開戦 2

(今度は自らの意思で人の道を外れようと言うのか?)


問題無い、相手は悪人だ。

それに〝これは夢なのだから〟


そう自分に言い聞かせつつも、男を手にかける直前には目を瞑ってしまった。やはり人を殺めるのはその行為にも、自分自身にも恐れを抱かずにはいられないのか。


確かな手応えを感じ、ゆっくりと目を開くと、黒スーツの男は生きていた。それも先程と全く同じ姿勢で。


凡太と男の間に割り込み、身を挺して攻撃を防いだのは、拘束具を身に付けたサイの化物だった。


『もう一体いたのか。』


と言うよりも、目の前の個体こそが鋏を用いて家人を殺めた凡太を断罪した張本人で間違い無いと思われる。


驚くべき事にサイは涙を流していた。目元から垂れる雫は足元の水流に悲しみを織り交ぜてゆく。


『先程の機械兵は父親を亡くしたこの子の為に私が作り上げたのです。父を二度も失えば、例え異形のものだろうと涙を流さずにはいられないでしょう。』黒スーツはそう話した。冷酷なこの男と化物にも信頼関係と言うものがあるらしい。


……だからどうしたと言うのだ。ここに来て御涙頂戴とは片腹痛い。凡太には何の感情も芽生えなかった。


サイは涙を拭うと握り拳を作り、ボクサーのような構えをした。それを見た凡太も鉄傘を握り直す。


『凡太君!さっきはごめん……て言うか何かあった?動いて無いみたいだけど。俺は鰐を見つけて追いかけてる最中だ。そこから真っ直ぐ行った所にいるよ!』いざ勝負、と言うまさにその時、黒猫は高橋さんの声で喋り出した。


高橋さんが一足先に鰐の元へと向かっている。今すぐにでも合流したいが、実に間が悪い。


さっさと片を付けてしまおうかと考えた凡太はカメラを持ち上げた。


そして、ストラップに繋がれた大猿の存在を思い出した。


『ねえ、あいつに勝てる?』


『何とも、言えません。』

大猿は珍しく言葉を濁した。そこまで手強い相手なのだろうか。


猿の人形が転がり落ち、次の瞬間には凡太の背丈を超えた。それでも戦ってくれるらしい。


『ありがとう、ここは頼んだよ。』


大猿は軽く頷き、左半身を前に出すと、そちら側に重心を傾けた。


異形の存在が目の前に二体、人間さながらに構え、対峙している。


『あと、一つだけ聞いてもいい?』


『手短ならば。』


『何でさっきの戦い、出て来なかったの?君なら一瞬で終わってたんじゃないかな。』


『気付いていないのですか。今の貴方は、私よりも強い。』


それだけ言うと、大猿が先に仕掛けた。


その脇を駆け抜けた凡太はサイと一瞬目が合った。


彼は青年のような目をしていた。赤く充血した、憂いを溜めた瞳だった。




凡太は街の中心部に到達した。


置き石は取り外されていて、月明かりが地下まで零れ落ちて来ている。高橋さんが地上へ戻ったのだろうか。


直接聞こうにも、黒猫は彼の言葉を伝えたきり眠り込んでしまっていた。小さな体で光を発し続けるのは体力を消耗したのだろう。


『こっちじゃないよ。』

不意に頭上の穴から若い女性のものと思われる両足が見えた。声の主も彼女だろう。


『分かった。』

普段ならば心を読まれたかのような発言を疑問に思い、女性を警戒する所なのだが、何故だか素直に頷く自分がいた。


凡太は地下を進み続ける事にした。


歩き始めた凡太の後方で置き石が乱暴に戻される音がする。石が擦れ合い、暗闇の中で埃が舞うのが臭いで分かった。


こうして闇が雪崩れ込み、一気に地下道を埋め尽くした。


純粋な黒一色の世界では目を閉じているのか、それとも開けているのかすら分からなくなってくる。


しかし、突如として一筋の光が凡太の目を射抜いた。


訪れる者を皆盲目にしてしまう場所に唐突に出現した道標。それを頼りに進んだ。


とうとう周囲の明暗は逆転し、凡太は光に包まれていた。


道の終わりは広い空間となっているようだ。壁に手を置き、目が慣れるのを待った。


『お前がここに来たと言う事は、佐井は敗れたのか。』鰐石の悲しげな声が響いた。佐井とはあの黒スーツの名前だろう。佐曽利、鰐石とくれば何となしに分かる。


視界は未だ明瞭とは言えないが、瞼をこじ開けた。


ここまでの道のりには街路灯があるくらいで、その他の装飾などは皆無だった。だが、この場所だけは違った。


凹凸で出来た壁画のようなもので壁一面が覆われており、母の家で見つけた物と非常によく似た燭台が立ち並んでいた。火は灯されておらず、朽ち果てて粉々になっている物も数多く存在している。昔は神殿として使われていたのかもしれない。


だが、人々に忘れ去られた地下の神殿からは歳月によって神々しさまでが風化してしまったような印象を受けた。あくまでここは広場と呼ぶべきだろう。


広場には瓦礫が至る所に散乱していた。中央では佐井と同じく、疲れた表情の鰐石が瓦礫の山の頂に座り込み、こちらを見下ろしていた。


『小鳥遊さんはどうした!』

凡太は声を張り上げる。


『いないさ。あの子は本来、現実的な夢にしか出て来ない。お前が起きてからもにやけているような夢にしかな。』そう告げた鰐石は胸元から黒猫とそっくりな黒い生物を取り出して見せた。


すると生物の頭が膨れ上がり、小鳥遊の顔となったではないか。


驚く凡太を頭だけの小鳥遊が舌を出して嘲笑っている。


『まじかよ!』

足元の瓦礫の中から高橋さんが飛び出した。破れた服が戦いの凄まじさを物語ってはいるが、ひとまず無事だったようで一安心した。


『そっか……俺より上のレベルだと変身なんか出来るんだ。にしても、あいつ本当にいい性格してるな。』自分の能力との差を見せつけられた事もあるのだろう。高橋さんは凡太よりも憤慨している。


『高橋さん、怪我はありませんか?』


『大丈夫大丈夫、あいつ全然本気出してないもん。それよりあの変なサイ倒したんだ、凄いね。』


(あの二人と戦ってそんなに元気なあんたの方が凄いよ。)黒猫を介した高橋さんとのやり取りの最中には機械音が鳴り響いていた。今思えばあれは佐井と戦闘を行った何よりの証拠だろう。やはりこの人は侮れない。


突っ込みを入れたくなる衝動に駆られたが、軽口を叩くのは全てが終わった後にするべきだ。


前回のようにはいかせない。凡太は鰐石を睨み付けた。


『ここでお前の夢は終わる。』


鰐石の周囲に蟻の大群が這い寄ってきた。蟻はみるみるうちに巨影を形成してゆき、いつか見た鰐の姿を目の前に作り上げた。

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