第4章 姫は鳥かごの中

 森の中で蹲るリリーディアを見つけると、シルヴィオは優しく抱き上げた。

 涙の痕を隠したくて、リリーディアは両手で顔を覆う。


「姫、どうして一人で屋敷を出たのですか?」

「…………」

「どうして、泣いていたのですか?」

「…………」


 混乱している頭では、シルヴィオの問いに何と答えればいいのか分からない。

 聞きたいこと、確かめたいことはたくさんある。

 シルヴィオがリリーディアをどう思っているのか。

 何のために、リリーディアの記憶を奪ってまで二人で生活しているのか。

 どうして、クラリネス王国を……――。


(聞くのが、怖い……)


 頭痛はまだ続いていて、リリーディアの心は受け入れられない現実に傷ついていた。

 本当なのだろうか。

 自分に触れる手はこんなにも優しいのに、リリーディアが知らない世界では誰かの命を奪っていたなんて。

 もう何も考えられない。考えたくない。

 疲弊した精神が、リリーディアの意識を途切れさせる。


 次に目覚めた時、リリーディアはベッドの上にいた。

 側にはシルヴィオがいる。

 起き上がろうとするが、どうにも体が重くて、頭も痛む。

 どうしてだろう。


「姫、熱が出ていますから、まずはゆっくり休んでください」

「でも……」


 何か、考えなければならないことがあった気がする。

 とても、大切で、重要で、胸が苦しくなるほどのことが。

 しかし、熱でぼーっとする頭では思考がまとまらない。


「それなら、お腹は空いていますか?」


 シルヴィオに問われ、ほんの少しだが空腹を覚えた。

 小さく頷くと、シルヴィオは柔らかな笑みを浮かべる。


「チキンスープを作りました。少しでも食べて、薬を飲みましょう」

「……ありがとう。シルヴィオ」


 シルヴィオが作ったチキンスープはあたたかくて、優しい味がした。

 全部は食べられなかったけれど、シルヴィオはよく食べたと褒めてくれた。

 なんだか照れくさくて、リリーディアはむっと唇を尖らせる。


「さあ、姫。今度は薬ですよ」

 

 シルヴィオが用意した薬を大人しく飲んで、リリーディアはようやく自分が意識を失う前のことを思い出した。

 一人で森へ向かったリリーディアのことを追及するのはやめて、シルヴィオは看病に徹してくれている。

 いつもシルヴィオはリリーディアを気遣ってくれている。

 こういう時でも、そう感じられるのに、本当に彼が自分を恨んでいるなんてことがあり得るのだろうか。

 一人で考える時間が欲しかった。

 他人から聞かされる自分の過去が、今のリリーディアの状況と重ならなくて、何を信じればいいのかが分からない。


(今は、寝よう……それで、起きたらちゃんと考える)


 掛布をすっぽりかぶって、リリーディアは眠りについた。

 リリーディアが眠るまで、シルヴィオの気配が遠ざかることはなかった。

 そうして、シルヴィオと距離をおいて、問題を先送りにしようとしたのがいけなかったのだろう。

 シルヴィオがリリーディアに向ける視線の中に、いつもとは違う暗い陰があることに気づけなかった。


 一晩寝ると、熱は下がり、頭痛も収まっていた。

 近くにシルヴィオの気配はない。

 カーテン越しに明るい外の光が漏れ出ている。

 ベッドから起き上がり、リリーディアは窓辺に近づく。

 外の空気が吸いたくて窓を開けようとしたが、何故か鍵が開かない。

 それに――。


「あれ? ……窓に、格子なんてあったかしら?」


 リリーディアは小首を傾げる。

 窓が開かないことを不思議に思いながらも、リリーディアは部屋を出ようと扉に手をかけた。


「え、どうして……?」


 扉が開かない。

 ガチャガチャとドアの取っ手を動かしても、何も変わらない。

 外から鍵をかけられているようだ。

 どうしてこんなことになっているのか、意味が分からなかった。


「シルヴィオ! 近くにいる?」


 リリーディアは扉を叩きながらシルヴィオを呼ぶが、返事はない。

 窓には格子、扉には鍵。


(……もしかして、これって閉じ込められているの?)

 

 どうしてこんなことになってしまったのか。

 リリーディアが一人で屋敷を出て行ってしまったから……?

 シルヴィオがリリーディアに酷いことをするはずがない。

 そう信じていたけれど。

 クロエが話していたことが事実なのだとしたら、シルヴィオはリリーディアを恨んでいる。

 ずっと側にいたシルヴィオが、リリーディアの異変に気づかないはずがない。

 リリーディアが一人で森にいたことで、彼も何かを察したのかもしれない。

 急に不安になって、心臓が早鐘を打つ。


「シルヴィオ……」


 彼と向き合って、ちゃんと話をしなければ。

 でも、何から話せばいい?

 事実を確認して、彼を責めるのか。


(それに……以前の私は何故、シルヴィオを追い出したの?)


 リリーディアの記憶はまだ蘇っていない。

 眠っている間に、クロエが作った小さな綻びは、シルヴィオによって修正されたのかもしれない。

 記憶を奪った張本人であれば、もう一度奪うこともできるだろう。

 それほどまでに、シルヴィオにとって都合の悪いものなのだろうか。

 クロエがせっかく助け船を出そうとしてくれていたのに、リリーディア自身が拒否してしまった。

 あの時は、思い出すことへの恐怖心が勝っていたから。 

 そして今、リリーディアは部屋に閉じ込められている。

 非力なリリーディアには窓の格子を外すことも、扉を壊すこともできない。

 それに、もし外に出られたとして、周囲の森を抜けられるとは思えない。

 記憶喪失で、現実世界のことをほとんど覚えていないリリーディアが一人で生きていけるとも思えなかった。

 クラリネス王国の王女だと名乗ったとしても、クロエの話が事実だとすれば、すでにサウザーク帝国に侵略された王国だ。

 どんな扱いをされるのか分からない。

 シルヴィオがいなければ、リリーディアは生きていくこともできないのだ。

 こうなってみて改めて、リリーディアは自分が無力なのだと思い知らされた。


(そういえば、クロエさんがくれた赤い蝶は……)


 見える場所にはいない。

 逃げたいと思った時に、と彼女は言ったが、母国を侵略したサウザーク帝国の魔術師に頼ってもいいものか。

 それを言えば、シルヴィオはサウザーク帝国の魔術師団長で、クラリネス王国を攻め落とした張本人だ。

 シルヴィオから逃げたいか、と問われれば答えは否だ。

 事実を知った今でも、ショックではあるがシルヴィオを嫌いにはなれない。

 だって、リリーディアはシルヴィオ本人から憎悪を向けられたことはないのだから。

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