第2章 招かれざる客

 朝目覚めると、必ずといっていいほどシルヴィオが側にいる。

 天蓋付きのベッドで本当によかった。

 リリーディアは起きる度にそう思う。


(寝顔を見られるなんて恥ずかしすぎるわ)


 それも、相手は好きな人なのだ。

 記憶がない時の自分は耐えられたのかもしれないが、今は無理だ。

 寝顔だけでなく、寝相は悪くなかったかとか、寝言は言っていなかったかとか、自分の意識がない時の行動を見られるなんて。

 しかし、シルヴィオは気にした様子もなく、さっとレースカーテンを開けて笑顔を見せてくる。


「おはようございます、姫」

「……おはよう、シルヴィオ。いつも言っているけれど、わざわざ起こしにこなくてもいいのよ?」


 上体を起こし、リリーディアはむっとした表情で言った。


「眠り姫を起こす名誉ある役目を放棄する気はありません」


 シルヴィオからは有無を言わせぬ笑顔が返ってくる。


「それに、姫の寝顔は天使のように可愛らしいので大丈夫です」

「なっ、寝顔、見てるの!?」

「はい、もちろん。あ、寝言もすごく可愛いですよ?」

「~~っ!」


 寝言まで聞かれていたのか。

 かあっと羞恥で顔が赤くなる。

 見られていることは分かっていたけれど、はっきり言われると恥ずかしい。

 天蓋なんて全然意味なかった。

 思わずシーツを引っ張り、頭からすっぽりかぶる。


「姫?」

「シルヴィオは少しぐらい乙女心を学んだ方がいいと思うわ!」

「それなら、姫が教えてください。俺は、姫の心以外は知りたくないので」


 その言葉で、シルヴィオに惹かれている乙女心は簡単に浮かれてしまう。

 教えるまでもなく、シルヴィオだけがリリーディアの胸をときめかせる。

 でも、寝姿を見られて恥ずかしいのも事実。

簡単に機嫌が直ったと思われるのも癪だ。

 それに、仕事で仕えている王女に甘い台詞を吐くなんて、従者としてはどうなのだろう。

 主の心を乱すなんて、悪い従者である。


「も、もうっ、シルヴィオの馬鹿!」


 初めてシルヴィオに罵倒の言葉を向けたら、一瞬でシーツが取り払われた。


「姫、もう一度言ってもらえますか? ちゃんと俺の目を見て」

「……え?」


 驚いて顔を上げると、至近距離に金の双眸があった。

 シルヴィオの口元には笑みが浮かび、期待するような目で見つめられる。

 リリーディアは一体、何を求められているのだろう。

 怒られるでもなく、暴言のリクエストを貰ってしまった。


「姫が初めて俺を馬鹿だと言った表情を見逃すなんて、従者失格です。もう一度、ちゃんと俺に怒ってください」


 従者は罵倒さえも受け入れなければならないのか。

 従者の定義が分からなくなってきた。


(シルヴィオは、本当に姫馬鹿すぎるわ)


 けれど、そんな彼のことも愛しく思う自分がいる。


「シルヴィオの、馬鹿」


 シルヴィオの頭に手を伸ばし、リリーディアは彼のさらりとした白髪を撫でた。

 驚いたように目を見開き、シルヴィオは幸せそうに目を細める。

 そして、猫のようにリリーディアの手にすり寄ってきて。


「姫の手は、いつも優しいですね」

「シルヴィオも、いつも優しいわ」


 シルヴィオはリリーディアに怒ったことがない。

 いつも笑顔で優しく守ってくれる。

 リリーディアの療養生活は、シルヴィオの優しさに支えられているのだ。

 しかし、リリーディアの言葉を聞いてシルヴィオは少しだけ切なそうに眉根を寄せた。


「もっと、姫は俺に怒ってもいいんですよ」


 そう言って、シルヴィオはリリーディアの手をぎゅっと握った。

 骨ばった、大きな男の人の手だ。

 リリーディアの手をすっぽり覆ってしまえるほどの。

 この手が、リリーディアをいつも守ってくれている。

 大好きな手をぎゅっと握り返すと、シルヴィオは頬を緩めた。

 もうしばらく彼のぬくもりを感じていたかったが、そっと手は離れていく。


「さぁ、もう朝食の準備はできていますから、身支度を整えてくださいね」


 たしかに、いつまでもベッドの上でまどろんでいても仕方がない。

 シルヴィオの言葉を合図に、リリーディアはベッドから出る。

 水をはった洗面器とタオルを用意して、シルヴィオは気を利かせて部屋を出て行った。


(……シルヴィオ)


 時々見せる、切なげな表情。

 思い出してほしいとは言わない彼の、本心は。

 それに、リリーディア自身、どういう訳か最近は思い出したいとは思っていないのだ。

 シルヴィオと一緒にいるこの時間が、変わってしまいそうで怖くて。


「今日はパンケーキを焼いたんです」

「あ、ハチミツがある!」

「姫は甘いものが好きですからね」

「ふふ、嬉しいわ」


 焼き立てのパンケーキは三段重ねで、ふわふわだ。

 上に乗ったバターが溶けてしまう前に、甘いハチミツをたっぷりかける。

 昨日読んだ本に、ハチミツたっぷりのパンケーキが出てきたから、食べたいという話をしていたのだ。


「でも、すぐにハチミツを用意できるなんて、近くに街でもあるの?」


 この療養生活での物資は、定期的に王城から届けられていると聞いていた。

 すぐにハチミツを注文できるほどの距離にあるのだろうか。

 窓の外には森しかないと思っていたけれど、実は見えていなかっただけなのかもしれない。


「もし近くに街があるなら行ってみたいわ」


 甘くて柔らかなパンケーキを頬張りながら、リリーディアは何気なく言ってみた。

 屋敷の中に引きこもっているだけなのは、どうしても息苦しくなる時がある。

 たまにはおもいきり体を動かしてみたいし、気分転換に買い物をしてみたい。


「近くに街はありません。このハチミツは元々屋敷に常備していたものです」

「そうだったの。でも、たまには外に出てみたいわ」

「駄目です。屋敷の外は、姫の体には毒なんですから」

「そういえば、魔素があるのよね……でも、昔は王城で住んでいたのでしょう?」

「常に魔術師が姫の周囲に漂う魔素を消滅させる必要がありましたから、色々と大変だったのですよ」

「……そう、なのね」


 外に出られない身体とは、なんと不便なのだろう。

 シルヴィオが過保護すぎるのも、きっとこのか弱い身体のせいだ。

 思っていた以上に困った自分の体に、リリーディアは落ち込む。

 パンケーキを食べる手さえも止まってしまったリリーディアに、シルヴィオが「姫」と声をかける。


「だんだん顔色も良くなってきましたし、屋敷の近くを散歩するくらいなら大丈夫ですよ」

「本当に!?」

「はい。もちろん、俺と一緒だという条件付きですが」

「ありがとう、シルヴィオ!」


 満面の笑みで礼を言うと、シルヴィオもにっこりと笑みを返してくれる。

 その頬は、心なしか赤く染まっていた。

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