恐怖と焦りを孕んで肥大化してゆく。
目を瞑り、両手に力を込めると先程よりかは早く切断が完了した。無意識のうちに要領を覚えようとする自分に嫌気がさした。
……その後は悲惨だった。この家の住人は老爺と老婆、そして恐らくその息子と妻と思われる中年の男女の四人だ。
その全員にとどめを刺せば終わりとばかり思っていた。
だが何度首を捩じ切っても台所、廊下、居間、洋室、何処へ行っても彼等は凡太の愚行を嘲笑うかの如く何回でも何回でも現れた。皆抵抗もせず叫びもしない、まるで凡太に殺されるのを待ち望んでいるかのようだった。
身体は既に赤く染まり、手は痺れていた。付けられたままのテレビ、転がる口紅、湯を吹き溢す薬缶、血に塗れたエプロン。どれも嫌と言う程見た光景になっていた。
(こんなゲームもう沢山だ、どうなっても構わないから今すぐ辞めさせてくれ…)先程の威勢はすっかり消え失せ、凡太は絶望に囚われていた。しかし最早主人の意思を必要としなくなった両腕は自然と動き、殺戮を続けた。
もう、何度目だろうか。
凡太が疲れ切った表情で長い廊下を歩いていると、黒スーツの男が裏口から入って来た。
「おめでとう、次が最後ですよ。」
「…え?」
聞きたい事は山程あるが、憔悴した凡太は言葉を話すのですら億劫だった。
黒スーツが左端に身を寄せる。その後ろにはサイのような化物の姿があった。
廊下で対面しているその化物は両手を床に置き、今にもこちらへと走り込もうとしている姿勢を見せつけている。
この瞬間、凡太は騙された事を知った。ゲームとは口実で、最後はこの化物が愚かな参加者の生き血を啜るのだろう。
全く勝てる気がしない。だが、どうせ逃げられないのならば……
凡太は鋏を今一度力強く握り締め、戦う姿勢を見せた。
化物が先に動いた。予想していたよりも動きは速い。
(あいつの首を…)凡太はその速度に気後れし、仰け反るような格好になりながらも鋏を化物の首の前に突き出した。
二つの影が衝突する。かなりの衝撃と痛みがあったが、鋏は辛うじて離さなかった。
渾身の力で首の切断を試みる。しかし皮膚は鋼のように硬く、とても切れた物では無い。武器が血を浴びて切れ味が鈍っているのも影響しているのだろう。
そう考えていた矢先、凡太の口から鮮血が飛び出した。
化物の顔に真っ赤な雨が降り掛かり、まさしくこの遊戯の最後に、挑戦者へと死を突き付ける者に相応しい出で立ちとなった。
間違い無くこのまま耐えているだけでは死ぬ。凡太は焦るが、どんなに力を入れても相手は苦しむそぶりすら見せない。やがて意識が朦朧としてきた。
姿勢が崩れ、化物に更に詰め寄られた凡太は膝立ちの状態になった。膝の皿は軋み、砕けそうな程痛んだ。
霞んだ視界の中で鋏が歪み、鉄屑に変わった。そして気が付けば今まで殺めてきたこの家の住人達が全く同一の鋏を持ち、四方を取り囲んでいた。疲れ果てた凡太へと歩み寄り、今にも先端が身体を貫こうとしている。
視界が赤く染まった。凡太は涙を流し、声にならない声で夢が終わるまで叫び続けた。
ふと、目を開ける。
いつもの部屋、いつもの場所。
そこにうつ伏せで寝ていた。体が動かせないのはいつもの事だ。どうせ立つ事はおろか腕一本上げられない、炬燵の中に潜り込んだ状態を続けなければならないのだ。
目の前には木の柱、両脇の襖は物置だ。そこには恐らく来客用の布団や茶釜が入っているはずだ。確かめた事は無いが何故か知っている。
時刻は昼頃らしい。穏やかで暖かい光が部屋に差し込んでいる。
何故ここに飛ばされるのかは分からない。夢で死亡すればいつもここにいる。
つまり敗北したのだ。凡太は化物に敗れ、あの時死んでしまったらしい。
(まあ、いいや…もう少し眠りたい。)
そのまま目を閉じた。眠りに落ちる寸前、汽笛のような奇妙な音が聞こえた気がする。
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