冒険 5

海月に備え付けられた無数の触手のように、生え揃う数々の分かれ道を警戒しつつ、二人は水流に逆らって歩いた。


川は浅くなり今はくるぶし程の水位だ。脇道から時折ちらつく魔物の影に怯え、足が濡れる事よりも出来るだけ通路の中央を位置取る事を優先した。


街に近付いているのかは分からないが、今は魔物の気配のしないこの道を進み続けるしか無かった。脇道の先に関心が湧かないと言えば嘘になるが、もう少し力を付けてからまた来ればいい。


『……え、ねえ!君達!』


その時、脇道から魔物の咆哮とも違う声が聞こえた。


それが人間の声だと分かってはいたが、心臓が縮み上がった。二人はそれを聞いてお互いどちらからとも無く身を寄せ合い、深淵の先を見つめた。


「君達、凡太と……将太だろう?」


闇を縫ってそれは姿を現した。


「あ、あれ高橋じゃないか?」


将太の顔は再び不安に曇ってはいたが、浮かび上がる輪郭に心当たりがあるようだった。


将太にそう言われ、目を凝らした。こちらへと向かって来る人影はやはり旧友の高橋で間違いは無かった。


彼は中学時代に知り合った二人の共通の友人の一人だった。


「高橋もか、お前は何でここにいるんだ?」

凡太が問う。


「僕は外なんかよりこっちの方がよっぽど居心地が良いんだ、ちょっと汚いけど秘密の場所って感じでさ、良いと思わない?」


高橋は無邪気な笑顔でそう答えた。


高橋は一般的な平均値よりも背も身体つきも小さく、また極度の近視の為眼鏡を手放せない。


ただし今の背丈は二人を抜いている。彼だけは中学生の姿を投影されているようだ。恐らくそれ以前の高橋を見た事が無いからであろう。


それはともかく、そんな病弱な印象を受ける高橋がこんな場所に適応するのは難しそうではあるが、夢の中は何でもありなのは凡太が一番よく理解している。もう気にしてはいけないと自分を戒めた。


「凡太達はもしかして迷い込んじゃったのかな?」


凡太は高橋にも今までの経緯を説明した。牛の魔物に襲われてここへ入り込んでしまった事を伝え、街までの道のりを尋ねた。


「うーん、街の中心くらいの場所にはもう暫く歩いてると着けるけど、今はやめといた方がいいと思うな。それでも行くのかい?」


そこまで念を押す理由がいまいち分からなかったが、暗く湿った洞窟よりはましだろうとあまり深く考えずに頷いた。


「分かった、それなら僕に付いて来てよ。その道だけは覚えているんだ!ここには僕が知らない所もまだまだあるからね。」


(そんなに広いのか、探索のしがいがありそうだ。必ずまた来よう。)


凡太は未開の道の先にある、財宝や強力な装備品を思い浮かべ心が踊った。


三人は談笑しながら進み始めた。外から流れ込む外気に生物の鼻をつくような臭気を感じたが、すぐに気にならなくなった。




道中は水かさも周囲の明暗も全く変化が見られなかった。どの程度移動したのかも忘れてしまう程に。


「もう結構歩いたよね?まだ着かないのかな。」

将太が無表情で高橋に尋ねる。


「あと少しで街の中心部くらいだよ。」

高橋は言った。


将太は感情を余り表に出さない。だがこんな質問をすると言う事は、彼も疲れを感じているのだろう。


それから五分程経過しただろうか、高橋が足を止めた。


「着いたよ。だけど。」


高橋はゆっくりと振り向き、背後にいる二人に、そしてその奥へと視線を動かした。


「魔物が付いて来ちゃったみたいだね。」


その言葉に二人は弾かれたように振り返った。


(いる……さっきの奴だ。)

そこにいたのは、凡太が先程苦しめられた牛の魔物だった。泳げないこの魔物が洞窟に到達するのは不可能とばかり思っていたが、考えが甘かったらしい。


だが様子がおかしい。草原で出くわした時の魔物は残忍な性格こそしていたものの、知性の感じられる口調と顔立ちをしていた。


今の魔物は口に唾を貯め、頻りに前足で地面を蹴り続けている。かなり興奮しているようだ。


これではただの猛牛と同じだ。一体何がそうさせるのだろう?


「二人共下がって!まだ勝てる相手じゃないんだろう?」


高橋は衝動を抑えているような顔つきをしている。目の前の存在を全く恐れていないのは確かだろう。


放っておいて大丈夫なのだろうか。加勢したい気持ちはあるが、丸腰で敵う相手ならばとっくに倒している。


そして高橋も見た所武器の類は所持していない。勝敗が全く予想出来無かった。


動きを見せない三人に業を煮やしたのか、猛牛はぬかるんだ地面を気にもせず恐ろしい速さで突進して来た。


高橋は腰を落とし、掌を正面に突き出した。間違い無い、彼は攻撃を真正面から受け止める気でいるのだ。


次の瞬間、心臓へと迫る二本の角を棒のような両腕が捕らえた。


しかし、じりじりと後退させられてしまっている。凡太と将太は左右に飛び退いた。


凡太からは高橋の横顔が見えた。その顔は未だに余裕の表情を残していた。


勝負は一瞬だった。二人を背後から移動させる為にわざと後退したのだろう。彼は一本背負いの要領で軽々と巨体を放り投げ、着地と共に喉元を締め上げたのだから。


「えへへ、動物系の魔物は美味しいんだよね。」


高橋の戦闘能力は凡太とは比べ物にならないのだろう。魔物の巣窟となっている地下道を根城としているのもこれで納得した。


そして、あの魔物の豹変ぶりは彼を恐れての事だったのだとも今更ながら気付いた。


「凡太達も食べる?」

高橋が言う。牛は既に事切れていた。


「い…いいや、俺は街に向かうよ。」


腹は減っていない。それに魔物を食べると言うのはあまり気乗りしなかった。


『お…俺もいいや。』


将太も食事を遠慮したので高橋とはここで別れる事となった。


「そうかい…今街へ行くのはやっぱりやめておいた方がいいと思ったから誘ったんだけど……外へ出たら、急いで宿屋に向かうんだよ。」


高橋は忠告してきた。


ならば尚の事、その懸念する何かが起こる前に宿屋へと急がねばならない。それに今ここで時間を食えば、朝が来て目が覚めてしまうかもしれない。決心は変わらなかった。


二人は高橋と最後の挨拶を交わす。


「いつでも歓迎するよ、またおいで。とは言っても僕はいつも地下を動き回っているし、魔物も多いからおすすめはしないけどね。」


彼の後姿は闇に溶けていった。

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